40話 コアと配慮(後)

「え、まさかオルガは反対?」

「あたいはね、コアが奈落との戦いに使えそうにないって時点で、持ち出すことについて積極的な賛成ができなかっただけさ。まあ、皆が置いていくという方向でまとまってくれて良かった、ってところかね」

「……ん? どういうこと?」

「サシャ、あんたこのコアがまだ"生きている"、そう言ってただろう? まずそれについてはあたいも同感なんだよ」


 そう言ってオルガは背後に広がる円形闘技場コロセウムをぐるりと振り返った。


 今は見えないが、召喚が止まる前に湧き出てきたトーチスパイダーやらがまだその場に固まっているはずだし、一番下がった中央部には未だアイランドスライムが何をするでもなく蠢いているはずだ。


「コアを持ち出すにしても置いていくにしても、帰還の宝珠で即座に帰還する、今のあたいたちには直接関係はないんだけどね――」


 オルガが言うには、通常ラビリンスのコアを持ち出すと、その瞬間にラビリンスは"絶対的な死"を迎えるらしい。構成する亜空間が崩壊したりスフィアが機能しなくなることはないのだが、中で跋扈する魔獣はラビリンスの枷から解き放たれてしまうとのこと。


 つまり、それまでラビリンス内に漂う魔素だけで生を繋ぎ、侵入者に対してのみ襲いかかっていたそれら魔獣が、自然界と同様に熾烈な生存競争を始めるのだ。それは飢えのせいもであり縄張り争いのせいでもあり、魔獣に元来備わっている凶暴なまでの闘争本能のせいでもある。


「そいつはラビリンスの解放って呼ばれていて、本来なら歓迎されることなんだけどね。まず、魔獣同士で争っていれば我々探索者の危険はかなり減るだろう?」

「うん、確かにラビリンスの魔獣は人しか襲わないもんね。昨日シルヴィエと探索してた時も、全部の魔獣が勢揃いして一斉にこっちに襲いかかってくるのが厄介だっただけだし。あれが勝手に向こう同士でも争ってれば全然楽になるよ」


 何の話か今のところよく分からないが、とりあえずオルガの言っている話は簡単に想像できるものなので、サシャは大きな頷きを返した。


「だろう? そして解放の恩恵はそれだけじゃないのさ。階層内に魔獣が不自然に出現しなくなるんだよ。つまり、戦力さえ投入すれば各階層の魔獣を根絶やしに出来るようになる、ということさね。そこまでやる例は滅多にないけど、やれば貴重な魔鉱石やら何やらが安全かつ取り放題になるってもんさ」


 何それいいことばっかりじゃん、と目を輝かせるサシャに、「まあちょっと待ちな」とオルガが首を横に振った。


「いいかいサシャ、ラビリンスが解放されればそれはすぐに分かるんだ。例えば向こうにいるトーチスパイダー、あれはあたいたちがコアを持ってラビリンスから出た途端、互いに争いを始めたりアイランドスライムから逃げ出したりし始めるだろうね。それはこの最奥の間だけのことじゃなく、ラビリンス全体で一斉に魔獣の挙動が変化するんだ」

「おお、そんなにすぐ変わるんだ?」

「ああ。そしてそれはすぐにユニオンに伝わって、ザヴジェルを挙げてのお祭り騒ぎになるんだよ。場合によってはクラン連合や騎士団が派遣され、めぼしい資源がある階層の魔獣を殲滅に入ったりもするね。当然コアを持ち帰った者は英雄ともてはやされて、報奨金はもちろん、安全な採掘場となった階層の将来的な利権を貰えたりもするんだけど――」


 その辺りはオルガ自身の経験なのだろうが、そこでサシャが冷水をかけられたように背筋を伸ばした。


「――うん、理解した。このコアを持ち出せば、すぐにラビリンスの解放が判明する。そしてこっちはその時点で捕まって、根掘り葉掘りいろいろ聞かれるってことね」

「ご名答。それが悪いことだとは言わないけど、あたいはまだ今回のアレコレを大っぴらに吹聴する決断はついてなくてね。ここのコアを持ち出した時点で、なし崩し的に選択肢をひとつ投げ捨てることになるのが気にくわないのさ」


 それが「コアを持ち出すことについて現時点では積極的な賛成ができない」とオルガが初めに言った理由だった。


「なるほど、当然コアを見せてくれって話になって、でも持っているのはこのコア。これがコアなんだってば、とか勝ち目の薄い説明をする羽目になるってことだね」


 サシャが手にしたコアを目の高さに掲げ、納得の顔で頷いた。


 サシャの観点ではそれは非常に難しいことだ。なにせそのコアは親指の先ほどの大きさしかなければ青い輝きもなく、根拠といえばそれっぽい場所に落ちていたということと、あとはサシャがそう感じるから、というものしかないのだ。


「いやいや、さすがにそれは大丈夫さ。サシャあんた、それがヤーヒムズ・コアの端くれだってことを忘れてるだろう」

「あれ、そういえばそうだね。あはは」

「まったく、笑いごとじゃないよ。いいかい、あたいが言ってるのはサシャ、あんたのことなんだよ」


 その口調にそこはかとない嫌な予感を感じ、サシャは無意識にゴクリと生唾を飲み込んだ。


 サシャがザヴジェルに来たのは厄介ごとから逃げて来たのであって、平穏気ままにこのザヴジェル生活を満喫したいだけなのだ。


「あんたは色々と退屈しないというか、結構な数の騒動の種を抱えているだろう?」


 オルガはそう言ってひとつひとつ解説付きで列挙しはじめた。


「神の癒しはまだいい。しかるべき根回しを済ませたら、サシャの無理のない範囲で社会に役立ててくれればいいさ。カーヴィのこともまあ、隠すよりは積極的に表に出して空間収納を活用した方がいいだろう。このふたつは認知度が上がれば上がるほど、相対的に安全度も上がっていくってもんさ」


 アンタたちもそう思って動いていたんだろう?と、オルガはシルヴィエにもちらりと視線をやってひとつ頷いた。そこにはオルガなりの同意が込められており、彼女の視点から見ても間違った行動ではないということだろう。


「ヴィオラの神託に関してはあたいの出る幕じゃないけども、まあ、ヴィオラの様子を見る限りはどう転んでも悪いようにはならないだろうね」


 もちろんですっ!とすかさず入ったヴィオラの力強い肯定に、オルガは「まあよろしく頼むよ」とサシャに生暖かい視線を送った。


 が、そこでがらりと表情を変え、オルガは重々しい口調でサシャに告げた。


「けどね、今日のラビリンスのあれこれは、そこら辺とはちょっと次元が違う話なんだよ」

「……どういうことか、教えてもらっても?」


 ふう、と暗銀色の長い髪をかきあげ、オルガは語る。


「まずスフィアとの親和性――場所を感知できることと転移先が指定できることは、百歩譲ってまだ誤魔化せるかもしれない。解放したこの<密緑の迷宮>の、空飛ぶ崖以降の階層への行き方を尋ねられるとちょっと厳しいけど、まあやりようはあるさね。けど、コアとのやり取りに関しては駄目だ。世間にそのまま広まったりしてごらん、絶対に大騒ぎになるよ」

「…………そうなの?」

「そりゃそうさ。それだけコアと親和性が高いなんて、『歩くラビリンスの再来だ!』とかなんとか、サシャを知らない市井の人間ほど騒ぎ出すんじゃないか? それだけ歩くラビリンスへの世間の忌避感は強いんだよ」

「忌避感…………」


 オルガが警告を発する忌避感という言葉、その言葉が唐突にサシャの胸を抉った。

 これまでサシャがひた隠しにしていた泣き所と見事に重なっていたからだ。


 それは未だ誰にも打ち明けていない、サシャだけの秘密。おそらく自分の中に人系種族の宿敵とまで言われるヴァンパイアの血が混じっているという、確定に近い事実だ。


「だからね、ここで安易にコアを持ち帰っちまうんじゃなくて、色々と対策を考えた上で行動を起こした方がいいってことさ」

「………………なんか、ごめんなさい」


 普段の明るさをまるで拭い去ったかのようなサシャの落ち込んだ顔に、シルヴィエが堪らずといった風情で口を挟んだ。


「まあ単純に言うとだ、コアとお前の間にあったことは誤解を招きやすい、それだけのことだな。我々はお前が歩くラビリンスなどとは違うと知っているが、余計な火種は撒かない方がいいだろう?」

「……うん」

「コアはここに置いていく方向で皆の合意が取れているのだ。よしんば情報を広めるにしても、こっちの都合の良い相手に都合の良いタイミングで伝えれば、そう酷いことにはならない筈だ」

「…………そっか」


 シルヴィエの心づくしの言葉も、サシャの心を引き立てるまでにはいかなかった。いつも生気に満ち溢れている彼の紫水晶の瞳も、輝きを失って伏せられてしまっている。


「サシャさま……」

「元気を出せサシャ。少なくとも、ここにいる我々は味方なのだから」


 忌避され迫害されることを避けるため、こうして秘密ばかりが積み重なっていく。ただ幸いなのは、コア絡みに関してはここにいる皆が秘密の共有者になってくれそうである、ということぐらいか。


「サシャさま、わたくしは何があってもサシャの味方ですわ」

「サシャ、そう落ち込むな。ヴィオラもこう言ってくれているし、私もオルガも全力で何とかしてやるから」

「乗りかかった船だ。仕方がないけど頼りにしてくれていいよ。ほら、エリシュカも何か言っておやり」

「わ、私は研究の秘密は絶対に口外しないし、研究対象だってしっかり守るぞ」


 気が滅入って仕方がないが、もしかしたら、本当にもしかしたら、ヴァンパイアの秘密の方だってこの四人なら――そんな前向きな気持ちがサシャの中に芽吹いてくる。


 古より人系種族の血に刻み込まれているともいえるヴァンパイアへの根源的な忌避感、それはそう簡単には拭えないかもしれない。けれど少なくとも今の皆の言葉はしっかり胸に届いたし、考えてみれば何も悪いことはしていないのだ。そんな期待でも抱かないとやってられない、そういう気分だった。


「……みんな、いろいろありがとね」

「ふふふ、何を今さら。私は昨日ペス商会でお前をラビリンスに連れていき、そこでの面倒を見ると約束しただろう? 今日このラビリンスで起きたことも、全てはその範疇だ。まあ、昨日のユニオンでの騒動からこちら、本当に手のかかる神父だとは思うがな」

「…………否定できないところが悲しい」

「どうしたサシャらしくもない、いつもの抗議が足りないぞ。そうだな、ならば言葉を変えてみようか。――お前はラビリンス初体験でいきなり未踏破層へ足を踏み入れ、二度目でコアまで手にした有史以来初の稀有な探索者なのだぞ?」

「お、おう?」

「ふふふ、それだけの運を持っているのだ。お前が大好きな冒険とやら、まさにその申し子とも言えるのではないか? 癒しのこともそうだが、それもこれも本来は誇るべきことだ。本当のことを知れば、どのクランも更に勧誘を激しくするのは間違いないだろうな」


 えええ、それはちょっとー、と後ずさるサシャ。

 ユニオンで自分に向けられた、肉食獣のごときクランマスターたちの目が頭に浮かんだのである。ちなみにその片割れである<幻灯弧>のオルガは、まあもうこれでウチからは逃げられないけどねえ、魔狂いの秘密はきっちり吐くんだよ、などど勝者の笑みを浮かべている。


「ふふ、そうだ。その調子でいい。お前はここの常識に疎いからな、細かいことは私に任せておけばいいのだ。……姉に頼るようにな」


 姉、という自分の口から転がり落ちた言葉に、唐突にやや頬を赤らめて視線を泳がせるシルヴィエ。内心で密かに温めていたそれが、つい口が滑ったことに気がついたのだ。


 そんなシルヴィエの顔を、少し紫水晶の瞳を潤ませたままのサシャがじっと見上げて口を開く。


「シ、シルヴィエお姉ちゃん? たたた頼りにしてるよ?」

「…………やっぱり姉はナシだ」

「えええっ何で! ものすごい勇気を出して言ったのに!」

「もう二度とその名で呼ぶな! 呼んでも返事をしないからな!」

「ええええーー!」

「サシャさま! わわわわたしも、その、……と呼んでくださっても――」


「さあ、元気が出たなら決めることを決めるぞ! 時間は有限だからな!」


 元どおりといえば元どおりに戻ったシルヴィエとサシャが、騒々しくも賑やかに周囲の重苦しい空気を吹き飛ばす。若干一名ヴィオラが残念そうな顔をしているが、オルガもエリシュカも、そして肩掛け鞄からひょっこり顔を覗かせたカーヴィも心なしか嬉しそうな顔だ。


「まったく、全部シルヴィエに持って行かれちまったねえ」

「そんなことないよ、オルガおばあ……お姉ちゃん!」

「ちょっとあんた今何て言おうとしたんだい!? あたいはどう見てもダークエルフのミステリアスなお姉さまだろうが!」

「だ、だよね? ちょっと間違えただけだって、オ、オルガお姉さま」

「……やっぱりお姉さまはナシだよ」

「えええ、何それ流行ってんの!?」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ始めるサシャたち一行に、最前の重い雰囲気は一切ない。

 しばらくそうしてじゃれあった後、彼らはこの場で今後の方針を真剣に話し合うこととなる。その直前にサシャがしゃがみ込み、忘れないうちにと手の中のコアを灰の山に戻しておくのは、これから皆で形を作っていく方針の第一手だ。



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