(3)
二人きりの部室、あれから時間の経過を忘れるほど、奏をなだめていたようで日差しは西に傾き始めていた。
いつまでも、ここで、こうしているわけにはいかない。一旦奏の家に……。
「奏、もう帰ろう……」
奏が、穂高の胸に押し当てている顔をわずかに揺らす。了承、ということだろう。
腕を強くつかまれる。肩に奏の顔が当たる。
「ごめん……」
「大丈夫、行こう」
奏を支えながら、ドアに向かって歩き出した。
ここから車駅は遠い……。東門から道路に出て、近くの呼出機からUVを呼び出すしかないな。校則違反だが、仕方ない……。
こんな状態で、ノロノロ歩いていたら見世物になるだけである。ドアを開くと、
「あ……みんな」
昌貴たち三人が心配そうな表情を浮かべて待っていた。
「穂高、こっち……」
三人に誘導されながら、着いた先は職員用のエレベーターだった。
「いいのか、ここは……」
「そんなこと気にしている場合じゃないでしょ……!」
芳子に背中を押されて、奏を連れて乗り込む。
「下にUVを待たせているから」
斎と昌貴が周囲を警戒するようにエレベーターの周りに布陣しながら、開閉パネル押した。
「ごめん、ありがとう、また明日……」
エレベーターが閉じられる。行き先は地下の予備駐車場になっていた。
「奏、地下に行くから」
「……うん」消え入りそうなか細い声。
降りたすぐ先で、淳介と奈都美が手振りで位置を知らせているのを確認した。すぐ後ろにはUVがある。
「こっちだ、山家くん。UVの準備はできている。今なら、職員の人たちの目に止まることはないだろう」
「すみません、垣本さん。重ね重ね……」
「いいんだ、さあ」
奏を先に乗り込ませてから、改めて二人に礼を言おうと振り返ると、千緒と結実も不安そうに立っていた。
「山家さん、奏ちゃんを……」
「ああ……」
言葉が出なくなり、そのまま穂高も乗り込む。RCを出して、目的地を奏のマンションに設定。UVを発車させた。四人の憂いに沈んだ視線を背にして行かねばならないことに心が痛む。
淳介が言った通り、この時間帯は職員がおらず容易に学校敷地沿いの道路に出ることができた。歩道には帰宅する生徒が談笑しており、警察車両など以外から、内部を見られることはないのだが、若干の緊張が走った。
「奏、このまま奏の家に向かうから……」
シートベルトを締められないまま、奏を抱き寄せる。最新のUVはほとんど車内で加速を感じることなどないのだが、それでも違法である。警察に見とがめられたら、面倒なことになるので心が落ち着かない。
メインストリートの大通りに出ると、舌打ちしかけた。知瀬では珍しい渋滞が発生している。事故でもあったのだろう。
こんなときに……! あれ……。
いきなり信号が青になった。タイミングがおかしい気がする。すると、
「え?」
UVがわき道に入ると、ショートカットでもするかのように進路を開いていく。進んだ先々の信号は全て青になっていた。あっという間にメインストリートを抜けて、奏のマンションまで向かう坂道に入る。こんな器用な真似をするUVは初めてだった。
最新のナビでも詰んでるのか? いや、そんなことより今は……。
左腕にもたれかかっている奏が気がかりで仕方ない。彼女の頭をそっとなでた。
マンション前の道路に来ると、
「土谷さん?」
コンシェルジェの土谷氏が、手振りでなにかサインを送ってきた。窓を開く。
「山家さん、地下駐車場に誘導しますので、このままで」
土谷氏がRCに類似したカードで進路を転送した。
「すみません、土谷さん」
結実か千緒が連絡を入れていたのだろう。そのまま、普段は入ることのないマンションの地下駐車場へと進入した。そこのエレベーターの手前で停車する。
「奏、着いたから降りるよ……」
「うん……」
依然、抱き着いたままの奏を連れて、エレベーターに乗り込む。ここは普段使用されておらずまっすぐ五階まで上がることができた。後は、このまま彼女の部屋に行くだけである。
外はいつのまにか雨が降り出していた。黒雲が夜を招来する。長雨になりそうな気がした。
ドア開く。ようやく部屋に着くと同時に、外は大降りになっていた。
「ふう……」
安堵したのと同時に、
「あ!」
靴も脱がずに奏が押し倒してきた。
「う……うう……」
「奏……」
再び泣きじゃくり始めた奏を支えながら、奏の私室まで行く。さすがに疲労を感じたが、顔には出せない。
「っと……」
奏を抱きながら大型のクッションに身を沈めた。
自分の部屋に来れば、奏も落ち着いてくれると思っていたが、嗚咽は一層悲壮さを増した。
「大丈夫……」
腕を背に回して、彼女の哀哭を全身で受け止める。左腕はずぶ濡れになっていた。
泊っていくしかないな……。いくらなんでもこんな奏を独りにしておけない……。
しばらくそのままの姿勢でいた。さすがに奏も泣き疲れたのか、穂高にもたれかかるだけとなっていた。右手と右手を指で絡めて固く握り合う。
「……ごめん、ちょっとトイレに」
「……私も行く」
「え……?」
二人で、階下のトイレまで向かったが、さすがに中にまでは入ってこなかった。なるべく音を立てないようにことを済ませて手を洗ってから出ると、また奏が抱き着いてきた。
「奏……着がえた方がいい。だいぶ汗かいちゃってる」
「……こっち」
なにか言葉で彼女を落ち着かせようと思ったが、決まりのいい言い回しがなかなか出てこない。しばらくはされるがままでいる他ないだろう。再び彼女の部屋まで戻ると、奏が穂高が普段ここで泊まる時に使う部屋着を出してきた。
「ごめん、使わせてもらう。え……? ふ……!」
いきなり目の前で、奏が服を脱いで着がえ始めたので、とっさに振り返ってしまった。
まずいな……。ここまで錯乱気味になってる奏は初めてだ……。今は……おちつかせてあげないと。
お互い背を向け合う形で、着がえる。彼女の方が終わったのを気配で感じ取ってから振り向いた。
「奏……」
今度は穂高の方から、踏み出して抱きよせた。奏も顔を穂高の胸につけて、
「ぅ……」
少女の細腕とは思えない程の力で抱きしめてくるのでうめきかけた。絶対に離さない、そんな意志すら感じとれる。
「い、痛い……よ」
体を縛る力が緩んでいく。情けない一幕だった。
そのままベッドに倒れ込む。奏が手前のパネルを見ることもなく操作すると、窓がブラインド化していき、部屋はほとんど遮光状態になった。乱れ切った顔を見られたくないのだろう。
「……雨、すごいね」
話題を見つけたように窓を叩く風雨に触れるも、返事はない。普段、必ずなにか返してくれるので不安になる。
頬に冷たい感触、彼女の両手が両頬を覆う。近づいてくる奏の唇、静かにお互いを重ねた。
「う……」
天井に見える、もう見慣れた奏の部屋の照明。しばらく眠っていたらしい。
「起きた……?」
奏の顔が視界に入り込んだ。ベッドに座りながら、穂高をじっと見ている。体を起こすと、窓のブラインドモードの遮光率がやや低下しており、既に夜になっているのが、わかった。
「今……」何時、と聞こうと思ったがやめにした。今はそんなことはどうでもいい。
奏の顔を見る。多少、平静は取り戻したようだが、瞳にはまだ憂いが多分に残存している。
「少し寝ちゃったね……。夕飯にでも」
「穂高、私、テニス部やめる」
「え?」
穂高の言葉が終わるのも待たずに奏が、はっきりした口調でそう述べた。
「ずっと穂高といる」目が固まっている。
「そんな……それは、よくないよ……」
今朝の話を思い出した。なぜ、あんなことを言ったのかも。
「俺は、奏の足を引っ張るような男にはなりたくない……」
「でも……! 私だって……! 私のせいで穂高に嫌な思いさせたくない!」
「奏のせいなんかじゃない。俺も……」
少しうかつだった。構内で奏と手をつないでいるところを視られたから、あんなやつが寄って来たんだろう。
羨望が憎悪に変質するなどありふれたことである。
「穂高……」
「ともかく今日のことは、ほんとに大したことじゃないんだ、すぐに片がついた。やってくれたのは垣本さんだけど……」
あんな俗物ごときにからまれたせいで、奏をここまで不安にさせている今の状況こそ呪わしい。
「でも、でも……! また変なのが穂高に悪いことしようとしたら……!」
「学校じゃ、お互い自重しよう。そうすれば」
「嫌だ!」
あまりの絶叫に思わずのけぞりかけた。奏にこんな声が出せたのかと驚く。
「どうして他の人のために穂高と距離を置かなきゃいけないの⁉ そんなの絶対に嫌!」
「か、奏、ちょっと興奮してるみたいだ。少し休もう」
「くっ……!」
彼女の両手に胸を、文字通り打たれた。
「横になったほうがいい……」
奏をそっと横たえる姿勢を取る。
「ずっと、手握ってるから。あ……」
奏に腕を引っ張られて、彼女に覆いかぶさる格好となった。そのままの姿勢で奏が再びパネルをいじる。窓がまた遮光化され、今度はカーテンまで降ろされた。
「奏……?」
「穂高……私、あなたのためなら、どんなことだって……」
奏がブラウスを脱いで下着一枚になった。さらにブラのホックを外そうとしたところで彼女の手をつかんだ。
「だ、ダメだよ……! 躍起になっちゃ……」
「いいの、穂高にはずっと我慢させちゃったから……」
それを外した。
「来て……」
「あ……」
実直な欲望に突き動かされそうになったがギリギリの部分で理性が働いた。
だ、ダメだ……! 準備がないし、奏は今、ヤケになりすぎている。こんなの絶対後悔する……! ここは……。
そのまま唇を押しつける。
「……ん」
彼女だけ脱いだままでいさせるわけにもいかないのでシャツを脱いで、奏と肌を重ねた。
「このままでいいよね……」
「……うん」
奏も、少し平静になったのかそれ以上は求めてこなかった。
起きたばかりだというのに、彼女の肌の心地よさに頭が朦朧としてくる。溶け合うように意識も落ちていった。
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