第二十二話 グルル

 アナトーが低いうなり声をあげ、樹上の一点を睨みつけた。それとほとんど同時に、鋭い視線の先から「止まれ」という声が聞こえた。


 フォズとエンマディカに緊張が走る。が、驚きはなかった。あの死体置き場を超えたあたりからずっと、誰かに監視されているようないくつもの気配を感じていたからだった。

 そしてそれは今もあった。獣のような敵意とそれを制する冷たい理性の混ざった瞳が、様々な方向からフォズ達に突き刺さる。


 フォズとエンマディカは素直に足を止め、両手を頭上に。「アナトー、落ち着け、手を出すな。今は言うとおりにするんだ」。歯の根を剥き出しにして威嚇をするアナトーをなだめてから、二人はその人物のいるであろう場所をじっと見つめた。


 声は淡々とした口調で尋ねた。


「この山に何の用だ?」


 それは裏声のような、低いのだけれど高温の伸びのある独特な声だった。しゃがれている様にも聞こえる。


「変な動きを見せれば射る。大人しく、俺の質問にだけ答えろ」


「……私たちはシュダ村からやってきました!」


 フォズは大きく声を張って答えた。


「数日前から、もともとこの山に住んでいたハーピィの様子がおかしかった。私たちは何者かがハーピィを追い出して代わりにこの山に住みついたと判断しました。それで、その様子を見に来たんです」


「……シュダ村?」怪訝な声が帰ってくる。「それは、この下の平原にある村の名か?」


「そうです」


「あそこはトロルの村だったはずだが」


「……訳あって、シュダ村に助力しています。私自身は、平原の向こうのアーフェンの森、そこの出身です」


「……分かった。お前についてはいい。……」やや間があってから。「昨日、この村のハーピィたちが一斉に飛び出した。それはお前たちの仕業だな?」


「住処を失ったハーピィは餌を求めて村を襲うようになりました。村がハーピィの脅威から解放される為には、ここらのハーピィを全滅――あるいは撃退しなければいけないと考えて、私たちは昨日の作戦に打って出ました」


「それについては感謝している。俺たちもあいつらには手を焼いていたからな」


 ……あなた達がするべきなのは、感謝ではなく謝罪ではないのか? しかしその言葉は飲み込んだ。

 シュダ村の代理で来ているのだから、不用意に両者の対立をあおるような言葉は厳禁。フォズ自身の感情で言えば、それはとても目を瞑ることは出来ないことだけれど。


「私たちは、あなた達に安全保障を求めます」


 フォズと声のやり取りを静観していたエンマディカだったが、そこで一歩前に出て、堂々とした所作でそう言った。


「動くな!」


 途端に鋭い殺気が全身を貫く。「エンマディカさん――!」。しかしエンマディカはじっとり正面を見据えたままだった。


 エンマディカは、フォズにだけ聞こえる声で、囁くようにして言った。「私たちは、彼らと対等に話さなければいけません。下手に出ていては有利な条件を押し付けられてしまいます。顔色を窺っているだけでは、この上下関係は崩れません」。


「もう一歩でも動けば、容赦無くお前を射殺すぞ」


 その言葉がただの脅しではないことはフォズにも分かった。殺気を向けられているエンマディカが分からない訳がない。

 だのに彼女は、一切顔色を変えなかった。


「ハーピィによる脅威はなくなりましたが、この山の支配者になったあなた達がシュダ村を襲わないという保証がない。だから、私たちは言質を求めます」


「俺たちがあの貧相な村を襲う、か?」声はと吐き捨てるようにして笑った。「俺たちはあんな貧相な村を襲う程困窮はしていないし、農村を襲う程落ちぶれていない」


 得意気に言った。その余裕を持った口ぶりは、エンマディカがエルフの歴史について語る際のものに似ている。


「……姿を見せてくれませんか?」


 フォズもエンマディカにならって、恐怖を表情の下に押し込んだ。


「何故」


「あなた達の姿が見えないと、どう接していいか分かりません。一体何の種族なのか、せめてそれくらいは知りたいです」


「……はっ」声は、再び鼻で笑う。「種族か。種族ね」


「……何か、変なことを言いました?」


「いや……何でもない。姿。いいだろう、見せてやる」


 そしてひとつの影が樹上から降り立った。その人物の身長は、特別高い訳でもなく、しかし低くもなく、フォズとほとんど変わらない。

 しかしその姿は、異様なまでに横幅が広かった――いや、それは翼だった。広げれば身体二つ分にもなるであろう巨大な翼が、その男には備わっていた。


 ハーピィ――最初に浮かんだのはその名前だったが、かの怪物と異なることは明らかだった。

 ハーピィは鳥に人間のの顔と手足を無理矢理付け合せたような容姿をしているが、彼は逆、人間の形に鳥の皮を被せた容貌だった。有体に言えば鳥人間。鳥の特徴を持った人間だ。


 しかし、フォズはそんな種族は知らなかった。獣人……の一つなのだろうが、翼を持った種族なんて、見たことも聞いたこともない。


「……グルル」エンマディカは目を丸くしていた。「驚きました。あなた、グルルですね」


 グルル。やはり、フォズはその名前に心当たりがなかった。種族の名前なのか彼個人の名前なのか、はたまた全く違うものなのか、それすらも判別ができない。


 エンマディカの言葉に、グルルと呼ばれた鳥人間も驚いたように眉をあげた。


「……よく知っているな。いや……お前らは”耳あり”か。なら知っていてもおかしくはない、か?」


「……えっと、すみません、私は分からないんですが……。そのグルルというのは…………」


「グルルとは、鳥の特徴を持つ少数種族です」とエンマディカ。「連合に加盟していない、先の大戦にも加わっていない、十大種族以外の種の一つです」


 私が連合の人間だということは秘密にしてください。エンマディカは、最後にフォズにだけ聞き取れる声量で耳打ちした。


「……?」


 フォズにその意図は分からなかったが、目線で肯定を示した。

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