第58話 歪曲 愚かさの果てに 下
その男の魔法使いが右手をあげると、2つの国の大陸に恐ろしい変化が起こった。
不気味な風が大陸を吹き荒れた。
風は恐ろしい音を出し、全てを見ながら、動物の耳元で裁きを下す日を告げた。
動物は大きく目を見開き体を震わせ、お互いに知らせ合いながら走り出した。
吹き荒ぶ風によって繋がれていた家畜の紐はとれ、家畜小屋のドアは壊れ開け放たれた。騎士の馬ですら、騎士を振り落とし一心不乱に駆けて行った。鞍から落ちた騎士は絶命した。
その日が来るまでに移動していなければならず、2つの大陸をつなぐ狭い陸地は様々な動物によって埋め尽くされた。
お互いに助け合いながら、小さくて足の遅い動物は馬の背中に乗り、或いは空を飛ぶ鳥につかまった。3つの国の大陸への移動が完了すると、その様子を見守っていた黒馬が大きな声で嘶いた。馬の鳴き声は驚くほど大きく、ハジマリヲツゲルように大陸中に響き渡った。
すると、陸地は深い深い海の底へと沈んでいった。
そうして、2つの国には人間だけが残された。
血の色をした赤いヒョウのようなものが、半時間ばかり大地に降り注いだ。
大地は熱くなった。
次第に燃え盛るような灼熱の熱さとなり、草木花は枯れ果て、渇いた大地に静脈のような黒い筋が駆け巡った。
井戸の水は灰色となり、黒くなり果てていった。
驚いた人々が飲み水を求めて泉や池に押し寄せると、湧き立っていたのは鎖によって引き裂かれた者達の赤い血であった。
血はユラユラと動き出し、黒い文字を浮かび上がらせた。
「目を覚ましなさい
死が訪れようとしている
美しさが残されているのならば、導こう
ただし、そうでなければ血がお前達を洗うだろう」
それを見た人々は震え上がった。
家財の全てを捨てて3つの国の大陸に逃げようとしたが、大陸を繋いでいた陸地はすでに海の底へと沈んでいた。
船も全て壊れていた。
人々が呆然としながら、海の彼方に見える3つの国の大陸を見つめていると、黒い色をした大きな鷲が何処からともなく現れた。
鷲の首には鎖が巻かれていたが、鷲は構う事なく空を飛びながら人々を哀れみのこもったような目で見下ろした。
黒い鷲は人語を話し、
「禍だ。あぁ…禍がやってくる。」
と、しわがれた声で鳴き続けた。
人々は恐怖で震え上がり腰を抜かした。
鷲は人々が乗り込む事ができる一艘の大きな木の船が、東の方角にあると告げた。
そして、空の彼方へと消えていった。
腰を抜かしていた者も立ち上がり走り出した。
大陸の全人口の3分の1だけを乗せることができるという海上に残されていた一艘の大きな船に押し寄せた。
黒い立て札がおかれ、白い字でこう記されていた。
「美しさを見せなさい
さすれば、希望はうまれよう」
しかし人々は血眼になりながら不気味な立て札をなぎ倒し、なんとかして船に乗ろうと取っ組み合いを始めた。己より弱い老人や女子供を生き残りたい一心で突き倒し殴り倒した。
船が定員を超え軋むような音を出すと、人々は怒鳴り散らしながら弱き者を海に投げ落とし、ようやく出港した。
その船は、その男の魔法使いが残した最後の希望であった。
悔い改めようともしない傲慢な姿は、さらなる怒りとなり、魔法陣に闇の力を注ぎ込んだ。
魔法陣は、黒き輝きを放った
突然、空から燃えたぎる黒い種が降ってきた。
黒い種は大きな飛沫を上げながら海に落ちた。船はグラグラと揺れ転覆しそうになった。黒い種が中からグチャリグチャリという音を立てながら割れると、一つ目の手足のない蛇のような真っ黒な巨体が現れた。
大きな口を開けると耳を塞ぎたくなるような大きな音を発し、赤黒い舌を出すと、船を絡めとって頬張った。
グチャリグチャリ
と、大きな音をたてながら喰い出した。
体を揺らして全てを流し込むと、舌で絡めとられる前に海に飛び込んでいた人々を凶悪な真っ赤な一つ目でギロリと睨みつけた。
人々は叫び声を上げながら泳いで逃げようとしたが、一人として逃すことなく舌で絡めとって喰い尽くした。
大きな口から赤い赤い血を滴らせながら、全てを腹の中におさめた。
そして自らを見ている、その男の魔法使いの方角に向き直り大きな音を発してから、大きな渦を描いて深い深い海の底へと沈んでいった。
海は赤く染まり、船に乗っていた者達は、全て死に絶えた。
空は黒々と渦巻き、雷鳴が鳴り響き、地面を震わせる揺れが起こった。
地面が震える度に、大地を駆け巡っていた黒い静脈のような筋は、何かを生み出すかのように色濃く太くなり、ドクンドクンと脈打つようにうねった。
その脈打つ動きに合わせて、大地に開いた小さな小さな穴からイナゴのような虫が続々と這い出してきた。イナゴのような虫は顔は様々な動物の顔をしており、鋭い触覚は毒針となっていた。
羽を広げると、不快な金属音を出しながら逃げ惑う人々に毒針を刺した。
あまりの痛みに人々は地面に倒れてのたうち回ったが人を殺さず、ただ毒で苦しめ続けた。
体中に走る激しい痛みで、人々は呻き声を上げて喉が枯れるまで救いを求めたが、その声は届く事はなかった。
次の禍が力を得るまで、何日も何日も大群は休む事なく空を埋め尽くしながら飛び交い続けた。
やがて太陽は2つの国を見捨てたかのように顔を背けた。
人々に希望をもたらす夜明けは失われ、明けることのない闇が訪れた。
闇が訪れると、黄金の稲妻がはしり、大地に直撃すると、大きな金属音が鳴り響いた。鎖を擦り合わせたかのような音だった。
空が渦巻き、赤黒く割れると、2つの国の大陸の至る所に底無しの闇のような穴が開いた。そこから紅蓮の炎が空高く湧き上がり、大地へと降り注いでいった。
あちこちで火が燃え上がり、大地に駆け巡っていた黒い筋は炎によって力を得て、ついに動き出した。
それは、恐ろしい4本脚の化け物へと変化していった。
額の中央に一本の黒くて鋭い角を生やし、獅子のような尾を持つ黒い馬のような化け物であった。大きく開けた口から見える歯が鋭利に輝き、人々を喰い殺せるほどに歯は研ぎ澄まされ、口から煙と炎を放った。
黒馬のような4本脚の化け物は徐々に数を増し、数万頭まで膨れ上がった。
黒馬の中で一際体軀が立派で、黄金の大きな角をもつ黒馬が、頭を振り上げて嘶いた。
その馬は、黒馬の王であった。
2万頭もの黒馬の大軍団を率いる王であった。
全ての黒馬は黄金の角を持つ黒馬の王を見つめ、出陣の時を待った。
空気はより一層重苦しくなった。
3つの国の大陸を照らしていた太陽が血のような色に変わりながら沈んでいった。
三日月が煌々と不気味に輝き出した。
その男の魔法使いが吹かせる風は、いよいよ身を斬るように冷たくなった。目も眩むような光の条を月から降ろさせ、黒馬の王の黄金の角に降り注がせた。
黄金の角は稲妻のような輝きを放ち、蹄は炎のように燃え上がった。
その男の魔法使いが出陣を告げる右手を握ると、黒馬の王は身を躍らせながら嘶いて恐ろしい蹄の音を轟かせた。
稲妻が至る所に落ち、大地が揺れた。
雷鳴が轟き、雨があられのように降り、唸りをあげながら風が吹き荒んだ。
ソレを合図に他の黒馬達が後ろ足で立って嘶いた。
大きく開いた口から煙と炎を出し、蹄の音を大陸中に轟かせながら、人々を殺し尽くす為に駆け出した。揺れる大地をうようよと押し寄せる黒い波のように駆け抜けた。
悲鳴を上げながら逃げ惑う人間を追い駆け、人々を角で串刺しにしながら大陸中を駆け回った。
串刺しにされても、死ぬことはできなかった。
死の救いは遠く、どれほど深く串刺しにされ、どんなに痛がろうが死ぬことはできなかったのだ。
串刺しにされ振り回されながら、その身が犯した罪が流れ落ちるまで心臓は動き続けた。
稲妻が闇を引き裂いて閃き、斧を掲げる国の王の城への道を黒馬の王に教えた。
城門は固く閉ざされていた。
空は真っ暗だったが、騎士は稲妻の光でこちらに向かってくる恐ろしい黒馬の王の姿を見た。
城壁の上の見張りは思わず目を見開いたが、一斉に雨あられのように矢を放った。黒馬の王は矢の集中攻撃を受けたが、全てはね返っていった。
黄金の角を持つ黒馬の王の行く手を阻む事はできなかった。
雷鳴が轟き、雨がより激しく降り出した。
黒馬の王は鋭い声で嘶き門に向かって突進すると、自動的に門は開いた。黒馬の王が堂々と通り抜けると、爆発するような音を上げ、土埃を上げながら粉々に崩れ落ちていった。
騎士達は恐れ慄きながら、轡の音を高らかに目の前を悠々と歩いていく黒馬の王を見た。
騎士の兜はへこみ、盾は割れ、剣には刃こぼれができた。
音も立てずに黒馬の王の背後から忍び寄り、剣を振り下ろした騎士がいたが、次の瞬間には自らの首を斬り落として倒れていた。それを見た何人かの騎士は恐怖にうたれ戦意を失い、剣を捨て、悲鳴を上げながら逃げ去っていった。
残った屈強な騎士も吹き荒ぶ風によってなぎはらわれ、死体が王の居場所を知らせる道標となった。
黒馬の王が通った道は、粉々に崩れ落ちた外壁の残骸や殺された騎士の死体で埋め尽くされた。
第1軍団騎士団隊長が肩で息をしながら、階段を駆け上がった。黒馬の王が玉座の間に現れる前になんとか辿り着いた。
「王よ…」
隊長は口を開いたが、その先の言葉は言えずに、体が破裂してしまった。
側近達は震え上がり、王に背を向けて散り散りに逃げて行った。
王も玉座から立ち上がろうとしたが、腰が抜けて立ち上がることすらもできなかった。
黒馬の王は、死体を踏みつけながら、ゆっくりと歩を進めた。
王はガタガタと震えながら、黒い馬を見た。
何処かで見覚えがあった。
その馬は間違いなく2万頭目に王達が殺そうとしたゲベート国の馬の中の王だった。
黒馬の王は後ろ足で立ち上がると、玉座に座り続ける王に向かって嘶いた。すると王は玉座から滑り落ちた。
こちらに向かって歩いてくる黒馬の王を見ると、目を瞑り震えながら椅子の脚にしがみついた。
窓には激しく雨がうちつけ、吹き荒ぶ風によって大きな音を出し強固だった城が崩れ落ちそうなほどに揺れていた。
「キナサイ」
黒馬の王は口から煙と炎を出しながら、人語のようなものを話した。
黒馬の王は絶望を連れてきた。
王は悲鳴を上げ、両手を床について這いつくばりながら逃げようとしたが、その姿を嘲笑うかのように物凄い力で引き寄せられていった。
激しい怒りで燃える王の蹄で、頭から滑り落ちた王の冠を粉々に砕き、床に這いつくばる男の足の骨と腕の骨を砕いて逃げられないようにした。
男は殺されるという恐怖で狂乱しながら、黒馬の王を見た。
その背には今まで誰も跨っていなかったはずなのに、偉大なる何者かが跨っていた。
その者はあまりにも眩しく、澱んだ男の目では直視することすらできなかった。
「あっ…あっ…」
男が小さな声を絞り出すと、黒馬の王に跨りし者がヒラリと降りた。
裁きを下す為に、その男の魔法使いは腰に下げていた神々しい光を放つ長い剣を鞘から抜いた。
煌めく剣は燃え盛る炎となり、男の心臓を貫いた。
男はあまりの激痛に大声を出し、のたうち回りながら泣き叫んだ。
その男の魔法使いによって差し貫かれた心臓は、男によって弄ばれた生命の無念を晴らそうと、地獄の苦痛を味わせる為に、止まることなく動き続けることとなった。
黒馬の王は、大陸中に轟くように嘶いた。
非常な恐怖が大陸中を覆い尽くし、雷鳴は轟き、稲妻は猛烈な勢いで落ち、全てを焦がすような一閃が国の終焉を告げた。
グチャリグチャリ
黒馬の王は悍しい音を立てながら男の両手両足をゆっくりと喰らったが、男はなおも激痛に襲われるだけで死ぬことはなかった。
死は男を見放していたので、身を喰らわれる激痛で死にたいと何度叫んでも死ぬことはできなかった。
決して死の救いは訪れなかった。
血の海の中から剥き出しになった心臓と2つの目玉と動き続ける脳を咥えると、城の塔に行って旗を薙ぎ倒して、それらを突き刺した。
盾を掲げる国の王も同様に喰い尽くし、同じように城の塔に突き刺した。
2人の男に自らの犯した重罪の果てを、最後まで見届けさせた。
全ては、動物と魔法使いを追い回した光景と闇の鎖の光景そのものであった。自らの犯した所業が、何倍にもなって、その身にかえってきたのだった。
罪人も傍観者も一人として生き残った者はおらず、己が罪から逃れることはできなかった。
2つの国の大陸の人間全てを殺して喰い尽くすと、黒馬の王は再び大陸中に轟くように嘶いた。
すると、他の黒馬達の動きがピタリと止まった。
黒馬の王の黄金の角が割れて大地に落ちると、ドロドロと溶けていきマグマと化した。役目を終えた黒馬達もドロドロと溶けていった。
こうして全てを燃やし尽くし、灰とかえ、2つの国は消え去った。絶望と恐怖をまとった灰が、海上を漂っていた。
*
「我等は一体…何をしたのだろうか…」
呆然としながら見ていた3つの国の王は呟いた。
大陸ごと燃やし尽くされて跡形もなくなり灰となったのを見ると、顔から大量の汗を流し恐怖でガタガタと震え上がった。
だが、もう遅かった。
王達が2つの大陸を繋いでいた陸地のあった場所まで来ると、遠くて見えないはずなのに、海の上に浮かぶように立っている黒馬の王の姿を見た。
黒馬の王は残酷な目で王達を見つめた。
「まさか…馬が…使者になるとは…そんな…」
ソニオの王が呟くと、黒馬の王はその言葉が聞こえていたかのように口から煙と炎を吐いた。
3つの国の王は我先にその場から逃げ出した。
黒馬の王が海を渡り、こちらの大陸に駆けてくるかのような幻を見たのだ。
ソニオ国の城の中に逃げ込むと、王達は真っ青な顔をしながら今になって神に祈りを捧げた。
だが祈りは聞き届けられる事はなく、代わりに雷鳴がゴロゴロと鳴り響いた。
王達は天上の怒りが降り注ぐことを感じ取ると、救いを求めて小舟に乗り、聖職者のいる孤島を目指した。
孤島には着いたが震える脚で立つこともできずに、白の教会まで這っていった。
彼等は自らが助かることだけを願う涙を流しながら、聖職者の足元に跪いた。
「大切な国民の生命を救いたいのです。
どうか…御力を…御力を…お貸しください。」
王達は示し合わせたように、偽りの言葉を吐き続けた。偽りの涙を垂れ流し、厄介払いをした聖職者に助けを乞うたのだ。
聖職者は濁った涙を見つめた。
淀んだ灰色の涙はきらめくことはなかった。
「あの轟くような雷鳴は、天上の怒り
天上の怒りが2つの国に降り注いだのだ。一体何をしたのだ?」
全てをハジマリノセカイにかえした恐怖の光景を指差した。
今も灰色の煙が立ち上り、2つの国があった上空には雷鳴が轟き稲妻が閃き続けていた。
「知りません…。
大陸も離れていますので、彼等の行いを常に見ているわけではありません。」
王達は自らの所業を悔いる事なく、額から汗を垂らし小刻みに震えながら床を見つめた。白の教会で嘘を吐く彼等は聖職者の目を見る事ができなかった。
「私の目を見て話しなさい。
何をしたのだ!
神は全てをご覧になられている。何故、今になってここに来た!何故、お前達は震えているのだ!
白の教会で、神の御前で、嘘は許されぬぞ!」
聖職者は怒りの声を上げた。
すると王達の態度は一変して急にしおらしくなり、小さな声で全てを話した。
聖職者はその所業の全てに怒り狂い、闇の魔法書に手を出した愚かさを嘆いた。
さらに何度説き伏せても戦争を止めようとせず、老いた聖職者と口汚く罵られて城の門を固く閉ざされ、やがては港に入ることさえも拒否され、最終的には諦めてしまった自分自身を責めた。
聖職者は魔術を使えば、幾らでも大陸に入る事ができたのだ。
さらに白の教会は権威を持ち、聖職者は国民によって崇められていた。
聖職者の言葉ならば、国民は耳を傾け目を覚ましただろう。
けれど聖職者はそれをしなかった。
魔法使い達に全てを委ねて、自らはそれ以上の事はしようとしなかったのだ。
孤島にただ一人で住みながら大陸を眺め、立ち上る戦争の煙を見ながら溜息をついていただけだった。
「人間が愚かな行為をしようとする時にはとめるように」
と、命じられて特別な力を与えられていながら、ただ嘆き悲しみ、止められる力があった者が、傍観者となったのだ。
自らが国民に多大な影響力を与えることができる存在だと知っていながら、与えられた力を使おうとはしなかった。
数多の動物の悲鳴、闇が大きく渦を巻き、不穏な煙を立ち上らせ、澱んだ月と、魔法使いの光の力が弱まった事で白の教会の上空を暗雲が覆ったにもかかわらず、聖職者は動こうとはしなかった。
事態がここまで深刻になるとは思わなかった。
いつかは終わるだろうと思い、深く考えようともしなかった。
そうあってはならない立場にある者が目を瞑り、最も罪深き傍観者となったのだ。
聖職者は憎しみのこもった目で王を見、自らの唇を強く噛み締めた。王達が逃げ出さないように白き杖をふるってから、なすべきことを説いた。
「神の怒りは鎮まらない…いずれは必ず3つの国にも降り注ぐだろう。
その時を、延ばしてもらうしかない。
闇の魔法書は決して開いてはならぬという神との約束であった…心に迷いがある者は魅入られるからだ。
よりにもよって王が破り、犯すとは…。
もう…この私には止められぬ。
この私の力では足元にも及ばぬ。
お前達は、自らの愚かな所業の償いをせねばならない。
闇の魔法を使った者は、自らの生命を投げ出さねばならない。
もう、逃げられぬぞ。
お前達は儀式を始める前に、血を滴らせたのだろう?
その血を滴らせた者全員が生命を投げ出さねばならないのだ。
それが闇の穴に血を吸わせるという、血の意味だ。
この私にも責任がある。
私と共に聖なる泉に身を捧げよう。」
と、聖職者は言った。
3つの国の王は蒼白な顔となって歯をガタガタと鳴らし、首を横に振りながら涙を流した。
聖職者は王達の顔を睨みつけた。
「魔法使いでなければ、祈りは届かぬ。
けれど、お前達がその光を、お前達の手で消し去ったのだ!
もう私達を救ってくれる為に、神に祈りを捧げて下さる者達はいないぞ。
この世界から光は消え失せたのだ。」
3つの国の王は体を震わせながら、聖職者の足元にすがりついて大声で叫んだ。
「嫌です!死にたくはありません!
お助けください!お願いします!」
「何を言う!他の者の生命を無惨に奪っておきながら!
自らの生命は救えと言うのか?
奪うのなら、奪われる覚悟もあったということだ。」
「貴方は聖職者です!聖職者がそんな事を言うなど考えられません。我等を救うのが聖職者です!」
「身勝手なことばかりほざくな!
聖職者だからこそ、裁きを下す!
お前達は、王だ!
国民の生命を守る責任がある!
3つの国の大陸にも天上の怒りが降り注がぬようにする為に、お前達はここに来たのだろうが!
私がお前達に王としての役割を果たさせてやろう。
最期くらいは王としての誇りを持ちなさい。」
3つの国の王は聖職者の形相を見ると慌てて逃げ出そうとしたが、すでに聖職者の魔術によって体の自由は奪われていた。
聖職者に引き摺られながら小舟に乗せられて、聖なる泉を目指した。
聖なる泉のアクアマリンの水面は輝かしい光を放っていたが、3つの国の王の姿を見ると、水面が激しく揺れて渦を巻き始めた。
水色は色を変えて闇のように黒くなった。
王達はその色を見ると闇の穴を思い出し、そこから黒馬が駆けてくるのではないかという恐怖に駆られた。
聖職者は神の怒りに満ちた聖なる泉の前で跪き、顔を上げたまま立ちすくんでいる王達を跪かせて額を地面にこすりつけた。
聖職者は何時間も祈りを捧げて、人間の許しを乞うた。
聖なる泉は懺悔の声を聞くと、轟音を出しながら渦を巻き、底無しの闇が顔を出すと、闇の底からは戦争と天上の怒りで死んでいった国民の慟哭と嘆きと恨みの声が聞こえてきた。
さらに闇の鎖と引き裂かれた数多の腕が、王達を引き摺り込もうと姿を現した。
「キナサイ、キナサイ」
と、聞くも恐ろしい声が響いた。
3つの国の王はよろけながらも立ち上がると、その場から逃げ出そうとした。
だが聖職者は王達の前に立ち塞がった。
白き杖をふるって、王達を闇の穴と化した聖なる泉に放り込んでいった。
王達が放り込まれるたびに闇の鎖が伸びて王の体に絡んで、ゆっくりと体を締め上げ、生きながら体を引き裂いた。
恐ろしい悲鳴と肉と骨が砕け散る音がして、真っ赤な鮮血が吹き上がった。
グチャリグチャリ
と音を立てて、王の体をゆっくりと喰い尽くした。
その光景を、聖職者は琥珀色の瞳で見ていた。
聖職者は王達が死に絶えたのを見ると跪き、深々と首を垂れ、白き杖を地面に置いた。
「どうか…この愚かな我が身と引き換えに、人間をお救い下さい。
さぞ、お怒りのことでしょう。
神自らが、人間の為にと、その御手で作られた光の存在である導きし者達の生命を無残に踏みにじったのですから。
弱き者達は強き者に扇動されやすく、無知のまま、盲目に偽りを信じ、権力につき従い、欲に溺れ、ただしき光を見失い、誤った道を進みました。なんと愚かな生き物なのでしょうか。
しかし、彼等は力を持たぬ故に、哀れな生き物でもあります。
本来であれば、この私が正しい教えを説き、愚かな行為を止めなければなりませんでした。
私は、その役割を果たさなかったのです。
その為に起きた惨状でございます。
その全て私の愚かさです。
特別な力を持ちながら、役割を果たさなかったこの私の。
2つの国に天上の怒りが降り注いだことにより、彼等はようやく目を覚ましたでしょう。
本来の美しさを取り戻しましょう。
彼等の中にも、まだ…美しい者もございます。
どうか…お慈悲を…
お慈悲をお与え下さい…
どうか…お慈悲を…この私の全てと引き換えに…
私こそが神に背き、王達を止めなかったのですから。私こそがこの地上に存在する最も醜悪な生き物でございます。
5つの国の王達は生命を国民の為に捨て去りました。
そして、私も死をもって償いたいと思います。
この身は永遠に地獄を彷徨い、その業火に焼かれましょう。どんな恥辱にも耐えましょう。
いえ、恥辱こそが醜悪な私にはふさわしい。
どうか、どうか…お慈悲を…」
聖職者は白き杖で自らの心臓を刺し貫き、地獄を彷徨う道を選んで闇の底に身を投げた。
すると闇の鎖が聖職者の体を引き裂いた。
グチャリグチャリ
鈍い音を立てながら、聖職者の血飛沫があがった。
しかし空は渦巻いたまま、次なる大陸に狙いを定め、風は不気味な音を立てながら、さらなる生命を求めた。
太陽が沈み、月は顔を見せる事なく、星も輝かなかった。
夜よりも黒い闇が3つの大陸を覆い、一寸先も見ることができなかった。
明けることのない闇に人々は震え怯えながら心身を苛まれていった。2つの国の大陸で起こった見えるはずのない光景が夢としてあらわれ、絶望の果てに自ら生命を絶ち始めた。イナゴのような虫の毒針で刺され、黒馬の角で刺し貫かれて何日も死ねずにいるぐらいならばと死を選んだのだった。
望みを失くして悲嘆する声、呻き声と泣き声が大陸中を埋め尽くした。
今になって目が覚め、人々は戻らぬ生命を思い祈りを捧げた。
しかし、夜明けはこなかった。
闇に覆われた大地が怒りで揺れ動く度に、人々は恐れ慄き、もう何処にもない光を求めた。何日も何日も冷たい雨が降り注いで、人々の体を凍らせて心も喰らい尽くした。
しかし、魔法使いを積極的に追い駆けた3分の1の人々が死に絶えた頃、ようやく雨が止み、暗い大地に変化が起こった。
揺れ動く大地の振動が弱まり、ほのかに闇が薄くなったのだった。
時を同じくして大陸を覆い尽くす闇に打ち勝とうと、慈悲の光を受けて輝く希望の光が生み出された。
渦巻く空に向かって、アクアマリンの色を取り戻した聖なる泉から得体のしれない漆黒の生き物が真っ直ぐに駆けのぼっていった。
それは漆黒の闇の色をしながらも、金色の光を宿していた。もう見る事はないと思っていた救いの光のように、人々の目に映った。
その男の魔法使いは、一条の光を見つめた。
神が慈悲をかけられたことを悟ると、彼は従い右手を下ろした。
漆黒の生き物は空に蠢く怒りの全てをその身に宿すと、再び身を翻して真っ直ぐに聖なる泉の底へと消えていった。
その男の魔法使いは、右手を見つめた
その手は恐ろしい力を宿し続けていた
その力を取り上げようとは、決してなさらなかった
神の赦しはでていない
この身は神の領域にあり続ける
神の意に背いた愚か者共を許されてはいないのだ
この身が、この魂が存在する限り、私は選ばなければならない
その男は右手を強く握りしめると、深い深い森の奥深くへと消えて行った。
※ヨハネの黙示録を参考にしました。
キリ教が大学で必修だったんですが、筆者はキリスト教徒ではありませんので、そこんとこよろしくお願いします。
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