海老すくい(2)

 酒井忠次は波風立てないように成瀬正義・正一兄弟をまとめて指したが、聴衆の目当ては弟の正一の武勇伝である。

 同僚を斬って出奔した血の気の多い兄と違い、正一は武田家に仕えて川中島の戦いを経験している。

 それも、最もマッドマックスな第四次の合戦を。


「武田と上杉は、どちらも忍者を使っての情報収集は念入りです。相手の出方を探りながらの睨み合いで終始する事が多く、第四次以外は膠着状態。最後の第五次に至っては、睨み合いだけで双方退きました」


 正一は酒杯で喉を潤しつつ、誰にでも分かり易い言葉を選んで情報を伝播させる。


「お互い、真っ当に戦っては、無事に済まない軍勢同士。第四次でも、上杉が退くと思っていましたよ。上杉の一万三千に対して、武田は二万です。退かない理由がない。つーか、退かなきゃおかしいですよ。おかしいですよ、あれ」


 結構、酒に負けつつある。


「計算外だったのは、上杉謙信のイカれた決断ですよ。信玄公が軍を二手に分けたからって、普通は攻めかかりません。別働隊が戻って来れば、挟み撃ちにされますから。短時間で信玄公を討とうと猛攻を掛けてきましたので、凄まじい消耗戦になりました」


 名将同士の正面衝突は、両軍の半数以上が死傷する大惨事となった。

 そこまで犠牲者を出しながら、結局引き分けである。


「どうかしています、上杉謙信。最後は単独で本陣まで攻め込んで、信玄公に斬り掛かるし。頭が吹っ飛び過ぎです、あれ」


 良い子は真似してはいけない、上杉謙信。


 そこまで聞いて、本多忠勝が質問する。


「どうして上杉謙信は、死なないのっ?」


 お前が言うな! の大合唱が湧き上がる。

 誰も忠勝と戦おうとしないとはいえ、矢や鉄砲で狙われる回数は逆に増えている。

 それでも擦り傷一つ負わない本多忠勝の武運は、もうオカシイ(笑)


「だって、単騎でそこまで突っ込んで生還とかっ、おかしいだろっ」

「お前の方が、もっとオカシイから」


 家康のツッコミにも、忠勝は首を捻る。


「某っ、別に傷一つ負わずに戦おうとか、思っていないっ! 結果として無傷なだけだっ」


 皆、忠勝の不死身に突っ込むのを諦めた。

 半蔵は、隣で忠勝の話に聞き入る松平伊忠これただに警告する。


「真似するなよ」

「いえ、半分でも参考に出来れば」

「一部も参考にするな」


 止めないと毎度突出しすぎて死にそうになる松平伊忠に、半蔵は繰り返し警告する。

 猪武者ではあるが、昨年、一向一揆に乗じて侵入して来た武田軍と交戦し、退けている。相手の目的が威力偵察だとしても、褒めていい実力を持っている。


(もう次の戦いが始まっている)


 半蔵は、この酒宴の段階から、武田を相手に情報戦を開始している。


(まずは、成瀬正一を活用しないと) 


 最強時代の武田家の全てを見聞した成瀬正一は、その知識を三河の為に大いに役立てた。

 十年後に武田軍の猛攻を受けても徳川が滅びず、二十年後に武田軍を家康の傘下に吸収出来たのは、この成瀬正一の存在が大きい。

 もっとも、この段階では本人に自覚はない。

 酒宴の肴にされているだけ。

 首脳陣の一部を除き、武田が本気で南下してくる未来を想定していない。


(それを皆に告げるのは、殿か忠次殿の仕事だ)


 半蔵は、凪の時間を邪魔せずに、肚の中で方針を決める。

 半蔵と同じレベルで槍働きが出来る人材は、既に五指に余る程に揃っている。

 半蔵にしか出来ない、家康への貢献。

 それは、耳目をフルに使う忍者仕事になる。

 それも、既に全国規模の情報網を形成した、武田信玄を相手にしての諜報戦。

 この戦いに半蔵が破れた時、三河は武田に蹂躙される。


(ああ、俺は武田信玄と戦う訳か)


 先ほど聞いた川中島の上杉謙信を、頭がおかしいと笑えない状況である。

 そんな事を考えていたら、顔が自然と鬼面になる。

 周囲は半蔵の鬼面にはもう慣れたので、全然反応しない。

 酒井忠次が、唐突に立ち上がる。


「踊るぞ!」


 完全に酔っ払った酒井忠次が、伝説の宴会芸『海老すくい』(英語名シュリンプ・サルヴェーション・ダンス)を踊り始める。

 腰の振り方。

 顔の馬鹿さ加減。

 振り付けの間抜けオーバー。

 近隣諸国の鬼武者を敗走させる名将が、アホな馬鹿踊りを大真面目に踊っている。

 半蔵は、ついさっきまでの思案を忘れて、鬼面も忘れて笑い転げた。

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