第29話:絶影

 細く短い角。蛇のような、金と銀のオッドアイ。

 漆黒の外套を身に纏った、殆ど黒に近い暗緑色の肌をした緑鬼。

 その緑鬼は、他の個体とは明らかに、ものが違った。


 手斧を振りかぶり闘気に攻め気が宿るまで、西田とシズでさえ、その存在に気付けなかった隠遁術。アミュレを庇いながらだったとは言え、西田の拳を容易く躱し、反撃さえしてのけた戦闘勘。

 そのどちらも、緑鬼――絶影が卓越した使い手である証明だった。


「……見事な反応です。あの一瞬で彼女を守りながら、私を退けてみせるとは」


 加えるなら今も――西田の剛腕に振り回され、払い除けられても、容易く受け身を取り、起き上がろうとしている。何者かは分からない――だが自由に動き回らせていい相手ではない。

 咄嗟に、シズが追撃を仕掛けた。

 瞬時に間合いを詰め、放たれた、稲妻の如き貫手。


 対する絶影シャドウリーパーは後方へ飛び退き回避。

 シズが更にそれを追わんと一歩前へ出て――その眼前に迫る手斧。追撃にカウンターとして置いておく形で、絶影は手斧を投擲スローイングしていた。


「ちぃ!」


 シズの手刀が、辛うじてそれを弾く。

 反応が間に合ったのは、王都練兵場にて一度、メイジャの投擲を受けていた為だ。


「あなたの動きも、素晴らしい。闘気の鍛錬は十二分と見える。ですが、それだけでは……私の脅威にはなり得ない。ふむ……」

「うるせえな。駄目出ししてんじゃねーぞ。舐めてんのか」


 西田は、右手の傷が塞がるのを待たず、左手のみで剣を抜く。

 柄を逆手で引き抜き、半ばまで出た刃を指先で掴み、完全に抜剣。

 それを手元で回転させて、柄を掴む。


 敵は明らかに猟兵レンジャーとして、達人級の腕前がある。いくらシズが達人級の拳法家だとしても――初見殺しを受ける可能性は否定出来ない。


「いえ、そういう訳ではないのですが――」


 西田もシズも、聞く耳を持たなかった。

 むしろ無駄口を叩く余裕を咎めるように、絶影へと飛びかかった。


 僅かに先んじたのは、西田の斬撃。

 その後詰めを果たすように、シズが右拳を振りかぶる。

 初手を避けても防いでも、その隙にシズの拳打が突き刺さる。


 故に絶影は、それらを等しく射程外とすべく、大きく後ろへ飛び退いた。そして――次の瞬間、その姿が水に落とした一滴のワインのように、ぼやけて消えた。

 『隠密スニーク』――闘気を操り、己の気配を、周囲の環境と完全に同化させる事で姿を消す、気功術だ。


 絶影が大きく跳び上がり、二人の頭上を超え、背後に回った。

 音もない着地から、俊敏な動作で西田へと接近。懐から短剣を抜き、その剣先で急所へ狙いを定め――直後、西田が振り向きざまに剣を薙いだ。

 今回は、目の前で姿を消された。故に、辛うじて気配を追う事が可能だった。


「む……」


 絶影は咄嗟に飛び退き――念の為に首元を防御していた短剣が、音もなく切断された。更に強烈な闘気の余波が隠密を掻き乱して、姿を暴く。


「まぁ……これはこれで悪くない展開です。元々、あなた達の実力は測っておこうと思っていました」

「減らず口をッ!」


 姿が顕になった絶影へと、シズが瞬時に肉薄。対する絶影は――足元にあった、元は他の緑鬼の得物であった小剣を真上へ蹴り上げ、掴む。


 構えを取るのは、同時だった。先手を取ったのは――絶影だった。

 より正確には――絶影が、先手を取らされた・・・・・

 シズの手刀は稲妻の如く鋭く、速い。

 動作が見えてからでは、防御も回避も間に合わないほどに。

 構えが同時であった時点で遅れを取っていると、絶影は察したのだ。

 故に先んじて、手刀の軌道を制限する為の刺突を放った。

 だが絶影は知らなかった。後手に回る事は、むしろ――シズの本領であると。


「なんだ――」


 遅れて放った手刀が、絶影の斬撃を腕ごと弾く。

 がら空きになった胴体を、右鉤突きフックが襲う。

 辛うじて、左腕による防御が間に合った。

 だが――骨まで軋む重い衝撃、激痛が、今度こそ絶影の体勢を致命的に崩した。


「――口ほどにもない!」


 駄目押しの前蹴り――シズがそれを放つ直前、絶影が、不意に右手を突き出した。

 打撃ではない、ただ手のひらを見せつけるような動作。


「っ……!」


 たったそれだけの動作で、シズは前蹴りを打つ事を思い留まった。

 そして、その判断は正しかった。


「確かに、白兵戦の腕前はあなたが上だ」


 絶影の手のひらから光が爆ぜた。無詠唱魔術――魔術師でなくとも魔術は使える。

 シズは咄嗟に目を庇いつつ――後ろ回し蹴りを放つ。

 だが、遅い。絶影は身を屈めて、それを躱し――


「ですが……そんな事は、私には関係ないのですよ」


 そのまま地面に右手を触れた。

 瞬間、地面が爆ぜ――爆発的な勢いで、土煙が広がる。『土煙アースクラウド』の魔術――シズと西田の視線を遮った上で、絶影は再び『隠密スニーク』を使用。


 更に――闘気を宿した小剣を投擲。

 土煙の中から喉元へと迫るそれを、シズはなんとか弾いた。


 より正確には――弾かされた。

 当然だ。弾かなければ、致命的な負傷を受けていた。

 だが、そうした事で、シズは姿を消した直後の絶影の気配を追えなかった。

 つまり――絶影を完全に見失った。こうなっては最早、シズに出来るのは神経を研ぎ澄まして、全方位を警戒する事だけだった。

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