12話 ファルタの朝

「おはよ、シルヴィエ……」

「ああ、遅かったなサシャ。どうした、そんな浮かない顔をして」


 翌朝。

 暗いうちから起き出し、ラビリンスに行くならと宿の主人から聞き出したユニオンなる場所に行ってきたサシャだったのだが。


「なんか、門前払いされた……」

「何のことかさっぱり分からないぞ? オットーは待ちきれなくてあの親子の見送りやら色々に出掛けてしまったし、時間はあるから詳しく話してみろ」


 時刻は三の鐘の直後、現在地はペス商会の前の往来。

 ファルタの中でも準一等地にあたるそこには、既にかなりの人々が行き交っている。


 シルヴィエは前の馬脚を軽く踏み鳴らし、とりあえず入れとサシャをペス商会の中へと誘った。そこは広々とした土間になっており、奥には商談用なのであろう、大きめの机と椅子が並べられている。


「ユリエ、ちょっと場所を借りるぞ。これが父君が待っていたサシャだ。悪い神父ではない」

「悪い神父ってそんな……。お話は聞いてますよ、サシャさん。オットーの娘のユリエです。私にできることがあれば何でも言ってくださいね。あ、お茶を持ってきます!」


 十歳ほどの随分としっかりとした女の子が、サシャに一礼をしてからぱたぱたと奥へ走っていく。頭の上で元気に踊る犬耳からして、まさに昨日話に出ていた例の娘なのだろう。


 シルヴィエは実に満足そうな顔でその愛嬌いっぱいの後ろ姿を見送っているが、サシャにその元気はない。椅子に辿り着くやいなや、崩れるように座り込んでいく。


「で、どうしたんだ?」

「え、ああ。ねえシルヴィエ、ユニオンって知ってる?」

「ユニオンぐらいザヴジェルの住人なら誰でも知っているぞ? ……まさか、一人で行ってきたのか?」


 自身もその馬体をテーブル沿いに横たわらせつつ、呆れた、といった顔でサシャを見つめるシルヴィエ。それもそのはず、今のユニオンはサシャのような流れ者が飛び込みで行ってどうにかなる場所ではないのだ。


「そう、そのまさか」

「なんだ水臭い。そういえばラビリンスに行ってみたいとは言ってたな。ひと声かけてくれれば一緒に行ったものを」

「いや、昨夜宿で急に思い立ってね……」

「それはサシャらしいというか何というか……。で、どうだ。相手にしてもらえなかったであろう?」

「うん、見事に……故郷にある傭兵ギルドとは全然違った……」


 がっくりと項垂れるサシャに、シルヴィエはその豊かにウェーブのかかったアッシュブロンドの長い髪をやれやれとかきあげた。出会ってからまだそれほど日は経っていないが、この二人は妙に相性がいい。共に蚕人族の母子を救ったことやその他諸々もあって、不思議なぐらい互いに打ち解けているのだ。


「いいか、ユニオンというものはだな――」


 シルヴィエが言うには、サシャがラビリンスに入りたくてユニオンに行った、そこからして半分正解で半分間違っているらしい。


 ユニオン。それは元々、ラビリンスに入る者たちの互助組織のようなもの。そういった意味ではサシャの生国にあった傭兵ギルドと生い立ちは同じだが、やはりラビリンスが主眼になっているせいか、サシャの知る傭兵ギルドとはかなり性質が異なっていた。


 ここザヴジェルにあるユニオンには、ディガーと呼ばれる魔鉱石の採掘者や、ラビリンス特有の希少魔獣を専門に狩るハンターと呼ばれる者、それとディガーの護衛や自らの小遣い稼ぎでラビリンス入りする傭兵――そんな者たちがこぞって登録している。


 登録は誰でも可能。そしてユニオンに登録しておけば、ラビリンスに関する最新情報を教えてくれたり、ラビリンスで得てきた雑多な魔鉱石や希少な魔獣素材をひとつの窓口で一括してその場で買い取ってくれたりする。サシャの生国にある傭兵ギルドのように仕事の斡旋こそしていないが、そんなラビリンス利用者御用達の巨大便利組織、それがユニオン――


「え、じゃあなんで遠回しに断られちゃったのさ? 見た目?」

「くく、サシャの場合はそれもあるかもしれないがな」


 口を尖らせて抗議するサシャを、説明途中のシルヴィエがからかうような眼差しで眺めた。


 神父の格好と十字架は別として、成人してすぐにも見える小柄な体、癖のない黒髪に純朴そうな顔、そして何より子供っぽい物言い。


 珍しい神の癒しの使い手だったり、いざ戦闘となれば驚くほどの立ち回りを見せることも知っているが、シルヴィエにとってサシャは、手のかかる弟のような存在になりつつあった。


「えええ何それ! 同志のくせに!」

「何だその同志というのは。また訳の分からないことを……。いいか、説明を続けるぞ」


 そこでちょうど二人分の香草茶を運んできてくれたユリエにさらりと礼を告げ、シルヴィエは先ほどの続きを話しはじめた。


「初めに言った、半分正解というのはさっき説明した部分までだな。ユニオンはラビリンスの窓口のような組織で、ラビリンスから持ち帰ったものを買い取ってくれる場所でもある。登録しておいて損はないし、ラビリンスを利用しようとする者がまず足を運ぶべき場所という意味では正解だ。だが、半分間違いというのはここからだ」


 シルヴィエの説明によると、ひと昔前ならサシャもすんなり受け入れられたという。腕に覚えのある者たちがその日の懐具合や気分で誘い合い、または一獲千金を夢見てユニオンの扉を叩くのが日常の光景だったらしい。けれどもそれは、旧スタニーク王国がまだかろうじて体制を保っていた時代までのこと。


 その旧スタニーク王国にとどめを刺したと言われる、カラミタ禍という大騒乱の終盤。

 ここファルタから数日の距離にあるブシェクという迷宮都市に、これまでにない新しいラビリンスが生まれたのが変化の始まりだった。


 そのラビリンスは実にユニークであり、極めて上質な魔鉱石が路傍の石ころのごとくそこらに転がっているのだが、なぜか魔獣が一切いない。当然のように大騒ぎになった。どんな騒ぎかというと――


「――安全だからな、子供でも高品質の魔鉱石を拾ってこれるのだ。専門のディガーは商売上がったりだ」

「おおお」

「で、困った彼らはどうしたか」

「どうしたの?」

「それはだな――」

「うんうん――」


 まるで仲の良い姉弟のようなそのやり取りに受付でユリエがくすくす笑っているが、諭すようなシルヴィエの説明は途切れず続く。


 結論を言えば、そこでブシェクのディガーは結託して専門クランを立ち上げたのだ。


 専門知識と組織の力で素人に勝つべく、採集物ごとに専門人員を割り振ってノウハウを蓄積させたり、高額な道具類への投資に力を入れ始めた彼ら。

 上質な採掘道具や鑑定道具、灯りや簡易足場などの諸設備、専用の背負子、大量運搬用の大型荷馬車などなど、小遣い稼ぎの素人には手が出せない、けれどそれがあれば採掘に差が出るものを次々と開発導入していく。


 そしてそれらクランはせっかく大枚をはたいて投資した道具類を遊ばせないために更に人を集め、ローテーションを組んで定期便のように採掘に繰り出すようになった。


 それで喜んだのは件のユニオンである。

 それまで個人相手にこまごまと小口買取りをしていたユニオンだが、各採掘物ごとに専門のクランが大口で一括売却にきてくれるのだ。何より楽だし、対個人であれば存在していた種類や量の気まぐれさも、専門組織相手となっては嘘のように消えていった。


 そんなクランとユニオンは徐々に定期的な大口納品契約を結ぶようになり、個人単位の面倒かつ不安定な買取りは嫌われるようになっていく。そもそも個人では、量にしても安定度にしても値段にしても、専門特化したクランには勝てないのである。そして、その風潮はどんどん加速していき――


「――とまあ、今の流れはそんな感じだ。かつての腕に覚えがある者が誘い合って採掘に行く、という個人主義なディガーの姿はなくなって、今ではユニオンも大口取引のできるクランしか相手にしない。その風潮は発祥の地ブシェクだけでなく、ここファルタもかなり染まってきている。サシャ、お前がユニオンで相手にされなかったのはそういう背景があるのだ」


 ほへえ、と口を開けてシルヴィエの長い説明に聞き入っていたサシャだったが、そこで質問!と口を挟んだ。


「でもさ、魔獣がいないのって、そのブシェクってところの新しいラビリンスだけなんでしょ? ファルタ関係なくない?」


 どうだスゴいところに気づいただろう、そう言わんばかりに胸を張るサシャに、シルヴィエは小さく肩をすくめた。


「まあ、時代の流れというやつだな。ブシェクからここまで僅か数日の距離だぞ? 当然こちらにも大手クランは進出してくるさ。そして、道具も人員も揃った専門集団の強みで個人商売をしているディガーを圧迫していく。お前のように個人の新入りなど相手にもならない」

「えええー、すっごい迷惑なんだけどー」

「はは、この街に来てたった一日の、しかも神父の格好をした人間が何を言っている。ユニオンにはユニオンの都合というものがあるし、クランも経験ある現地ディガーを好条件で雇い入れるのだ。ボリスたちに聞かなかったか? ディガーの大型クランに引っ張られるように傭兵団も色々と進化し、団員に部屋を用意してくれたりするようになっているらしいぞ。人材の奪い合いだな。働く方としては生活も安定するし、悪いことばかりじゃないのだ」


 ああそういう風につながっているのか、と釈然としないながらも頷くサシャ。なんだか頭がパンク気味になってきたのである。


「とは言っても、だ。ここファルタにはまだ昔気質の頑固なソロのディガーも残っているし、伝手さえあれば個人で取ってきたラビリンス素材を売ることも可能だ。もちろんラビリンスに入ることもな」

「おおお、そんな抜け道が! さすがは同志シルヴィエ!」


 解決策の存在を匂わせたシルヴィエを、サシャが大げさに誉めそやす。ついに考えることを放棄しはじめたと言ってもいい。


「……サシャ、お前がなぜユニオンで相手にされなかったのか分かるか? まず初めのポイントとして、今のユニオンはラビリンス初心者に懇切丁寧に説明などしない、ということを忘れてはならない。それは今やクランの仕事だからな」

「クランの、仕事なの?」

「そうだ。ユニオンは長年、馴染みのクランとばかり取引をしてきたのだぞ? クランもスムーズな取引のために慣れた人間しか窓口にやらないし、右から左に話が通じるのが当たり前なのだ。そこにラビリンスのことをまるで知らない人間が行ってみろ。面倒くさく感じて嫌がられるだけだろう?」

「おお、確かに!」

「クランとしてもそんな事で最大の客に嫌われたくないからな。しっかり教育した者しか前面には出さない。で、話を戻すと、だ。サシャ、お前がそんなユニオンを相手に、しっかり話をするには」

「話を、するには!」


 そこでシルヴィエは言葉を切り、ニヤリと笑ってサシャに告げた。


「要は簡単なことだ――私と一緒に行けばいい」

「ちょ、これだけ長々と話して結論それ!? 初めに言ってよ!」

「ははは、初めには言ったぞ? ひと声かけてくれれば一緒に行ったものを、と」

「えええ、そういえばそんなこと言ってたけどさあ!」


 我を忘れて大声で必死に抗議するサシャと、ついにけらけらと笑い出すシルヴィエ。

サシャはからかわれたのだ。


 実情を言えばシルヴィエもクランに所属している訳ではないのだが、ケンタウロスでは知らぬ者のいない英雄の血縁者であり、武者修行の一環でここのラビリンスに通っていた時期もある。ユニオン職員とも充分に誼を通じており、そこで個人的にラビリンスに潜る程度のことなど、確かに彼女と一緒であれば何の問題もないというのは事実であった。


「くくく、何も知らない癖に一人でユニオンになど行った罰だ。お前が来るのをここで私とオットーがどれだけ待ったと思っている? まったく手のかかる神父だ。だが勉強になっただろう? なあ、ユリエ?」

「え? あ、はい!」


 受付で話を聞いていたユリエが背筋をしゃんっと伸ばし、笑みの残りを咄嗟に押し隠して元気よく返事を返してくる。父オットーよりさらに柔かそうなふわふわの犬耳がふるりと揺れ、シルヴィエは実に満足そうに「うむ」と頷き返した。


 面白くないのはサシャだ。

 確かにシルヴィエたちを待たせたのは悪いと思うし、そのシルヴィエに多少の意趣返しをされるのはいい。そこに悪意はないし、実際として勉強にもなったからだ。


 だが、問題はそんなシルヴィエに元気よく返事をしたユリエである。


 ユリエの犬耳は良いものだ。それは間違いない。オットーの娘といわれて勝手に想像していたより年齢は上だったが、犬耳に貴賤はない。淹れてくれた香草茶も実に美味で、おかわりを頼みたいぐらいだった。結論として、彼女は素晴らしい女の子であるといえよう。


 だが、今のユリエのハイという返事、それは「勉強になっただろう?」という問いに返されたものなのか、その前の「手のかかる神父だ」に対するものなのか、そこの違いは実に大きい。


 いくら十歳の女の子とはいえ、いくら犬耳という絶対的な免罪符を持っているとはいえ、場合によっては徹底抗議もやむなし。子供だからこそ、勘違いしている場合にはしっかりと教え導かないといけない――サシャはそう心に誓った。


「むむむ…………」


 そんなサシャの探るような疑いの眼差しを受け、ユリエの小さな口元がひくひくと動き出している。それはまるで笑いを堪えているようであり――


「こらこら、ユリエを睨むな。どうだ、さっきここに来た時よりも随分と元気になったではないか。サシャはそのぐらい生き生きとしている方が良い」

「違うシルヴィエ! これは生き生きとしてるんじゃない、慎重に真実を見極めようとしているんだってば!」

「くくく、そんなことはどっちでもいい。さて元気になったところで、ひととおりユニオンについて予備知識も得たことだし、早速これからラビリンスに行ってみるか? オットーの戻りは夕方、それまで時間もある」

「お、おおお? 行く、行く行く。すぐ行こう今行こう」


 あっけなく抗議を引っ込め即座に立ち上がったサシャに、ついにユリエがくすくすと笑いはじめた。父親が商売の守り神かもしれないと言っていた年の近いこの少年――ユリエの目には三つか四つ年上にしか見えていない――に、なんともいえない親しみを覚えはじめていたのである。


「ユリエはラビリンスで何か取ってきて欲しい物はあるか? サシャの案内がてら、夕方には戻ってこれる範囲で狙える物になるが」

「え、ならアベスカの頬袋が欲しいです! いつだったか、それがあれば商隊の効率が跳ね上がるって父さんが」

「む、さすがにそれは――」


「――任しといて!」


 咄嗟に口ごもったシルヴィエを遮り、どんと胸を叩いたのはサシャだ。


 アベスカが何かは知らない。頬袋ということはリスのような何かなのだろう。ならばたいした相手ではないし、何より、眼前の十歳そこそこの女の子が父親のためを思っておねだりしたものなのだ。それを引き受けないという法はあろうか、いや、ない――と、即断即決の心意気である。


 つい先ほど疑いの眼差しで見ていたことも忘れ、そして相変わらず親子の情などに滅法弱いサシャであるが、シルヴィエがその袖をくいくいと引っ張った。そしてユリエに聞こえぬよう、小声でサシャの耳元で囁く。


「……おいサシャ、アベスカがどんな魔獣か知ってるのか?」

「……知らない。頬袋があるってことはカエルかリスみたいな感じ?」


 シルヴィエにつられ、ついつい小声で囁き返すサシャ。

 が、シルヴィエは突然、そんなサシャの耳をぐいと捻り上げた。


「あだだだ、痛い痛い! やめてシルヴィエ!」

「そんなことじゃないかと思ったぞ。すまないユリエ、さすがにアベスカの頬袋は厳しい。探してはみるが、専門のハンターでも月に一対取れるかどうかの代物だ。あまり期待はせずに待っていてくれ。この馬鹿にもきっちり教育しておく」

「ま、まさか危険な魔獣なんですか!? 私、そんなつもりは全然なくて――」

「いや、強さは殆どないと聞いている。その点は安心してくれ。ただ珍しくて逃げ足が速いだけだ。けれど一度引き受けた以上、この馬鹿と一緒に最大限の努力はしてくるからな。それで許してくれ」


 そう言うと同時に、シルヴィエはユリエに対して深々と頭を下げた。

 彼女にとって約束とは神聖なものであり、たとえ気軽な口約束でもそれは守らなればならないものなのだ。もちろん自分が頭を下げるのと同時に、サシャの耳をぐいと引っ張ってその頭を下げさせるのも忘れない。守れない約束をした張本人だからだ。


「いえいえ、許すなんてそんな! ついでに取ってこれるものであれば、そう思って口にしちゃっただけです!」

「ユリエは優しい子だな。けれども努力はしてくるぞ。期待はせずに待っていてくれ。――よしサシャ、行くぞ。時間が惜しい。急げ」

「痛いよシルヴィエ痛いって! 行くから耳は離して! 伸びちゃうから! ちびっ子エルフになっちゃうから!」

「そんなことで持って生まれた種族が変わってたまるか。訳の分からぬ事を言っていないで歩け。耳がちぎれても知らないからな」

「ぎゃあああ!」


 そうやって騒々しくぺス商会を出ていくサシャとシルヴィエ。

 ユリエはユリエでオットーによろしく伝えておいてくれと言われ、今の顛末をどこからどう説明すればきちんと伝わるのか、その大きな犬耳を傾けて真剣に悩み始めるのであった。


 とりあえずは――ユリエは考える。


 にぎやかなお兄ちゃんができそうです。

 まずはそこから説明を始めることにしよう、そう心に決めるユリエだった。




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