88話 世界の護り手
「エリシュカ! 次の尾根を回りこんだ先に大量にいるぞ!」
「分かったシルヴィエ殿! 走れ精霊、逃げる百足の腹に片っ端から風穴を開けまくれ!」
夕陽に染まる雄大な霊峰チェカル。
そのひときわ太い谷筋のひとつに、異界の先兵が上げる耳障りな断末魔が湧き上がる。
「よし、あらかた片付いたぞ! 皆、そのまま突っ込め!」
「ありがとシルヴィエ、エリシュカ! よし、みんな行くよっ!」
谷筋を埋め尽くすそれら死蟲の大群を相手取っているのは、麓に作られたという防壁を目指し、怒涛の勢いで攻め下りていくサシャたち一行だ。
彼らの後ろに動くものはない。
累々と積み上がっているのは、おびただしい数の死蟲の残骸。空を飛ぶシルヴィエの的確な指示の下にエリシュカが広域殲滅魔法を放ち、生き残りをサシャやイグナーツといった弩級戦力が殲滅しているのだ。中でも――
「そこっ! 隠れてもダメです!」
緑白に輝く中距離の斬撃攻撃を連発し、古の破壊神による平等なる死を生き残りの死蟲に与えていくヴィオラ。その活躍がめざましい。
以前は乱発するとかなりの負担を強いていたその斬撃も、萌えいずる若葉のような瞳に変わった今のヴィオラは、息をするがごとくに軽々と放っている。以前は行っていた詠唱すらしていない。当の
「ヴィオラ、無理はしないでね!」
「大丈夫です!
かなりの速度で前進しながら、圧倒的攻撃力で死蟲を蹂躙していく彼ら。
イグナーツも神盾による護りに気を回すことなく、豪快な剣術で周辺の生き残りを片端から撫で斬りにしている。もちろんサシャも所狭しと駆けまわり、触る端から死蟲を蒼焔で燃やし尽くしていく。そして、さらには。
「逃げようとしても無駄だ! くたばれっ!」
サシャたちから距離がある生き残りには、上空から猛然とシルヴィエが襲いかかっていくのだ。神授の翼を大きく羽ばたかせ、矢のように降下を繰り返しては狙った獲物を愛槍で貫いていく。
まさに神々の鉄槌と表現するにふさわしい、驚異的な殲滅劇だった。
「ねえエリシュカ! エリシュカが作った防壁ってまだまだ下?」
「いいや、もうそろそろの筈だぞ! それにここにきて死蟲の量が増えているのは、この先でせき止められているからではないか!?」
「おおお、そゆこと! 了解!」
彼らの現在地は、先ほど生存者を救出した<赤の湿地迷宮>を通りすぎ、そこからさらに下ったところだ。
<赤の湿地迷宮>の生存者たちは再び死蟲の大群に脅かされていたが、土魔法で強固に管理小屋を補強し、しっかりと立てこもって持ち堪えていた。そんな彼らを再度解放し、もうしばらく谷筋を下ってきている。
エリシュカが<偽りの迷宮>にいた探索者たちと作り上げてきたという防壁、そろそろそこに辿り着いてもいい頃合いだった。
「ねえシルヴィエ! あのさあ――」
「サシャ、言わなくても分かる! ひと足先に防壁の援軍に行けというのだろう! 私もそう思っていたところだからな!」
「シルヴィエさま、こちらの戦力はかなり安定しています! お願いできますか!」
「頼まれなくとも!」
シルヴィエがその馬背の翼を大きく羽ばたかせ、風を捉えて一気に上昇していく。
みるみるうちに遠ざかっていく彼女の目指す先はもちろん、谷筋をあと少し下った先にあるという防壁だ。
新手の先兵と間違えられない……よね?
サシャの頭にちらりとよぎったそんな懸念も、目の前の死蟲の大群によって後回しにされていく。シルヴィエならきっと大丈夫、そんな不思議な信頼があるからだ。
それに、ケンタウロスには珍しいアッシュブロンドの髪を持つ、騎士っぽい凛とした風貌の彼女が空を飛ぶさまは、惚れ惚れするほどに格好良かった。自分ならああはならないと、そこにも不思議な信頼がある。
「お願いねシルヴィエ! こっちもすぐに追いつくからー!」
いずれにせよ、その防壁まではあと少し。
突如として霊峰チェカルの古代迷宮群を襲った奈落の軍勢、その撃退劇の総仕上げと予想される戦いは、すぐそこに迫っている。
◇
「うわ、これはまた」
谷筋を下る死蟲を一気呵成に追撃し、ついに山麓の防壁が見えるところまで辿り着いたサシャたち。
その眼前に広がっていたのは、エリシュカに託された探索者たちが総力を挙げて増築したのであろう、谷を大きく塞ぐ巨大な防壁と――
「一歩間違えれば、これが山を下って街になだれ込んでいたのか……。お手柄だエリシュカ殿、よくぞあの防壁を思いついた」
「どうだ、うははは!と笑いたいところだが。さすがにこの数は洒落になっていないぞ」
――さしものサシャたちも思わず目を疑うほどの、その防壁でせき止められた大量の死蟲群だった。
確かに途中からは突破を優先し、大河のごとく山を下っていく死蟲の数を減らすことは二の次にしていたのだけれども。
その大河がこの山麓でせき止められて、谷筋に無数の死蟲をたたえた気味の悪い湖のような光景になってしまっている。
それら死蟲の大群には何かの強制力が働いているのか、防壁を迂回して尾根を乗り越えようとする動きは幸いなことにない。流れる水のように、愚直なまでにひたすら山裾を目指して蠕動しているのだ。
「ここまで溜まるとちょっと気持ち悪いといいますか、戦うにしてもどう斬り込んでいけばいいか……」
「あ、見てヴィオラ。あれシルヴィエじゃない?」
うねうねと絡まり合う、無数の死蟲の湖の向こう。
遥か防壁の上には、怒れる翼竜のごとく荒々しく飛び回っている何者かの姿がある。おそらくはシルヴィエ。きっと勇猛果敢に空を舞い、獅子奮迅の働きで押し寄せる死蟲を薙ぎ倒しているのだろう。
そして散発的ではあるが防壁から炎や巨大な岩石が噴出し、押し寄せる死蟲をまとめて焼き払い、押し潰しもしている。それらがエリシュカが手ほどきしてきたという、新しい古代魔法使いたちによる応戦なのだろう。
だが。
「……あの新人たちめ、古代魔法はイマジネーションだとあれほど言ったというのに。事象をまっすぐ打ち出すだけの現代魔法の癖が抜けていない。これだけ的が固まっているのだ。もっと広域を、もっと多くを殲滅できるはずだぞ」
「まあまあ、エリシュカさま。あの古代魔法の攻撃のおかげで、この数の死蟲の圧力を耐えきれているのではありませんか? 充分すぎる功績で――っ!?」
ヴィオラの言葉を遮るように。
防壁の向こうから、シルヴィエよりは随分と小さな影が矢のように戦場に飛来してきた。それは一直線に死蟲の湖に突っ込み、表層を掠めるようにして再び大空に舞い上がって。
「――あれはダーシャさま! 南壁から救援に駆けつけてくださったのですわ!」
ヴィオラの言うとおり、それは紛れもなくサシャの姉、天空の支配者こと天人族ダーシャだった。彼女ならではのリーチの長いウィローネイルでなみいる死蟲を撫で斬りにし、上空でひらりと転回しては幾度も突撃を繰り返していく。
同様に空を駆けるシルヴィエの姿には面食らったようだが、味方と分かると即座に二手に分かれ、それぞれ存分に暴れはじめた。それはあたかも飢えた猛禽が、獲物の群れを片端から喰らい尽くそうとしているようであり――
「あれ、あの旗って!」
「ザヴジェル騎士団! 来てくれたのですね!」
――天人族ダーシャの参戦にわずかに遅れ、防壁の上に見覚えのある旗が幾筋も溢れ出てきた。
黒地に躍動する金の虎があしらわれたその旗。
それは知らぬ者などいない、民衆の守護者ザヴジェル騎士団の誇り高き旗印だ。
サシャたちの出陣要請に応じ、遂にここまで出兵してきたのだ。ここの新造防壁で水際の防衛戦が行われているとの情報を得て駆けつけたのだろうが、その頼もしいこと、まさに名に恥じない精鋭ぶりであった。
防壁で上げられた探索者たちの歓声がサシャたちにまで届き、その応戦の勢いが目に見えて増していく。士気が急上昇しているのはもちろん、奈落の先兵との戦いに慣れたザヴジェル騎士たちが早速配置につきはじめたのだろう。
「――使徒殿、我らも参戦するぞ!」
「よしきた!」
「他の者に譲ってはおれません! ここ霊峰チェカルの最前線で戦ってきたのはわたくしたちです! 存分に力を増しているということ、他の皆さまに教えて差し上げましょう!」
「よし! 私がとびきりの古代魔法を見せつけてやる! 飛んでいる二人に当たらない範囲で、先の禁呪で閃いた特大のを行くぞ! 取り残された哀れな侵略者どもめ、我々が引導を渡してくれる!」
そう叫んだエリシュカの元に、みるみる精霊が集まりはじめる。
そう。長く激しかったこの霊峰チェカルでの攻防、これはまさにその仕上げとなる戦いだ。このまま見ているだけなど出来るはずもない。
「エリシュカ、期待してるよ!」
「では我々は魔法の後すぐに突っ込むぞ!」
「はいっ!」
エリシュカの広域魔法が放たれれば即座に突撃すべく、残るサシャたちは気合も新たに武器を持ち直し、大きく息を吸って一斉に身構えた。
サシャには分かる。
例の灰をまとめて口に入れ、目を閉じて瞑想を始めたかのようなエリシュカを目がけて集まってくる精霊が、加速度的に増えてきていることが。
有能さをこれでもかと見せつけられたエリシュカが、とびきりとまで言う新魔法だ。まず間違いなく戦術級、局面を一発で鮮やかに引っくり返してくれることは疑いようもなく。
「…………」
「…………」
「…………」
全身の毛が逆立っていくような異様な緊張感の中、ついにエリシュカがカッと目を見開いて叫んだ。
「――術は成った! 吼えろ精霊、今こそ集いて顕現せよ! 異界の侵略者をまとめて抹殺し、世界を我らの手に取り戻すのだ! 行っけええええええええ!」
エリシュカの絶叫が霊峰にこだまし、空から、大地から、木々から、更なる数の精霊が波をなして集結してくる。
ひとつひとつは仄かな光点にすぎないそれも、今や小さな太陽かと思うぐらいに密集し、圧縮し。
まばゆい光の中で、それが、巨大な獣の輪郭を取り始めて……
――――――ッ!!!
落雷のごとき閃光と共に虚空に顕現し、声なき雄叫びを上げたのは威風堂々たる白銀の巨狼。伝説に謳われる氷雪の精霊王、フェンリスヴォルフだった。
大気中の水蒸気が一瞬で凍りつき、ダイヤモンドダストとなって舞い落ちる中。
精霊王は、激怒していた。
サファイアのごとき眦を憤怒で見開き、凶器でしかない咢を限界まで荒々しく開き。
怒り狂っているのだ。
世界の理を超えて全てを蝕む、おぞましい侵略者に。
魔法によって遂に現界に顕現した精霊王は次の瞬間、雷のように跳躍した。
跳躍先は無数の死蟲うごめく、異界の湖の中央。そこへ怒りの暴風のごとく突入し――
そして、世界が爆発した。
否、凄まじいばかりの氷雪の衝撃波が何重もの円となって、爆発したかのように全方位に広がったのだ。
いくら剣も魔法も効かない死蟲とはいえ、至近距離でそれに耐えきれるはずもなく。
第一波で粉微塵に砕け去り、第二波で存在ごと滅失し、第三波で残存瘴気すら洗い流される。
精霊王の怒りの鉄槌が霊峰チェカルを局地的大地震のように激しく揺さぶり、ひと呼吸遅れてやってきたのは猛吹雪だ。
視界を消し去るほどの氷雪が万物を横殴りに叩きつけ、凍てつく極寒の冷気が全てを等しく氷結させていく。
「ど、どうだ、私は遂に精霊王まで召喚に成功したぞ……」
まるでそこだけ別世界のように何の影響もない安全地帯の中、エリシュカが満足そうに呟いて地面にへたりこんだ。
同じ安全地帯に立っているイグナーツやサシャ、ヴィオラの三人は、度肝を抜かれて物も言えない。
やがて猛吹雪が終息し、三人の眼前に残ったものは一面の氷結世界。
死蟲の残骸すら跡形もなく一掃されているその中央には、白銀の巨狼、氷雪の精霊王が悠然と佇んでいる。どうやら攻撃の範囲はきちんと考慮してくれていたようで、精霊王の向こうには防壁もそのまま建っているし、防壁の上空にはシルヴィエやダーシャが旋回しているのが見える。
惜しむらくは、防壁間近まで押し寄せていた死蟲群。
そこまで攻撃すると防壁まで氷漬けにしてしまうと考慮されたのか、防壁近くまで進んでいた死蟲群は生かされたままだ。
氷雪の精霊王はそれらを悔しそうに睨みつけていたが、やがて召喚主へと振り返った。そしてサシャにちらりと目礼をし――たようにサシャには思えた――、声なき声でもう一度咆哮を上げた。
どうやら、帰還の時らしい。
隆々たる白銀の巨躯が融けるように、無数の光の粒となって散っていく。
……この世界を、護ってくれ。
サシャは、理解した。
あの目礼は、この世界の自然を司る彼ら精霊たちが、
理屈やら何やらのなんやかやは抜きにして、ストンとそう理解してしまったのだ。
「……みんな、行こうか。まだ終わりじゃない、から」
「そうだな、使徒殿。残ったあの死蟲の群れ、あれを片付けないことには」
「はいっ! わたくしたちの出番です! 綺麗さっぱり滅してしまいましょう!」
サシャの呼びかけに、イグナーツが、ヴィオラが、我に返ったように武器を取って身構えた。
「よし、行くぞっ!」
「応!」
「はい!」
力を使い果たして立ち上がれないエリシュカをその場に残し、サシャたち三人が氷結した大地を一気に駆け抜けていく。
天空神クラールの使徒たるサシャ。
古の破壊神ゼレナの巫女であるヴィオラ。
そして、忘れられた大地母神ゼーメの禰宜イグナーツ。
その三人が手を結び、勇猛果敢に目指すは防壁付近に残された、忌まわしき異界の先兵の群れだ。
「うおおおおお!」
霊峰チェカルに散在する古代迷宮群に、突如として矛先を向けてきた奈落の侵略の手。
その手を払いのける戦いも、あと少しで全てが片付く。
「み、見ろ! 残った死蟲の向こう、誰かがこっちに駆けてくるぞ!」
「何ということだ、あれは南壁の英雄たちだぞ!」
「ならば今の嵐は彼らが!」
「ヴィオラ姫がいるぞ! <神盾>も!」
「最後の天人族、<救世の
「うおおお! これで完全に勝てる! 神はザヴジェルの味方だ!」
防壁上で口々に叫ばれる、探索者やザヴジェル騎士達の歓喜の声の中。
先頭を走るサシャの双剣が、まばゆいほどに
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