プロローグ『アネモネ』

「以前から好きでした!付き合ってください!」


一体いつから私の事が好きだったの?具体的に言ってみなよ


「絶対に幸せにしてみせます!だから僕と付き合ってください!」


私の幸せが何だか分かっていっているの?


「高嶺さんは可愛いのはもちろんなんだけど、周りに気を配れて優しくて、その上明るい人で、高嶺さんのそういうところに惹かれました!俺とお付き合いしてくれませんか?」


気を配れて明るい人なんて他にもいるじゃない、何でその人じゃないの?


分かっている。


どうせ私の顔なんでしょ。


だから嫌いだ。


顔しか見てない薄っぺらい男達も。


『高嶺の花』と呼ばれるこの名前も容姿も。


全部嫌いだ。


昔からよく周りから可愛いと言われていた。


よく男子にちょっかいを出されていた。


よく女子に嫌がらせを受けていた。


今になれば分かるが、男子のは下らない照れ隠しであり、女子のは下らないやっかみであった。


幼い頃の私は、兎に角周りの同年代の人間が嫌いで嫌いで仕方がなかった。


だから、悪循環のように周りと私との溝は深まり、私は孤立していった。


だけど私だって、一人の人間だ、女の子だ。


孤立を何とも思わなかったなんて言わない、言えるわけがない。


苦しかった。


辛かった。


寂しかった。


周りとの溝が深まるたびに、私の心は愛に植えていた。


そんな孤独の穴を埋めるのは一人でもできる読書と両親の存在だけだった。


読書を繰り返す日々を過ごしていたある日、私は美しい物語を目にした。


とても尊い愛の物語。


真実の愛。


運命の赤い糸。


永遠の誓い。


いいな。


欲しい。


周りの人間なんてどうでもいい。


私のことを愛してくれて私が愛してあげる、愛と愛で結ばれた、決して切れない絆。


私ともう一人で完成する世界。


いいなぁ。


孤独や迫害を感じるたびに、私の心の中にある器にいつも黒くてドロドロしたものが注がれて溜まっていた。


その物語を見た時、私の中にある器から黒くドロドロしたソレが溢れて止まらなかった。


やがて私がこんなにも苦しい思いをしているのは、いつか出会う私だけの王子様に会うための試練なんだと、そう思うようになっていた。


そんな日々が続いていたある日、迫害を受ける私を助けるヒーローのような男の子がいた。


私はその時、疑いもせず、ソイツが運命の人だと思ってしまった。


けれど騙されても仕方がなかったと今では思う。


なにしろ、私の周りの人々全員に敵に回し、私の味方をしたからだ。


嬉しかった思いをしたのは覚えている。


私にとって初めての味方。


その時に思った、来た、と。


待っていた甲斐があった、と。


私はすぐにソイツに心を開いてしまった。


程なくしてソイツは、私に「好きだ」と言ってきた。


騙されていた私は、まんまとそれを喜んで受け入れた。


私は興奮しながら私のどこが好きなのかと聞いた。


するとソイツはこう答えた。


「か、可愛いところ」


そっぽを向きながら照れ臭そうに答えていた。


あの時の、興奮が急速に冷めていく感覚は忘れない。


可愛かったら誰でもいいの?


じゃあ私が可愛くなかったら助けなかったの?


違う


違う


違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う


そんなのは真実の愛とは言わない。


そんなものは運命の赤い糸とは言わない。


違うでしょ?


君が答えなければならないのは、世界中の人間から私を選ぶ唯一の答えなんだよ。


オマエは私の待ち望んでいた王子様ではない。


「嘘つき」


私は、偽者にそう言い残し、その日を境に小学校へ行くのをやめた。


学校へ通うのが辛かったことを素直に親に打ち明けると、「無理して行かなくていい。それよりもよく打ち明けてくれたね。よく頑張ったね」と頭を撫でてくれた。


すると私は涙が溢れて止まらなかった。


両親の愛、愛の尊さを更に感じることとなった。


対人恐怖症になったのではないかと恐れた両親は、家庭教師を雇わず私にパソコンを買い与え、自宅でも学習できることできる体制を整えた。


私は親に与えられた愛を無駄しないように勉強にそれからの日々を費やした。


それから一年と数ヶ月後。


周りは中学生になろうという時期になっても私は、学校というものへ通う気は起きず、勉強をするか自宅または幼い頃からよく両親へ連れていかれた喫茶店『歩絵夢』で読書をしていた。


「陽子さん、こんにちは」


「あらこんにちは、華ちゃん」


八千代 陽子さん。


私が唯一、好意的に思っている他人。


学校へと通っていない私になんの偏見もなく接してくれていた。


紅茶を頼むときに少し、紅茶を持ってきてもらう時に少し、紅茶のおかわりをお願いするときも少し。


その少しずつの会話を積み重ね、今の関係ができている。


「たまには紅茶じゃなくて、コーヒー飲んでみない?」


「いやですよう、苦いですもんあれ」


「やれやれ、まだ華ちゃんはおこちゃま舌かぁ〜」


「ひっどーい!紅茶美味しいんだからいいでしょ!」


「本当は紅茶おかわり無料じゃないんだからね?もう華ちゃんは子供なのに常連だからマスターも可愛がっちゃってさ。…まぁ最初に頼んだのは私なんだけどさぁー」


「ありがとう!陽子さん、大好き!」


これは本当の気持ちだ。


陽子さんがいるから私はまだ他人との接し方を忘れずにいられる。


「おーい、マスターは?」


陽子さんに咎められる。


「マスターも大好きだよ!」


寡黙な初老のマスターは、一つ笑顔を浮かべるだけでそれ以上は何も言わない。


「ったく、調子いいんだから。JKになったらおかわり有料にするからね」


「…いいよ、どうせ学校なんて行かないし」


「…まぁ学校行くのが必ずしも正しいとは言わないけどさ。JKってだけで得することもあるよ?」


「はぁ…」


学校に行くことになんの意味があるのだろうか。


どうせ下らない連中しかいない。


勉強ならちゃんとやっている。


大好きな人の言葉といえど、私の心を説得するには些か不足だ。


そうして日々をまた積み重ねること数ヶ月。


今度は思春期と呼ばれる時期に差し掛かり始める。


身体つきが丸みを帯びたものになり、第二次性徴と呼ばれるものが次々と身体中に見られるようになっていく。


身体に変化が起きれば、心にも変化が起きる。


この頃になると、私は焦っていた。


他人嫌いを拗らせ、人と関わりを持つ事を拒み続ける生活で、いつになったら私の運命の相手に出会うのだろうか。


単純な話、出会う人の数が少なければその分、機会損失をしていることとなる。


運命の相手はきっとこの世界のどこかにいる。


けれどそれは出会わなければ意味がない。


未だ見ぬ愛しき人もきっと私のことを待っているはずだ。


灰色の日々を積み重ねていく中で、私は学校というものに再び足を運ぶ気持ちが芽生え始めていた。


単純な話、人と多く出会える環境がそこにはあるからだ。


あんなにも行きたくもなかった場所なのに、今では焦燥感に負けてしまっている。


再び学校に通う決心がついてから羽紅高校に合格をしたのは、数ヶ月後のことだった。


殊の外嬉しかったのか両親は涙し、陽子さんにも伝えにいくと


「華ちゃんもこれでJKか。これで紅茶のおかわり無料はお終いね」


そんな意地悪なお祝いをしてくれた。


ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


入学して一ヶ月が過ぎようとした頃。


最初、どのように振る舞うか、その選択肢が私には二つあった。


一つは前と同じように極力他人と関わらないこと。


もう一つは嘘の仮面を貼り付けた生活を送ること。


初めは前者を想定していたが、そもそも入学した動機が変化を求めてのことだったため、振る舞い方にも変化が必要だと思った私は、後者の生活を選んだ。


なるべく明るく、なるべく優しく、なるべく気を遣う。


誰も彼も絵空事に思い描く良い子を演じる。


心底どうでもいいと思う有象無象共にも、わざわざ丁寧に対応する。


するとどうだ。


「…なにこれ」


いつものように下駄箱を開ければ、一通の手紙が入っていた。


いちいち細かい内容なんて覚えてなんかいないが、放課後に屋上に来いとのことだった。


仕方ないと、指定通りに屋上へ向かうことにする。


「あ、良かった!高嶺さん来てくれたんだ」


邂逅してようやく、差出人の名前と顔が一致した。


同じクラスの男子生徒だった。


「どうしたの吉原くん?話があるって」


白々しい質問だ。


こんなところに呼び出す用件を想像できないほど、私は鈍くない。


「単刀直入に言います。高嶺さん、あなたに一目惚れしました、付き合ってください」


男子生徒は手を前で組み、そう言ってのけた。


その瞬間、背筋に嫌悪感が走った。


気持ち悪い。


「…あはは、ごめんね。吉原くんのことはかっこいいとは思うけど私は吉原くんのことよく分からないし…」


当たり障りのない言葉で断ろうとする。


「だったら、友達からでもいい!俺のことが分かってくれたらその時に返事をしていいから!」


しまった。


当たり障りのない言葉を選んでしまったがために、断る理由が弱いものとなってしまい、相手が食い下がる。


一目惚れ、なんて気持ちの悪い理由で、告白するような男が運命の相手な訳がない。


そんな奴と、演技でも仲良くするには無理がある。


なんとかして断りたいという気持ちでいっぱいになる。


心が先走り、理性が働かない。


「…あの、それもごめんなさい。今はその、誰とも付き合う気がないの」


相手がこれ以上、食い下がる前に私は踵を返し、その場を後にする。


相手から見えなくなった事を確認すると、私は女子トイレに駆け込んだ。


「…ぅっ、ぇぇぇ…」


凄まじい嫌悪感は、吐き気を催した。


やっぱり嫌いだ。


学校も有象無象も。


挫けそうになる。


だけどもしかしたら、この学校にいるかもしれないのだ。


私の運命の相手が。


また不登校になるわけにはいかない。


気を強く持ち直し、仮面を付け直す。


そこから一年近くは、精神的に堪える日々が続いた。


最初の嫌悪感が凄まじい告白は、始まりの合図でしかなったのだ。


告白される。


嫌悪感が走る。


断る。


嘔吐する。


その繰り返しだ。


身も心もどんどんすり減っていく。


そうやって雨と紫陽花を疎ましく思いながら、蝉の音を聞き過ごし、落ち葉を踏みつけ、降り積もった雪を踏み越えていく。


もうこの頃になると、一日の中で何度も学校辞めようという考えが浮かんでいた。


ここまで過ごしてきて分かったが、長期休み前に告白する人が多いという事だ。


春休みを目前にした今、おのずと告白される頻度も増えていた。


辟易とする。


胃液で焼きついた胸をさすりながら、さっさと帰ろうと廊下を歩いている時だった。


忘れもしない。


この時、二月二十九日、四年に一度の閏日。


私と愛する貴方の運命が交わり始めたんだ。


閑散とした教室に一人、机にしがみ付いてひたすら筆を動かす貴方がいた。


初めは勉強をしているのかとでも思い、そのまま通り過ぎようとするが、一つの疑問が後ろ髪を引く。


机にあるのはどうみてもノートと筆だけ。


そしてただただ凄まじい集中力で勢いよく、筆が走る。


果たして本当に勉強しているのか?


勉強しているのであれば、教科書あるいはプリントも、机の上にあってもよいのではないか?


気になる。


何故こんなにも疑問と好奇心が浮かぶのか。


この時は分からなかったが、今になって思えばこれも運命だとしか説明のつけようがなかった。


私は自分の心に従い、入ったことも無い教室へと踏み入れる。


その様子にも気づくことはなく、相変わらず筆を走らせてる。


そして息を殺して覗き込む。


すぐに分かった。


小説だ。


彼は小説を書いている。


物凄い勢いで綴られていく物語を追っていく。


否、物語に惹き込まれる。


背筋に何かが走る。


嫌悪感ではない。


ーーーーーーーーゾクゾクゾク


走り去った何かの感覚を追いかけるように鳥肌が走る。


こんなに美しい物語を見たのは二度目だ。


その筆先で語られた物語は、尊いそれはもう尊い愛の物語だった。


この人は私と同じ"愛"の価値観持っている。


価値観は重要なことだ。


何者だろうか、この男の子は。


私が男子に興味を持ったのは、生まれて初めての事だった。


私がその物語から動けないでいると貴方はいきなり筆を止め、一つため息を吐いた。


私はその時、まずいと思って、固まってしまう。


覗き見した言い訳が一切思いつかなかった。


緊張感が血液を加速させ、灼けた喉の不快感がさらに増していく。


けれどいつまでも背後にいる私に気付く様子はなく、もう一度筆を取り、再び物語を綴り始めた。


すっかり萎縮した私は、彼の集中力が続いているうちにその場を後にした。


その後。


帰り道をふらふら、ふらふらと歩く。


あの人はいつもあそこで書いているのだろうか?


本当に私に気がつかなかったのだろうか?


愛についてどう考えているのか?


あの物語の結末はどうなるのだろうか?


溢れ出す疑問が止まらない。


波のように押し寄せる疑問が、好奇心となって押し返される。


けれど翌日から始まる学年末試験によるものか、その日以降姿を見る事なく、結局春休みが始まってしまった。


これらの問いの答えは一切分からずじまいだった。


学年を跨ぐ春休みの間、私は悶々とした日々を送っていた。


分かっているのは彼の顔と同学年ということだけ。


あまりにも不足した情報。


知りたい。


好奇心が日に日に増していく。


終いには、早く登校を再開したいと思うまでになっていた。


今までの積み重ねきた日々より、一日一日が長い。


早く学校始まらないかな。


…。


やがて春休みが終わると、私は気持ちが急いてしまい、いつもの登校時間より遥かに早い時間に辿り着いてしまった。


温暖化の影響からか、すでに桜は散り始めている。


校舎へ足を踏み入れれば、掲示板に『新クラス分け』と書かれた用紙が何枚も貼られていた。


自分の名前を探す。


「…あった。B組、ね」


クラス分けも重要なことだ。


もし彼と同じクラスになれれば、それだけ彼のことを調べやすくなる。


けれども、彼の名前を分からない私は、今それを調べる術は持ち合わせていなかった。


A組からE組まであるので単純な話で言えば、五分の一の確率で同じクラスになるという計算になる。


正直、確率としては低い方だろう。


あまり期待を持たないほうがいいのかもしれない。


同じクラスになることも、そもそも彼が特別な存在になりうることも。


あれだけ好奇心に急かされていたことが、嘘みたいに冷めていく。


仕方ない、早く着き過ぎた分は読書で潰すことにしよう。


そう思い、新しい教室の扉を開ける。


その瞬間、目に入ってきた光景に心臓が掴まれる。


彼だ。


彼がいた。


同じクラスメイトだったんだ。


この間とは違い、彼はただ静かに読書していた。


しかし集中力は相変わらずのようで、教室へ入ってきた私に気が付かない様子だった。


私は黒板に貼られている新しいクラスでの、席順を確認する。


私の席を確認するのもそうだが、彼の名前が知れる。


やっとだ。


不知火 遍。


これが彼の名前。


頭の上で、運命という文字が踊る。


高鳴る気持ちを抑えつつ、自分の席に着き、私も読書をすることにした。


二人だけの教室。


同じことをする。


感覚が繋がっていくような、そんな感覚。


心地良くも感じるその時間は、永遠に続くわけなく、あっという間に次々と現れるクラスメイトたちによって終わってしまった。


苛立ちを感じざるを得ない。


良い子を演じるため、クラスメイトと談笑しているうちに、全校集会の時間が訪れる。


彼をちらと確認すると一人の男子生徒と会話をしているようだった。


話し相手の男子に特段興味は湧かないが、彼は別だ。


不知火くん。


君のことが知りたい。


愛についてどう思う?どう考えているの?


あの物語の続きが知りたい。


教えてほしい。


そんなことばかり考えてしまい、朝礼の言葉など入ってきやしない。


長くも短くも感じる全校集会が解散し、教室へ戻る。


そして担任となる太田先生が教室へと入ってきて手短に話を終えると、その流れで自己紹介をすることになった。


心底どうでもいいと思える自己紹介を、幾つも幾つも聞き流し、ただその時を待つ。


まだかな。


まだかな。


きた。


「えっ…と不知火 遍です。好きなことは読書です。よろしくお願いします」


間違いない。


彼は不知火 遍。


もう忘れない。


…。


それからの日々は私にとって初めて満たされた学生生活だった。


あれだけ気持ちの悪かった告白も、今では何とも感じなくなっていた。


それどころか、放課後に告白をされた後、教室へと戻れば、いつも物語を書いている君がいる。


私は静かにそれを眺める。


貴方は集中力が凄いから私に気づかない。


でもそれでいい。


完成された心地の良い世界を享受する。


不知火くんの指先から紡がれる物語はなんて美しいのだろう。


まるで読んでいる私が、物語の中の恋をしているような、そんな錯覚に陥る。


私も毎日放課後に残るわけでもないから、物語は私の中で断片的なものになっている。


けれど、自然と私の中で補完できてしまう。


同じ"愛"の価値観を持っているから。


分かる不知火くん?


私たち、繋がっているんだよ?


しばらくは、その心安らぐような放課後を積み重ねることで満足していた。


けれど、私も貪欲な生き物なんだろう。


もっと先へ関係を進めたい。


不知火くんの為人を知りたい。


価値観が同じなのは重要なことだけれど、それだけが全てではない。


最も大事なのは相性だ。


私の心に空いた穴を塞ぐほどの相性の良さであれば、不知火くんは私の運命の人かもしれない。


どうすればいい?


どうすれば自然に私たち"知り合える"かな?


私に気付いて。


お願い。


そんな欲望が積もり、もはや唇が触れ合いそうになる距離まで顔が自然に近づいてしまう。


ドキドキする。


こんな気持ちは初めてだ。


胸の高鳴りを必死に抑えようとしていると、また不知火くんは溜息を吐く。


これが何を意味をするのか、今の私なら分かる。


彼の集中力が切れたのだ。


すると彼は何気ない視線の移動で私の両眼に合う。


「わぁぁ!!!」


「きゃっ」


彼はとても驚いたようで、私の想像を超えるような声を上げた。


「あ、あ、ご、ごめんなさい高嶺さん。驚かしてしまって」


けれど、彼はすぐに私を気遣った素振りを見せる。


「ううん、ごめんね不知火くん?私の方こそ驚かしちゃったよね?」


癖になってしまった良い子の仮面が勝手に喋る。


「えええと、どうしたの?」


彼が精神的に乱れているのはあからさまだった。


「えーっと私、自分で言うのも恥ずかしいんだけど今日、告白のために呼び出されていて教室にかばん置いたまま校舎裏で受けてそれが終わって教室に戻ってきたら不知火くんがいて、勉強してるのかなー偉いなーっと思って近くまで寄って後ろから覗き込んでたらこうなっちゃった」


我ながら良くもここまで簡単に嘘をつけるなと感心してしまう。


「あのさ、高嶺さん。見た?」


やはり彼にとってあまり見られたくないものらしいのか、そんなことを聞いてくる。


「うん。あっ、もしかして…」


ごめんね不知火くん。


本当はもっと前から君の小説を、君のことを見ていたんだよ。


「うん、そのもしかして」


「ご、ごめんね?そんなつもりはなかったんだ!なんの勉強してるか気になっただけで…!」


初めはそうだったかもしれないけど、今日は違う。


私は確信犯。


「えっともういいんだよ。見られちゃったものは仕方ないし」


「ごめん…」


「確かにさ、あんまり見られたくないものだったけどいつかは人に見せないといけなかったしいいきっかけになったと思うよ、うん」


「見せないといけないって、不知火くんもしかして…」


「うん、そのもしかして」


思わず笑みが溢れる。


なんだか同じやりとりの繰り返しが面白かったのだけれど、彼はどうやら彼の夢を私が笑ったと捉えたのか、不快感を示すような顔をする。


「あ、違うの!その夢がおかしいんじゃなくて同じ会話繰り返してなんだか面白くておかしいなっておもっただけで…!」


貴方の夢を笑ったりするわけない。


「確かにそうだったね」


彼は私の意図を汲み取ったのか、愛想笑いを浮かべる。


「それにしても私のクラスに作家さん志望がいたんだねぇ」


「意外だったかい?」


「なんていうか不思議。あの作家さんと同じクラスだったんだよーって将来起こるってことでしょ?」


「いやいやいや、僕がまだ作家として売れるとは限らないし…」


いいえ。


あんな美しい物語が書けるのであれば、小説家として大成するのは間違いないよ。


「ううん、私はそう思う。だって私普段あまり本は読まないけど今の不知火くんの文章はすごくひきこまれたもん!」


「世辞でも嬉しいよ。ありがとう高嶺さん」


世辞だと思われないように半分嘘をついたのだが、逆効果のようだった。


「あ!信じてないなぁ?」


「いやいや、信じてるよ」


「ならよろしい。じゃ、せっかくのところ邪魔してごめんね?私はもう帰るから」


「またね高嶺さん」


またね。


再会の挨拶をかけられたのが嬉しくて


「またね!不知火くん!」


思わず大きな声で返事をしてしまった。


恥ずかしさを誤魔化すように教室から急いで出る。


胸がきゅぅぅと締め付けられる。


またね。


これはきっと不知火くんは、私と仲良くなりたいって捉えていいんだよね?


彼から話してくれるのを待ってもいいんだよね?


期待の蕾が、今か今かと花開くのを待つのを感じる。


今は六月。


あと一月程で向日葵が咲く時期だった。


ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


高校二年七月初旬。


苛立ちが募っていた。


待てど暮らせど件の彼、不知火遍からの接触はなく、話しかける気配すら感じなかった。


加えて、初夏と梅雨の暑さと湿気が苛立ちを助長している。


いつになれば彼は私に話しかけてくれるのだろうか。


またね。


あの言葉は、どういうつもりで言ったのか。


色々と問い詰めたい気持ちはあるのだが、こちらから話しかける勇気を持ち合わせていなかった。


拒絶されたらどうしよう、そんなことばかりを考えて一月の間、動けないでいた。


臆病者だ、私は。


どうでもいい奴らとは簡単に表向きの関係を築けるのに、たった一人の気になる人とは関係を築けない。


もどかしい。


そう一ヶ月が経ったのだ。


我慢の限界だった。


だから私はもう一度、同じやり方で彼に接触をすることを図った。


今度は気づきやすいようにあえて彼の正面で待つ。


「終わったぁ」


彼はおもむろに筆を置き伸びをする。


「おつかれさま。その顔を見るとどうやらやっぱり私に気づいてなかったんだね」


「た、高嶺さん、どうして…」


「先月と同じ理由だよ」


「そっ、か。なんていうか久しぶりだね」


「うん!久しぶり、って同じクラスなんだけどね」


いざ話始めれば思わず笑みが溢れる。


嘘偽りのない笑みが。


「そうだよね、変だよね」


そして彼も釣られて笑う。


「本当は仲良くなりたかったんだけど…ほら、急に不知火くんと仲良くなったら不知火くんの本のことみんなにバレちゃうかもしれないしなんていうか話しかけづらかったんだよね」


嘘をつく、臆病者。


「…そっか、僕も同じ理由だよ」


「でも1ヶ月で書き上げちゃうんだね。すごいな不知火くんって」


「いやいやノート1冊分くらいの短編小説だしプロの人たちに比べたらまだまだだよ」


「ね!」


「?」


「読んでいい?」


実の所、要所要所で覗きはしているのだが、彼に正式に見せてもらうということに意味がある。


「駄文だけど読んでくれるかい?」


「やったぁ」


彼の承諾が得られる。


彼から世界史と書かれたノートを手渡される。


思わず息を呑み込む。


彼が紡ぎ出した美し世界が、今まさに私の掌にある。


勿論、断片的となった物語を完璧に補完できる。


そのことに喜びを覚えるが、もっと喜ばしいのが彼に拒絶されなかったこと。


それだけで、この一月で溜まっていった嘘だったかのようにストレスが一気に消え去っていく。


物語を追っていく。


ここはもう知っている。


ここは知らない。


嗚呼、こういう風に物語が綴られていくのか。


答え合わせのように、私の妄想と不知火くんの物語を照らし合わせる。


暫く物語に夢中になっていた私だが、不知火くんの様子が気になって、ふと視線を移す。


すると彼は本を読んで集中しているようだった。


…面白くない。


自意識過剰なのは分かっているが、もっと物語を読んでいる私に興味を持って欲しかった。


私じゃなくて本に夢中になってる彼を見て、不快感が増していく。


「不知火くん」


少し刺のある言い方で呼びかけてしまう。


しまったと思ったが、それでも彼は私に気がつかずにそのまま読書を続けてる。


面白くない。


面白くない面白くない面白くない。


「不知火くん、不知火くん」


もっと私に興味を持ってよ。


なんでどうでもいい奴らからは散々言い寄られて、距離を縮めたいと思ってる人に限って、こうも関心を持たれないのか。


私を見てよ。


「不知火くん、不知火くん、不知火くん!」


呼びかけでは、まるで反応しない彼に苛立ち、とうとう手を出して揺さぶる。


「うわ!」


すると、彼はとても驚いたように本の世界から、こちらの世界へ戻ってくる。


「ごめんね、何度呼んでも反応しないからさ」


ごめんね、でも何度も呼びかけてるのに気付かない貴方が悪いんだよ?


「いやいやこちらこそ気がつかなくてごめん」


彼は申し訳なさそうに私に謝る。


そして今一度、姿勢を立て直し私に尋ねてきた。


「それで、読み終わったかい?」


「ううん」


完全には読み終わってないのは事実だが、あと10分もあれば読了を終えるのも事実だった。


「だからね、これ持って帰ってもいい?」


しかし、その事実を伝えはしない。


「え?」


「だめかな?」


彼との接点を手放さない、話しかけるきっかけになる。


「いやだめじゃないけど…」


「やった。じゃあもう暗くなって来たし帰ろうよ」


「え?」


私が帰路を共にすることを誘うと、そんな返事がきた。


「僕は羽紅駅とは逆の方だけど、高嶺さんは?」


「私も途中まで一緒だから、ね?いこ?」


違う。


私は本当は駅の方、電車で通学している。


けれど私は今、好奇心が絶頂に達しているのだ。


この機会を逃すわけがない。


その帰り、私はひとつひとつ質問を重ねていくことにする。


彼のことをひとつひとつ理解する為に。


私は、彼の好物がきんぴらだということ、妹がいること、そして毎日放課後に残って書いているということを聞いた。


前者ふたつは初めて知ったことだが、最後に問うた質問に関しては、正直半分わかってた上で聞いた。


理由は明日彼に会うための口実作り。


「分かった!じゃあまたね不知火くん」


「うん、またね」


再び交わす別れの挨拶。


けれど前回の形だけの再会の約束とは違う。


私には今、彼と"小説"という繋がりがある。


口実もある、繋がりもある。


私は翌日の放課後、すぐに彼に会いに行った。


まだ彼のことを知らない、分からない。


だから彼と言葉を交わし、勉強を教えるという名目で、次の約束を取り付ける。


そうやって会うたびに次の約束を取り付け、初めの失敗を繰り返さないようにする。


何日も話をするうちに、すっかり私は彼に夢中になってしまった。


彼は少し変わった人だ。


喋り方も独特だ。


でもその個性が私を魅了してやまない。


楽しい。


彼に勉強を教える日々を過ごすうちに、頭の片隅で思ってきた疑問と不安が徐々に大きくなるのを感じた。


彼は一体私のことをどう思っているのか。


もし。


もしも。


彼が私のことをただの高嶺の花としか思っていないのであれば。


忘れられないあの、心の燈が消えて急速に冷えていく感覚が、全身を恐怖で包む。


不知火くんも偽物なの?


教えて欲しい。


応えて欲しい。


そんな思いが、彼のために作っていた模擬問題に、一つの問いを加えた。



『問24 あなたは高嶺 華に対してどのような印象もしくは高嶺 華がどういう人間だと思うか。答えよ』


仮にこの問いに有象無象たちと同じ答えをするのであれば、私と不知火くんの関係はそこまで。


けれど…それ以外の答えであれば。


「…ねぇ、不知火くんはどっち?」

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