超高速・三河一向一揆(7)
「老兵は満足したようですな」
酒井忠次は、時間のロスを殆どせずに殿を排除できたので、平常心だった。
「俺は全く満足していない」
忠次に不機嫌を隠さず、家康は寸止めされていた殺意を号令に乗せる。
「殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せーー!!
家中を割るように唆す奴らを殺せ!
一族同士で戦わせる事を信心の証と抜かす似非坊主共を殺せ!
この岡崎城を攻めた僧兵どもを、根絶やしにせよ!!!!」
松平家康は、攻撃を僧兵のみに絞った。
親友の助言に従い、一切手加減をしなかった。
背後から駆け足で押し寄せる軍勢を見ても、本證寺の僧兵部隊は未だ足を速めていなかった。
悪名高い信長の『比叡山延暦寺焼き討ち』が起きるのは八年も後なので、僧兵戦力の殲滅を第一に家康が行動しているとは、全く考えていない。
早く立ち去るように、脅しをかけに来たとしか、考えていない。
武装しているとはいえ、背中を見せている聖職者を討ちに来たとは、思わない。
彼らが仏よりも家康を選んだ修羅である事を、実感出来ていなかった。
警戒心の強い順正は、これが本気で殺戮をしに寄せて来た軍勢だと気付く。
「貴様、殿を決めなかったのは、これが狙いか?」
順正が、馬を都合して先に逃げようとする正信に詰め寄る。
「殿を決めなかった? バカを申すな。言い出しっぺの我々が、こうして殿を務めているではないか」
睨む順正に正信は、しれっと返す。
「我々の犠牲で、一般門徒は助かる」
家康はこの程度の軍勢に敗北するような将ではないし、僧兵が戦死するのは自己責任だ。
本多正信が今日この戦場で守りたいのは、無防備な一般門徒である。
(死ぬのは、殺し合いを稼業に選んだ者だけでいい)
正信は、友である家康と敵対してまで、その美学を貫く。
順正には、正信を追求する時間は与えられなかった。
既に、矢が届く距離まで、家康の軍勢は詰めている。
「皆の衆! 全速力で逃げろ!」
順正の叫びに呼応する僧兵は、少なかった。
順正が臆病風に吹かれる者ではないと知る者だけが、足を早める。
一向一揆の本隊である本證寺の僧兵部隊一千名は、後ろから押し寄せた家康の軍勢二千名に、手早く刈られていく。
後方の惨状を見て、武具を捨てて全速力で西へと走った者だけが、本職の刃から逃れる事が出来た。
家康は岡崎城からあまり離れないように兵を動かしたので、追撃した距離はそれほどでもない。それでも僧兵部隊は、この攻撃で壊滅した。
僧兵たちの末路を見た一般参加者たちは、二度と一向一揆に参加しなくなった。
空誓他五十名程の敗残僧兵だけが、日没直前に本證寺に帰り着く。
「大丈夫だ。勝つぞ。勝つぞ。今日がダメでも、最後には勝つぞ。減った兵力は、全国の信者から幾らでも補充でき…」
生き残りを励ましていた空誓は、夕陽に混じる炎上風景を見て、愕然とする。
本證寺が、大炎上。
寺の人員は、総出で消火に当たっている。
ひょっとして家康の別働隊が先回りしたのかと周囲を見回すが、戦の焼き討ちではないらしい。
火事を遠巻きに見ている本多正信(馬で逃げて先に着いた)に聞いてみると、アホな事情が分かった。
「本證寺に逃げ込んだ瀬名姫様の一行が、茶湯を飲もうと火を起こしたら、火事になってしまったそうだ」。
空誓は、安堵した。
「なあんだ、事故か」
「そんな訳あるか!?」
順正が、空誓を蹴り飛ばす。
「騙されたのですよ! その瀬名姫は偽者に決まっている! 敵の間者ですよ!」
正信は、大真面目な顔で主人の正妻を弁護する。
「でも、失火して申し訳ないからと、侍女達と一緒に桶で水をかけていなさった」
空誓が感動し、順正が疑心暗鬼をちょびっと反省すると、追加情報。
「でも、ドジっ子なのか、水じゃなくて油を桶でかけてしまったそうだ」
本證寺が、燃え落ちる。
空誓が、気絶する。
順正は、憤激しながら瀬名姫一行の姿を探し始める。
「何処に居る?」
犬歯をむき出しにして正信に尋ねると、正信は首を傾げる。
「分からん」
順正は威嚇の唸り声を正信に浴びせてから、去った。
「…本当に分からんのに」
正信は、瀬名姫の動向に沈考する。
家康なら、寺を焼くような指示は出さない。
瀬名姫の独断である可能性が高い。
だとしたら、相当に危ない気質の持ち主である。
(やはり、余計な情けだったかもしれぬぞ、半蔵)
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