13話 ユニオンでの騒動(前)

「いいかサシャ、アベスカという魔獣はだな――」


 良く晴れた初夏の午前中、ファルタの街の中央通り。

 珍しいアッシュブロンドの美人ケンタウロスに引きずられるように、ザヴジェルでは珍しい神父姿の若者が人混みの中を足早に進んでいく。ぺス商会を後にしたシルヴィエとサシャだ。


「――そうだな、マジックポーチは知っているだろう?」

「え、あの貴族の家宝とか国の国宝とかになってる奴? なんでも入っちゃうんだよね」


 ようやく耳を解放してもらったサシャが、その耳をさすりながらシルヴィエを見上げる。彼女は下半身が馬であるがゆえ、騎馬武者と同じ高さに上半身がある。そして、その高さから力ずくでサシャの耳を引っ張っていたため、それはもう途方もない痛みだったのだ。


「間違ってはいないが……お前の国元ではそういう扱いか。まあ貴重品中の貴重品という意味ではここザヴジェルでもそう変わりはない。物によって収納量に差はあるが、その範囲内であれば何でも入れておけるのだからな」

「すごいよねえ。一度だけ前の国の王族が使ってるのを見たことがあるけど、こーんな小さい袋から次々に補給物資が出てくるんだもの」


 それはまだサシャが傭兵をしていた頃の話だ。

 一度だけ王都の城壁が魔獣に破られたことがあり、その時に近衛騎士団を率いて緊急参戦した王の兄だか弟だかが使っていたのだ。あまりの不思議な光景に思わず目を奪われたサシャだったが、目の前には魔獣の大群。サシャが雇われていた騎士団がどうにかひと息ついた時には、その近衛騎士団は丸ごと魔獣の群れに呑まれて壊滅してしまっていたのだった。


「ああ、あれは便利すぎる物だ。そして便利すぎるゆえに材料が乱獲されて枯渇し、今では大陸中どこを探しても製造されているのは二ヵ所だけだ」

「え、あれ作れるの? 神遺物とかじゃなかったんだ?」

「ああ。作っているのは二ヵ所合わせても年に二個か三個、だがな」


 そこでサシャは、はたと気がついた。

 この話の流れ、もしかしてと。


「……ねえシルヴィエ、ひょっとしてその二ヵ所ってザヴジェルだったりする? で、まさかのまさか、材料ってアベスカの頬袋?」

「そうだ、よく分かったな。アベスカはこのハルバーチュ大陸で唯一、空間属性を持つ稀少な魔獣だ。ぺス商会でお前が言ったようにリス型の魔獣で、頬袋が天然のマジックポーチになっている。既存のマジックポーチはそれを利用したものだな。そして、それが故に乱獲されて野生のものは絶滅し、今ではここファルタとお隣ブシェクのラビリンスでごく稀に発見されるだけとなっている」


 うわあ、と額に手をやるサシャ。

 同時にユリエのおねだりに納得もした。


 確かにその頬袋を取ってこれればマジックポーチが作れ、オットーの商売はものすごく楽になるだろう。色々な使い道があるとは思うが、単純に考えても荷車なしで隊商が組めるようになる。速度や安全性、人件費などなど、それだけでも凄いことなのではないだろうか。


 そして頻度と量はどうであれ、ファルタで細々と生産されているということは、実際に頬袋の現物が出回ることもあるに違いない。


 きっとそんなタイミングでオットーが「いつかはあれが欲しいねえ」というような呟きを漏らし、それをユリエが聞いていたのだろう。ユリエはそれを覚えていて、シルヴィエの欲しいものはあるか?との問いに、じゃあ、とばかりに口にした――そんなところなんだろうな、サシャはため息をついた。


 が、そこで彼は気付いた。


 なんやかやしてうまくアベスカを見つけられさえすれば、それで万事解決なのではないか、と。そうそう簡単にはいかないだろうけれど、まだ全然望みはある。数は少ないとはいえ、実際アベスカは狩られているのだ。自分たちだってなんやかやでうまく狩れる可能性はある、と。


「よし! じゃあ頑張ってアベスカを探そう!」

「……ふふふ、お前のその前向きさは嫌いではないぞ。だがな、アベスカ狩りの厄介なところは見つけるのが困難というだけではなく、どちらかといえば見つけてからの方が難易度が高いのだ。なにせ空間属性持ちだからな――」


 と、そこでシルヴィエはぴたりと足を止めた。

 ユニオンに着いたのだ。


「詳しい話はラビリンスに入ってからにしよう。まずはユニオンだ。とりあえずの登録だけ済ませてしまうからな。ユニオン章があれば何かと役に立つ」

「おお、ユニオン章だって! かっこいい!」


 難しい話はきれいに後回しにし、紫水晶の瞳を輝かせてシルヴィエを追い抜き前に出るサシャ。


 が、その足がユニオンの入口を前にして唐突に止まった。

 その三階建ての立派な建物にはつい先ほど遠慮なく入ったばかりではあるが、そのつい先ほどはほとんど相手にもされなかったことを思い出したのだ。


「ねえシルヴィエ、さっきは登録とかユニオン章とかってひと言も言われなかったんだけど」

「……ちなみに受付で何と言ったか、それを教えてもらっても?」

「ええと確か、ゴールデンオークを狩りにきました、ここに来ればどうにかなるって聞いたけど本当?とかなんとか」

「……その神父の格好で?」

「この神父の格好で」


 しかもよりによってゴールデンオークか、と天を仰ぐシルヴィエ。


 ゴールデンオークはその美しく強靭な毛皮が最高級防具の代名詞となっている、極めて有名な魔獣だ。が、いざ狩るとなるとその毛皮がゆえに生半可な剣では碌に傷を負わせられず、たいていが返り討ちにされてしまう。


 アベスカほどの稀少性はないが、いつかはゴールデンオークを仕留めてやるぜ――そんな台詞がハンターの間で合言葉となっているほどの、一獲千金魔獣の代表格なのだ。


 そしてよりによってサシャは、そのゴールデンオークを狩りにきた、そう初登録の場で宣言してしまったらしい。おそらくは普段どおりの能天気な口調で、狩れるのがさも当たり前かのように。


「ふう……仕方のないことだが、まずはザヴジェルでの常識を教えるところから始めるべき、か。いいかサシャ、この後間違っても『今度はアベスカを狩りにきた』などと口にするなよ?」

「え、駄目? 受付の人に自己紹介で『南のアスベカという国から来たサシャです。さっきのゴールデンオークはやめにしてアベスカを狩りに行ってきます。だって、アスベカ出身だけに』って言おうと思ってたんだけど」

「はあ?」

「アスベカとアベスカ……ぷぷぷ、パンチの効いた最高の挨拶だと思わない? 初対面の掴みはこれでバッチリだよね」

「そんな訳があるか馬鹿者! 面白くない上に致命的だ! いいかサシャ、もうお前はユニオンで絶対に口を開くな。分かったな!」

「えええー」


 先ほどシルヴィエに魔獣アベスカの説明を聞いている時から、生国アスベカに引っかけたその駄洒落がずっと頭を離れなかったサシャ。アベスカとアスベカ……絶対に面白いと思うんだけどなあ、そう思いつつもシルヴィエの剣幕に押され、不承不承頷きを返すサシャであった。




  ◆  ◆  ◆




「――だからよう、俺は言ってやったんだ。確かにそちらさんのやり方は効率的かもしれねえ、けどな、それで人生楽しいか?ってな」

「がはは、よく言ったゾルタン! 奴らはみんなハンターってもんを分かってねえ!」


 ユニオンファルタ支部。

 シルヴィエに連れられ、サシャが本日二度目に足を踏み入れたそこは、相変わらず酔っ払いがくだを巻いていた。


 いや、全てが酔漢という訳ではもちろんない。

 広々としたホール、その奥半分を占めるユニオン職員の職務スペース。霊峰チェカルにある古代迷宮群の窓口となるそこは、大勢の折り目正しい職員が忙しそうに働いている。


 酔っ払いがいるのは受付カウンターの手前、ホールの片隅に作られた軽食処だ。


 本来はラビリンスに行く者などが、待ち合わせや打ち合わせに使ったりするスペースなのだろう。けれどもサシャが先ほど来た時と同様、六人ほどの武装グループが酒盛りをして占拠してしまっているのだ。


「おいおい、見ろよ。またさっきの神父かぶれの餓鬼が来たぞ」

「ああん? また追い返して……ちょい待て。今度は一緒にいるの、<槍騎馬>のシルヴィエじゃねえか。こりゃまた大物に泣きついたもんだ」

「違えねえ。ったく、ああいうのが湧くからソロのディガーが馬鹿にされるんだ。<槍騎馬>も何を考えてるんだか。ま、本人が本人だし、何をしても無駄なあがきだけどな、がはは」


 サシャの姿に気づいた酔っ払いたちが、声をひそめもせずに指差して笑っている。さっきもそうだった。そして受付で話しはじめたサシャに横から割り込み、ただでさえけんもほろろの対応だったそこでの会話を、ものの見事に強制終了へと持ち込んでくれた御仁たちである。


「……おいサシャ、もしかしてさっきも奴らはいたのか?」


 低く呟くように問われたシルヴィエの質問に、サシャは小さく肩をすくめて答えとした。


 確かに彼らが横から割り込んでこなければ、もう少しユニオンの受付係との会話は長続きしたかもしれない。けれども、その受付係もどう追い返そうか言葉を探していたのが見え見えの態度ではあったのだ。


 彼らがいなくても結果は同じ、逆にすんなり諦めもついて早々に退散したのである。何より、こんな相手とは関わり合いになりたくない、というのが正直なところ。ただの酔っ払いとは比べ物にならないぐらいの性質の悪さを感じ取っていたのだ。


「――帰れ帰れ! ユニオンに戦えない餓鬼は要らねえんだよ!」


 割れんばかりの怒声にサシャが改めて視線をやれば、サシャが一番避けたかった、酔っ払いの中央にいる細面の蛇人族の男が椅子を蹴飛ばして立ち上がったところだった。


「それに何だその馬鹿丸出しの格好は、ああん? 神父の真似事をしたとこで、今どき誰も相手にしないって分からねえのか! 神父なんぞいなくてもポーションが一瓶ありゃ怪我は治るんだよ! その程度が理解できねえ餓鬼が後ろ盾引き連れてユニオン登録なんて百年早いわ、帰れこのクソ餓鬼!」


 啖呵を切りながらふらつく足どりで寄ってくる酔っ払いに、サシャは、うわあ面倒なことになりそう、と頭を抱えた。


 これは逃げにくいパターンである。サシャは見た目が小柄で少年のようだし、傭兵時代もこんな手合いにはよく絡まれたものだった――その実力と異名が知れ渡ってからは、めっきり少なくなっていたが。


 そしてそうやって絡まれた時、サシャなりの対処法も編み出されてはいた。


 確かにサシャは幼く見えるし、武芸者が一目置くような剣の達人の雰囲気がある訳でもない。だが、その身体には太古の昔から人系種族の恐怖の象徴であった闇の種族ヴァンパイアの血が流れているのだ。


 サシャがひとたび本気で戦う覚悟を決めれば、夜の王者とでもいえる絶対的な威圧感が周囲に吹き荒れる。ただの酔っ払い相手なら、それをちらりと垣間見せてやれば大抵は腰を抜かして逃げ去っていく。……ただ、それをやってしまうと周囲一帯が大騒ぎになるので、最後の手段ではあるのだが。


「聞いてんのか、この糞餓鬼があ! テメエなんぞにユニオン登録は百年早いって言ってんだよ!」


 が、酔っ払った蛇人族の男は勝手にどんどん激昂し、サシャとシルヴィエに詰め寄ってくる。これはもう逃げられない、サシャは覚悟を決めた。


 これでうまく追い払えればいいんだけど……と祈るような気持ちでいつもの解決策を実行に移そうとした、それよりも早く。




「……ほう、お前がそれを決めるのか」



 シルヴィエだ。

 彼女が発したのは、先ほどより更に低く抑えられた声。それはけして大声ではないのに、床に打ち鳴らされた鞭のごとくにユニオンホール全体を静まりかえらせた。それには誰をも自然と従わせるような、凛とした威厳が備わっていたのだ。


「ユニオン登録を決めるのはユニオンだろうに。ハンターだとばかり思っていたが、偉くなったものだな。なあ、<毒霧>ゾルタン」

「んだと? その名前で気安く呼ぶんじゃねえ! それにそもそも、親の七光りでユニオンに取り入ったお姫様には言われたかねえんだよ!」

「ほう、面白いことを言う。私のこの槍がこけおどしの飾りだと……お前はそう言っているのか!」


 そう言うやいなや背中から目にもとまらぬ速さで槍を解き放ち、ドシン、とその石突きを床に突き立てるシルヴィエ。彼女にとってその槍は自分の分身とも言えるものだ。愛槍一本を持って親元を離れ、これまでどれだけの鍛錬を重ね、どれだけの困難に打ち克ってきたことか。


 ゾルタンと呼ばれた蛇人族が言い返してきたことは、そんなシルヴィエの矜持を逆撫でするものだった。そして、何より。


「……ゾルタン。お前はどうせまたクランに獲物を先取りされ、憂さ晴らしに酒を浴びているのであろう? 魔獣を狩れず、酒を飲んで愚痴ばかり――そんな三流ハンターに私の何が分かる? さあ、答えてみろ」

「な、なんだとっ! 誰が三流ハンターだ!」

「お前だ、ゾルタン」


 冷たく言い放たれたシルヴィエの言葉が、再び鞭のごとくユニオンホールに響き渡る。


「実力あるハンターが次々に大手クランに勧誘されていく中、お前がどのクランからも勧誘されていないことは知っているぞ? そして何を思ったか、自分からクランに売り込みに行き、そのあげく片端から入団を断られていることもな。これを三流と言わずに何という? 他の表現があったら教えてくれ」

「こ、この馬女が……」


 ゾルタンが息を飲み、ちらりと自分の取り巻き達を振り返った。

 後ろでその瞬間の彼の表情がしっかり見えていたサシャは、もしかしたら彼が自分からクランに売り込みに行っていることは、取り巻き達には内緒にしていたことだったのかもしれない――そんなことがちらりと頭を掠めた。共にクランへの悪口を言っていたらしき仲間たちの顔色を見ても、それは充分にありそうなことだった。


「て、てめえ……絶対に許さねえ……」


 いや、それこそが図星だったのだろう。

 取り巻き達の険悪な表情を見たゾルタンの顔がみるみる蒼白になり、わなわなと唇を震わせながらシルヴィエに向き直った。その目には、見るも剣呑な光が宿っている。


 ――これはちょっと、嫌な予感しかしない。


 サシャの警戒度が一気に跳ね上がった。

 このゾルタンという男はただの酔っ払いではない。初めに絡まれた時にサシャがすんなり引いたのには、歴とした理由があるのだ。


 それはゾルタンが強いからだとか、取り巻きを引き連れているからとかではない。サシャがいつも酔っ払い相手にするようにちらりと本気の威圧を見せれば、それで尻尾を巻いて逃げるような実力しかゾルタンにはないのは分かっている。取り巻きたちも似たり寄ったりだ。そういった意味では眼前の男たちは脅威でも何でもない、ただの酔っ払いに過ぎない。


 けれども。


 初めにサシャがこの男とは関わり合いになりたくない、と強く感じたその理由。


 今、サシャの背筋からちりちりと嫌な予感が滲み出てきている、その理由。


 それは――



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