第十五話 開始

 フォズがウサギノナキガラを持って帰って来たのが翌日の昼前。その日は作戦会議と休憩、それからウサギノナキガラの乾燥に費やして――作戦決行は翌日昼になった。


 準備に時間を要しすぎても再びハーピィが襲撃してきてしまうかもしれないし、こういうことは流れと勢いに任せた方がいいとフォズは考えていた。準備はして、用心はして、そして後は流れで。フォズが旅に出る際も同様だった。

 ウサギノナキガラの乾燥だけが懸念材料だったが――鼻を布で覆ってもえずいてしまいそうになるほどの臭いを発してくれた。


「こりゃ相当ですね……」


 ダリルマイは布の上から口元を押さえていたが、それでもただでさえ白い顔を更に青白くさせていた。他のトロルたちもそれは同様である。

 吐き気を堪えている彼らを同情して見ていると、ダリルマイが「フォズさんは何で平気なんです?」と恨めしそうに尋ねてきた。


「平気な訳ではないですよ。ちゃんと臭います。ですが……まあ、慣れですね」


「慣れ……ですか?」と苦笑を浮かべた。「俺はちょっと……この臭いには慣れそうにないですね。慣れるほど嗅ぎたくもないです」


 まあ、そうだろうな。フォズは小さく笑った。初めて獣の腐乱死体を目の当たりにした時、獣をおびき寄せる仕掛けにウサギノナキガラを使った時、他にも様々な”強烈なもの”を見た時聞いた時嗅いだ時、そのたびにフォズも思ったものだ。


「森で生きるというのはそういうことですよ。歩けば獣の糞尿の臭いが漂ってきますし、腐乱死体なんかも見かけます。そしてそれらを利用するのが狩りなんです」


「俺、エルフって神聖というか、……ええと、色で例えるとシルクみたいな純白、的なイメージを持ってたんですけど…………結構泥臭いんですね」


 シルクみたいな純白。その言葉を頭の中で反芻して、ふふっ、思わず吹き出してしまった。


「別にエルフだからどうとかじゃないですよ。どの種族も一緒です。シュダ村と同じように農場や畜産で生業を立ててるエルフだっています。トロルだって、というかむしろトロルの方が、世界の色んな環境な地域に住んでいるでしょう?」


「まあ、確かにそうですね……」


 ニルヤナは頷くと、思い出したように「うぇっ!」とえずいて、唾を勢い良く吐き出した。




*




 フォズ達の立案した作戦は簡単。

 ウサギノナキガラを焚いた地点の傍の茂みに槍持ち(その半数近くは農耕道具だが)を潜ませ、ハーピィを奇襲する。

 ハーピィは爪で引っ掻く程度しか攻撃手段を持たないので、リーチの長い武器を振り回すのが遠距離武器の次点で効果的な攻撃だ。そして槍持ちたちと交戦しているハーピィをフォズが狙い射る。


 しかしフォズ一人では全部に対処しきれず逃げられてしまう。そこで槍持ちとフォズを挟みこむようにしてボルミン率いる石投げ隊を配置、逃げ出そうとするハーピィを撃墜するのだ。


 これはフォズがウサギノナキガラを採取しに行っている間にかき集めさせた小石である。ハーピィの身体は歪である。大きな翼を持つが、人間の顔と手足をもつその身体を支えるにはその翼は小さすぎるのだ。

 だから高度を保てないし、翼が少しでも傷付けば飛ぶことは叶わなくなってしまう。投石で少しでも羽根を傷つければやつらは墜落してしまうのだ。


「すみません、ダリルマイさん。それに皆さんも……」


「……? どうしてです?」


「……直接ハーピィたちと対峙するダリルマイさんたちが一番危険な役割です。……ハーピィは臆病ですので直ぐに逃げ出すはずですし、武器を持っていれば殺されるようなこともまずありません。ですが……やはり多少の被害は避けられないと思います」


 遠距離で一方的に射落とす役割であるフォズが一番安全なのだ。この作戦の発案者で、なおかつ一番戦えるであろう自分が安全な役割に着くことについて、罪悪感というか気まずさというか、後ろめたい気持ちがない訳ではなかった。

 だけれどフォズは槍や剣はまるで扱ったことがなかったし、これが一番効率がいい、客観的にそう判断した結果なのだ。


 ダリルマイはフォズの歯切れの悪い言葉を聞いて、きょとんとした表情で仲間たちと顔を合わせた後、「はっははははは!」と槍を揺らして笑い始めた。


「何言ってるんですか。敵がどいつか分かって、来ることが分かって、十分な策もあって――それで何を怖がることがあるんです? ここにいるやつらはほとんどが現役か引退済みの貿易団護衛です。護衛中は何が来るかもわからない、来るかどうかも分からない敵を警戒しながら数日歩くんですよ?」


「でも――怪我、してしまうかも…………」


 すると再び、ダリルマイたちは大声で笑った。そのうちの何人かは笑った拍子に悪臭を吸い込んでしまったのか、物凄い勢いでむせ始めた。


「さっきフォズさんが言ってくれたじゃないですか、死ぬ危険はないって。死ぬ危険はない、ちゃんとした策がある、何よりフォズさんがいてくれてる、それで怖がる理由なんてありませんよ」


「……ありがとうございます」


 フォズはどういう表情を向ければいいか分からなくて、俯いたままそう言った。にかっと、視界の隅でダリルマイが笑ったのが見えた。


「お礼を言うのはこっちの方です。フォズさんはもっと堂々としていてください」


 ウサギノナキガラを焚き終わると、フォズ達は自然と緊張感の漂う表情になって「では、お願いします」「はい」とだけやり取りを交わし、それぞれが茂みと即席で作った藁の山の陰に隠れる。


 槍持ちとフォズ達を取り囲むようにしていた投石部隊に手を振って合図をすると、その中の一人が大きく手を振りかえした。きっとボルミンだ。ボルミンが他の投石隊の面々に指示を飛ばすと、小石の詰まった麻袋を携え、彼らも身を隠した。


 ハーピィは劣悪な視力を嗅覚で補っているのだが、それも強烈なウサギノナキガラの臭いで正常に機能していない。この程度の偽装でも十分すぎるほどなのだ。


 ……そろそろ、来る。フォズは狩人としての経験で感じる。来る。来るぞ。来る。来る。


 ――――来る。


 遠くに見据えた山の一体から黒い渦が巻きあがり、それらは迷うことなくこちらに向かって飛んでくる。フォズは目を凝らしてその数を確かめる。十、二十……二十七匹。見間違いが無ければ二十七匹だ。

 ハーピィの群れは急に高度を下げるとぐんぐんと距離を詰めて、やがてその姿がはっきりと視認できるようになる。


 ……矢を一本取り、構える。引き絞りながら、トロルの包囲網に入り込んでしまったハーピィの一匹に狙いを定め――指先から力を抜く。脳天に直撃。言葉に無理矢理表すなら「くぅうぇ」、そんな哀れな鳴き声を上げながら墜落するハーピィ。その一矢≪いっし≫を合図として槍持ちたちが飛び出した。ハーピィせん滅作戦の開始である。

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