06話 顔合わせ

「ようこそ我らが商隊へ、神父さん」


 金欠のサシャがオットーにスカウトされ、その一時間後。各々の用事を済ませた彼らは、街の正門前に再び集まっていた。


 土埃が立ち込めるそこには何十もの荷馬車がごった返しており、街を出る者入る者、その行列と喧騒は途絶えることがない。そんな中オットーのペス商会として集合しているのは二台の中型馬車と、サシャを含めた護衛メンバーたちだ。


 サシャを皆の元に案内したオットーは、街を出る手続きをしてくると詰所に向かっている。それをやや離れた場所に一人佇む女ケンタウロスが視線で追っているが、サシャは知っている。その視線は護衛対象を見守るものではなく、その一部を愛でているだけだ。


 そんな彼女を合わせてこの場にいるのは六人。

 同志ケンタウロスとサシャ、後は長い尻尾を揺らした豹人族の傭兵たちが四人。周囲の大半を占める大隊商と比べ、かなりこじんまりとした一団だった。


「じゃ、今のうちに細かい自己紹介をしておこうか。俺たちにしてみりゃ慣れた道のりだし、そこまで緊張する必要はねえけどな。……で、お前さん、神の癒しができる本物の神父なんだって? 話に聞いたことはあるけど、そんな人が一緒に来てくれるなんて大助かりだぜ。俺たち護衛一同、諸手を挙げて歓迎するぞ」


 きょろきょろと周囲の喧騒を珍しそうに見回していたサシャに、そう気さくな口調で声をかけてきたのは同行の豹人族護衛の一人だ。

 確かに今は暫しの待ち時間。サシャは良い機会だとばかりに居住まいを正した。


 そうなのだ。

 あれからオットーに連れられて軽く顔合わせはしたのだが、彼らが食事中だったこともあり、護衛同士でこうしてまともに言葉を交わすのは初めてのこと。初めの印象は大事。サシャはその紫水晶の瞳を好奇心で輝かせたまま、できるだけ丁寧に自分から自己紹介を行った。


「ええと、さっきもオットーさんに紹介してもらったけど、名前はサシャ。正式な神父じゃないけど、見てのとおり流れの神父みたいなものかな。癒しも剣もそれなりに使えて、今の気分は初めての土地にワクワクしてます。どうぞよろしく」

「ぷっ、ワクワクときたか。……俺はボリス。この商隊の護衛隊長兼、そこの荷馬車の馭者だな」


 まず率先して名乗りを返してきたのは、護衛たちの中で最年長と思われる豹人族の剣士だ。

 中肉中背、種族特有のしなやかな尻尾を背中に揺らしながら、場数を踏んだ者特有の落ち着きを持って他の護衛たちを自然と従えている。


 悠然と構えた中にも隙のない立ち姿と、丁寧に手入れをされた飴色の革鎧――サシャは元同業者の目でボリスをざっと観察し、護衛隊長だという言葉に内心で納得の頷きをする。


「……へえ、神父さんのその背中の双剣も飾りじゃないんだな。癒しもできて剣も使えてって、至れり尽くせりじゃねえか。それが本当ならこのザヴジェルじゃ引く手あまただぞ? オットーの旦那、大当りを捕まえたな」

「あはは、期待を裏切らないように頑張るよ。欠損とか命にかかわるような大怪我はさすがに癒せないけど、単純な切り傷や骨折ぐらいだったら充分に癒せるから。怪我人がいれば今実際にやってみせるんだけど――」

「がはは、そこまでしなくていいって。ちょっと見てみたいってのはあるけどよ、誰かが怪我したらその時にやってくれりゃ充分だ。さっきも言ったけどファルタまでは慣れた道のりだし、護衛の頭数は足りてんだ。油断は禁物だけど充分に余裕はある」


 自信に満ちた顔で笑うボリスをサシャはじっと見詰め、大きく頷いた。


「了解、よろしくね。隊長はボリスさん……よし覚えた。ていうかボリスさん、さっき隊長だけでなく馭者もやるって言った?」

「わははは。なにせ少数精鋭の商隊だからな。二台の馬車のうち一台はオットーさんが、残る一台は俺が馭者をするんだ」


 ボリスが豪快に笑いながら同行の顔ぶれをぐるりと見回した。そう、この場にいるのは傭兵たち五人とサシャだけだ。馭者の姿はどこにもなく、だからサシャは追加でどんな人が来るのかと周囲をきょろきょろとしていた訳でもあったのだが。


「そうそう、同行するのはこれだけ。いくら待ってもこれ以上誰も来ないぜ」


 ボリスの言葉にサシャは改めて荷馬車に目をやった。

 確かに二台ある。商会主でもあり、生粋の商人ぽいオットーが馭者をするのはまあ分かるとしても。


 けれどもいざ魔獣の急襲を受けた時、このベテラン剣士が馭者席に座っているとそれだけ対応が遅れ――


「あー、今この商隊大丈夫か?とか思ったろ。平気平気。こう見えて俺を含めた豹人族の四人はザヴジェルじゃちょっと有名な傭兵団、<黒豹牙>から年間派遣で来てる身だからな。加えてケンタウロスの<槍騎馬>の嬢ちゃんもいるし、ここらで出てくる魔獣にそう遅れは取らねえって」


 ま、任しときな、と自信に満ちた笑みを浮かべるボリス。それに、そもそも――と彼はサシャの返事を待たずに言葉を続ける。


「それにそもそも、初めは本職の馭者もいたんだけどよ。守る人数は少ない方がいいからな。こっちからオットーさんに我が儘言ってこうさせてもらったんだ。な、オットーさん?」


 そう言ってニヤリと笑うボリスの視線の先には、ちょうど小走りでオットーが手続きから戻ってきたところだった。ボリスの言葉が聞こえていたのか、額の汗を拭いながら笑顔で話に加わってくる。


「ああ、お待たせしました。そうそう、馭者だった者は店番に回しているのですよ。お陰で商隊としての負傷頻度は減るわ店の人員体制にもゆとりが出るわで、こちらとしても助かっているのです」


 頭上の犬耳も主の動きにつられて、どうだ凄いでしょ、と言わんばかりに翻っていたのだが、サシャは思わずそれを見逃していた。ボリスの初めの言葉に強く注意を引かれていたのである。それは、


 ――ザヴジェルって、まだ傭兵団があるんだ?


 というもの。

 傭兵団が商会と年間契約をして傭兵を派遣する……何というか、サシャの知る傭兵とはその在り方からして違うようなのである。


 サシャの生国アスベカでは、傭兵はまず基本的に個人営業の日雇い労働だ。

 長期の職を求めるならば負傷欠員だらけの騎士団の穴埋め臨時雇いに応募するか、賃金など碌にない街の自警団に潜り込むか――傭兵ギルドが細々と仕事を斡旋してはくれるものの、いずれにせよ生き残るのが精一杯、そんな厳しい生業だった。


 昔はアスベカにも傭兵団なるものがあった、とは聞いている。

 傭兵間の互助から始まって揉め事の仲裁から大口雇用の交渉まで、団員になればかなりの恩恵に与れる組織だったらしい。


 が、魔獣が世界を席巻し始めると共にいつしかその姿は消えてしまった。

 魔獣が強くなる、傭兵の死傷率が上がる、団員数の減少が限界を超える――そんな負の潮流に逆らえず、いつの時代からか、どの傭兵団も組織として存続できずに消えていったそうなのだ。


 けれども、古株の傭兵たちは口々に言っていた。――あの時代は良かった、と。


 例えば、サシャが時々癒しをしてあげていた痛風持ちの老ドワーフ。あの齢二百年を超えるよぼよぼの元傭兵は、安酒が手に入るたびに酔っぱらってこう語るのが常だった。


『あの時代は良かったぞお、坊主。全ての傭兵が誇り高き戦士で、全ての女が美しくて、生活の全てが心躍る冒険だったんじゃ。太陽はきちんと一日の半分を仕事して、食卓には当たり前にパンと野菜のスープが並ぶ。誰一人として今のように、ギラギラと切羽詰った目なんかしてなかった時代じゃよ』


 当時のサシャはハイハイと聞き流していたが、それがどうだ――


 ザヴジェルに来て翌朝にいきなり商会に好条件でスカウトされ、見れば既に五人もの傭兵が雇われていて、聞けば彼らは傭兵団を通じて年間派遣された身であるという。


 そして宿の朝食は何を隠そう、食べきれないほどの焼き立てパンと、野菜たっぷりのスープだった。


 いや、あれはサシャの知る野菜スープではなかった。

 器の底に申し訳程度の野草が沈んでいる苦いお湯などでは断じてなく、由緒正しき野菜がえも言われぬ甘みを醸し出した、お湯より野菜の方が分量が多い贅沢な一品だったのだ。サシャにしてみればそれは野菜スープではなく、「ザ・野菜~彩りに金色スープを添えて~」とでもいうべき未知の料理であった。


 そう。

 このザヴジェルはまさに、あの老ドワーフが言っていた古き良き時代を彷彿とさせるような世界なのである。


 食事だけではない。

 例えば。


 サシャは目の前のボリスをその紫水晶の瞳でじっと見詰める。


 この豹人族剣士はざっくばらんなようでいて、良かれと思えば自ら馬車の馭者をやるのも厭わない護衛隊長だ。それはまさに傭兵のかがみ、老ドワーフ風に言えば“誇り高き戦士”といえよう。


 そして、もうひとつ例えば。

 荷馬車から一歩引いたところで一人佇んでいる、女ケンタウロスへとサシャは視線を移す。


 彼女は滅多にお目にかかれないぐらいの、野性味溢れる美貌の持ち主だ。ケンタウロスには珍しいアッシュブロンドの長い髪を片側で束ねて胸元に垂らし、凛と背筋を伸ばしてもの静かに佇んでいる。残念なことに下半身が馬だが、それでも無言で通じ合った同志。これも“美しき女”といえるのではないか。


 そしてそんな彼らと共にこれから向かうのは、未だ知らぬラビリンスのある迷宮都市。

 それはまさに冒険以外の何物でもない。パンと野菜が贅沢に食卓に並び、強き男たちと美しき女たちに囲まれ、心躍る冒険に満ちた生活をする。街を歩く人々は笑顔で挨拶を交わし、警戒心と猜疑心で周囲に視線を走らせたりはしていない。


 そうなのだ。つまりサシャを取り囲む境遇は今、本当に老ドワーフの言っていた古き良き世界そのものと言っても過言ではない――


 天啓のごとくその事に思い至ったサシャは紫水晶の瞳を見開き、胸一杯に大きく息を吸い込んだ。



「やっぱりザヴジェルに来て良かったあ!」



「え、何だって?」

「わ、ごめんごめん。ただの独り言だから気にしないで」


 後ろで縛った癖のない黒髪をブンブンと振り、知らずに迸っていた心の声を慌てて誤魔化すサシャ。


 けれど、同じ傭兵でも随分と違う人生を送っていそうなのは確かだ。

 ボリスたちは昔の傭兵仲間と比べ、顔色からして健康的なのだ。よそに売るほど小麦が収穫できる豊かな土地、ザヴジェル。そこで暮らす彼らは宿での朝食が普通で、きっと野菜なんかも毎日食べちゃってるに違いない――そう考えるだけで涎が出そうになるサシャ。


 これまでの生活では、食事といえば魔獣の干し肉か魔獣の焼き肉、もしくは魔獣の肉の煮込み……とにかく魔獣の肉が材料の九割を超えていた。日照不足と魔獣増加のせいで大半の農民が鍬を捨て、畑で魔獣を収穫する狩人になっていた結果である。


 けれどもこれからは違う。

 なにせ一日の護衛仕事で銀貨一枚という破格の報酬に加え、なんと道中の食事まで面倒をみてくれる相手に巡り合ってしまったのだ。


 そしてサシャは知っている。そのオットーが宿の女将から今日の昼食として人数分、贅沢極まりないサンドイッチなるものを受け取っていることを。


 まさに古き良き時代そのもの――ザヴジェルという土地の予想以上の楽園ぶりに、頬が緩むのを止められないサシャであった。



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