第47話:魔術師の戦い

 アミュレが、すう、と深く息を吸った。


 戦闘者としての魔術師の訓練は、まず『精神集中コンセントレイト』という魔術の習熟から始まる。平時においても魔術の発動が早くて困る事はない。だが、戦闘中はその速さの重みが段違いに跳ね上がる。

 闘気を操る技法は気功術と呼ばれるが、それはあくまで技法を体系化する為。野に生きる魔物とて闘気は扱える。悠長に魔法陣を描き、呪文を唱えていては、命が幾つあっても足りない。


 『精神集中』の魔術は、戦闘時における速さのスタートラインに立つ為の魔術であり――言霊魔術トルゥーワードの基礎とされる呪文スペルだった。


 言霊魔術には、神がこの世に生み出した――最古の遺物を利用する。

 言葉である。「神は「光あれ」と言われた」という伝承があるように――言葉とは、神が世界創造に用いた、最古の遺物。魔力を込めてそれらを読み上げる事で、世界を限定的に書き換える。


 つまり『精神集中』は、自身の集中力を跳ね上げる為の魔術。

 そうして、心の中だけで秘文字ルーン魔法陣サーキットを描いたり、他の呪文を唱える事を可能とするのだ。


 加えるなら――言葉の意味とは、それを紡ぐ者が定めるものである。

 「死ね」と、遊び半分にほざく者もいれば、燃え盛るような憎悪を込めて叫ぶ者もいる。その為、呪文は術者の修練や気質によって短縮――或いは、延長出来る。

 『精神集中』の呪文も、魔術師ごとに異なる言葉で発動出来るよう訓練するのが――自分にとって最も、心を奮い立たせ、研ぎ澄ませる言葉をもって発動させるのが、通例だった。


「もう……『誰も死なせない』」


 それが、アミュレの『心を研ぎ澄ます為の言葉キー・ワード』だった。


 直後、亡者アンデッド達が同時に動いた。一体は剣を振り上げ、一体は拳を固め、一体は槍を引き絞り、アミュレへと襲いかかる。

 極度の集中状態にあるアミュレには、それらの動きがはっきりと見えていた。


 ――この身は木の葉。風に身を委ね、踊る木の葉。風よ導け、幸なる道筋。


 心中にて唱えたのは、『幻妖舞踏エアリアル・ステップ』。

 風属性の魔力を身に宿し、木の葉のように宙を舞う、身体操作術。

 頭蓋を断ち切るような重い斬撃を、アミュレはふわりと後方へ飛んで躱す。

 追撃に放たれた回し蹴りも、まさしく木の葉の如く軽やかな宙返りで回避。

 直後、眼前に迫る槍の一閃――


 ――万象焼き尽くす大火。渦を巻き、収斂せよ。我が敵を射ち、そして爆ぜろ。


 槍がアミュレに届くよりも早く、杖から放たれた『炸裂火球エクスプロード』が亡者を直撃。球形に圧縮された業火が爆ぜ、亡者の五体を飛散させ、土に還した。


 魔術師は、己の肉体を魔術や精霊に委ねて自動で制御する事が出来る。つまり――術者の集中力は全て、状況把握と戦術構築、魔術の行使に割く事が出来る。

 故に、身体強化で魔術師に勝る闘士でも、時に遅れを取るのだ。まさにたった今、手練の槍使いの放った突きが、非力な魔術師に届かなかったように。


 ――よし。着地までに、もう一人やれる。


 魔術師と言うと、多くの者は大砲のような役回りを想像する。

 後衛に立って高火力を発揮する為の闘法ジョブであると。

 実際、冒険者達の間や国軍においても、そのような運用法が主流ではある。


 ――万象焼き尽くす大火。弾幕と化せ。我が敵を追え。息つく暇もないように。


 だが、達人級の魔術師は――それだけには収まらない。

 半自動の身体制御。事前に防御魔術を帯びていれば、守りも堅い。

 思考速度の加速によって戦術の裁定も速く、高精度。

 更には思念一つで多種多様な攻勢を繰り広げられる。

 

 つまり、戦闘者としての訓練を十分に積んだ魔術師は――時計仕掛けの如き、怪物と化すのだ。


 杖から業火が溢れ、分離――数十発の弾丸と化して、拳法家の亡者へと襲いかかる。亡者の、未練と怨念を帯びた拳がそれらを叩き落としていく。

 しかし――そうしている間にも、アミュレは次の魔術を構築出来る。


 ――風よ集え。束ね束ねて、敵を斬り裂け。


 放たれた風の斬撃が、亡者を上下に切断。

 落としきれなかった火弾がそこに殺到、炸裂した。

 そうしてアミュレは、事も無げに着地を果たした。

 激しい動作によって外れかけた銀縁の眼鏡を、左手で抑えるほどの余裕を持って。


「……残るは、あんただけ」


 アミュレの言葉は、亡者には理解出来ない。

 だが、その言葉に応じるように、亡者は剣を振り上げた。

 そして踏み込まないまま、切り下ろす――瞬間、空を切る漆黒の斬撃。

 未練、怨念、執着――邪気によって構築された気刃。


 アミュレはそれを、ゆらめくように体を倒し、回避。

 しかし背中は地につかない。左足のみで、姿勢を残している。

 筋力ではない。己を木の葉となぞらえた言霊魔術の力である。


 一方で――亡者も、気刃を躱された事に惑わなかった。

 むしろアミュレがそれを躱した瞬間、鋭く前へと踏み込んだ。

 彼女の回避術は、あくまで魔術による身体の半自動運転。

 つまり――攻撃を仕掛ける側が、対手の動きを御しやすい。


 胸元を横薙ぎに斬り付け、重心を落とさせて――そこに打ち込む、渾身の切り下ろし。木の葉の如く舞おうとも、関係ない。あまりに鋭い一撃には、彼女の回避術も追いつけない。それは先の槍使いを、初撃を打たせず仕留めた事から分かっている。


 無駄のない動きと戦術。

 亡者と化して理性を失っても、培った戦闘の勘は本能に染み付いていた。

 そして――


 ――蒼穹の帳、生死の隔て。彼の者は去りし者。風よ掻き消せ、あまねく未練。


 刃はアミュレを斬り裂く事なく、空色の風に弾かれた。

 『安置エンシュライン』の魔術――死して天に登った者が、決して地上に触れる事が出来ないように、魔術によって「天空」を纏い、対手を阻む結界術。天空という概念を顕在化させる、高等魔術である。

 シズの正拳すら一度は阻む結界。

 死霊魔術と邪気により強化された斬撃とて、斬り裂けるものではなかった。


 ――眠れる明日の刃、地より溢れろ。汝の名は槍である。我が敵を貫け。


 直後、地面から十数本の槍が生えて、亡者を貫いた。

 穂先は胸を貫通して、その内の数本は頭部にまで届いている。

 どう足掻いても身動きは取れない――が、それだけでは亡者は滅びない。

 邪気によってこの世に囚わた、その魂を解放しない限りは。


 アミュレは、魔術師であって神官ではない。

 当然、鎮魂の儀法など知らない。

 だが――死者の怨霊を祓う術は、何も神への祈りだけではない。

 誰だって、魔術の心得がない者だって、知っている事だ。


「……炎よ、彼の者に導きを。その煙を、魂を、在るべきところへ」


 炎属性は、亡者アンデッドに極めて高い効果を示す。

 身動きの取れないまま火炙りにされた亡者は――しかし一切、藻掻こうともしない。理解しているのだ。自分が、救われようとしていると。

 そして――不意に、亡者の体が崩れ落ちた。

 死霊魔術に縫い留められた魂が抜け落ちて、ただの土塊と化したのだ。


「……どうか、安らかに」


 アミュレが、そう呟いて――ふと土塊の中に、微かに光るものを見つけた。

 金色の、しかし薄汚れた冒険者証。恐らくは死霊魔術が発動した際に、怨念の核、魂のくさびとして、この森のどこかから召喚された物だった。


 金色の鑑札。それを見ると、アミュレは嫌でも思い出す。

 三年前、それを見せびらかすようにして魔術師を嘲っていった、名も知らぬ冒険者を。この鑑札も、もしかしたら、そういう連中の持ち物だったかもしれない。

 そんな考えが一瞬脳裏によぎる――その場で、膝をつく。土と、黒ずんだ血の汚れた鑑札は、ともすれば見落としてしまいそうな、縋るような輝きを発していた。


「……心配しなくたって、連れて帰ってやるよ」


 その孤独でか細い輝きを見ると――アミュレはそれまで抱えていた憎悪が、どうしてか急に、酷く矮小なものに思えた。

 アミュレは柔らかな微笑みを浮かべると、薄汚れた鑑札を拾い上げた。


『――すまなかった』


 不意に、どこからか声が聞こえた。

 アミュレが周囲を見回す。だが――どこにも、誰もいない。

 半信半疑といった様子で、手の中の鑑札を見下ろす。


「……もう、いいよ。過ぎた話さ」


 そして誰にともなく呟いて――立ち上がった。

 戦闘時間は僅か一分程度だったが、西田やシズの脚力なら、一分もあればキロ単位で移動出来る。二人が既に召喚魔法陣を見つけ出している可能性すらある。

 早く、追いつかなくてはと――アミュレは風に身を委ねて、地を蹴った。


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