第40話 勇者と記憶



 アーロンとフィオンは宿屋まで競争するかのように馬を走らせた。宿屋に着くと、マーニャの様子を見に行くことにした。

 ドアをノックすると青い顔をしたエマが出てきて、悲しそうに首を横に振ったのだった。


「エマ、ずっとそうしていたのかい?

 大丈夫だよ。マーニャは良くなるから。君はもう休んだ方がいい」

 と、アーロンは言った。


「ありがとう。

 でもマーニャが目を覚ました時に、側にいたいの。体力はあるから、私」

 と、エマは言った。


「いや、休んだ方がいい。僕とフィオンが代わるよ。

 僕の部屋よりフィオンの部屋の方が片付いているから、そこで休むといい。マーニャが起きたら呼びに行くから安心して」

 アーロンはなんとかしてエマを休ませようとしたが、彼女はマーニャの側から離れようとはしなかった。


 アーロンが困った顔をしながらエマを見ていると、2人のやりとりを黙って後ろで見ていたフィオンが口を開いた。


「そうそう!

 そんな疲れた顔をしてたら、せっかくの美人が台無しだ」


「私が美人なわけないでしょう!?髪もボサボサで、こんな灰色の服を着てるのよ!」 

 エマが顔を赤くしながら否定すると、フィオンはアーロンを押しのけた。


「服なんて関係ない。エマは美しいよ」

 フィオンはいつもとは違う落ち着いた声で言った。


「弓を引く凛とした姿は、本当に綺麗だ。真剣な横顔は魅力的だし、それに…」

 フィオンがさらに褒め出すと、エマは耳をふさぎながら部屋をそそくさと出て行った。フィオンの部屋に入ると、ドアをバタンと閉めた。


「君って男は…どうしようもないな。そういうのはやめたらどうだ?その気になったりする女性もいるんだから」

 アーロンはドアを閉めながら呆れた声で言った。


「俺は仲間を褒めただけだよ。お前のことだって、気が向いたら褒めてやるよ。

 それに、この程度でそんな感情を持つわけないだろうが。そんな女には面倒臭くなるから言わねぇよ」

 と、フィオンは答えた。


 アーロンとフィオンはベッドまで歩いて行くと、目を閉じているマーニャの顔を見下ろした。彼女は朝と全く変わっていなかった。

 アーロンは心配そうな顔をしているフィオンと目を合わせてから、おもむろにベッドに両手をついて体を倒した。自らの額とマーニャの額を合わせると、ゆっくりと目を閉じた。


「おい!何をする気だ?」

 口付けをするつもりなのかと思ったフィオンは、慌ててアーロンの肩を掴んだ。


「マーニャの苦しみを感じてるんだ」

 と、アーロンは目を閉じたまま答えた。


「お前…大丈夫か?」

 フィオンはひきつった顔でそう言ったが、アーロンは真剣そのものだった。


 しばらくしてから、アーロンはゆっくりと体を起こした。


「僕は部屋に戻って荷物を取ってくる。君はここにいてくれ。君にいてもらわないと困るから」

 アーロンがそう言って自分の部屋に戻ると、小さな袋と水差しを持って戻ってきた。


「なんだ、それ?」

 と、フィオンは小さな袋を指差した。


「これか?この袋には特別な薬が入っている。

 役に立つかもしれないと思って、城から持ってきたんだよ。もちろん何も言わずにね」


「おい、見つかったらマズイやつだろ?」


「1瓶だけなら問題ない。どうせ、数え間違いぐらいにしか思わない。そういう連中だ」

 アーロンがそう言うと、フィオンは小さな袋を疑わしげな瞳で見た。


「大丈夫だ。僕はマーニャを守りたいだけだ。

 このままだといつ目覚めるか分からない。室のやり方は気に入らないが、これしかない。

 これ以上時間が経てば、マーニャの心はさらに苦しむだろう。光のない暗闇を、彼女は彷徨い続けている。

 だから、君がいてくれてよかった」

 と、アーロンは言った。


 アーロンは側のテーブルに水差しを置くと、袋の中から錠剤が入った瓶と透明な箱を取り出した。透明な箱の中から種を1粒取り出すと、素早く蓋を閉めた。

 腰に下げていた剣を抜くと、ベッドに立てかけるようにして置き、逞しい腕でマーニャを抱き起こした。

 アーロンはベッドに座ると、マーニャを膝の上で横抱きにして座らせた。


「君は黙って見ていて欲しい」

 アーロンは低い声でそう言うと、種を彼女の鼻に近づけていき指で押し潰した。


 すると、神経を刺激するような妙な香りが漂い始めた。


「マーニャ、目を覚ますんだ。

 大丈夫、何も怖くはないよ」

 アーロンがそう言うと、不思議なことにマーニャは目を開けた。だが心が空っぽのような虚な目をしていた。


「僕たちはマーニャに酷いことはしない。

 君を守りたいだけなんだ。

 だから、この薬を飲んで欲しい。自分で飲めるかな?」

 アーロンは優しい声で囁いたが、マーニャは虚な瞳をしたまま口を固く閉じていた。


「大丈夫だよ、マーニャ」

 アーロンは何度もそう囁いたが、マーニャはぴくりとも動かなかった。


「本当に辛かったんだね。

 では、僕が飲ませようか?

 それでいいのなら、もう一度目を閉じてもらえる?」

 アーロンがそう言うと、マーニャはゆっくりと目を閉じた。


「マーニャ…すまない」


 アーロンはマーニャのぷっくりとした下唇を長い指でなぞってから、中指と人差し指を合わせて下唇にあてがった。

 すると男の指を受け入れようとするかのように、閉じられていた唇が小さく開いた。


 アーロンは小さく開いた口を見ると、指の第2関節までをゆっくりと中に入れていった。傷つけないように優しく弧を描きながら中をかき回し続けた。固く閉じられていた口腔内を少しずつ広げていき、ある程度広げると濡れた指を引き抜いた。

 そして錠剤の入った瓶の蓋を開けて薬を取り出すと、薬を指の先で挟んだ。

 広げられてぽっかりと開いたままの口の中に、また長い指を今度は最奥まで届くように深く深く入れていった。

 中をゆっくりと掻き分けながら、その最奥まで辿り着くと指を左右に広げて錠剤を舌根にのせた。

 引き抜いた指は、マーニャの体液で少し糸を引いていた。


 アーロンは水差しを手にすると、尖った飲み口を彼女に咥えさせた。


「マーニャ、いいよ。飲んで」

 アーロンがそう言うと、マーニャの喉が動いて錠剤を飲み込んだようだった。


 アーロンは全てが終わると、マーニャをベッドに寝かせた。水で湿った唇を丁寧に紙で拭きとってから、耳を澄ませて呼吸が乱れていないことを確認した。


「マーニャ、しばらくお休み。

 薬を飲んでくれて、ありがとう。

 本当に、すまなかった」

 アーロンは悲しい顔をしながらそう呟いていた。


 フィオンは驚いた顔をしながら見ていたが、マーニャの頬に少し赤みがさしたのを見ると胸を撫で下ろした。


「フィオンが側にいてくれて良かったよ。

 こんなやり方しかなかったが、口移しよりかはいいだろう」

 と、アーロンは言った。


「すまん。俺のせいだよな…」

 と、フィオンは暗い顔をしながら言った。


「君のせいじゃない。ただ、溢れたんだ。

 次に目覚めたら、いつものマーニャに戻っているよ。

 君がマーニャの様子を見ていてくれ。僕は他にする事があるから先に部屋に戻るよ」

 アーロンはそう言うと、袋を持って部屋から出て行った。



 フィオンは椅子に座ると、頭を抱えながら自らを激しく責め立て始めた。


(俺の…せいだ…。怒りと憎しみに駆られて、自分を止められなかった。いつもの調子で殺した。こうなる事は分かっていたのに。人が殺されるのを見たことがない者にとっては…とても恐ろしかっただろう)

 フィオンが悔いていると、自分の名を呼ぶ小さな声が聞こえてきたので、パッと顔を上げた。


「マーニャ、ごめん!

 俺…恐ろしいものを見せてしまったな。あんなもの、見たくなかったよな。ごめんな」

 フィオンがそう言うと、マーニャはキョトンとした顔をした。


「あんなもの?一体何の事ですか?」

 と、マーニャは言った。全く分からないとでもいうような目をしながらフィオンを見つめたのだった。


「覚えて…ないのか?」

 フィオンが聞くと、マーニャは大きな目をパチパチさせながら、なんとかして思い出そうとしていた。


「あっ…すみません!

 魔力が切れたのが原因かもしれません。

 魔力が切れると倒れてしまって、その時の記憶がなくなってしまうんです。よくあること…なんです。

 フィオン様、心配させてしまって、すみません。ごめんなさい。驚かれたでしょう?私ったら……」

 マーニャは恥ずかしそうに両手で顔を隠しながら言った。


(盗賊のことを何も覚えていない…どういうことなんだ?

 魔力が切れると…記憶がなくなる?なんだよ、それ?どういうことなんだ…)

 フィオンにはマーニャの言葉が腑に落ちなかったが、目覚めたばかりの彼女に深く聞いてはいけないような気がした。


「マーニャ、俺は「フィオン様」なんてガラじゃないよ。アーロンやエマみたいに、呼び捨てで構わないから。

 目が覚めて良かった、俺はそろそろ行くわ」 

 と、フィオンは言った。


「分かりました、フィオン様」

 マーニャはそう言うと、布団を握り閉めながらフィオンを見つめた。その目は切なげで、フィオンは立ち上がることが出来なくなった。


「もう少しの間、フィオン様に…側にいて欲しいです。

 もし良かったら…フィオン様の手に触れたいです…」

 マーニャは声を震わせながらそう言うと、小さな手をフィオンに差し出した。


 フィオンは動揺した。今まで散々遊んできた女とはちがう純真さを感じると、その手を軽々しく握ることが出来なかった。


「俺の手は、汚れてるからさ」

 と、フィオンは明るい声で断った。


「こんな風に魔力が切れて…目覚めると、とても不安な気持ちになるのです。

 いつか…消えてしまうんじゃないかと思ってしまうのです。

 この旅ではなかったので安心してたんですが…。また急に切れちゃいましたので…不安でたまらなくなりました。

 私のような者の手を握るのは…嫌でしょうか?」

 マーニャはそう言うと、悲しそうな目でフィオンを見つめた。


「そんなわけないだろう」

 フィオンはたまらない気持ちになると、小さな手を大きな両手で包み込んだ。


 マーニャの手は、小さくて細くて冷たかった。


「やっぱり…フィオン様の手は大きくてあったかいです。

 アーロン様と同じ…ですね。騎士様のぬくもりを感じます」

 と、マーニャは微笑みながら言った。


「アーロンと…同じ?」


「はい。いつも背中で感じるぬくもりです。

 とても優しくて、私たちを本当に大事に思ってくださる…ぬくもりなんです。

 この旅に選ばれた時は、いろいろ不安でした。

 私なんかが勇者様のお役に立てるのか…足を引っ張ってイライラさせるだけなんじゃないかな…と思っていました。

 でも、どんなに迷惑をかけても、フィオン様もアーロン様も決して酷いことはしませんでした。

 いつも優しくて…本当に…物語で読んだあの騎士様のようです。強くて、かっこよくて、優しくて…」

 と、マーニャは頬を赤らめながら言った。


「きっと、あの騎士様はこんな手をされているのでしょう。

 フィオン様のように大きくて強くて、あたたかくて…。

 あっ、騎士様が悪者から世界を救う物語なんです。素敵でした…光をもたらしてくれるんです。

 エマ様は騎士様というより、優しすぎて姉様のようです。実年齢は、私の方がずっと上なんですけどね。エマ様の手は綺麗で、しなやかで。

 本当に、いつも…こんな私にも…優しくしてくれるんです」

 マーニャの声はだんだん震えていった。フィオンが手を離さないように少し強く握ると、すがるような目で騎士を見た。


「俺は、そんな立派じゃない。

 マーニャが思っているような騎士じゃない。ただの男だ」

 フィオンは自分を「理想の騎士」として見つめる純粋な目から逃れたくなった。


 純粋で綺麗なものほど眩しく、今まで自らがしてきた事を思うと恐ろしくなっていった。


「いいえ。フィオン様は立派な騎士様です。

 私には分かります。

 何度も私たちをその優しさで守ってくださいました。

 アーロン様は…王子様ですけど、私が知ってる方とは違いました。全然…別の方でした。

 だから、フィオン様とアーロン様は同じです。

 同じ…あの勇敢な騎士様です」

 と、マーニャは言った。


 その言葉は、アーロンへの疑念をまた小さくさせた。夢から覚めた彼女の瞳は美しく、とても言わされているようには思えなかった。心からそう思っているからこそ出た言葉だとフィオンには思えた。


「皆様と…お別れをするのが、悲しいんです。

 この旅が終わらなければいいな…と思う時があります。ずっと…6人で旅をしていたい。

 ダメですよね。世界が大変なのに。私は自分勝手な魔法使いです。

 でも…でも…この旅が終わっても、フィオン様は魔法使いの室に遊びに来てくれませんか?

 それなら、私、頑張れます。

 フィオン様が側にいてくれると思うだけで…私…。

 これが終わっても、私、フィオン様にお会いしたいです」

 マーニャはフィオンを見つめながらそう言うと、勇敢な騎士の手をもっと感じようとするかのように頬を近づけていった。


 騎士を求めるマーニャの心を感じ取ると、フィオンは耐えられなくなった。魔法使いの黒い瞳は、夢の騎士を求めているのだから。


「あぁ…また…また…」

 と、フィオンは途切れ途切れに言った。


(いつかは、会いに行ける。

 しかし時を間違えれば、全てが水の泡になってしまう)


「ありがとうございます。

 私、フィオン様が室の扉を開けてくれるのを待っています」

 マーニャが笑顔でそう言うと、フィオンは思わず目を逸らした。


「ごめん」

 と、フィオンは言った。その約束は、今のフィオンには出来なかった。



 すると、マーニャの顔がみるみる青ざめていった。 

 深い眠りから覚めて、頭がまだはっきりとしない内に理想の騎士を目の前にしたことで、今まで蓋をしてきた数々の感情が次々と出てしまったからだった。


「すみません!

 私…その…何を言ったんでしょうか?

 フィオン様は騎士団の隊長様で…任務でお忙しいのに、ごめんなさい。

 私、フィオン様のことがすきで…なんだか…つい言葉に出てしまいました。楽しかったので…えっと…私…本当に…ごめんなさい。

 フィオン様が謝らないで下さい。

 そんなことをされたら…どうしたらいいのか。

 顔を上げてください…フィオン様」

 と、マーニャは狼狽えながら言った。声に出してしまった言葉を恐れ、それをなかったことにしようと必死になっていた。


「私もフィオン様と同じように、これからもソニオ王国の為に精一杯頑張ります!精一杯、頑張ります!

 フィオン様と…同じですね。その思いは一緒ですから、フィオン様を近くに感じることが出来ます。

 それだけで十分です!

 本当に…精一杯、精一杯…頑張りますから」

 小さな魔法使いが必死にそう言う姿を見て、フィオンは震え上がった。


「もう、やめてくれ…」


「フィオン様?」


 フィオンはマーニャの手をゆっくりとベッドにおくと、椅子から立ち上がった。


「あんまり長い間、男が女の子の部屋にいるもんじゃない。

 俺は部屋に戻るよ。エマにも怒られる」

 フィオンが無理に笑顔を作ると、マーニャは寂しそうな顔をしながら首を横に振った。


「エマ様は、そんな事は思いません。

 それに、フィオン様はそんな事はしません。

 フィオン様は、ちがいます」

 マーニャはそう言ったが、体が恐怖を思い出したかのように小刻みに震えていった。


 その姿を見たフィオンの顔からは笑顔が消えていき、はらわたが煮えくり返りそうになった。


 これ以上無責任な事を言うと、目の前の女の子を深く傷つけてしまうかもしれない。自分ではどうあっても慰めることは出来ないと分かっていたので、フィオンは黙ったまま部屋を出て行こうとした。


「フィオン様…」

 マーニャは立ち去ろうとする騎士に駆け寄ったが、しばらく寝ていたので上手く歩けずに騎士の背中にしがみついた。


 逞しい騎士の背中を感じると、マーニャは涙を流しながら腰に手を回した。


「私が室の話をしたことは…お城の方には言わないで下さい。

 絶対に…どうか…お願いします。

 私がフィオン様に室の話をしたことは、どうか言わないで下さい。どうか…どうか…」

 と、マーニャは何度も繰り返した。


(この感じは…リアムと全く一緒だ)

 フィオンはそう思うと、心の闇がより色濃くなっていった。

 いつかの鋭利な爪が、彼の心を大きく切り裂いた。真っ赤な血が流れると、爪がもっと力を得ようとするかのように肉を喰らい始めた。


「約束する。誰にも言わない」

 フィオンはそう言うと、マーニャの手を取って向き直った。


「ありがとうございます…フィオン様」

 そう言ったマーニャの手も足もガタガタと震えていた。


「歩ける?」

 フィオンがそう言うと、マーニャは頷いた。だが、そんな力があるようには全く見えなかった。


「抱きかかえてもいい?」


「そんな…重いです、私。フィオン様に、そんなことまで…」

 マーニャはそう言ったが、フィオンは彼女を軽々と両腕で抱え上げた。


「怖くない?

 怖かったら、俺につかまってて。大丈夫だから」

 フィオンがそう言うと、マーニャは赤くなりながらも騎士の逞しい肩に手を回した。


 フィオンはマーニャを優しくベッドまで運ぶと、静かに寝かせてから布団をそっとかけた。


「エマを呼んでくるよ。マーニャ…ありがとう」

 と、フィオンは言った。


 フィオンは部屋から出ると、マーニャを抱き上げた感触に愕然としていた。当然ではあるが、今までフィオンが抱いてきたどんな女よりも軽かった。

 そして、その生命の火も今にも消えてしまいそうなほどに弱々しかった。





 フィオンはエマを呼びに行ってから、その足でアーロンの部屋に向かいノックをすることなく部屋に入っていった。


「ノックぐらいしたらどうなんだ?」


「だったら鍵をかけとけ」


「そろそろ来る頃だと思っていた。だから、今しがた開けておいた。待っていたよ。何か言いたい事があるんだろう?」

 と、アーロンは言った。


 その言葉を聞いたフィオンは無性に腹が立ってきて、アーロンに詰め寄ると左手を壁について右手で胸ぐらを掴んだ。


「一体どうなってる?」

 と、フィオンは低い声で言った。


「マーニャはな、俺が盗賊を殺した時の記憶が全くないんだよ。あんなの普通じゃない。

 あの抵抗出来ない体に、奴等は一体何をしているんだ?国王は、あの室で一体何をやっている?

 息子のお前なら知ってるだろう?魔法使いの室に入ったことがあるのはお前だけだ。

 俺の国の魔法使いのことを、お前に聞くのはおかしいかもしれない。けれど、3人とも一緒なんだ。

 ずっと何かに怯えていて、精一杯勇者に尽くさねばならないと刷り込まされている。なぁ、答えろよ」


 しかしアーロンは何も答えずに、フィオンを黙って見据えるばかりだった。


「お前、前に俺に言ったよな!?

 魔法使いと俺たちは違うと。アレと関係があんのか?

 どうなんだよ!

 アレは、どういう意味だったんだ!」 

 フィオンが険しい表情で迫ると、アーロンはようやく口を開いた。


「君が守りたいのは、君の隊員と仲間だけなんだろう?

 どうしてそんなに魔法使いのことまで必死になる?そんな事を知って、一体何になる?何かしてあげるつもりなのか?

 そうか…以前君は、魔法使いも仲間だと僕にはっきりと言っていたな。でも、そんな仲間でも、この旅が終われば仲間ではなくなるんだから知っても何にもならない。

 君には関係ないだろう?

 興味本位なら彼等の苦しみをより深くするだけだ。

 その力があるのに、魔法使いに残酷な夢を見させるだけの男に、何故僕が教えてやらねばならない?

 見ているだけならば、君も同罪だ」


「いいから、教えろ」

 フィオンは激しく苛立ち、胸ぐらを掴む手の力をさらに強めた。


 アーロンは目を閉じると、耳を澄ました。隣の部屋から物音がしないことを確認すると、ゆっくりと目を開けて、小さな声でこう言った。


「魔法使いは光の存在だ。僕たちは、そうではない」

 と、アーロンは言った。


 その言葉を聞いたフィオンは一瞬呆気にとられてから、瞳を怒りの炎で燃え上がらせた。


「光の存在?あんな事をされているのにか?

 俺に痛めつけられている腕の痕を見せておきながら、それでも光だと訳の分からんことをほざくのか。

 お前、ふざけんな!」


「僕はふざけてなどいない。僕は暗雲で覆われた光を彼等に取り戻し、もう一度彼等を真にあるべき光の存在にかえしたい。

 だから、アレをどうしても君に見せたかった。

 君がどう思い、どう考えるのかを知りたかった。

 魔法使いを…他の種族の生命をどう思っているのかを知りたかったんだ。

 その答えは、もう聞かせてもらったけれど」

 アーロンがそう言うと、フィオンの心に「光の存在」という言葉が強く引っかかった。


 どこかで聞いた…光…という言葉。

 光という言葉…魔法使い…。

 フィオンは世界一の魔法使いの名前を思い出すと、その名を口した。


「ユリウスと…関係があるのか?」


「ユリウスは、もうこの世界にはいない。

 だから彼等に救いはなく、人間の男から受ける酷い仕打ちを耐えながら生きている。

 いつの日か、あらわれる光を…夢見て。

 僕が言っているのは「救い」という名の光だ。

 それは決してその場しのぎではない。その場しのぎという、なんの救いにもならない優しさはいらない。だから僕はマーニャの為に大切な馬を売り、僕の考えを君に示した。

 僕は、彼等を照らす光を何としても取り戻したい。

 それは、僕だけの力では不可能だ」

 アーロンのグレーの瞳は爛々と燃え始めた。


「先程の発言は気に入らないから、謝罪して欲しい。

 僕は王の息子である前に、剣の騎士であり国を守るゲベート王国第1軍団騎士団隊長だ。

 僕は王の息子ではなく、剣の騎士の隊長の中から実力で選ばれたからここいる。何度も何度も同じ事を言わせるな!

 僕が一度でも魔法使いを傷つけたことがあったか?

 それでも君が王の息子としての僕に、魔法使いが何をされているのかを聞きたいのであれぼ、僕はその立場からは何も答えられない。

 けれど君が僕を剣の騎士であり剣の勇者であると認め、僕自身の言葉を信じてくれるならば、僕は答えよう。

 フィオンが、僕に、そう約束してくれるのならば」

 アーロンは険しい表情をしながら言った。


 しかし、フィオンは腕の力を緩めなかった。

 アーロンが「国王の息子」だという事実が、フィオンの心に警鐘を鳴らしていた。


 しかし、突然、マーニャの顔と言葉が浮かんだ。


「その約束をさせたいのなら、これから次第で考えてやらないことはない。

 今まで俺を散々イラつかせてきたんだ。

 信頼出来る男だと俺に思わせるような振る舞いが出来れば、お前を…アーロンという名の騎士を信じる。

 そうだな…先程の言葉を証明する為に、危険を顧みずに魔法使いを守るぐらいのことをすれば…」


「それならフィオンに言われなくても、もともとそのつもりだった。そんな簡単なことでいいのならば、最果ての森で証明出来る」

 アーロンはフィオンの言葉を遮って言うと、胸ぐらを掴んでいるフィオンの腕を強い力で掴んだ。


「では、その言葉を信じて、少しだけ教えてやろう。

 もう君は僕に約束したも同然だからな。

 それは全て、マーニャの叫びだ。感情を封じる恐ろしい注射の作用が切れ始めている。マーニャは最高級の薬を飲んでいるからな。

 届いたのか?君に、マーニャの叫びは。

 マーニャは君の国の魔法使いだ。だから君に助けを求めた。僕ではなく君に。

 ソニオ王国の最も強い槍の騎士の隊長に求めたんだ。君ならその力があると、心があると思ったんだろう。

 君という勇敢な騎士の隊長に助けを求めたんだ。

 もし奴等に知られれば、彼女は生命を落とすかもしれないのに。

 それでも小さな手を伸ばして、勇敢な騎士である君に助けを求めた。光を、求めたんだ」

 と、アーロンは力強い声で言った。


「確かに、盗賊を殺した時の君は恐ろしかった。

 その恐怖で、旅に出るまでに積み重なっていた人間への恐怖が溢れた。自己防衛が働いて、恐ろしい人間の記憶を消す為に、彼女は深い眠りに落ちて暗闇を彷徨っていた。

 恐ろしい記憶を自ら消しているんだ。そうでもしなければ、あの子は生きられない。

 それを「魔力切れ」と教え込まされている。

 僕は薬を使って、その暗闇から彼女を連れ戻した。

 しかし恐ろしい記憶は消えても、君が自分を助けてくれる勇敢な騎士としての姿は心に強く残ったんだ。

 そして魔法使いに酷いことをする男たちから助けてくれるかもしれないという希望を抱いた。

 君の光が、強烈に彼女の心に焼き付いたんだ。

 憧れていた夢の騎士の姿を君に見てしまい、強く焦がれた。

 君が盗賊に向けた恐ろしさ以上に、悪者に立ち向かう勇敢な騎士としての姿が、あの子の心に強く焼き付いたんだ」

 アーロンが真っ直ぐな瞳を向けながら言うと、フィオンの腕が震えた。


「どうした?ひどく苦しい顔をしているぞ。

 そんな顔をしていながらも、自分には関係ないとまだ言い続けるつもりか?」


「お前…」

 フィオンが掠れた声で言うと、アーロンは勝ち誇ったように微笑んだ。


「この先どんな話を君から聞かされようとも、君への信頼は変わらない。

 君も僕を信じて欲しい。

 僕には、どうしても君が必要だ。

 だから君の信頼を勝ち取れるように、これからは僕もそれに相応しい行動をする。決して嘘はつかないし裏切らないと約束する。僕は、騎士の剣に誓う」

 アーロンは力強い声でそう言うと、胸ぐらを掴んでいたフィオンの手を振り払い、自らの剣を握り締めた。


「マーニャは素直な良い子だ。

 君に自分を守ってくれる夢の騎士の姿を見たんだ。

 それを思うと…先日の君の恋人の気持ちが分かってきたよ。

 まだ若くて美しく、知性もあり財力もある。

 そんな女性を男は放っておかない。それこそ…いろんな男がな。

 だから、彼女は君を求めたのかもしれない。

 騎士団の隊長が彼女に言い寄れば、普通の男は諦めるしかない。そうなれば、いつの日か…頷かない彼女に痺れを切らして、力ずくで彼女を手に入れようとやって来るだろう。

 その事を思い悩んでいた時に、凱旋した君の凛々しい姿を見たのだろう。君は国民に評判がいい。君なら彼女の名誉も傷つかない。さらに女性を乱暴には扱わない。

 君と関係を持つのならば、他の隊長も彼女には言い寄れなくなるからね。彼女も君に、恐ろしい男たちから自分を守ってくれる騎士の姿を見たのかな。

 そして、いつのまにか本当に恋に落ちてしまい、君を愛してしまった。なかなか可愛い女性じゃないか」

 アーロンがそう言うと、フィオンは舌打ちをした。


「そんな事も分かってる!お前に言われなくても!」

 フィオンはアーロンに背中を向けると、苛々しながら自分の部屋に戻っていき椅子にドサリと腰掛けた。


 アーロンの言葉が頭の中を激しく駆け巡ると、フィオンは苦しみの声を発した。


 騎士が、己の武器に誓う。

 その誓いを破れば、自らに死を与えなければならない。

 これ以上はない騎士の誓いを、アーロンはしたのだった。


 フィオンはマーニャが自分を見つめる瞳を思い出しながら、騎士の槍を握り締めた。


(アーロンは…ゲベート王国の王の息子。国王は自分以外の人間を、ゴミ屑のようにしか思っていない。

 そうだ…あの夜を思い出せ。「1人だけ戻ればいい」と、ゲベートの国王は言っていたのだから。

 3つの国の国王は、クリスタルを恐れている。クリスタルだけでなく陸橋を恐れ、それ以上に三日月も恐れている。決して知られたくない「何か」がある。ダンジョンには秘密が眠っている。なんとしても破壊してしまいたい。それこそ王政を揺るがすほどのものを…。

 だからこそ王の息子であるアーロンが選ばれたのだと思っていた。さらにソニオの国王が俺の真意に気付いていて、ゲベートと手を組んで、俺を探ろうとしているのかもしれないと思っていた。

 だけど…分からなくなってきた。アーロンの瞳の奥底で燃える炎は、俺と同じ怒りと憎しみによるものだ。

 しかし、王の息子が「そんな事」をしようとするはずがない。

 簡単に、信用してはならない。「その為」に、俺は生きてきたのだから。どれだけこの手を汚し、復讐をやり遂げる為にここまで上り詰め、この地位を守り続けてきたのか。

 絶対に、失敗は出来ない。俺が殺してきた人たちへの償いとして、必ず果たさねばならない。「その為」に準備を進め、勇者となったんだ)

 フィオンは自らが歩いてきた道を思うと、鋭い騎士の槍をもう一度強く握り締めたのだった。

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