05話 出会い

「神父さま、神の癒しを使えるというのは本当ですかな?」


 サシャが宿の女将を正面から見つめ、大きく息を吸った、その時。

 その背後、食堂の方から声がかけられた。


 見れば犬人族と思われる商人風の男が食堂を出たところで足を止め、満面の笑みでサシャを見つめている。


 年はサシャより上のようだが、犬人族は犬人族でも愛玩系の犬を祖とした種族のようで、つぶらな瞳に若々しい風貌をしておりはっきりとした年齢は分からない。頭の上には大きなふわふわの犬耳が垂れており、サシャとしては初めて会う種族かもしれない。服装はそれなりに質が良く、そこから考えれば新進気鋭の中堅商人、といったあたりか。


「お話は向こうにも聞こえていました。その、少々お金にお困りのようで」

「あはは。あー、そうと言えないこともない、というか、違うと言ったらウソになる、というか」


 さすがのバツの悪さに口ごもるサシャ。

 神父の格好をしてもいるし、これでも国元では名の知れた傭兵だったのだ。宿に泊まっておいて金がない、ではさすがに恥ずかしい。そんなサシャに商人はにっこりと微笑み、頭上に垂れたふわふわの犬耳のつけ根をピクリと持ち上げて話を再開させた。


「神父さま、ザヴジェルは初めてで? 他所とはいろいろと勝手が違いますからな。これも何かの縁です。よかったらウチの商隊で臨時の癒し手兼護衛をしてみませんか? これからの神父さまの予定が決まっていなければ、ですけれど」

「癒し手、兼護衛?」


 思わぬ言葉にサシャは正面から商人に向き直った。神父のなりはしているが元は傭兵、癒しも戦いもどちらも得意分野だ。戦いについてはあまり前面に押し出したくないという気持ちもあるが、魔獣ひしめくこんな世の中である。まったく戦わないという訳にはいかないし、商隊の護衛程度ならどうとでもなる。


 が、いや待て飛びつくな、と警戒する気持ちの方が大きいというべきか。金欠のサシャにタイミングよく告げられた渡りに船のこの申し出の、まずはその真意を確かめるべきであった。


「そうです、癒し手兼護衛です。いかがですかな?」


 商人はそんな半信半疑のサシャに向けて大げさに両手を広げ、頭上に垂れた大きな犬耳を悪意はないと言わんばかりにぶるんと振ってみせた。いや、商人本人は至って真面目にただ頷いただけで、ふわふわの犬耳はそれに追随して動いたにすぎないのだが。


「……おっと、申し遅れました。私、お隣の迷宮都市ファルタを本拠に商売をしております、ぺス商会のオットーと申します。今日はこれからそのファルタまで戻るんですよ」


 おそらくそのファルタがあるであろう方角を指差し、「ですよね?」と宿の女将に追認を求めるオットー。女将も顔馴染みなのか、話に加わってきた犬人族の商人に素直な頷きを返している。


「で、いくらザヴジェルの騎士団が定期的に街道の魔獣を駆除してくれているとはいえ、さすがに荷に護衛はつけております。神父さまにはそこに加わってもらおうかと。いえいえ、実際のところ護衛自体は足りているのですけれど、実はですね、ここザヴジェルでは神の癒しの使い手は大変に珍しいのですよ。私自身、お恥ずかしながらポーション以外の癒しは見たことがなくて。後学のためにもぜひお願いできないでしょうか」


 オットーはそう言ってにこりと微笑んだ。そしてそのまま滑らかに言葉を繋いでいく。


「そうですね、神父さまには報酬として銀貨一枚にこの宿の代金、お望みであればファルタでその魔鉱石を欲しがりそうな相手を探しも致しましょう。道中の食事は他の護衛たちと同様、こちらで用意しますよ」


 提示された条件に、サシャは腕組みをして考え込んだ。悪くはない。正直なところ、滔々と弁じるオットーの頭の上で震える柔らかそうな犬耳に注意を半分持っていかれそうだったのだが、彼自身はまともな商人であるようだった。


「私どもザヴジェル商人は魔獣溢れる外の世界からやって来る、勇気ある方々との新たな縁を非常に大切にするのですよ。ザヴジェルの繁栄の半分はそんな方々がもたらしてくれるものですし、新たな商機の塊ですからな」


 加えて、サシャの後ろ姿を見た途端に商人の勘が強く動いた、そうオットーは真面目な顔で言う。自慢ではないがこれまでその勘が外れたことはない、オットーはそうも付け加えた。


「出発は一時間後。神父さまは商隊の護衛に混じりつつ臨時の癒し手として、道中で護衛の誰かが負傷をしたら癒してやってください。それで私に儲けがあるのかと言われれば正直丸損ですが、半分は私の好奇心と勘への投資。残りの半分は、神父さまの癒しのお陰で自前のポーション代を節約できる、他の護衛たちへのささやかなボーナスということにしておきましょう。これもまた投資の一種、彼らも良くやってくれていますからね」


 そう言ってオットーが振り返った先には、未だ食堂で朝食を食べている五人組の姿があった。黒髪の豹人族の男女が四人に珍しいアッシュブロンドの女ケンタウロスが一人、全員が実用本位の革鎧に身を包み、見るからに傭兵といったいでたちである。


「おお……」


 サシャにはすぐに彼らが中堅以上の実力の持ち主だということが分かった。即座に手に出来るように脇に置かれた得物によると、剣士三人に槍使いと弓使いが一人ずつ、そんな堅実な構成であるようだった。豹人族の男三人が剣で女が弓、槍は女ケンタウロスである。


 彼らの視線もまた興味深げにサシャに注がれており、その表情は危険人物を見るというよりは驚きを含んだ歓迎に近いもの。


 どうやら雇い主であるオットーの動向をしっかり観察し、さりげなく聞き耳を立てていたようだ。サシャに対する若干の警戒心は感じられるものの、神父の格好と小柄な体格のお陰か、そこまでは危険視はされていないようである。


 けれどもサシャからしてみれば、そこに流れる高い傭兵意識、そしてオットーとの間の良好そうな雰囲気、どちらも大変好ましいものである。これならば、とサシャはサシャで警戒心を一段引き下げた。


「あー、そういうことなんだ。こちらとしてはありがたい話だけど、ひとつ質問。なんで癒し手だけじゃなく護衛の条件もつけたのか、それを教えてもらっても? 見てのとおりこっちはしがない流れの神父くずれ、だよ?」


 そう。

 サシャはいつものくたびれた黒い立襟の上着を着て、その胸元には大きな銀色の十字架を下げている。どう見ても「泊まった宿で朝食を食べにきた、旅の神殿関係者」の図でしかない。


 しかも童顔で小柄。彼の身体に流れる例の種族の血のせいで成長が人より遅く、肌の張りといい筋肉のつき具合といい、二十歳は越えているはずなのに少年から青年になりかけの年頃にしか見られたことがない。加えて言えば、表情や物言い、立ち振る舞いなどもその年頃相応のものだ。


 数百年を生きる一部の長寿種族は数十年を生きてようやく人の十五歳相当に見えるというが、サシャもそれに近いものがあるのかもしれない。まあかつての傭兵の同業者に言わせれば、戦場に立てばその印象はガラリと変わるらしいのだけれども。


 話を戻すと、今この平和な宿の中では若い神父かその従僕か、という程度にしか見えていないはずである。事実、護衛の傭兵五人組にはそれでさほど警戒心を抱かれていない様子である。ならば、どうしてそんな相手に護衛という条件を持ち出してきたのか。


 が、オットーはそこで悪戯っぽく微笑み、これでも私は生粋のザヴジェル商人ですからね、と切り返してきた。


「神父殿はそもそも、守られるだけの存在ではないとお見受けしましたが、いかがですかな? 僭越ながらそこに敬意を表して護衛のひと言を加えさせていただいたのですよ。というのも――まずは背中のその双剣、かなり使い込まれた業物ではありませんか? しかも身体に馴染んでらっしゃる」


 そう言ってオットーは、サシャの両の肩口からそれぞれ顔を覗かせている双剣の柄頭を順番に視線で撫でた。


 確かに神父にしては大げさな武器かもしれないな、サシャは小さく頷く。けれどもそれが実戦で使い込まれたものだと見抜くあたり、オットーも平和ボケしたなまくら商人ではなさそうである。傭兵たちより近くで見ている、という利点もあるのかもしれないが。


 サシャがそれ以上何も反応を返さないのを見て、オットーは次いでサシャが手に持ったままのへそくり魔鉱石に視線を移した。


「そして決め手はその天然ものの魔鉱石ですな。神父さまとはいえ戦い慣れた佇まいと、その魔鉱石に並々ならぬ思い入れをお持ちのご様子。ふたつ併せて考えれば、ひょっとするとそれはご自分で狩った魔獣のものではないかと――やや、やややや?」


 唐突に目を丸くし、鼻息を荒げてサシャの手の魔鉱石を覗き込むオットー。サシャの目の前で、彼の頭上に垂れる大きな犬耳がふるふると震えている。

 思わずそれに目を奪われるサシャだったが、彼には亜人の外見に対して不用意に指摘しないだけの分別があった。ただ黙って眼前の豪奢な犬耳から視線を逸らすのみである。


「……ふむむ、私の目に狂いがなければこれは竜種も竜種、かの暴虐の地竜ズメイのものでは? こいつは驚きました。でもうーん、さすがに神父さまがご自分で狩ったものではありませんよね、モノがモノですし。先ほどの推測は私の早とちりでしたか……まさかズメイとは。でも、これならば……おお、ファルタでこれを欲しがりそうな人、早速ひとり思いつきましたよ!」


 オットーは顔を上げるなり興奮気味にまくし立て、途中でトーンダウンしたものの最後はホクホクの笑顔で締めくくった。

 さりげなく聞き耳を立てていた食堂の傭兵たちが、ズメイという言葉に大きくどよめいている。そうなのだ。サシャは少し嬉しくなってオットーの視線を正面から受け止めた。


 ズメイは古竜から翼と知性を取り去り、代わりに俊敏さと獰猛さを突っ込んだような厄介な地竜だ。大きいものになれば家数軒分のサイズにもなる。人里の近くに現れれば大騒ぎで、騎士団が即座に大規模な討伐隊を組むような相手だ。その魔鉱石などそうそう市場に出回るものではない。


 やはり分かる人には分かるんだ――自分のとっておきが日の目を見れそうで、こちらも笑顔で「そうそう、ズメイの魔鉱石なんだよね」と頷きを返すサシャ。どうやら金策の先行きも見えてきたようで、そういった意味でも肩の荷が下りたような心地である。


「……高く売れそう?」


 実を言えばオットーの予想とは異なり、サシャはそのズメイを単独で討ち取ったのだが――それはそれ。今一番大切なことは、何より当座の生活資金である。サシャはその紫水晶の瞳を期待に輝かせ、オットーの反応をじっと窺った。


「……ええ、なにせその欲しがりそうな相手は、当地のご領主ザヴジェル家に連なるお方でして。それなりに期待はできるのではないでしょうか!」

「おおお!」


 いつの間にやらすっかりオットーの申し出を受けるつもりになっているサシャ。ここまでくれば疑うも何もない。小さくガッツポーズまで繰り出し、気分は既に大金持ちである。


 捨てる神あれば拾う神あり。

 先行き真っ暗に見えたサシャの新天地生活は、彼の眼前に再び燦然と輝き始めたのである。


「ふふふ、これは私にとっても大きなチャンスなんですよ。なにせ相手はザヴジェル家、言わずと知れたこのザヴジェルの領主に連なるお方です。普通なら会いたくても会えない相手、いよいよ私にも飛躍の時が! 絶対にモノにしてみせますとも!」


 早くもその購入候補者に面会を取り付ける算段でもしているのか、オットーのつぶらな瞳の奥では様々な段取りが組まれ始めているのが分かる。機を見るに敏な、やり手の商人なのだろう。


 ただ。

 頭にふんわりと垂れている柔らかそうな犬耳が、まるで彼の気負いを台なしにするようにトテトテと揺れている。


 いや、オットー本人は至って真面目なのだ。

 ただ、嫌でも目につく頭上の大きな犬耳が、オットーの全ての動作に応じて勝手に揺れているだけである。たとえそれがどんなに元気いっぱい愛嬌いっぱいに自己主張をしていても、この気鋭の中堅商人の燃え上がる決意とは無関係なこと。


 そしてサシャはふと、護衛のうちの一人、野生的な美貌を持つ女ケンタウロスの視線が若干ずれていることに気がついた。


 自分と同様、オットーのやんちゃな犬耳をこっそりと眺めているのだ。そしてその視線にサシャが気付いたと彼女が認識するや否や、二人の間に雷光のような無言のやり取りが走った。


『良いものだろう? でも本人は気にしてるからな。絶対に口には出すなよ』

『ああ、見るだけだね。けれどもこれは良いものだよね、我が同志よ』


 以心伝心、サシャは深々と頷いた。

 やはり注目しているのは自分だけではなかったのだ。同行するのであろう傭兵の中にさっそく気の合いそうな相手を見つけられ、彼は大満足で大きく息を吸い込んだ。


 ……なんか楽しくなりそう!


 朝の爽やかな空気と共に、そんな予感が胸一杯に広がっていく。

 もちろんオットーの護衛の話は受け、これから彼らと共に隣の迷宮都市、ファルタへ行く。


 サシャの生国にはラビリンスと呼ばれる迷宮自体がなかった。知識として知ってはいるが、実際のところラビリンスとはどんなものなのだろう――


 期待に胸を膨らませるサシャは、自分がにこにこと笑っていることに気付いていない。

 待望の新天地生活は、なんだかんだで順調に動き始めたのだ。




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