第二十三話 ガルーダ

「なるほど、少数種族ですか……」


 十大種族以外にも他の種が存在することはもちろん知っている。見たこともあったが、実際に関わったのはこれが初めてだった。


 彼らのほとんどは秘境や辺境に住んでいる。覇を競い自らの勢力を拡大することには関心がなく、ただ自らの文化を守り続けているのだ。だから地上からも歴史からも表舞台にはほとんど立つことはなく、その存在がほとんど知られていない。世界をめぐる旅人や冒険者でもなければ、彼らと出会うことなく一生を終えることは珍しいことではない。


「十大種族、か」しかし、グルルはエンマディカのその説明に不服な様だった。「以外、とは随分な言い草だな」


「……すみません、言葉のあやです。決して悪い意味があった訳ではなく――」


「――冗談だ。それくらい流石に分かる」だがそもそも、とグルルは続けた。「そもそも、数が少ないから何だ? 多いからそれがどうした? 栄えて、国を持って、それはなるほど種として優れた点かも知れないが、だからといって俺たちが劣っているという理由にはならない」


「……おっしゃる通りです」


「数が増え、大陸中に進出し、国を作り――そして自分たちより他の種族が劣っていると思い込み――その結果が先の戦争だ。そうだろう?」


「……返す言葉もございません」


「いや……いい。何でもない。済まなかった、お前に言ってもどうしようもない事だった」


 グルルは大きく息を吸い、吐き、深呼吸。


「それで何だったか――ああ、下の村の安全保障とかだったか……」


「そう、です」


「だがお前がグルル族のことを知っているなら、トロルに危害を加えるつもりがない事は想像がつくだろう?」


「……グルルはハーピィしか襲わないというのは本当なのですね」


「別に、防衛のために戦うことはあるし、糧を得るために獣を狩りもする。ただ、俺たちはオークとは違う。血を求めている訳ではない。必要以上の争いを好まない、ただそれだけだ」


「……何故、ハーピィだけは違うんでしょう?」フォズはおずおずと尋ねた。


「ハーピィは俺たちのまがい物だからだ。俺たちの姿を真似た悪魔だからだ」


 ……ドワーフがトロルを敵視しているのと同じようなものだろうか。フォズは適当に解釈して飲み込んだ。


「俺達は放浪して特定の場所に定住することはない。まあもうしばらくはこの山にとどまるが……お前らの憂うようなことにはならない」


「いや――そういう訳ではないのです」とエンマディカ。首を振って、彼の言葉を否定した。


「……どういうことだ?」グルルは眉根を歪めた。「俺はお前らを襲わない、近い内にここから出ていく、それで……他に何がある?」


「あなた達に村を襲う意思がないのは分かりましたが、そうではないのです。あなた達が襲うか襲わないかという意思を知りたいのではない。私たちが求めているのは絶対に襲わないという保障です」


「つまり、危害を加えないという証明をしろと?」


「その通りです」


 エンマディカが頷くと、グルルは肩をすくめ、大きく鼻で息を吐くと、苛立ったようにこめかみのあたりを爪で掻いた。


「そんなのどうやって? どうやって証明すればいい? お前にその意思を伝えるだけでは不十分なのか?」


「その通り、不十分なのです。つきましては、あなた達の長に合わせてください。そして一筆書いていただきます」


「いっぴつ……?」


「つまり、書面で約束してもらいます。これなら口約束と違って証拠が残るでしょう?」


「何故俺たちがそんな面倒なことをしなければならない? 証拠が残るからなんだというんだ!」


 苛立ちを隠そうともしない様子で、グルルは語気を強めた。

 しかしエンマディカは一切の動揺を見せず、ゆっくりと首を振った。


「これはあなた達の為でもあります。もし明日シュダ村が野盗に襲われるようなことがあったとすれば、あなた達が冤罪で疑われてしまいます。私たちに対する保障であると同時に、あなた達に対する保障でもあるのです」


「そんなもの、書面に記したところで、拘束力は口約束と何ら変わらないだろう!」


「そうです。ですが、私たちがそれをすることは絶対にありません」


「何故だ!」


「それが今の社会だからです。書面による契約によって今の異種族社会は成り立っています。私たちはその重要さを知っていますから、私たちがそれを破棄することは絶対にありえません」


「……それこそ口約束ではないのか?」


 するとエンマディカは小さく笑った。


「そうかもしれません。ですが……私たちは文化も成り立ちも異なる異種族ですが、幸運なのか必然なのかそれとも何らかの意図があるのか――こうして同じ言葉を使っているのです。だから約束事が可能で、そしてその証明として書面に残す。これって、大変合理的だとは思いませんか?」


「……」


 グルルは顎に手を当て、難しい顔で黙り込んでしまった。しばらくの間、アナトーの荒い息遣いだけが辺りに響いた。


 やがて顔をあげたグルルは諦めたように言った。「……分かった。それくらいならやってやるよ」。そして弓を降ろして、一歩前に出た。


「その程度でお前らが納得するなら、こちらとしてもつまらん意地を張る理由はない」


「ありがとうございます!」エンマディカが嬉しそうに表情を柔らかくした。「……ですが、あの、できればあなた達の中で最も偉い方に書いていただきたいのですが…………」


「ああ。だから、俺が書く」


「……あなたが族長なのですか?」


「というか……俺たちは群れなんて大層なものじゃない。俺と、もう一人の二人だけだ」


「えっ……?」


 フォズとエンマディカは視線を合わせた。二人は明らかに一つだけではない、幾つもの視線をずっと感じていた。それは今も、続いている。


「じゃあこの幾つもの視線は……」


「ああ、それか。それは――」


 するとグルルは右手を大きく掲げて指を鳴らした。ぱちんと控えめに音が聞こえたかと思うと遠くの木々や茂みが激しく音を鳴らし、それは段々とこちらに近づいてきた。


 そしてグルルの元に駆けつけたのは、三匹の巨大な鳥だった。

 鳥――確かにそれは鳥だろう。艶やかな極彩色の大翼、岩もを穿てそうな鋭いくちばし。規格外ではあるけれど、それらは間違いなく鳥の特徴だ。

 だけれどその胴は熊に匹敵するほどで、その脚は像のそれに勝るとも劣らない。たった今だって、翼ではなくその脚で走って来たのだ。


 鳥。この獣は鳥である。しかしあくまで鳥の特徴も持っているだけで――そうとしか表現することができないだけで――もっと別な、鳥も熊も像も凌駕した、どころか獣という括りでは不十分な、世が世がなら神の使いと謳われそうな神聖さを持っていた。


 キュルルと、その鳥は体躯の割に甲高い声で鳴いた。


「ガルーダだ」


 フォズの顔を見ながら、グルルが言った。どこか誇らしそうにしながら彼はガルーダの一匹の首を撫でた。


「……初めて見ました」


 アーフェンの森に住む動植物は全て把握し、狩人として世界中の生物について教育されてきたフォズが知らない獣。こんな極彩色の目立つ特徴で、そんなことがあり得るのだろうか?


「知らないのは無理はない。ガルーダは野生には存在しない。グルルの元にしかいないんだ」


 獰猛な獣としての本能、そしてそれを制御する知性、何よりグルルに対しての忠誠。間違いない、今までフォズ達を監視し――そして何かあれば容赦なく屠ろうとしていたのはこのガルーダだった。


 気品があった。そして誇りがあった。エルフの熟練の狩人に勝るとも劣らない、自らの存在に対する絶対的な自負。

 キュル、ガルーダが小さく鳴いた。フォズが感じ取ったものを肯定しているようだった。


「グルルは死ぬとガルーダとして転生する。こいつらも俺の先達せんだつだ」


「そして堕落したものがハーピィとなる……」


「そうだ。だから俺たちはハーピィを土に返して解放する。ガルーダと共にハーピィを狩ることが全てのグルルの宿命なんだ。俺たち以外のグルルも皆、ハーピィを狩る為に生きている」


 もちろんそれだけが全てではないがな。グルルはそう言って小さく笑った。


「さあ――書くものを貸せ。そろそろ帰らないとあいつが心配する」

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