第二十八話 怪物図鑑

「あの、ローニャンさん……」


 ローニャンに声を掛ける。彼女はベッドに横になって分厚い本のページをめくっていた。フォズの方を振り返ることも返事を返すこともしなかったが、何となく意識を向けている雰囲気は有ったので、フォズは言葉を続けた。


「ローニャンさんは、メレ・メレスさんと旅をしているんですよね?」


「……」


 返事はなかったが、「そうですよ」と背嚢の中身の整理をしていたメレ・メレスが代わりに答えてくれた。


「まあ、正確には旅というよりも遠征、という感じでしょうか。わたくしたち、家はあるんですよ。旅して、帰って、旅して、帰って、その繰り返しです」


「なるほど……」


「気になるの?」


「えっ?」


 突然のローニャンの声に、驚いて首を向ける。彼女はベッドの上に胡坐をかいて、鋭い目つきでフォズを見つめていた。


「あたしたちがどうして旅をしてるのか、気になるんでしょ?」


「……はい、正直に言えば」


「教えてあげたら? あたしは嫌だけど」


「ローニャンが教えてあげればいいでしょう?」


 あ、わたくしも嫌とかではありませんよ? メレ・メレスは慌てた様子でそう付け足した。


「嫌よ」しかしローニャンはばっさり。「だって、あたし、エルフ嫌いだもん」


「……ローニャン。好き嫌いは感情のことなのでしょうがありませんけれど、その理由に種族を持ち出すのは――」


「――メレ・メレスさん、大丈夫ですよ。エルフとドワーフは……まあ、致し方ない事です」


「……ふん」


 ローニャンは腕を組むと、鼻を鳴らして顔を背けた。


 エルフ、ドワーフ、それからヒューマン――この三種族間の歴史は常に戦争だ。耳戦争はもちろん、それ以前の”知られざる戦争の歴史”の時代から覇を競ってきた。仲が悪い――互いに互いを恨んでいるというのは、必然である。

 ブラッドエルフというのも、要はヒューマンとドワーフに対する敵対感情の現れという側面が強い。むしろ、“自分は戦争を経験していないから”と他種族に対してほとんど悪感情を抱いていないフォズのような人間が特殊だと言える。


「……そうですか」


 メレ・メレスは悲しそうに、くしゃっと眉間に皺を集めた。最も理不尽に迫害されるゴブリンだからこそ、種族を理由にした差別に対して色々と思うところがあるのかもしれなかった。


「じゃあ、代わりにわたくしが説明しましょう。というか、最初の時に話していなくてすみませんでした。隠している訳ではないのですが、まあ、だからと言ってむやみに話すのも違うでしょう?」


 メレ・メレスは背嚢に荷物を詰め直してから、自らのベッドに腰を下ろした。

 このベッドはトロルの規格だろうから、身体の小さいゴブリンが上に乗ると、まるで子供のようだった。


「簡単に言えば、わたくしたちは図鑑を作っているのです。怪物図鑑……とでも言いましょうか。本来の生態系から外れた怪物たち、その図鑑を制作しているのですよ」


「怪物図鑑……」


 その名前は、聞いたことがあった。どこかの冒険家だか享楽家だかが作っている、魔法生物などについてまとめた図鑑があると。

 ただそれは生物学的、また魔法学的な知見に基づいている訳ではなく、あくまで”筆者が遭遇した怪物を、独特のユーモアを交えつつ紹介する娯楽作品”という立場をとっていて、フォズのような狩人や学者が間違っても開くようなものではない、とも聞いていた。


「それがメレ・メレスさんたちの商売なんですか?」


「そんな訳ないじゃない」答えたのはローニャンだった。「ただの趣味よ。ただの遊び。人生を使ったお遊びよ」


 あたしは雇われてるから文句は言わないけど、とても正気とは思えない。ローニャンは呆れたように肩をすくめた。


「うふふふふふ、良いじゃないですか、ローニャン。お遊びで結構。わたくしは人生の全てをこれに費やす覚悟がありますよ」


「……メレ・メレスさんは一体どうしてそんなことを? その……私はゴブリンのことはあまり詳しくないのですが、徹底した利益主義者だと聞いてました」


「ええ、それで間違っていないですよ。ゴブリンはお金が大好きです。ほとんどのゴブリンは金儲けを第一に考えます。……ですが、フォズさんはそれはどうしてだと思います? どうしてゴブリンはあくせく金を稼いでいると考えますか?」


 どうって……そりゃあお金が好きだからじゃないのか?

 フォズが答えあぐねていると、メレ・メレスはにいっと歯茎を見せて「それは自分たちが弱いからです」と言った。


「弱いから。身体も小さく、醜い。十大種族の中でもっとも劣った種族はどれか、という質問に対して、ゴブリンだと答える者は決して少なくないでしょう」


「そんなことありませんよ。力が全てじゃありません。だって、ゴブリン領は経済的に栄えているんでしょう? それはエルフには絶対になし得ないことで――」


 そこまで言って、フォズはとした。


「そうです、そうです、そういうことなのです。力で勝ることのできないゴブリンは、それ以外で他の種族に張り合うことにした。それしかなかったのです。今の大商人のほとんどは、奴隷を経験した者の一族なのですよ」


「…………」


 フォズは何と返せばいいのか分からなくて、黙り込んでしまった。

 ゴブリンたちを奴隷にしていたのはヒューマンたちだが、ゴブリンたちの多くが奴隷の身に堕ちたのは、エルフにも原因の一端がある。

 エルフとヒューマンがゴブリンを初めとした異種族らを差別し、迫害し、そして争いが起こり――負けた彼らをヒューマンが奴隷としたのだ。エルフはただ彼らを奴隷にとらなかっただけで、そこまで追い詰めたのは変わらない。


「あ、いや、すみません、気を悪くさせてしまいましたかね。わたくしは種族間に対しての遺恨などありませんよ。戦争は経験していませんし、でなければ旅などできません。ただ、ゴブリンの拝金主義にはそういう理由があるということです」


「……メレ・メレスさんはそうではないと?」


「そうですね。金儲けのことしか考えてなかった時期もあったんですが……何でしょうね、きっとわたくしは変わり者なんですよ。ある時から何か――何かをしてみたくなりまして」


「何か――ですか」


「はい。他の人が全然やっていないような、ノウハウの通じない、地味で、でも誰かにとって必要で――そんなビジネスから外れたことをしてみたくなったのですよ。きっと反動でしょうね。わたくしは商売が好きでは無くて、でも何となく義務感で続けて、その反動です。それでそんな折にローニャンと出会って――」ローニャンに視線を移すと、彼女は先程と同じ、つまらなそうに本のページをめくっていた。「それで、旅に出ることに決めたのです」


「なるほど……」


「ええ」


 そこでメレ・メレスは唇を閉じた。

 彼の話はとりあえずそこで終わり――つまりローニャンとのなれ初めに付いては語ってくれないらしかった。ゴブリンとドワーフの出会いがどんなものなのかは気になるが……まあしょうがない、ローニャンは気難しそうだから、きっと自分のことについて話されるのを嫌がるのだろう。


「……ふん」


 ローニャンが鼻を鳴らして、フォズを見た。フォズが失礼なことを考えているのを察したのだろうかと思い慌てて視線を逸らしたが――「ねえ、読んでみる?」。ローニャンは手に持っていた本をフォズに向けて差し出してきた。


「え、あ……それは、もしかして」


「図鑑」


「……怪物図鑑?」


「そう。興味ない?」


「いいんですか?」


 フォズはローニャンとメレ・メレスを交互に見た。「もちろん」。メレ・メレスが頷いたのを見て、フォズは図鑑をおずおずと受け取った。

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