(2)
「奏、それじゃここで……」
「うん……」
手を離すタイミングがつかめない。
「後で行くから、待ってて……」
断ち切り難いほど、強く握り合った手をようやく離した。
奏を送り、キド研の部室に向かう。部室棟は初日にも拘らず、かなりの数の生徒が来ており、騒々しいことこの上ない。
部室について、ドアノブに手をかけるが、開かない。今日は初日の集まりなので、真人から、彼が鍵を持ってくると伝えられていた。
まだみんな来てないか……。しかたない、ラウンジで暇をつぶすか。
少し離れた二階のラウンジに向かう。ここでもかなりの生徒が駄弁っていた。喧騒を避けるように隅に置いてあるソファに腰かけて、Eノートを開いた。
「ねえ、君」
顔を上げるとニヤついた表情の男が一人、見知っている顔ではない。
「はい?」
「文科の三崎奏さんと付き合ってんだって?」
嫌味ったらしい口調で早くも用件がわかった。
「それがなにか?」失せろと目で伝えてやった。
「ふーん、こんなとこでなにしてんの?」
「……」無視することに決定。
「あら怒らせちゃったみたいね」男が後ろにいる仲間三人に呼びかけるが、そちらは困惑しているようだ。
「あんた名前なんだっけ?」
こんな男に名乗ったらそれだけで、不愉快になること間違いない。男はまだ去る気はないようだ。相手にされないまま、この場を去ったら負けた気がするのかもしれない。
「なんか喋ってくんない?」
「おい、もう……」仲間の一人が男の腕を引いて制止するも、男は意地を通す気のようだ。
「へっ、彼女以外とはお話ししたくありませんかぁ?」
Eノートから手を放して、テーブルを強く叩いて立ち上がった。ラウンジ中の視線が一気にこの空間に集中する。
「なんだ、お前?」
いつか昌貴がやってみせた威嚇をそのまま真似ていた。男を睨んで距離を詰める。男の目が緊張で歪み、怯懦を伝えた。大人しそうな穂高が向かってくるなど思いもしなかった、といった具合である。自分一人のことならいざ知らず、奏との仲を引き合いに出されておじけづくなど穂高のプライドが許さない。えりを掴んでやろうと、手を伸ばしかけたその時、
「そこまでにしてもらおうか」
どこかで聞いた声がした。振り返るとそこにいたのは、
「……? 垣本さん……!」
テニス部、部長の垣本淳介が近づいてくる。すぐ近くまで来ると、絡んできた男を一瞥し、その目に宿る眼光を強力にきらめかせた。
「うちの恩人に、ちょっかいかけるような真似はしてほしくないな」
男がたじろぐ。穂高の側に援兵が来るなど予想外だったのだろう。
「情けない男だな君は……。好意を抱いている相手に向き合う勇気がないから、その人の愛する人に怨情をぶつける」
男があんぐり口を広げた。図星を突かれて、皮肉を返すこともできなくなったようである。
「君が想いを寄せているだろう人は、そんな人間に振り向くような女性ではない。君のやっていることは男が廃る、というものだ!」
あまりにも堂々とした物言いに穂高も言葉が出なくなってしまった。
「今、言った通りそこにいる彼は、僕らの恩人だ。これ以上彼をわずらわせる気でいるなら僕が相手になろう」
さらに一歩踏み出し、男の正面に垣本が立つ。後ろにいた、テニス部の部員と思しき男子生徒たちも、部長に続けとばかりに目に闘志をたぎらせていた。男が支援を求めるように、連れの男子たちに目を向けるが、そらされてしまった。負け戦を見越して他人の振りを決め込まれた格好となったようである。
「……チッ」
形成不利と見たのか、男はきびすを返して立ち去っていく。後を追うものはいなかった。
数で劣るとなるや、逃げを打つ男に軽蔑の視線を送る。
「大丈夫だったかな、山家くん?」
「ありがとうございます、垣本さん。助かりました」
「なに、偶然君を見かけたらあの男がなにか不審なふるまいをしていたものでね。おせっかいだったかな?」
「いえ、ありがとうございます。あっ……」
テニス部の集団にも会釈を送ると、見つけてしまった。
げっ……。
さっきの男なんかよりよっぽど怖い、辻端奈都美がそこにいた。
「もし、なにかあったらいつでも相談してくれ。テニス部はみんな君の味方だ」
「は、はい、ありがとうございます」三度も礼を言っていた。
「では、僕たちはこれで」
通り過ぎる奈都美に会釈した。しかし、穂高のことは眼中にないようで、淳介の背をじっと見つめている。
ど、どうしたんだろ……? うん……?
一人の男子生徒が気まずい表情で頭をかきながらよってきた。
あれは……。
いつか穂高の腕をつかんだあの生徒と思い出した。
「あの……」
気にしていない、手振りでそう伝えると、男子生徒は照れくさそうに去っていった。
騒ぎは収まったが、ラウンジにいづらくなり部室に向かうことにした。
いつのまにあんな大胆なことができるようになっていたなんて……。いや、奏を守るためには強さも必要なんだ。あんなゴミに舐められてたまるか。
左手の掌に右手で拳を作ってを突き合わせる。
それにしても垣本さんの堂々とした態度、かっこよかった。俺もあの人を見習うとしよう。辻端さんは……なんか変だったけど、大丈夫だろう。
部室に戻ると、もうみんな来ていた。
「穂高、来たか」
「こんにちは、部長。久々ですね」
「この部屋に集まるのはな」
奥の方には、
「やあ、穂高、昌貴や上北さんと同じゼミだったみたいだね」
斎も来ていた。はやくもコックピットキューブをいじって、なにか作業に取り組んでいる。
「ああ、角谷先生のに。休みはどうだった」
「色々、じっくり取り組めたよ。ノートにまとめてあるから後で見てよ」
「うん」
やはり研究一筋の工科生、下手な遊びよりも実験とかの方が面白いのだろう。
全員で中央の丸テーブルに集まった。
レックスも奥の貨物エレベーターから運び込まれており、久々にHF形態を拝めた。
さっそく昌貴が口を開く。
「そんで、今学期はどうしますかね俺たち?」
「それなんだが、当面の目標としては十一月の文科祭で、またレックスを出そうと思っている」
文化科学祭、ややこしいので科文祭などと言ったりもする。
生徒ではなく、来客に見せることを念頭に置いているのだろう。ここには市に拠点を置く企業関係者たちが多数見に来る。
「学校もだいぶ僕たちを評価してくれるようになったからね」
予算を増やしてもらえた、という話は聞いていた。六月末にやったマシン展が奏功したのだろう。
「まあ、ちょっとした恩返しよ」
「わかりました」
当然やるべきは、レックスの更なる完成度の向上だろう。取り組みたいプランや新たに付け加えたいマニューバの構想は穂高にもある。
「だが、それだけというわけでなくても大丈夫だ」
「はい?」
真人がなにか取り出す。時田機動のカタログのようだ。
「穂高、他になにかやりたいことがあるんじゃないのか? ロケットだったらうちでも学生向けのがあるが」
「いえ、いいんです、それは。今はレックスに傾注しましょう」
「そうか? まあ、色々できるということは覚えておいてくれ」
「はい……」
十年早い、俺なんかが……。
ここでの役割を果たしてから、自分のしたいことを見つけようと思っている。
取りあえずは、大まかな各自の役割分担を設定した。穂高は前期と同じく、マニューバの構築と機体の操縦を中心に取り組むこととなった。
「みんな、各自の専門にこだわりすぎないで、自由にやってほしい。気になることがあったら、どんどん意見を述べてくれ。ブレインストーミングを大事にな」
「はい」
ちゃんと学んでいこう、マシンだけでなく。工学への取り組み方も……。
真人は実家の会社の方に用があるとのことで、今日はそこまでとなった。後は部室で、椅子に腰かけながら、夏休み中のことをダラダラと話すだけになった四人。
「そんじゃ、三崎さんとはうまくいってんだな」
「ああ、もう俺……」のろけそうになって顔を整える。
「そりゃよかった。正直ちょっと心配だったから」
「ハハ……」斎にまで、年下扱いされてる気がした。
「はいはい、でも学校じゃはしゃぎすぎないでよね。うちのクラスでもちょっと話題になって、あれこれ聞かれたくらいなんだから」
芳子が紙コップにお茶を入れ始める。珍しく、四人分用意してくれた。
「ああ、悪い……」
「あ、そう言えば穂高」斎が不安げな表情になった。
「なに?」
「さっきラウンジでなにか騒ぎがあったみたいだけど……」
彼の耳の早さに驚く。
「……ああ、ちょっとおかしなのに絡まれてね」
恥をさらして、逃げた男を思い浮かべても、悦に入る気にはなれなかった。そんな穂高を奏が認めてくれるわけがない。
「さっそくかよ。文科の僻み野郎か?」
昌貴の眉間がピクリとつりあがる。仲間意識の強い彼は、この手の話題に敏感であるようだ。
「さあ……」
あまりそういう考えは持ちたくない。優越感を感じているわけではないのだ。
「ちょっと、大丈夫なの、それ……」
芳子も心配そうにこちらを見てくる。彼女も新学期からの穂高と奏が気になっていたのだろう。
「ちゃんと気をつけなさい。部室棟では、なるべき独りにならないように」
「平気だって、うまくあしらうよ」
そうは言って見せるが、不愉快な出来事にまた胸のムカつきが抑えられなくなりそうになる。
やっぱり、ここじゃ奏の人気はすごい……。少し、慎重に振るまった方がいいな。
夏休み中、毎日のように彼女と過ごしていたのですっかりそのことを失念していた。
「やっぱり三崎さんのことでか……。ちょっと注意したほうがいいかも、執念深い輩ってのはいるからね……。学校にも話しておいたほうがいいかな? なんなら、こっちで脅しつけてもいいけど」
「そ、そこまですることはないよ」
どうも斎は、そういう手合いの扱いに熟知しているような気配がした。
学校に揉め事があったなんて知られたら、藤林先生にもきっと伝わる……。先生にこれ以上心配かけるような真似はしたくない。
「まあ、なにかあったら俺たちに言いな、芳子さんが全部やっつけてくれるから」
芳子が、無言で立ち上がった。
「じょ、冗談ですヨ、芳子サン……」
初日から嫌な思いをさせられたが、ようやく穂高も笑うことができた。が、
「穂高!」
いきなりドアが開かれた。四人が振り返った先にいたのは、
「え……?」
顔面蒼白の奏だった。かなり急いで来たのか、息を切らしている。
「奏、ど、どうしたの?」
慌てて、彼女に駆け寄る。
「あ、あなたが……悪い人にからまれたって……」
奏の瞳が激しく揺れ動く。全身がわずかに震えてすらおり、異常なほどの動揺に襲われているのは明らかだった。芳子たちも思わず息を呑む。
「なんともないよ……! 垣本さんに助けてもらった」
なんとか奏を落ち着かせようと試みるが、この状態では焼け石に水だろう。
「私が……私のせいで……」
「ち、違うよ! 奏が気にすることじゃない!」
奏の目元から決壊したかのように、涙の奔流が彼女の顔に伝っていく。あまりの狼狽ぶりに、穂高すら信じられない思いだった。
ま、まずい……!
「ご……めん、ごめん……なさい……」
泣きじゃくる奏を抱きしめる。彼女の顔を受け止めた胸が、瞬く間に濡れていく。
「奏……大丈夫、だから……」
言葉が見つからない。なにを言おうともこれでは、彼女の心が平静を取り戻すことはないだろう。昌貴たちが気をつかって、退出していく。
目線で彼らに詫びを伝えると、ドアの外にいた二人が見えてしまった。
「あ……」
千緒と結実も来ていた。奏を追いかけてきたのだろう。
千緒と目が合う。視線をそらされ、すぐに振り返って去っていった。
「……」どこか、心が痛む。
結実も一礼すると、彼女の後を追った。
「奏……ごめん……」
震える奏の肩を包むように、抱き続けた。
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