第41話 その男

 

 次の日、アンセルは気持ちを奮い立たせてから剣の稽古へと向かった。


(あんなに俺を信じて助けてくれるマーティスがいる。俺はまだやれる…これ以上蝕まれたらダメだ。

 ここは俺のダンジョンだ…俺の…ダンジョンなんだ。

 俺が仲間を守るんだ…今までも、これからも…。皆んなもきっと…マーティスのように思ってくれている…)


 アンセルが広場の扉を開けると、そこにはミノスしかいなかった。アンセルはマーティスをキョロキョロと探したが、何処にも姿はなかった。


「アンセル様、稽古を始めましょう」

 と、ミノスはいつものように言った。剣が水色に輝き出すと、アンセルの心臓が大きく揺れ動いた。

 頭がズキズキと痛み出し、両腕がガタガタと震えた。

 

(頭が痛い…ダメだ…。この前と、同じにはなりたくない)

 アンセルは強く思ったが、握っていた剣を落として膝から崩れ落ちていった。体は燃えるように熱くなり、かつての魔王の力が動き出そうとするのを感じた。

 アンセルを飲み込む凄まじい力だ。気を失いそうになったが、アクアマリンのように輝くミノスの剣の光を見ながら絶大な力に抗おうとした。


(ここで意識を失ってしまったら…この前と同じだ。

 このままでは何も出来ず、俺ではなくなってしまう時が来る。マーティスの言葉を…思い出せ…。

 俺が救うんだ…他の誰でもない、この俺が仲間を守るんだ。

 かつての魔王に…成り代わられるなんて嫌だ。

 その為に、俺を遺したのだろうか?

 何もかもを思い通りにさせて…たまるか)

 アンセルは薄れゆく意識と戦いながら、床の上に転がっている剣を取ろうと腕を伸ばした。


 けれど冷たい床の感触がするだけで、どんなに腕を伸ばしても剣には届かなかった。


(俺が守る!他の誰でもない、この俺が!)

 アンセルは心の中で叫んだが、かつての魔王の力には遠く及ばない。戦おうとする決意を燃やし尽くすように、片目があつくなっていった。

 水色に輝く光が見えなくなると、全てを覆い尽くすような漆黒が広がった。世界が真っ黒に変わると、腕が勝手に動いて左目に触れた。その目は、固く閉じられた。

 開かれている金色の右目が爛々と燃え上がると、右目は全てを見透す力を持った。


 彼はしっかりとした力で床を踏み、ゆっくりと立ち上がった。右手を上げると、床に転がっていた剣が吸い寄せられていった。これこそが、力だった。

 彼に握られた鋭い剣は、圧倒的な光を放ち、水色の輝きを飲み込んだ。絶大な力が剣に流れていくと、剣身は一瞬だが紅蓮の炎のように燃え上がった。これこそ、アンセルが欲している炎の力だといわんばかりだった。

 ついに美しくも逞しい右腕と鋭い剣は、その男のものとなった。


(耐えろ…この力と炎は、あまりに危険だ。全てを焼き尽くす。こんな力は欲しくない…こんな力は…欲しく…ない…)

 アンセルの抗う力は次第に小さくなっていった。絶大な力の前では無力に等しく、灰色の靄に囲まれていった。

 左手を動かして振り払おうとしたが、もう手遅れだった。

 灰色の靄が消えると、アンセルは光のない闇の中にいた。銀色の光を放つ冷たい鉄格子の檻に捕えられていて、逃げ出すことが出来なくなっていたのだった。



 

「ミノタウロス」

 と、別の声が話し出した。


 ミノスは驚きながら、その男を見上げた。

 目の前に立つその男は、外見はアンセルのままなのだが、その男の放つ絶大な力によって何倍も大きく感じた。誰もが恐れる美しい氷山のように。

 その男が微笑むと、ミノスの剣に刻まれた文字がユラユラと揺れ動いた。その男が「何者」であるのかを、剣が伝えたのだった。


「立派になったな、ミノタウロス。あんなに小さかったお前が、こんなにも立派になるとは。今もこうして生きていてくれたのは嬉しいよ。

 けれど私に剣を向けるようになるとは…私の為さねば成らぬ事を知りながら、それを阻むとは。

 一体どうしたというのだ?

 人間から受けた残酷な仕打ちを忘れたわけではなかろう? 

 剣を下ろせ、ミノタウロス。

 そのような剣は、お前には必要ではない」

 その男が静かに言うと、ミノスの手から剣が滑り落ちた。剣は力にひれ伏すような金属音を立てた。


 ミノスの力強い腕も、ダラリと垂れてしまった。剣を拾おうとしたが、それすらも出来なかった。


 その男の「言葉」によって、ミノスは剣を握ることすら許されなくなったのだった。


「ご無礼をお許し下さい。忘れた訳ではございません。しかし…」

 ミノスはその先の言葉を飲み込んだ。自らの体の変化に気付いたのだった。

 その男の許しなしに剣を拾おうとしたことで体は硬直していった。石になったかのように固まり、全ての動きを禁じられたのだった。


「剣を握ることは許していない。

 私が、お前に問うている。まず、それに答えよ。

 同胞の苦しみは果てしなく続いた。外の世界に残された同胞は、人間によって絶滅させられたぞ」

 と、その男は低い声で言った。その言葉を聞いたミノスの目が大きく見開いた。


「そうか、知らなんだか。それは、ならぬぞ。

 真実を知らずに、剣を握ることは許さぬ。 

 水晶玉で、何を見てきたのだ?」

 その男が厳しい声で言うと、ミノスは体を震わせた。


「答えは、何も、見てこなかった。

 水晶玉は、長きの間、アンセルが持ち続けていた。

 外の世界を知ることが出来る水晶玉が、なぜ固く閉ざされたダンジョンにあるのかをアンセルは理解していなかった。

 理解しようともしなかった。

 ただのモノとしか思わず、嘆かわしいことに見たいものしか見なかった」

 その男はそう言うと、小さく溜め息をついた。


「では、私が教えてやろう。私は、全てを見ることが出来る。

 お前は、知らねばならない。

 その種族の頂点に立つお前は、外の世界に残された同胞がどのように絶滅させられたのかを。

 それ以上殺せば絶滅すると分かっていながらも狩り続けた。

 角をえぐり取り、皮を剥ぎ、肉を求めた。肉は葬られることもなく、無残に投げ捨てられた。

 どんなに数が減少しようとも保護すらもせず、中には希少種ということで角と皮が高値で取引されたのだ。

 お前の同胞の生命よりも、くだらない人間の収集欲と見栄と暴食によって絶滅させられたのだ。

 彼等の嘆きは、届かなかった。

 いや、人間の言葉を理解し話すことが出来たしても、涙を流しながら生命の尊さを説いたとしても、愚かな人間には届かぬであろう。

 頂点に君臨していると思い込み、他種族を見下す人間の愚かさの前では無惨に踏み潰されただろう。

 人間によって、多くの種族が滅ぼされたのだ。

 神の慈悲で生かされているということすらも知らず、知ろうともしない愚か者が犯し続けている許し難い所業だ。

 お前も、よく知っているであろう。

 そのような人間を守ろうというのか?」


 ミノスは怒りを抱いた。人間は、何も、変わっていなかったのだ。魔物が走り続けたことは、一体何だったのだろうか?

 さらに同胞だけではなく多くの種族が絶滅させられたのを知ると、人間を憎む気持ちを思い出した。

 人間が競うように狩る姿は、今でも鮮明に覚えている。

 激しい憎しみの渦に巻かれそうになったが、20階層の床を見つめると、その恐ろしさも思い出した。


「絶滅させられたとしても…もう二度と過ちを繰り返すことは出来ません…」

 と、ミノスは震える声で言った。


「ミノタウロス、声が震えているぞ。

 過ちというのであれば、お前たちに知恵と力を与えた私を恨んでいるのか?

 降り注ぐ矢で傷つけられ、順番に死を待つ方が良かったか?」

 と、その男は言った。


 ミノスは口を閉ざした。答えることが出来なかった。

 19階層で幸せに暮らすミノタウロスたちの笑顔が浮かんだ。矢で射抜かれ、苦しみながら角をえぐり取られ、皮を剥がれながら死んでいった同胞の死が浮かんだ。

 その死は、すぐに形を変えた。ミノタウロスの子供たちが人間に追い立てられ、同じように殺されていく姿が浮かんだ。


「お前たちは生き延びた。ダンジョンで幸せに暮らしている。

 だから「過ち」と言えるのだ。過ちではない、「幸せ」を勝ち取ったのだ。

 過ちを繰り返しているのは、人間の方だ。

 ならば、愚かさの裁きを下さねばならない。

 その時が、来たのだ」

 その男は氷のような瞳でミノスを見つめた。


「どうか…お待ち下さい。

 これ以上…人間を殺すことは、神がお許しにはなりません。人間の中にも、まだ美しき希望が…ございます」

 ミノスの声は徐々に小さくなっていった。

 全てを知るその男の怒りの前では、綺麗事は何の意味も持たないのだから。


「ならば、何故私が動き出すことが出来た?

 それが、神のご意志だ。

 あの時、神は私の魂に直接触れられた。天上の禁を破ってまで、人間にチャンスをお与えになられたのだ。

 勇者がもたらす希望を信じて。

 だが偽は偽であり、真にはならなかった。

 神の審判は、人間の国王がダンジョンに勇者を差し向けたことによって下された。人間自らが、滅びの道を選んだ。

 だからアンセルの中に巣食わせた私のカケラは、こうまで動き出すことが出来た。

 アンセルの心に語りかけ、私はこうして姿を現したのだ」

 その男の激しい怒りで、広場の柱がガタガタと揺れ動いた。クリスタルに封印されていたその男の力は、少しも衰えてはいなかったのだ。


「お待ち下さい。まだ、新たな希望が…」


「私は、数百年待った。

 だが、人間は何一つとして変わらなかった。

 愚か者と傍観者という腐肉塊ばかりだ。

 どれだけ時が経とうとも、どれだけ人間が生まれようとも、美しさは現れずに背き続けたのだ」


「ならば、今、私がこの身を…」


「ミノタウロス、それは不可能だ。

 私は、統べる者。

 お前では私を止められない。お前が生命を投げ出しても止められない。私を止められるのは、たった一つだけだ。

 それに、私はお前を殺すつもりはない。

 前も、そうであっただろう?お前は、分かっていた。

 だから、お前は動かなかった。少しでも動けば死んでしまうからな。心臓手前で、剣を止めてやったのだ。

 奴等の力では、私は止められぬ。諦めるんだ、ミノタウロス」

 その男は厳しい表情をしながら言うと、ミノスを見つめた。


 沈黙が長ければ長いほど、闇は濃くなった。ミノスの心も、深い闇で覆われようとしていた。

 絶大な力の前では、全てが無力である。その男の言葉のみが真実であると思わせる力があった。逆らうことは愚かであり、時間の無駄であり、力の浪費である。

 その男の闇は全てを飲み込んでいく。絶望をもたらす者が魔王であるかのように。


「答えを聞こう、ミノタウロス」

 と、その男は言った。


 残された希望ですら、今にも絶望になろうとしている。何も変わっていないのであれば、何かを変えることなど不可能だ。神は全てを許されているのだから。


 しかし、アンセルはまだ消えてはいない。

 アンセルが戦っている以上、自らも戦い続けなければならない。泉の加護を宿した剣を、鞘から抜いたのだから。

(我が魔王、アンセル様が剣を鞘に納めぬ限り、私も剣を鞘に納めてはならない)

 絶大な力を誰よりも知っていながら、ミノスは強い眼差しでその男を見つめた。


「私は、アンセル様をお助けいたします。

 希望の光は、守り続けなければなりません。この世界を、新たな光で照らす為に。

 しかし、あの頃と変わらずに、私は…貴方様をお慕いしております。あの時から、私たちを常にお救い下さいました。

 何一つとして…私たちに残酷な命令はなさいませんでした。

 私たちが人間を憎み、私たちが力を欲し、頂いた力で人間を襲って殺し、騎士と戦って深傷を負った時も…傷を癒して…生命を助けて下さいました。

 深く…深く…感謝しております。

 けれど…今の私の魔王は…アンセル様でございます。

 私は、アンセル様の優しさに、新たな光を見てしまったのです。殺さないという決意のもとで勇者に立ち向かい、世界を変えられる新たな光に…夢を見たいのでございます」


「ほぅ…この若く、まだ真っ白なだけの男に夢を見たいのか。

 お前は、この世界の愚かさを知っている。5つの愚かな王が犯し、今もなお3つの国の王が犯し続けている所業を知っている。この世界の愚かさと闇は、アンセルには到底背負いきれぬぞ。

 だがアンセルも魔王を名乗るのであれば、それを知らねばならない。剣を掲げるのであれば、この世界の真実を知らねばならない。

 しかしアンセルは両腕に巣喰っている私のカケラにすら抗うことが出来ない男だ。何一つ強い言葉で否定しなかった。決意と望みを忘れ、絶大な力に怯えて、私の言葉通りに動くだけだった。

 全てを知れば、必ず失望し、絶望する。かつてと…同様に。

 絶望を斬り裂けぬ男は、希望とはなりえない。美しき希望は、深い闇へと消えていくだろう」

 と、その男は言った。


「いいえ、アンセル様は強く逞しくなりました。

 深い闇ですら斬り裂くことが出来るようになりましょう。

 魔物が生き残る為に、人間を犠牲にしてもいいとは思っておられません。痛みも嘆きも悲しみも理解し、乗り越えていくことが出来ましょう。

 今度こそ勇者に、真に歩む道を教え…」


「歩む道は、滅びの道ぞ!」

 その男は轟くような声を出した。

 その男の怒りは凄まじく、荒々しい風が広場に吹き荒れると、広場の天井が黒々とした渦を巻き出した。

 

 ミノスはたちまち恐怖に打たれたが、かつての魔王と話が出来るのは己だけであると知っている。

 恐怖に打ち勝とうとするかのように声を絞り出した。


「どうか、お願いでございます。

 私は勇者の言動を見守ってきました。

 新たな勇者は、この世界の愚かさに触れようとしています。救おうとしています。

 もう一度…はかりにかけていただき…貴方様にも彼等を見ていただきたいのです」


「ミノタウロス」

 その男は目を閉じて首を横に振った。


「お前も、ほとほと夢を見る男だな。アンセルだけでなく、人間の勇者にも夢を見ていたとは。

 かつても、そうであっただろう?

 けれど、弓と共に投げ捨てられた。あの弓の勇者には…失望させられたよ。あれほど愚かな男だったとは。あんなものが勇者とはな…所詮は愚かな人間か。

 歴史は、何度も何度も繰り返す。今度の勇者も、そうなる。

 それに…新たな剣の勇者は国王の息子。国王の悪行を知りながら、何もせぬ男が勇者とはな!」

 その男が怒りの声を上げると、ミノスの体に戦慄が走った。今や広場は憎しみと怒りが覆い尽くし、黒々とした渦が恐ろしい光を放ち雷のような音を上げた。


 しかしその男が急に優しい顔になると、全てが消え失せていった。黒々とした渦ではなく、白い雲となった。

 その白い雲の隙間から美しい光が漏れて放射状に降り注ぐと、その男を照らした。


 その男は美しい光に照らされながら、穏やかな声でミノスに語りかけた。


「ミノタウロス、この森を見たことがあるか?」


「はい、ございます。水晶玉で、ですが…」


「美しい…美しいものよ。燃え尽きた後に残った灰を養分にして木々が育ち、美しい森となったのだ。罪の深さに応じて色鮮やかな花が咲き、艶やかな実を鳥が食べ運んでいく。

 全てが、始まりへとかえるのだ。

 豊かな緑であふれ、色鮮やかな花と果実が咲き誇り、鳥と虫たちの楽園だ。いずれ、心優しき動物が歩くようになるだろう」

 その男が低い声で言うと、ミノスは心臓が凍りつきそうになった。


 その男は、穏やかな微笑みを浮かべた。


「ミノタウロス、闇の魔法書のはじめに記されている言葉を知っているか?」


 闇の魔法書を開いたことなどないミノスは首を横に振った。体からは嫌な汗が流れていくのだった。


「いつの日か、必ず、全てを滅ぼす使者となるであろう」

 その男が冷たい声で言うと、ミノスは息をするのも苦しくなった。神の怒りを思い知らされたのだ。


「人間の世界が滅びることは、5つの国の国王が秘密を背負った時から決まっていたのだよ。

 神との約束を、国王自ら破ったのだから。

 新月の夜に神に背き、三日月の夜に闇の魔法を使ったのだから。

 私は滅さねばならない。延ばされていたその時が来たのだ」


「どうか…どうか…もうしばらくお待ち下さい。もう一度…チャンスをお与え下さい。もう一度…ご覧下さい。

 かつては私も人間に憎み殺しましたが、今になって気付いたのです。恐ろしいことを…してしまったと。

 深く…後悔しています。

 もっと他に道があったのではないかと…そう思わずにはいられないのです」

 と、ミノスは苦しい表情を浮かべながら言った。


「心配するな。もうお前たちが人間を殺すことはない。このダンジョンで心穏やかに暮らしているといい。

 それに、神は人間の醜悪さを既にご覧になられている。

 3つの国に残された人間以外の者たちを、この最果ての森に移し、天上の怒りを降り注がせるだけだ」

 と、その男は言った。


「いいえ…そうではありません。

 貴方様に…もう一度…ご覧いただきたく存じます。絶望を希望に変える力をご覧いただければ幸いです」

 ミノスが真剣な顔で言うと、その男は声を上げて笑い出した。


「お前がそこまで言うのなら、アンセルにチャンスをやろう。

 私に勝てぬ男に、世界は変えられぬ。次なる希望は、新たな光をもたらすと確信出来る力がなければならぬ。

 お前の言うようにアンセルと勇者に真に希望を見い出すことが出来るのならば、アンセル自身の力で、私のカケラをこの体から追い出すだろう。クリスタルの禍々しい光も消えていき、その力を授けよう。

 私は、それを約束しよう。

 けれど、そうでないのなら分かっているな?

 神はこの世界をお許しにはなっていない。私は絶望をまとい、人間を死へと導き、全てを森にかえす」

 と、その男は言った。その声には、絶対的な力があった。右目を閉じると、その男は祈りを捧げた。 


 そして、ゆっくりと右目を開けると、ミノスを見つめた。


「ミノタウロス。何か言いたげだな?」


「微力ながら、私はこのままアンセル様の力になりたいと思います」

 と、ミノスは言った。



「やめておけ。真実はアヤツの力でこうして生きながらえているというのに、その剣に聖なる泉の加護の力を宿して使い続けるのなら、お前の生命の火は消えていく。

 自身の身を守るのではなく、アンセルを守る為に聖なる泉の加護の力を宿すのはよせ。アヤツが刻み込んだ、その聖なる力は、お前には本来扱えない。

 お前は、魔物なのだから。魔物の力を、弱めていくぞ」


「貴方様の影を見た時から覚悟は出来ております。アンセル様の為に、生命を捧げます。老兵は、喜んで死にましょう」

 ミノスが覚悟のほどをしっかりと口にすると、剣が再び輝き出した。


「そこまで信じるほどの光か…」


「貴方様をお慕いしているのと同じく、アンセル様を愛し信じております。本当は、貴方様も…」


「ミノタウロス、その先の言葉を口にすることは許さぬ。

 しかし、それほど信じているアンセルに嘘をつき続けるのは苦しかろう」

 と、その男は言った。その男の厳しい瞳は、再びミノスの心を刺し貫いた。


「嘘では…全てを守る為、守らねばならない約束でございます」

 と、ミノスは声を振り絞った。

 アンセルと共に過ごしてきた日々が脳裏に浮かんだ。それを嘘だとは思いたくなかった。


「約束…か。その言葉でお前を縛ったのか。アヤツは、本当に残酷なことをした。

 よかろう。では、お前が、剣を握ることを許そう。

 この体にも慣れる必要がある。私の力にどこまで耐えられるのかを知っておかねばならない。

 安心しろ、お前には決して炎は使わぬ」

 その男がそう言うと、ミノスはようやく体を動かすことが出来た。


 ミノスは床に転がっている輝く剣を拾ったが、進み出ることが出来なかった。剣を握る手が、激しく震えた。

 2つの感情が、争い始めた。

 かつての魔王の穏やかな顔が浮かんだ。語りかけてくれた麗しい声が響いた。向けられた優しい言葉の数々。自分たちの為に流してくれた涙。暗闇の中で見た唯一の光。その日々もまた真実である。

 ミノスは、かつての夢を見たのだった。


 そう…ミノスは今もかつての魔王を深く愛していたのだった。


「どうした?いつまで、そうしている気だ?お前が手に持っているものは何だ?」

 と、その男は言った。

 

 ミノスは、それでも剣を握り締めるだけだった。


 その男が剣を掲げると、冷たい風が吹き、広場は深い闇に覆われていった。


 すると、その男はミノスの名を呼んだ。

 ミノスが顔を上げると、その男は穏やかな微笑みを浮かべていた。


「お前は自らの望みを口にした。

 私をクリスタルの封印に戻し、アンセルを助け出すのであろう?それが、アンセルをダンジョンの魔王と選んだ19階層主のお前の役割だ!

 私の力で、アンセルの魂は幽閉されている。己だけの力では、まだ檻から出てこれまい。

 アンセルは私とは違い心の優しい男だ。お前との絆を固く信じていた。

 早くせねば、アンセルの魂は砕け散っていくぞ。

 これから先、私はなんとしても、この体を貰い受けにいかねばならぬ。我が右手の準備は整ったのだから。

 さぁ、どうする?お前の剣を振りかざせ!」

 その男は大きな声で叫ぶと、ミノスはアクアマリンのように輝く剣の柄を強く握り締めた。


「私は、この生命にかえましてもアンセル様をお守り致します。お許しを!」

 ミノスは雄叫びを上げると、あらん限りの力で泉の加護の力が宿る剣を振り下ろした。


 その男は片腕で易々と、ミノスの剣を床に叩きつけた。剣には刃こぼれが出来たが、剣に刻まれた文字が光り輝くと元に戻っていった。

 ミノスの額からは大粒の汗が流れ落ちた。

 その瞬間、その男はミノスの生命の火がまた小さくなったのを見た。

 しかしミノスの瞳に強い覚悟が燃えているのを見ると、その男は鋭い剣先を向けた。


「それでよい。

 しかし、その程度の力ではアンセルには全く届かぬぞ。今、この時も、闇は色濃くなっているのだから。

 望みを持つのならば、私に力を示さねばならぬ。私に勝てぬ男に、世界は救えぬ。構えろ!ミノタロス!」 

 恐ろしい力のこもった声で、その男は言ったのだった。

 



 その時、アンセルは檻から出ようと戦っていた。恐ろしいことに鉄格子はじりじりと迫ってくるのだった。

 檻はどんどん小さくなり、自分を殺そうとしているのだと分かると、アンセルは叫び声を上げながら鉄格子に体当たりをした。

 しかし体が痛くなるばかりで、鉄格子はビクともしなかった。無駄なように思えたが、小さく蹲って死を待つよりかはマシだった。

 

 体にアザが出来るほどに体当たりをしていると、突然、後ろの鉄格子が大きな音を上げた。

 驚きながら振り返り、その鉄格子を見ると、徐々に曲がっていき、小さな男の子が出れるぐらいに形を変えていった。

 急いでアンセルもその鉄格子に力を加えた。

 ようやく外に出られるくらいに鉄格子が形を変えると、体を曲げながら鉄格子の檻から出たのだった。


 すると、この場所に眩いばかりの光が射して、アンセルは目を瞑ったのだった。


「アンセル様!」

 自分の名を呼ぶ大きな声を聞いたアンセルは目を開けた。


 徐々にミノスの顔が見えてくると、その顔は疲れ果てていて額の皺が増えたかのようだった。


 ミノスはアンセルの瞳を見つめた。アンセルを見つめるミノスの瞳からは涙が流れた。それは嬉しさと悲しみ、後悔と苦しみで流す涙だった。


 アンセルは驚きながらその瞳を見ていたが、その瞳に映る自らの変化に気付くと体がガタガタと震え始めた。


(あぁ…なんということだ。

 俺では…なくなろうとしている。両腕だけでなく、かつての魔王の力がどんどん広がっている…)

 漆黒の闇に覆われようとしているかのように、金色の瞳に黒い影が射していたのだった。


 

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