第23話 剣の稽古の変化
その日は、剣の稽古に挑むアンセルの様子がいつもとは違っていた。
自信を持てと何度言われても、地獄のような稽古に心も体も疲れ果ててしまい、斬られた傷は治ろうとも自信は滅多刺しにされていた。
だが今の彼の目には光があり、背筋もしっかりと伸びていた。昨日のリリィの言葉によって、アンセルは強く勇気づけられたのだった。
振り下ろされた剣を防げずに体を斬られる度に、暗い気持ちになるのを止めることにした。
自分は確かに前に進んでいるのだと認めることにし、新たな一歩を踏み出す為に考え方を変えることにしたのだった。
(斬られるのは悔しいし、とてつもなく痛い。だから全てを防ごうとしていたが、今の実力では無理だ。
だから、この際もういいじゃないか)
アンセルはそう思い直すと、ミノスの剣の使い方をしっかりと見ることにした。繰り出される一振り一振りを、ちゃんと見るようにしようと決めたのだった。
今までは防ぐことだけに心が囚われていたので他の事を考える余裕はなく、相手の剣さばきを落ち着いて見ようとは思えなかった。その瞬間に、精一杯だったのだ。
(相手が次にどう出るかを全く予想もせずに、ただ振り下ろされる剣を追っていたんだ。
あんなに剣を交えながら、俺は何をしていたんだろう?
今のままだと、これ以上は前に進めない。
もっと先に進みたい…もっと、もっと強くなりたい。皆んなを守れる…絶対的な強さが欲しい)
アンセルは強くそう思い、今以上の力をまた欲したのだった。
「アンセル様、稽古を始めましょう」
ミノスはアンセルの瞳を見ながら言った。
「お願いします」
アンセルは剣を鞘から抜いて構えると、ミノスをしっかりと見据えた。
稽古が始まると、今日もミノスはアンセルに勢いよく剣を振り下ろした。
アンセルは落ち着いてさえいれば、何度も何度も剣を交えてきたことで、剣への恐怖心がいくらか薄らいだことに気づいたのだった。
するとミノスが剣を扱う動作を、最初から最後までじっくり見ることが出来た。自分がどういう動きをしているのかについても考えることが出来るようになり、足捌きにも注意を向けられるようになっていった。
(どんなに強くても…俺よりはるかに強くても、同じ者から繰り出される剣技には何らかの癖や共通する動きがあるはずだ。
今日は、それに集中する。
ミノスさんの剣技を、しっかりと見るんだ)
アンセルはどれだけ斬りつけられようが、その事に集中し続けた。
すると恐怖という感情は溶けていき、この戦いに集中することが出来たのだった。
昨日までとは違うアンセルの目の輝きと動きに、ミノスはすぐに気付いたが、何も言わずに剣を振り下ろし続けた。
アンセルは沢山斬りつけられたが、不思議な事に体から血が流れることはなかった。斬られた箇所は確かに痛かったが、皮膚を斬るまでには至らなかった。
それは、心の在り方が変わったからだろう。
アンセルの心が変わったことで、マーティスが施した魔術の力が大きく働いたのだった。ようやく本来の体へと近づく為の一歩を踏み出したようだった。今日のアンセルの体は、ドラゴンの鱗のように強靭だった。
ミノスはアンセルの体の変化にも気付くと、剣を振り下ろすのを止めた。
「今日は、どうされたのですか?
何らかの強い決意を感じます。何を考えているのですか?」
と、ミノスは言った。
「少し気付いたことがあります。
今日は、それに集中することにしました」
と、アンセルは力強く答えた。
「それは一体どういう事ですか?」
と、ミノスは聞いた。
「明日になれば、示せます。忘れていた事を思い出しました。俺もようやく前に進むことが出来そうです」
アンセルが明るい表情で言うと、ミノスは剣を鞘に納めた。
「では、明日、楽しみにしておきます。
今日はこの辺にしておきましょう。考えを整理する時間も必要でしょうから。
それを示す為でしたら、どんな手を使っていただいても構いません」
「ありがとうございました」
アンセルはそう言うと、剣を鞘に納めたのだった。
今日の稽古で、アンセルはようやく色々なことが分かった。ミノスは剣を振る動作を止めることなく、剣の動きと勢いを保持していて、攻撃の仕方にはいくつかの種類があった。斬り付けてくるか、刺突してくるか、剣を押しつけて引き斬りをしてくるかだった。
アンセルの構えによって、攻撃方法を変えていることも分かった。右肩上で剣を構える時には、ミノスは肩から反対側のわきの方へ斜めに剣を振り下ろし、その度にアンセルの構えは崩され斬られていたのだった。
また頭の右側に剣を構えて切先をミノスの顔に向ける時には、ミノスは左から右あるいはその逆から剣を振り下ろし、アンセルは構えを崩され斬られていたのだった。
さらに剣を腰に引きながら切先をミノスに向ける構えの時には、目線で狙ってくると思った部分とは違う部分を狙われて斬られていた。これを防ぐのが、一番難しそうだった。
しかし落ち着いて相手の動きを見れば、いくつかの対応策はとれそうな気がした。
(手取り足取りは、教えてくれない。
自分で、考えなければならない。
そうだ…いろんな事を考えながら、勇者に備えなければいけない。勇者と戦うのは、俺なのだから)
アンセルはそう思うと、剣を握り締め素振りに励んだのだった。
*
次の日、アンセルは強い思いで、剣の稽古に臨んだ。
「アンセル様、稽古を始めましょう」
ミノスはアンセルの瞳を見ながらそう言うと、いつものように勢いよく剣を振り下ろした。
広場には金属音が鳴り響き、アンセルの声と息遣いが合わさり、流れる空気はどんどん緊張していった。
アンセルはいつも以上に真剣な眼差しで、ミノスの鋭い剣を見ていた。何度か剣の攻撃を防いでから、昨日感じたことが間違いないと確信すると、ついに行動に移すことにした。
(今日こそ、俺は前に進んでやる!
心を落ち着かせろ。相手に、やろうとしていることを気取られるな)
と、アンセルは心の中で繰り返していた。
ミノスが右足で踏み込み剣を振り下ろしてくると、アンセルが素早く防ぎ、お互いの剣と剣が火花を散らしながら交わった。
どちらも引かずに鍔元まで受け止めて押し込み合い、激しい鍔迫り合いとなると、アンセルは体勢を崩されないように必死で踏ん張りながらチャンスを待った。
覚悟を決めたアンセルの姿は、いつになく雄々しかった。ミノスの手を掴んで逞しくなった腕で投げ飛ばしてやろうとしたが、さらに強く押しこめられて力負けすると、体勢を崩されたアンセルはよろめいた。
けれど、アンセルは負けじと瞬時に体勢を立て直した。次のミノスの攻撃に備えて、力強い瞳で剣を構えた。
(今のがダメなら、次の手に出てやる!何度でも、何度でも!)
と、アンセルは心の中で叫んだ。
その様子を見たミノスも笑みを浮かべた。
ミノスはまた勢いよくアンセルに剣を振り下ろしてくると、アンセルも雄叫びを上げながら防いだが、先程よりもはるかに強い力でミノスは剣を押し込んできた。
剣と剣は耳をつんざくような金属音を上げながら火花を散らして滑りおり、お互いの鍔元まで押し込んだ。
すかさずアンセルはミノスの剣の柄頭をとって捻り、剣をミノスの手から取ろうとしたが、ミノスも負けじと左足でアンセルを蹴り上げた。
しかしアンセルは蹴り上げられても、決してその手から剣を離さなかった。
(俺は、以前とはちがう!
もう、弱くなんてない!
強くなった。そして、より強くなっていくんだ!)
アンセルは自らを奮い立たせながら剣を握り、果敢に挑んでいった。
稽古は激しさをより増し、アンセルとミノスは声を上げながら、互いの剣をぶつけ合い激しく火花を散らし続けた。
男たちは、剣を鍔元まで押し込めあった。ミノスが一歩踏み込もうとした瞬間、アンセルは足捌きを見ながら懐に飛び込んだ。懐に飛び込むとアンセルはミノスの体を掴んで、雄叫びを上げながら投げ飛ばした。
そして、アンセルはミノスが落とした剣をついに拾い上げたのだった。
「よしっ!」
と、アンセルは大声で叫んでいた。
ミノスが振り下ろし続けた剣は数えきれないほどだった。
たった一度の勝利だったが、アンセルにとっては大きな一歩だった。
アンセルは倒れているミノスを見ると自らの剣を鞘に納め、ミノスの剣を握ったまま、起き上がろうとするミノスに手を差し出した。
するとミノスは驚いた顔をしたが、口元に微笑みを浮かべると、アンセルの手を握り締めて起き上がった。
アンセルは成功したことをとても嬉しく思いながら、ミノスと握手を交わしたのだった。
「アンセル様、上達しましたね。力だけに頼らずに、いろいろ考えられたのですね。予想していたのとは違った方法だったので驚きました。
やはりミノタウロスとドラゴンでは、本来の力に天と地ほどの差があります。これから先もっと強くなられます。
私も嬉しいです」
と、ミノスは言った。大袈裟にも思えるような褒め言葉だが、アンセルはとても嬉しかった。
「どうして懐に飛び込んだ時に、私を斬らなかったのですか?それも、出来たでしょうに。
私は遠慮なくアンセル様を斬ってきました」
と、ミノスは言った。
「この稽古は、俺から頼んだことですから。
ミノスさんは師であり仲間でもあります。俺はダンジョンの仲間を守る為に剣を使います。だから俺がミノスさんを斬ることは、稽古であってもしたくありません。
もともと勇者にも傷を負わさない戦い方、殺さない戦い方を選んでいます。傷つけるのは簡単です。けれど人間の場合は斬れば死に至ります。
それは、やりたくない。それに慣れてしまうと、何かが変わってしまう気がするのです。
たとえ稽古中でも、マーティスの魔術があるとしても、俺はしてはいけない気がするのです」
アンセルがそう言うと、ミノスはアンセルの顔をしばらく見つめた。剣を握るアンセルは心も逞しくなっていて、その言葉にも力があるように感じられた。
「そうでしたか。
では、アンセル様はそのようにして下さい。
私は今まで通りやらせていただきます。
この調子でいけば、勇者とも対等に話し合えるようになりましょう。
明日からは、弓の稽古も始めていきましょうか」
ミノスはそう言うと、マーティスの方に目を向けた。
アンセルがマーティスを見ると、マーティスもアンセルの成長を喜んでいるようだった。
微笑みを浮かべながら稽古を見ていたが、琥珀色の瞳は剣を握る腕に向けられているようにアンセルは感じた。
(ここ数日、マーティスは壁にもたれながら稽古を見るようなことはしなくなった。
マーティスは、いつも何をしているんだろう?
魔術をかけたら、今のようにリリィがいないのなら、途中でいなくなってもいいような気がする。
塗り薬をくれてから、どんなに斬られようとも魔術を施そうとはしてこなかった。
何かを待っているかのように或いは何かが起こった時に備えているかのように白き杖を握り締めている。
俺を見つめる…あの瞳…)
アンセルの胸がざわつくと、視線を向けられていた腕がゾワゾワとしてきた。
ゾワゾワしていた腕が急に重たくなっていくと、胸のざわつきは徐々に不安となり、得体の知れない恐れへと変わっていった。
恐れは彼の心を掻き回して、黒い渦を作り出した。その黒い渦は、以前よりも遥かに大きくなっていた。
黒い渦はアンセルに襲いかかり、さらなる進化を遂げようとするかのように、不安と恐れを大きくさせるような轟々とした音を立て始めた。
一つ乗り越えたはずなのに、稽古に臨んだ時の気持ちは、遥かに大きくなっていた黒い渦によって簡単に飲み込まれた。
嬉しい気持ちは完全に消え失せて乗り越えた事ですら、とても小っぽけな事のように思えた。この程度で喜んでいて、勇者に敵うはずもないとすら思った。
アンセルはビクリと体を震わせると、黒い渦に巻かれたかのように腕は感覚を失っていったのだった。
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