踊る信長24(6)

 午前四時。

 信長は数名の小姓だけを連れて、清洲城から出発した。行き先は、熱田神宮。


「あそこに兵を集結させる。それまでに、朝比奈の現状を探って来てくれ」


 信長に頼まれて、半蔵が大高城付近まで確認に行く。

 午前六時。

 熱田神宮で再合流すると、信長が熱田勢の加勢を得て機嫌を良くしていた。


(敵に回す人数も多いが、味方に付ける人数も存外に多い)


 半蔵は、信長が味方にしたい人々には甘くて優しい為政者として振る舞える様を、何度も目撃している。

 敵対者には信じてもらえないのだが、彼は真っ当な政治家だったりする。

 信長から視線を向けられたので、即答する。


「鷲津砦は、守りを固めて朝比奈を引き付けています。あと一刻(二時間」は保つでしょう」


 信長は、ニヤリと笑う。


「丸根砦は、大将の佐久間盛重が城外に出て、討ち死にしました。すぐ落ちます」


 信長は、苦笑する。


「籠城しようかなあ」

「今更?!」

「冗談だ」


 鬼面に成りかけた半蔵を、信長がからかって時間を潰す。


「信長よりせっかちな男を見ると、落ち着く」


 信長は、鬼面を肴に笑う。

 信長だけが、笑っている。


 午前八時。

 ようやく織田信長の兵二千が集結。

 熱田勢と合わせて、三千に達した。

 戦勝祈願を済ませると、善照寺砦へと進軍を開始する。

 熱田神宮から二里(約八キロ)の道程を、普通の速度で進む。

 その善照寺砦の東南に、大軍が休憩するのに適した桶狭間がある。

 そこで今川義元が休憩しているタイミングを見計らって奇襲をかける計画なのだが、タイミングを外すとカウンターを食らって全滅する。

 三年がかりで計画を立てていたと知っている者は少ないので、行軍中も先を危ぶむ私語は絶えない。

 とはいえ影に徹している半蔵には、基本的に信長以外は話しかけない。


「今川義元個人の強さって、どの位かな?」


 とはいえ構わず半蔵に話しかける、お喋りもいる。


「輿に乗って移動しているからといって、軟弱とは限らないし。顔に白粉を塗って、歯にお歯黒をしていても、刀を振るう腕には、全然関係ないし」


 半蔵が応じなくても、猿面の若者は一方的に話しかける。


「義元本人が戦場で刀を振るった話って、聴いた事が無いんだよね。俺、こう見えても元は今川の家来の家来の家来の雑用やっていたんだけどさ。この質問をすると、冷たい返事が返ってくるんだ。やれ『大将が直接刀を振るうような貧乏所帯じゃ無い』だの、『今川は戦力が豊富だから、心配無い』だの」


 話を漏れ聞いている信長が、鼻で嗤う。

 半蔵は、自分を出汁にして信長に話している寸法であると悟って、ちょいと感心する。


「でもよう、刀を抜いた事が無い大将に、付いて行けるご時世じゃないだろ? あれは納得いかないよ。あまりにも納得いかないから、織田に乗り換えちゃった」


 トークで人付き合いを深めて広げて出世してきた若者は、この機会を逃さない。

 猿面の若者・木下藤吉郎の問いに、半蔵は丁寧に答える。


「今川義元は今でこそ大身だが、父と兄の急死に伴って当主の座に就いた五男坊だ。就任当初は大きな内乱が起きて、自身で刀を抜いている」

「それ、何年前?」

「二十年以上昔だ」

「へえ〜。逆に言うと、二十年は戦から遠去かっているんだ、今度の大将首は」


 猿面の振る話題に、半蔵は乗る。


「義元だけではない。今川の兵は、この十年、朝比奈と三河衆に頼り過ぎた。実戦経験者の数が、極端に少なくなっている」


 その分、三河衆は戦闘経験を積んだ。

 半蔵の主人は、その長所を最大限に活かす気でいる。今川の為ではなく。


「では、この藤吉郎にも、大金星が可能という事ですな」

「え?」


 半蔵の知る限り、木下藤吉郎は庶務の奉行として業績を上げて信長に気に入られているが、武将としてはかなり厳しい。

 半蔵の怪訝なリアクションに、藤吉郎はドヤ顔で広言する。


「心得ておりますって。この藤吉郎には、腕っ節が全くないです! しかし武功は欲しい! 雇いましたよ、腕自慢を二十人! 借金もしたけれど、義元の首さえ取れば、大黒字!」


 半蔵は諌めようかとも思ったが、服部家も武功で稼ぐ為に転職した家である。他人のコンバートに、とやかく言えない。


「禿げ鼠」


 信長が木下藤吉郎を呼ぶ時は、『猿』又は『禿げ鼠』で済ます。

 戦国時代であろうとパワハラだが、この主従は最後までこのまま仲良くお仕事侵略に励んだ。


「はい!」


 酷い渾名で呼ばれても木下藤吉郎が嬉しそうなのは、お気に入りの部下にしか渾名を付けて呼ばないからである。


「義元の首が欲しければ、半蔵から離れるなよ。此奴は、義元の顔のみならず、義元の馬や側近たちの顔も覚えておる。半蔵こそ、我らの八咫烏よ」

「承知しました!」


 言ってから藤吉郎は、半蔵を見直す。


「服部くん、いつも最前線なんですね。格好いいわ〜」

「うん、どうも俺は、そういう武運らしい」


 半蔵は相槌を打ちながら、この若者に義元を討ち取らせたら、織田の人事が面白い事になるなあと、意地の悪い夢想をする。

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