蜻蛉切(2)
「では、次の適任者は…」
家康の視線が、渡辺
服部半蔵と並ぶ槍の使い手として、双璧を成す人材だ。最近、負け戦で
これにも、誰も異論を唱えない。
守綱は、嬉しそうに立ち上がって、家康の前に進もうとする。
「いやあ、良かった。前の戦で持っている槍を全部使い潰してしまって、新しいのが欲しかったところ…」
「ダメです!!」
藤原正真が、全力で拒絶する。
藤原正真の脳裏に、この荒武者が会心の傑作をズタボロになるまで使い潰す絵面が浮かぶ。
「いやだって、この俺なら伝説の槍遣いとして、歴史に名を残すのは確実だぜ?」
「ダメです!」
「消耗品とは分けて、優しくするって」
守綱は、抗議に構わず槍に手を伸ばそうとする。
「ダメったら、ダメ!」
槍を渡すまいと、藤原正真は反射的に家康の面前に置いた槍を抱える。その動作で、槍身を覆っていた鞘が、切れてしまう。
その笹穂の槍身は、鋭利過ぎる。
「あ」
その気がないとはいえ、家康の至近距離で抜き身の槍を持ってしまった。
「これは、とんだ失礼を…」
詫びる藤原正真は、横から槍をアッサリともぎ取られて、怒られる。
「バカやろうっ! 事故であろうと、殿の側で刃物を出すのは許さんぞっ」
本多平八郎忠勝は、槍を中庭に持っていくと、石灯籠に立てかける。
「藤原のおっさんっ! 替わりの鞘はっ?」
「無いから、作り直す。半刻くれ」
「うん」
待つ間、城内で暇な者は、露わになった最高傑作を見物する。
刃紋が融けるほどに研ぎ澄まされた美しい笹穂の槍身の中央には、梵字と三鈷剣が然りげ無く刻まれている。
斬れ味は、動かしただけで鞘を割いてしまう程。
「これを戦場で振るったら、モテモテだなあ」
米津常春が、槍身を凝視しながらウットリと零す。
「敵どころか味方からも徹底的に狙われるぞ、こんな美人を抱いていたら」
大久保忠世が、涎を垂らして見入りながら、警句を吐く。
「武器というより、宝具に近い彫り物だな」
家康の視線は、梵字の意味に注がれている。
「地蔵菩薩。阿弥陀如来。観音菩薩か」
「流石です。仏様のように戦うお方には、お似合いの細工でしょう」
ギャラリーが見惚れている間に、藤原正真は鞘の修復を終えていた。
「仏様には、程遠いよ」
家康は、哀しそうに苦笑する。
「わしにも、この槍は扱えまい」
先刻、見捨てた子供たちに会い、女房を幽閉したばかりである。
藤原正真は、深く追求せずに、鞘を被せようとする。
その時、蜻蛉が一匹、槍の穂先に停まろうとした。
槍の天辺に停まった蜻蛉が、真っ二つに斬れた。
藤原正真は、鞘を捨てて二歩退く。
「…斬れ過ぎだ…此奴は、斬れ過ぎだ…」
作った本人でさえ、その斬れ味にドン引きしている。
他のギャラリーも、吊られて退いてしまう。
捨てられた鞘を、本多平八郎忠勝が拾って被せる。
「初めての殺生がっ、罪も無い蜻蛉かっ」
忠勝は槍を担ぐと、主人に伺う。
「殿っ、此奴を何処に仕舞って置こうかっ?」
「平八郎。お前に、やる」
「えっ?」
「…えええええ?!」
藤原正真が、妙な成り行きに驚く。
名前を上げつつあるとはいえ、平八郎は十六歳の少年だ。
やたらと強くて不思議と無傷だとの評判は聞いているが、槍の使い方が上手いという話は全く聞いた事が無い。むしろ、槍の扱いが不器用なのに槍働きで強いという、変わり種で知られている。
「その槍の威力を目にしても、恐れずに手を伸ばしたのは、平八郎だけだ。平八郎に、『
家康の裁定と命名が、下された。
「という訳で、この件は、もういいな?」
家康が酒井忠次に確認を取る。
「お邪魔を致しました。お子様達との団欒にお戻り下さい」
その場を嬉々として家康が去ると、忠次は目力で服部半蔵と本多正信を呼ぶ。
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