第37話 無邪気な子供たち


 アンセルは重たい瞼を開けた。頭はフラフラしていて、自分が何処にいるのかすらよく分からなかった。

 振り下ろされた剣を受け止めた瞬間、両腕からは凄まじい力を感じた。泉の加護の力に対抗したのだろう。全身が漆黒の闇に包まれると、全てを圧倒するほどの力を感じた。剣の輝きすらも消してしまうような力だった。

『これこそが魔王だ』と囁きかけると、アンセルは力をなくしその場に倒れたのだった。


 目を開けたが、アンセルは起き上がることすらも出来なかった。両腕の浮き上がった血管は、今もウヨウヨと動き続けていた。虚な目で天井を見ていると、自分を心配そうに見つめるリリィの顔が飛び込んできた。


「アンセルさま、大丈夫ですか?

 あの…マーティスさまが…アンセルさまを寝室まで運ばれたんです」

 リリィの言葉で、アンセルはようやく自分が何処にいるのか分かったのだった。


「あぁ…そうなのか…」

 と、アンセルは言った。


「あの…何かあったんですか?

 もう稽古の見学はしてはいけないと、ミノスさまから言われたんです。リリィはアンセルさまが心配で…」

 リリィは真っ青な顔で言うと、アンセルの額に浮かぶ大粒の汗をタオルで拭いた。


「リリィが、心配するようなことじゃないよ。

 俺は…大丈夫だから…もう…いいから」

 と、アンセルは掠れた声で答えた。この体は、かつての魔王に蝕まれている。リリィにも危険が及ぶかもしれないと思うと、これ以上彼女に触れられたくはなかった。


「そう…ですか。ごめん…なさい。

 では、リリィはミノスさまをお呼びしてきます」

 リリィは笑顔を作ると、元気のない翼でパタパタと飛びながら寝室を出て行った。


 リリィがいなくなると、アンセルは恐ろしい幻を見た。

 両腕から体の色は漆黒となっていき、その絶大な力のように体はどんどん大きくなっていった。部屋いっぱいに大きくなると、真っ黒な闇の中にいるような気持ちになった。

 何もかもが、ちっぽけに思えた。

 聖なる泉とかつての魔王を知り、泉の加護の力が宿った剣と自らの剣とを交えたことで、その力もまた大きくなってしまったのかもしれない。


 しっかりと心を持っていなければ、アンセルの魂はこっぱ微塵に砕け散るだろう。

 人間を滅ぼす為に自らの体が使われると思うと、アンセルは叫び声を上げながら起き上がった。


 ちょうどその時、リリィがミノスを連れて戻って来た。叫び声を聞いたリリィは怯えた表情をしていた。

 ミノスはアンセルの血の気の引いた顔と蠢く腕を見てから、リリィが座っていた椅子に腰掛けた。そしてアンセルが剣を受け止めた瞬間に倒れたこと、固く目を閉じたまま石のように動かなくなったことを説明したのだった。


「アンセル様、今日はゆっくり休んでください。ずっとトレーニングと稽古をするだけの日々でしたからね。

 何か好きなことをするのがいいでしょう。

 リリィ、アンセル様を頼みます」

 と、ミノスは言った。リリィが大きく頷くと、ミノスは寝室から出て行ったのだった。

 

 一方、アンセルはベッドの上で愕然としていた。石のように動かなくなったことが、自らの死が徐々に近づいているように思えてならなかったのだ。


(しっかり…しないといけない。もう一度…決心を固めて…頑張らなければならない。

 さもなければ…目を開けた時に、俺ではなくなっている時がやって来る)

 アンセルは身震いすると、ウヨウヨと動き続けている両腕の血管から目を逸らした。なんとも気味が悪かった。

 

「リリィ…お願いがあるんだけど…」


「何でしょうか?」

 リリィはそう言うと、アンセルを見つめた。


「皆んなの様子を…見に行きたいと思ってさ。元気にしてるのか…気になって。一緒に…行ってもらえないかな?」

 と、アンセルは言った。

 自分でも何故そんな事を言ったのかは分からなかったが、口が勝手に動いていた。仲間の顔を見たら頑張れると思ったのかもしれない。それとも闇が大きくなったこの部屋から、一刻も早く出たかったのかもしれない。


「はい、もちろんです」

 リリィは少しホッとしたような顔をしながら言ったのだった。




「各階層の工事は、順調に進んでいますよ。

 はじめは皆さま慣れなくて結構大変だったんですけど、今はとっても楽しんでいます。

 今まで喋ったこともなかった方と仲良くなって、友達にもなりましたし。明日、10階層まで工事が終わるみたいですよ」

 と、リリィは楽しそうに声を出した。


 しかしアンセルは何の返事もしなかった。リリィは不安そうな顔をしながら立ち止まると、ゆっくりと歩いているアンセルを振り返った。


「アンセルさま、大丈夫ですか?

 もう少し休んでからの方が…良かったでしょうか?」


「あっ…ごめん。大丈夫だよ。

 ほんと…ありがとう」

 と、アンセルは言った。その顔は青ざめていて、話を何も聞いていないようだった。


「アンセルさま…あの…手をつなぎませんか?

 リリィのお願いです。ダメでしょうか?」

 リリィはそう言うと、小さな手をアンセルに差し出した。


 その手は白くてあまりに清らかであったので、アンセルは蝕まれている手で触れてはならないと思った。


「心配してくれて…ありがとう。

 俺は、大丈夫だから」

 アンセルがそう言うと、リリィは寂しそうに手を引っ込めたのだった。


 そうして歩き続けていると、楽しそうな子供たちの声が聞こえてきた。クロコダイルを思わせる魔物がいる15階層についていて、子供たちは茶褐色の髪に深緑色の瞳と立派な尾が生えていた。


 アンセルとリリィの姿を見つけた子供たちは、大きな声を上げながら駆け寄ってきた。


「あっ!アンセル様だ!

 なんで、ここにいるの?デート?」

 元気いっぱいの男の子がそう言った。男の子の背丈は、アンセルの腰ぐらいだった。


「え?あぁ…皆んなが元気にしてるか見に来たんだ。

 ジェイミー、元気にしてたか?」

 アンセルはジェイミーの頭を撫でながら言った。無邪気な子供たちの笑顔を見ていると、不思議なことに蠢いていた両腕の血管がピタリと動きを止めたのだった。


「元気だよ!でも、おやつがなくなったから、すぐに腹が減るんだよな。ほら、またグゥって鳴った」

 ジェイミーはそう言うと、大声で笑い出した。

 音を上げて鳴り続けるお腹を押してから、アンセルのお腹にも触れた。


「うわぁー!なんかよく分かんないけど、アンセル様の体がスゲーことになってる!

 スゲーなぁ!もっと触らせてよ!」

 ジェイミーはそう言うと、アンセルの鍛え上げられた体を興味深そうに触り始めた。


「あぁ、凄いだろう」

 アンセルが笑いながら言うと、ジェイミーの母親が慌ててやって来て息子を引き離そうとした。


「ジェイミー!やめなさい!

 アンセル様、申し訳ございません」


「構いません。これぐらい」

 アンセルがニコッと笑うと、ジェイミーは嬉しくなったのか勢いよくアンセルに抱きついた。


「アンセル様、コイツ、僕の弟だよ。覚えてる?

 最近、少し歩けるようになったんだよ」

 ジェイミーはそう言うと、母親の腕の中にいる弟を指差した。


「もちろん、覚えてるよ。

 しばらく見ないうちに大きくなったな。そうか…歩けるようになったのか」

 アンセルは子供の成長に驚きながら言った。


「ねぇ、アンセル様、弟ともいっぱい遊んでよ!皆んなで追いかけっことかしよう!

 僕さ、アンセル様と遊ぶのが楽しみなんだ。

 だからさ、勇者を早く追っ払ってね!」

 ジェイミーは目をキラキラさせながら言うと、その場をグルグルと走ってみせた。


「あぁ、もう少し待ってろ。勇者を追っ払ったら、また遊ぼう。楽しみにしてろ!」

 と、アンセルは大きな声で言った。


 ジェイミーは母親の腕の中にいる弟を抱っこすると「ねぇ、アンセル様も抱っこしてやってよ」と言った。

 アンセルが弟を抱っこして高い高いをしてみせると、小さな弟は嬉しそうに笑い、ジェイミーは「もっともっと」とはしゃぐのだった。


「ジェイミー、やめなさい!

 アンセル様、申し訳ございません」

 と、母親は小さくなっていくばかりだった。


「大丈夫です。子供は可愛いですから。

 俺の方こそ、楽しんでいます。もう少しだけ」

 アンセルはそう言うと、ジェイミーの弟をさらに大きく持ち上げた。大切な生命の重みが、その手にズシリとのしかかった。


 しばらく遊んでからアンセルが帰ろうとすると、ジェイミーは名残惜しそうにアンセルにしがみついた。


「アンセル様!絶対、約束だよ!

 早く勇者を追っ払って、また遊んでね。楽しみに待ってるからね!今日は、ありがとう!」


「ああ!任せとけ!すぐにな!

 あっという間に、終わらせてやるから!」

 と、アンセルは自信満々に答えた。


「僕、本当に楽しみにしてるから!

 弟も、絶対忘れないと思うから!」

 ジェイミーがそう言うと、弟はまた高い高いをしてもらおうとアンセルに手を伸ばした。


 アンセルは弟を優しく抱き上げると、また数回上に持ち上げた。


「アンセル様、頑張ってね!」

 と、他の子供たちも笑顔になった。


「大丈夫だって!僕たちのアンセル様はスゲー強いんだから!あの体、見てみろよ!最強だぜ!

 なんたって、ドラゴンなんだから!!

 僕たちはアンセル様に守ってもらうんだから!勇者は炎にビビって、すぐに逃げちまうよ!」

 ジェイミーは満面の笑顔をアンセルに向けながらそう言ったのだった。


 アンセルは大きく頷くと、笑顔の子供たちに手を振りながら20階層へと戻って行ったのだった。





「大丈夫ですか?

 お顔が優れません。もうすぐ…お部屋ですから」

 と、リリィは言った。


 19階層まで戻ってきたところで、アンセルの足元はよろめいた。リリィは小さな体でアンセルを支えようとしたが、アンセルは「大丈夫だよ」と繰り返して拒否するばかりだった。

 子供たちの言葉は、アンセルの心を奮い立たせるのではなく、動揺と不安を抱かせたのだった。


「いい…気分転換になったよ。子供たちに会えて良かった。ありがとう。

 リリィ、心配するな。俺は大丈夫だから」

 と、アンセルは繰り返した。


 ヨロヨロとした動きで20階層まで戻って来ると、リリィはアンセルをそのまま部屋まで送ろうとしたが、アンセルは急に立ち止まった。


「ここでいいよ。

 俺は、大丈夫だから。ありがとう」

 と、アンセルは言った。リリィは心配そうな目を向けたが、アンセルは拒絶するばかりだった。


 アンセルはリリィの姿が見えなくなると、両手で顔を覆いながら、その場に座り込んだ。体が震えて止まらなくなり、全身が冷たくなっていくような感覚を味わっていた。


(心が痛い…締め付けられる。

 子供たちを…何があっても守らなければいけない。俺を信じてくれる子供たちを…絶対に守らなければならない。

 けれど…本当に守れるのだろうか?

 俺に、守れるのだろうか?)

 アンセルは何もかもが不安になっていった。


 自分を見る子供たちの瞳は純粋で、アンセルが本当に強い魔王だと信じていた。しかし、子供たちが思っているほど自分は強くはないだろう。かつての魔王の力の方が…遥かに強大だ。

 途端に心は真っ暗になっていき、不安は全てを飲み込む漆黒の闇となった。


『そう…守れやしない。

 このままでは、キサマは子供たちの笑顔を涙に変える。キサマが殺さずに守るなどと言っているからだ。

 騎士である勇者は「魔物を全滅させろ」という王命を受けているのだぞ。それなのに魔物を殺さないどころか、魔物の話を聞くとでも思っているのか?

 愚かな騎士は、王命に従うであろう。

 ならば広場の扉を開けた瞬間に攻撃してくる勇者を、強い魔王が迎え撃たねばならない。

 キサマは強い魔王ではないのだから、キサマが本当にしなければならないことが何なのか分かるだろう?』


「俺がしなければならないこと…?

 それは…魔王として仲間の生命を守ること…だ。

 なら…俺でなくても…いい…のか?

 いや、違う…俺でないと…いけない。お前は…人間を皆殺しにする。俺でなければ…ならない」

 アンセルが途切れ途切れにそう言うと、漆黒の闇はさらに濃くなっていった。


『キサマでなければならん訳ではない。

 強い魔王でなければならんのだ。

 キサマでなければならないと、誰が決めたのだ?』

 漆黒の闇が恐ろしい声でそう言うと、身を凍らせるような風が吹いて辺りは急に冷たくなった。


 アンセルがすっかり怯えると、途端に風はとても心地よいものへと変わっていった。

 その風は、アンセルを包み込んだ。風に巻かれるようにして立ち上がると、背中を押されるように封印の部屋に向かって歩き始めたのだった。


『そうだ、そのまま進みなさい。封印の部屋においで。

 君を苦しみから救ってあげよう』


「俺を…救う?」


『そうだ、アンセル。君を苦しみから救ってあげよう。

 君は苦しみから解放され、これで仲間も安全だ。少しだけ、目を閉じていればいいだけだから。

 仲間を守らねばならないのは大変だ。

 魔王の責任は、君には重すぎる。

 それなのに、本当によく頑張ったね。君は、とても偉かったよ。本当に、よく頑張ったね

 でも、いいんだよ。もう無理しなくて。

 もう、十分頑張ったんだから…』


「無理なんて…してない。それに…俺は…苦しんでなんて…」

 アンセルはそう言いながらも下を向いていた。


『いや、君は苦しんでいる。こんなにも苦しんでいるのに、誰も君の苦しみを理解していない。

「立ち向かえ」と言われる日々だろう?

 君はこんなにも苦しんでいるのに、こんなにも頑張っているのに… これ以上、どう立ち向かえというのだろうか?

 そんなの酷すぎるじゃないか。

 そんなの辛すぎるじゃないか。

 彼等は全く分かっていない。君がどんなに苦しんでいるのか本当は分かっていないから、そんな事が言えるんだ。

 本当に辛かったね。

 私は、そんな君をただ救いたいだけなんだ』


「ちがう!俺のことを分かってくれているし、いつだって支えてくれている。

 それに…俺を信じてくれているから…だから…」


『だから、何だい?本当に、そう思っているのかい?

 君を信じているわけではないよ。

 ただ魔王として生まれたのが君だったっていう、ただそれだけのことさ。

 それで君が負ければ、全ては君の責任だ。君が全て悪いということになってしまう。

 そんなの辛すぎるじゃないか。

 いや…君も悪いのかもしれない。

 仲間を守る力もないのに君が意地を張っているのだから、それで仲間が死んでいくのなら君の責任だよね。

 助けられる生命を、君のせいで死なせてしまうんだから』

 その言葉は、アンセルの心に無情にも響き渡った。


『君は、魔王としての力はないんだよ。仲間を守る為の切り札がないのだから。

 ドラゴンの炎を失ってしまったんだから。切り札がないのに、交渉なんて出来ないよ。

 だから、無理をしなくてもいいんだよ。

 私は君のことを、とてもよく分かっているんだ。君の中に入り、ずっと君を見守ってきたんだから。

 勇者と戦ったことがある私には、君が負けるということが分かっている。分かっているのだから、戦わせるわけにはいかない。

 大切な魔物たちが勇者に殺されるのは我慢出来ない。

 ねぇ…君と、一緒だろう?

 ならば私だけが、真に君の力になってあげられる。勇者を打ち負かす力を貸してあげられる。

 あの時、本当は君も感じたんだろう?

 本当は、とても気持ちが良かったはずだ。恥ずかしがらなくてもいい。男なら誰だって強くなればそう思う。力を手にすれば、そう思う。

 何者も、君に敵わない。

 大切な者たちを、守り抜けるんだ。

 だから、いいんだよ。

 素直になっても…私の力が欲しいだろう?』


「ちがう!俺が、魔王だ!

 だから、俺は俺の力で戦うんだ!

 俺が救うんだ!俺が勇者たちを説き伏せてみせる!」

 アンセルはそう叫んだが、その声はあまりにも弱くて泣き声のようだった。


『本当に説き伏せられると思っているのかい?

 魔王だから説き伏せられるとでも思っているのかい?

 その考え方は、浅はかだよ。人間を知らぬ考え方だ。

 勇者から見れば、君はただの一魔物だ。愚かな勇者は魔物が言葉を発する前に、矢を放つだろう。

 それに今まで一度も戦ったこともないのに誰も救ったこともないのに、上手くいくとでも思っているのかい?

 なんと…愚かな。

 そういうのはね、何度も戦いに勝った男が言う言葉だ』

 その言葉を聞いたアンセルは黙り込んだ。

 

 今まで何かに勝ったことがあるというのだろうか?

 幾度も駆け引きをしてきた、歴戦の強者に勝てるとでもいうのだろうか?


『勇者は愚かで恐ろしく、そして残虐だ。

 勇者たちが、同じ人間を一体どれほど殺してきたと思う?

 そう…同じ人間を、彼等は躊躇いなく殺すんだ。

 そんな人間が魔物の言う事なんて聞くとでも、本当に思っているのかい?

 殺しを何とも思わないのだから、もう感覚は麻痺している。

 そんなにも君は…愚かなのか?』

 その言葉を聞いたアンセルは両腕をガタガタと震えさせるだけだった。


『勇者は「戦い」を知っている。君がダンジョンにした小細工もすぐに見抜かれる。

 女子供にも容赦なんてしない。魔物である仲間は嬲り殺しにされる。

 君は、斬られる痛みを知っているだろう?君の体は特別だから大丈夫だけど、仲間はどうかな?

 仲間は斬られたら死ぬしかない。誰も生きてはいられない。

 アンセル、君に耐えられるのかな?

 君のせいで、仲間が苦しみながら殺されるのをさ』

 その言葉を聞いたアンセルは今まで積み重ねてきたものが、何もかもが疑わしく思えた。

 

 殺さずに守るとは…それは希望があっての言葉だ。勇者が心ある騎士ということが前提だろう。

 勇者が、獰猛な人間であれば話は変わってくる。

 勇者と戦ったことのある、かつての魔王の方が「人間」をよく知っている。

 あの時の弓の勇者の姿が、アンセルの脳裏に浮かんできた。

 かつての魔王の言葉の前では、自分の言葉など何の力もないように思えてならなかった。


『でも、大丈夫。一つだけ、方法がある。

 一つだけあるんだよ。

 私と共に戦おう。かつての魔王と今の魔王が一緒になるんだ。

 それは、おかしなことじゃない。

 むしろ、こうなる運命だった。

 だから、私は目覚めたんだ。

 そうだ…私を受け入れれば…私が「アンセル」として仲間を救ってあげてもいい。

 絶大な力がある私が「アンセル」として、仲間を救うんだ。

 私が、君の魔王としてのプライドも、男としてのプライドも、何もかもを守ってあげる。

 見た目は君のままなんだから、誰も気付かない。君のことを知り尽くしているから、その通りに振る舞おう。

 そして全てが終われば、また君に体を返してあげる』

 その言葉を聞いたアンセルは、また体から凄まじい力が湧き起こってくるのを感じた。


 この力があれば、勇者など一瞬で蹴散らせてしまえるだろう。子供たちの願いを叶えてあげることが出来る。

 見た目は、アンセルのまま。

 アンセルが、仲間を救うのだ。


『そう…「誰に」とは…大事なことじゃない。

 救われることが、大事なんだ。

 君が救うとかは、本当は仲間にとってはどうでもいいんだよ。救われたら、それでいいんだよ。

 だって、救われなかったら意味がないんだから。

 逆の立場なら、君だってそう思うはずだ。君が救いたいと思うのは、君の願いだ。

 ただの願いだ。だが願いとは、力がなければ叶えられない。

 それぐらい、分かるよね?』

 その言葉を聞いたアンセルは目の前が真っ暗になっていった。闇のように黒く、心にある希望の全てを飲み込もうとしていた。


『約束しよう。

 全てが終われば、全てを返してあげる。

 その手で、仲間を救ったということには変わりない。

 そうすれば、君も愛しい者と一緒になれる。

 一つになれる。

 それから仲間とこのダンジョンで幸せに暮らせばいい。大丈夫だ。私の力ならば、誰も気付かない。

 約束するよ。誰にも気付かせない。

 秘密にしよう。私とアンセルだけの「秘密」だ。

 絶大な力をあげよう。誰もが恐れる力だ。神の領域を感じるといい。

 私が、アンセルにもう一度触れればいいだけなんだよ。

 今の君なら、ほんの一瞬だ。痛みはない。体の準備は、もう出来ている。すぐに終わらせてあげるから。

 私が、アンセルとして、全ての願いを叶えてあげよう。

 そう…いい子だ。そのまま、おいで…』

 その声は、とても甘美なものに聞こえるようになった。


 アンセルは不思議な力に手を引かれるように数段の階段を下りてからアーチをくぐり、また階段を下りた先の冷たい廊下を風のように歩いていた。


 そして彼の目には、クリスタルが封印されている石の扉が見えたのだった。


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