第19話 『シオン』
高校3年6月
妹が死んだ。
恋人が逮捕された。
小説が書けなくなった。
もう何もない。
僕には何もない。
けれど僕がどれだけ絶望しようと、慟哭しようと、残酷に時は進み続ける。
終わらないと思った冬は、気がつけば三寒四温に変わり、怒りを覚えそうな程美しい桜が咲き誇る。
けれどそんな桜もいつまでも咲いているわけもなく、勝手に散り落ちた花びらを踏むたびに、幾度となくざまあみろと罵った。
そんなものはただの八つ当たり。
自暴自棄。
毎日何故僕だけがのうのうと生きているのか、疑問を投げかける日々。
そうでもしないと、もう頭がおかしくなる寸前だった。
もういっそ狂ってしまいたいと、何度ものたうち回った。
時が心を癒す様子など全く見れず、寧ろ時が経つたびに、己の中の限界という足音が次第に大きくなっているのが分かっていた。
ガラス越しに世界を見下ろしても、死神には逢えやしない。
なにかきっかけを探し続ける日々を繰り返していた。
ガラスを粉々に割るきっかけを。
けれど消耗していく日々は決して劇的なものは起きず、起伏のない平原がいつまでも、地平線まで続いていた。
僕は死ぬ理由を探すために生きていた。
何か一つ、嫌なことがあれば死ぬ理由として簡単に採用する。
けれど何もないんだ。
良いことも、悪いことも。
だから筆が進まなくなった僕は、代わりに半生を振り返ることにした。
もう物語を綴れなくなってしまった僕が、最期に書く物語。
きっかけを作るための物語。
それがここまで書いてきた不知火遍の物語。
もう僕の心はこれ以上無く、傷付き、歪み、悲鳴を上げている。
憎悪と虚無と絶望と喪失と、そして愛情が、反発し合い今にも心臓が裂けそうな気分だ。
最後に今の僕の無様で、酷い有様を語るとしようか。
高嶺華が殺人を犯し逮捕されたというのは、もうクラス中、否、学校中に伝わっていた。
太田先生は居なくなった高嶺華を『家庭の事情で』とはぐらかし、クラスのみんなに説明をしていたが、殺した人も殺された人もこの羽紅高校の生徒だ。
好奇心に駆り立てられた人にいつまでも隠せるわけがなかった。
『高嶺の花が下級生の女子生徒を殺害した』
馬鹿馬鹿しくも真実である噂は、あっという間に全校生徒の耳に届いた。
女子生徒、不知火綾音が誰にとは言ってはいないらしいが、殺されたというのははぐらかさず、クラスメイトに伝えられたらしい。
真実を隠すなら隠す、話すなら話す。
学校側も徹底すればいいものの、そういった曖昧な対応が、噂を生み出したと言っても過言ではない。
おまけに高嶺華は、この学校では有名人だ。
一時はその美貌と人徳で『高嶺の花』と多くの生徒から憧れられ、そして想いを寄せられていた。
それら全て押し除けて、付き合ったというのが無名の男子生徒であったことも、ある意味有名な話だろう。
高嶺の花が殺害したのはそんな無名の男子生徒の妹。
これだけでもう外野から見たら、随分と滑稽な物語に映るだろう。
兎にも角にも、この学校中にはもう事実が知れ渡っている。
誰しもが僕のことを好奇心が宿った瞳で僕を見るのをやめない。
少し前までは『高嶺の花』と交際したことによるやっかみなどの嫌がらせを受けていたが、今ではもうさっぱりだ。
きっともう関わらない方がいい奴と思われている。
そもそももう嫉妬する理由もないだろう。
どんなに美しくても人殺しになってしまえばそこでお終い。
もう誰も僕に嫉妬する理由なんてものは無かった。
高嶺華が殺人の容疑で逮捕されたのが昨年の12月のこと。
あれから数ヶ月に渡り、裁判が行われた。
高嶺華側は正当防衛の主張を行った。
正当防衛を証明するための僕は証人として裁判所に召喚された。
皮肉な話だ。
身内が殺されたというのに、殺人鬼の無実を証明するために証人として召喚されたのだから。
『良心に従って、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います』
そう宣誓をさせられている手前、嘘を言うわけにも、真実を偽るわけにも、隠すわけにもいかなかった。
確かに不知火綾音は、高嶺華に襲いかかりましたと、言わざるを得なかった。
もし華が無実になったら、僕はどんな顔して彼女の前に立てばいいのだろう。
そんな不安が頭によぎった。
しかし不安が杞憂に変わったのは、検察が証人として用意してきた人物が現れてからだった。
「…えっ?」
その目を一度は疑った。
しかしどんなに目を疑おうとそこにいたのは間違いなく、かつての罪悪感の中に埋もれた少女。
小岩井奏波だった。
「住所、氏名、職業、年齢は証人カードに記載された通りですね?」
「はいその通りです」
「宣誓書を朗読してださい」
「宣誓。良心に従って、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」
誓いの後、彼女が証言したのは、高嶺華が己にした残虐な行為の数々、そしてその心の内にある残虐性についてだった。
そこで明らかに裁判の風向きが変わった。
もう一度、僕を証人として彼女の残虐性についての証言を求められた。
僕は極力、華と目を合わせないようにした。
でなければ真実を語れないと思ったからだ。
「判決。被告人を懲役10年に処する」
それは決して軽くはない判決だった。
その判決に彼女がどういう表現をしたのか、目を逸らし続けていた僕には分からなかった。
不服申し立てで第二審に行くこともできたこであろうが、華はそのままその罰を受け入れた。
裁判を終えたあと、数ヶ月ぶりに見る少女が外で僕を待っていた。
「あっ…不知火くん…」
「…。…やぁ小岩井さん。久しぶりだね」
再会したのちに交わされた会話は、小岩井さんが高嶺華にどの様に痛めつけられ、恐怖を与えられ、精神的に追い詰められたか、そんな話ばかりだった。
きっと共感してくれる、そういう思いで僕に話してきたのだろう。
けれど実際は僕ですら思ってもみなかった感情が湧いてきた。
僕は小岩井さんの話を聞いて、何故か苛ついてしまったのだ。
「あのね…不知火くん、今もう一度あの時と同じ想いを伝えたら、なんて答える?」
震えた瞳も声も、この時の僕を何故だか不快にさせるものだった。
「それは…ごめん。結局僕はあの時と同じ答えになるよ。恋人が殺人鬼になっても別れたわけじゃないよ」
「で、でもこんなのもう関係なんて破綻している様なものなんじゃあ…」
「…うん、これはちょっと言い訳としては意地悪すぎたかな。本音を言うと、もう疲れたんだ。誰かを愛するとか、愛されるとか」
「あっ…ごめんなさい…。こんなこと裁判の後に聞くことじゃなかったよね〜、あはは…」
「…小岩井さんならもっといい人見つかるよ」
無責任な言葉だ。
僕は知らないどこかの誰かに小岩井さんを押し付けようとしてるのだから。
最低だな。
「…。…うん」
「…萩原さんが君のこと心配してたよ。学校にまた戻りなよ」
「そう…なんだぁ。今はまだ怖くていけないんだけど、私頑張ってみるねぇ」
「きっと、僕とは違って君のことを待っている人がたくさんいるよ…」
「うん…」
また無責任な言葉で僕は、彼女を慰める。
別れ際の彼女はどこか、弱々しくも決心がついたような表情をしていた。
その後、小岩井さんが復学したのは、後1日でも休めば出席日数不足になるといった瀬戸際の日だった。
結果から言って仕舞えば、小岩井さんはそのまま無遅刻無欠席で無事進学できたとさ、めでたしめでたし。
文化祭の準備期間で仲良くなった桐生大地は、結局高校3年の今に至るまで言葉を交わしていない。
同様に高嶺の花との交際で仲違いした友人の鈴木太一ともだ。
たまに萩原紗凪が一言僕に声をかけるだけ。
小岩井奏波とも話はしていない。
そもそも、誰かと話すと言うことをもうしていない。
ただの腫物に誰が近づこうか。
今では孤独を支えてくれる恋人もいない。
僕はずっと不幸の底にいる。
恋人が義妹の心臓を貫いた日から、ずっと。
そこから堕ちることはないが、這い上がる気配もない。
絶望の淵を今日まで歩いてきた。
これからもきっとそうだろう。
地獄はもう…、終わらない。
さてこれが悲劇の全容だ。
物語はもう終わる。
最後に僕の最も愚かで滑稽な告白をしようと思う。
今でも僕は高嶺華を愛している。
あんなにも苦しめられたのに、最愛の妹の命を奪っていったのに、結局思い出すのは彼女と出会ってからの良き日々なんだ。
憎くて憎くてしょうがないのに、それと同じくらい彼女のことを愛してしまった。
鮮烈な記憶が色褪せない。
そうだな
この滑稽で惨めな物語にもタイトルは必要だろう。
僕は最後にこの物語に、ノートの表紙にこう名を授けた。
『高嶺の花と放課後』
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ー
「これでよし…」
ノートを閉ざし、そのまま机の上に置いておく。
さて
僕自身の物語を終わらせよう。
批判されても構わない。
小説家として先ずは、誰かに読まれるのが、第一歩だ。
遺書と相違ないノートを残し、教室を出る。
茜色に染まる廊下を歩けば、色々なことを思い出す。
一歩
また一歩と踏み締める。
そうやって進むと、やがて階段に辿り着く。
下へ続く道。
上へ続く道。
最早今の僕には迷いは無く、階段に足を踏み入れる。
一歩
また一歩と踏み締める。
踊場で一度振り返り、廊下を見下ろす。
上へ続く道。
これが僕が選んだ道。
後悔などない。
逆に後悔しかないのかもしれない。
それでも後戻りという選択肢はない。
もう一度、上を目指して歩みを進める。
一段一段、登る度に自分の行ってきた選択を思い返す。
もしもの世界を創造しては、破壊をするを繰り返す。
屋上への最後の踊場。
見上げれば夕陽が扉の窓から突き刺さり、眩しさに目が眩む。
それでも登る。
もう振り返ることもしない。
引き返さない。
未練なんてない。
重く固い扉を開けば、ギギィと錆びた音が響き渡る。
茜色に照らされたアスファルトは眩しく、空に散りばめられた雲はそれだけで美しかった。
今となっては当たり前だった全てが、なにもかもが美しく感じる。
「綺麗だ…」
なんの皮肉もなしに心からそう想う。
屋上の端、フェンス際まで歩いていく。
運動部の掛け声がそこら中から響き渡ってくる。
彼らは…、彼女らは何か目標があるのだろうか。
勝ちたい大会があるのだろうか。
それとも負けたくないライバルがいるのだろうか。
目標はなくとも"楽しい"という気持ちが胸に部活動を励んでいるのだろうか。
「きっとそれを青春と呼ぶのだろうな…」
運動部だけじゃない。
文芸部や無所属でも放課後、仲のいい友人と遊んだり寄り道したり、あるいはアルバイトをして日々を充実させてるかもしれない。
「いいなぁ…」
妬ましい気持ちが湧いてくる。
けれど『高嶺の花』と呼ばれる美少女と二人きりで、秘密の放課後を過ごすことだって青春と呼べた日々だったのではないか。
嗚呼、紛れもなく心躍った日々だった。
瞳を閉じる。
目蓋の裏には、彼女と出会ってからの日々、彼女と出会う前の日々が焼き付いている。
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ー
高校1年 4月
高校生になった。
羽紅高校の生徒になった。
なぜ羽紅高校の生徒になったのか。
それは家から徒歩で通える高校だったからだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
何となくで中学を卒業し、何となくで高校を選び、何となく小説家を夢見る人生。
心の中では、そんなもの何の意味があるのだと問い続ける。
きっとこの高校生活も何となくで終わるんだろうな。
そう思っていた。
「なぁなぁ、見たかあの子」
不意に話し声が聞こえた。
「あの子って何だよ」
聞けば友人同士の会話のようだ。
入学して間もないというのに、"普通"の高校生はもう友人を作っている。
「ほら、C組にいるじゃん。めちゃめちゃ可愛い子」
「あー、あの子ね。高嶺華っていうらしいよ」
「何でもう名前知ってんだよ」
「だってあの見た目で高嶺華だぜ?まじの『高嶺の花』だってもう噂になってるよ」
高嶺の花…、か。
きっと僕には縁遠い人なんだろうな。
男子生徒が挙って噂する美少女がどれほどのものか気になりはしたが、野次馬にすらなれない臆病者は、高嶺の花を見ることさえ叶わない。
路傍の石と高嶺の花。
なんだか対極にいるような存在だ。
僕が今まで歩んできた人生とその子が歩んできた人生。
どこで差がついたんだろうな。
「はは…」
こんなこと考えていたって仕方がないじゃあないか。
僕には本がある。
小説がある。
物語がある。
それはこれまでの人生を、否、これからの人生も満たしてくれるものだ。
夢に向かって夢を描いていく。
いつか小説家になる。
それだけきっと僕は生きてて良かったと思えるはずなのだから。
改めて自分の夢を見据える。
決意と志を胸に、気持ちを改める。
廊下を歩く自分の歩みはまるで、夢へと繋がっているような足取りになる。
創作意欲が掻き立てられていると、廊下を歩く僕と一人の女子生徒とすれ違った。
「!」
そんな足取りが一瞬のうちにして止まる。
夢への道に壁が立ちはだかったからではない。
ただ美しかったからだ。
刹那の間に心が惹かれてしまった。
考えるまでもなく、彼女が『高嶺の花』だと理解した。
すれ違った彼女を視線で追うように振り返る。
今となっては顔を見ることは叶わないが、後ろ姿にさえ美しさを覚える。
何故だか分からない。
そうか。
そうか…。
あれが『高嶺の花』
僕には手が届くわけもない。
誰しもが彼女に瞳を奪われてる中、僕もただ瞳を奪われていた。
知らず知らずのうちに夢中になっている僕に気づく人すらいない。
まさに路傍の石と高嶺の花。
この状況がそれを言い表していた。
急に恥ずかしさが芽生えてきた。
いつまで女子生徒の後ろ姿を眺めているのだろう。
これじゃあまるで、変態だ。
煩悩を振り払うように、身体の向きを元に戻し廊下を歩む足を再開する。
彼女は確かに美しかった。
正直に言えば、妬ましいとも思った。
羨ましいとも思った。
純粋に彼女は僕よりもずっと、ずっと高い存在なのだと分からされた。
廊下ですれ違っただけなのに。
そうか。
やっと分かった。
小説家になる。
一見、明確な目標のように見える夢だが、これも曖昧なものだったと今気がついた。
僕は…
僕は人を魅了するような物語を書きたい。
彼女が容姿で人々を魅了したように、僕も小説で人々の心を動かしたい。
場所は違くても、彼女のような高い位置へ努力したい。
これ以上ないくらいに、創作意欲が爆発する。
早く書きたい。
僕の物語を。
僕だけの物語を。
何となくで高校生活を終わらせてたまるのものか。
今は人の目が気になって書くことはできないが、本を読むことならできる。
溢れる創作意欲を読書で落ち着かせようと、教室へ戻り、持ってきていた本を取り出す。
「あれ?君本読むの?奇遇だな!おれっちも本読むんだよね」
「そうなんだ。僕は不知火遍。君は?」
「おれっちは佐藤太一って言うんだ!よろしくな遍っち!」
前向きな気持ちがきっとこういう交友関係を導いてくれたのだろう。
「よろしくね、…太一」
いきなり下の名前で呼ぶのは照れ臭いが、彼も下の名前で呼んできたので、歓迎の意思を示す。
これからも、長く交友関係が続けられるように…
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ーーーーー
ーーー
ー
初めて彼女を見た日、僕は絶対に彼女に届かないと、縁がない人間だと思った
けれどそれは本心を偽るために、格好つけて
達観した気でいただけ。
心の奥底では、ガラス越しの玩具を眺める子供のように、どこかで本当は欲しがっていたんだ。
本当に僕は何にも分かっちゃいなかったんだ。
最初から、…最期まで。
ヒュルリ
屋上に風が吹き抜ける。
気持ちがいいな。
何でもないことが美しく感じるのは、これで最後だと覚悟しているからだ。
生が本能を働かせ、未練を残そうとしている。
何もかも美しく感じる今の僕が、唯一醜く感じるもの。
意地汚さ。
腰を上げて、制服に付いた土埃を払う。
綾音は生まれ変わりを信じていたようだが、僕の方はどうだろうな。
こんな人生を繰り返すぐらいなら輪廻転生なんてしたくないし、もし"彼女"と釣り合うような人間になれるならそれも良い。
フェンスにしがみつき、上へ上へ、登っていく。
部活に青春を、情熱を捧げて夢中になっている人たちは、茜色で強く照らされた僕には気がつかないだろう。
フェンスを乗り越え、身体を向こう側へと運ぶ。
辛うじて足一つ分の幅の縁が、今の僕の命を繋ぎ止めている。
けれど一歩でもこの黄昏に足を踏み出せば、僕はきっと明けない夜を迎える。
それでいい。
もういいんだ。
疲れたんだ。
だから…
「さよなら」
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