第7話 『コルチカム』
高校2年 9月
「…えー、ーーーでるからしてーーーであり、高校生というのはーーー」
「なぁ遍ー。校長センセの話ってなーんでこんなに退屈で眠くなるんだろうな。ふぁぁ」
「怒られるよ太一、真面目に聞いてないと」
「だいじょーぶ、誰も真面目に聞いてないってば」
「そんなこともないと思うんだけれどもなぁ」
我が羽紅高校の夏休みも終わりそれと伴い当然学校の方も再開し夏休み明け初日の今日、大勢の生徒とともに僕らもまた始業式に出席していた。
空調の整っていないこの体育館はうだるような暑さで、校長先生の話なんて一向に耳に入ってこなかった。
それは僕以外の生徒も同じで、いかに退屈しているのかが顔に表れていた。
「…ねぇ、太一。校長先生の話を文集した本ってあったら面白そうじゃあないか?」
僕自身もそんなくだらないことを考えているくらい退屈していたのは事実であった。
「なんだ遍だって真面目に聞いてないじゃん。まーでもそうだなぁ。それなら読んでみたい気もすっかも」
「不思議なものだよね。僕らはもしかしたら本の中身が見たいんじゃなくて本に書いてある活字を見たいだけかもしれないね」
「それは変な話じゃねーか?それだったら本の内容が良かった悪かったなんて感想が分かれることはありえねーぜ?」
「確かにそれは一理あるね。ならこう結論づけることができるかもね。僕らは黙読は好きだけれど朗読は苦手だとね」
「あぁこの朗読は正直しんどいぜ」
「同意だ」
それにしても注文の多い料理店さながら蒸し焼きに調理されているような錯覚陥るほど暑い。
塩を塗りたくるとなお美味しいってね。
「ははは…、何考えているんだ僕は」
体から吹き出す汗が止まらず、制服である白いワイシャツを濡らしていく。
なんだ全身汗だらけなら塩加減もちょうど良いじゃあないか。
あとは誰が僕を食べるんだ?
地ならす巨人か、空飛ぶ龍か、はたまたカニバリズムか。
僕は主菜か?前菜か?デザートかもしれない。
「おい遍大丈夫か?顔色悪いぞ」
「ああ大丈夫大丈夫」
少しぼーっとしてきた。
これで僕が茹で上がったら調理完了だ。
あとは食べ残すなり完食するなり好きにしてくれ。
「大丈夫大丈夫って、明らかにやばくなってきてんぞ。センセにいって保健室行ってこいって」
太一の声がガラス越しのようにこもって聞こえてくる。
「へ?太一今なんて言っーーーー」
その瞬間、視界がぐるっと回転して暗転する。
あれ?僕はとうとう何かに食べられてしまったのかな。
やっぱり食べ残しはできればしてほしくないかな…。
…。
………。
目を覚ますと慣れない白い天井まず一番最初に目に飛び込んできた。
次に気がつくのは自分が白い布に包まれていること。
そして最後に気がついたのは頭に感じたひんやりとした感覚だった。
「あっ、目覚ました不知火くん?具合どう?」
その感覚の正体は人の手であり、その人は高嶺さんということ。
「えっ?高嶺さんどうして…というよりここは…」
「不知火くん始業式に熱中症で倒れちゃったんだよ。それで保健室に運ばれて…」
「そうか、ここは保健室なんだね。それで高嶺さんはどうしてここに?」
「ほら私保健係だからね。先生に様子見てこいって言われて来たの。そしたらじきに不知火くんが目を覚ましたんだよ」
「高嶺さんが保健係なんて初めて知ったなぁ…」
「不知火くんの係はなんだっけ?」
「僕は施錠係だよ」
「あー!そういえばそんな係あったね!なるほどねぇ、だから不知火くん放課後いつも居残れるのかぁ」
「帰りが遅くなるから誰もやりたがらないし僕には都合が良かったからありがたい役職だけれどもね。ところで今何時だい?」
「えーっと、もうすぐ12時だよ。今はみんなで文化祭の出し物の会議してるけどもうすぐ帰りのホームルームになるから先生に様子見てこいって言われたんだ。どう?ホームルームにはでれそう?」
「うーん今すぐ戻るのは厳しいけれども少し時間をおけば戻れそうだよ」
「分かった。じゃあ戻って先生にそう伝えておくね」
「ありがとう高嶺さん」
「あの…不知火くんっ」
「どうしたんだい?」
「えっと…その…あの。ぐ、具合!具合のほうはどうかな?」
「少し目眩がしてるけど、なんとか大丈夫だよ」
「あ…そう。よ、よかった!………今はタイミングじゃないでしょう私…」
「なんの話だい?」
「ううん気にしないでっ。こっちの話だから。それじゃあお大事にね不知火くん」
そう言って彼女は静かに保健室を後にしていった。
「高嶺さん、保健係だったのか…」
思い掛けないところで役得をして、熱中症で倒れる前よりもむしろ気分が良くなっている。
それはそれで置いておいて、始業式を終えてこうもすぐに文化祭の出し物の会議が行われるとは夏休み明け初日だというのにもう忙しい。
まぁ今日一日で決めるわけではないがどうやらこの学校は夏休み明けの生徒に肩慣らしの時間も与えるのが惜しいらしい。
「そういえば保健室の先生はいないのかな…」
それらしき人物は見当たらない。
上体を起こしてみると立ち眩みしたように一瞬視界がぶれたが数瞬おいて平衡感覚が元に戻る。
この調子であるならば今すぐ立ち上がるのは少々危険な感じがする、といったところであろう。
ここは一旦深呼吸を入れて体調を整える。
おそるおそるといった調子で両脚をベッドから降ろし僕の体重に耐えうるか少しずつ確認する。
「大丈夫そうだな」
力を入れて立ち上がると僅かに立ち眩みしたがそれもすぐ治った。
立ち上がり保健室を見回ってもそれらしき担当教員が見当たらないので、無断で出ていっても問題ないと勝手に解釈し僕も保健室を後にする。
廊下を歩き、階段を上り、廊下を歩き、いつもの教室へとたどり着く。
引き戸を開けそのいつもの教室へ入っていくと全員ではないが半分くらいのクラスメイト達が一斉に僕の方に視線を移し慣れない緊張に襲われる。
途中入室の生徒が本好きの地味な生徒、不知火 遍とわかるや否や再び視線を黒板へと移していった。
僕も体の強張りが解けるとともに合わせて黒板へと視線を移す。
黒板には喫茶店だの、たこ焼きだの、チョコバナナだの模擬店の案らしきものがたくさん書かれていた。
教壇に立っていた担任の太田先生も僕に気がつき声をかける。
「おう、不知火目覚ましたか。大丈夫か?」
「はい、おかげさまで」
「それなら良かった。とりあえず一回目の文化祭の出し物の会議はこんな感じで案が出たからそれだけ把握しといてくれ。ちょうどこの後ホームルームだから席に着きなさい」
「はい」
言われた通り、僕は自分の席に座ると前の席である太一がこちらのほうに体を向けてきた。
「心配したぞ遍。大丈夫大丈夫とかいったそばから倒れやがって」
「心配かけてごめんね。少しやせ我慢が過ぎたと思ってる」
「今度から無茶すんなよな〜」
「肝に命じておくよ」
「で、どうだった?」
「なにがだい?」
「惚けんじゃねーぞ。我が学園のマドンナ高嶺さんのモーニングコールの感想を聞いてるんだよ」
「え?」
「え?じゃねーぞ。全く全男子生徒の憧れの的に優しく起こされてなんにも感想がないわけないだろ」
「あ、あぁ。起こされたっていっても目を覚ましたらそこにいて言伝を預かっただけだから特に何もないよ」
「かー!何にも感じなかった風に言いやがって。このクラスのどれだけの男子がお前のこと羨ましがってたのかわからないのか?」
何も感じなかったわけないじゃあないか。
「本来こんなことなけりゃ高嶺さんと二人きりになれることなんてないんだからなぁ?せっかくのラッキー熱中症をふいにしやがって」
そう、本来彼女と僕は住む世界の違う人間なんだ。
「熱中症はアンラッキーだと思うよ…」
「はい!そろそろホームルーム始めるから私語をやめなさい」
ざわついていたクラスも担任の一声ぴしゃりと鳴り止む。
「夏休み明けて、まだ気分も切り替えられていない生徒もいるかもしれないが夏休みは終わったんだ。しっかり気持ちを入れるように。明日からは本格的に授業も再開するからな」
「「「えーーーー!」」」
「えーーー、じゃない。言ったはずだぞ、気持ちを切り替えなさい。じゃあ今日はここまで。号令」
「起立ー、礼」
「「「ありがとうございました」」」
「気をつけて帰れよー」
クラスメイト達は再びざわめきを取り戻し帰宅の準備に勤しみだした。
目の前の席の太一も鞄を拾い上げ立ち上がる。
「今日は図書委員ないし、一緒に帰るか遍?」
「せっかくの誘いで嬉しいけどさすがに今すぐ炎天下の中歩いて帰れるほど体力回復してないから遠慮するよ」
「ちぇ、生高嶺さんの感想で聞きながら帰ろうと思ったんだけどな。まぁでも本当に体には気をつけろよ?」
「ありがとう。じゃあね太一」
「おう、また明日な〜」
ぞろぞろと出て行くクラスメイトの波に太一も混じっていった。
そうして太一や高嶺さんを含めるクラスメイトの三分の二ほどが出ていったあとのことだった。
僕の教室の引き戸がとてつもない勢いで開かれ騒音が響いたのは。
「お兄ちゃん!大丈夫!!?」
来訪者の正体の我が義妹である綾音は勢いよく僕の席まで走ってきた。
「お兄ちゃん倒れたって聞いてあたし気が気じゃなくて!本当は保健室にお見舞い行きたかったんだけどね!?どうしても行きたいんです!って先生に言ったのに無理矢理止められてて!本当だよ!?それでね!もうあたしとしては一刻も早くお兄ちゃんの容体が知りたくて!知りたくて!やっとホームルーム終わったからこうやってお兄ちゃんのとこにこれたんだけど!それでお兄ちゃん平気?大丈夫?あたしお兄ちゃんが死んじゃったら生きていけないっからぁっ!」
大声で、早口でまくしたてる綾音。
「お、落ち着いて綾音。ただの熱中症だしそんなに騒ぐことじゃあないからね。ほら、クラスの人達も驚いているからさ」
教室に僅かに残っていたクラスメイト達はただただ綾音の勢いに圧倒されているような様子だった。
「他の人なんて知らない!お兄ちゃん死んじゃイヤ!!!」
「だ、だから死なないってば」
大袈裟に泣き噦る綾音が僕の肩に顔を押し付ける様子をクラスメイト達は興味津々に覗き込む。
参ったな、少しばかり恥ずかしい。
しばらくの間、僕は羞恥の中に取り残されながら綾音を落ち着かせることとなった。
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夏休みが明けてから数日が経った。
来たる文化祭の話し合いがあること以外は至って夏休み明け前と同じような日々が戻りつつあった。
僕も相変わらず駄文を書き続けていた。
とはいえここ最近はあまり筆が進まないのだが、その原因がなんなのかはわからなかった。
「気分転換しようかな…」
ピタリと筆を動かす手を止めて、書き込んでいたノートを閉じる。
夏休み中は原稿用紙で書いていたがここ最近のスランプを感じ、長らくの間ノートに書くことに慣れていた僕は結局ノートに書くことに落ち着いていた。
夕日が差し込む窓からは幾つかの運動部の掛け声が聞こえる。
屋上でも行って風を浴びてこよう。
そう考えた僕は教室を出て屋上へと向かう。
ここ数ヶ月は自分の中でも異常なくらい筆が進んでいて、それがたった一人の女の子の影響だということも自覚していた。
ならば今回筆が進まないのも彼女の影響なのだろうか。
「いやいや、それはただの八つ当たりだ」
ただの実力不足だと己を戒める。
階段を登りきり屋上への扉を開こうとするが、扉は僕から逃げるように開かれる。
「し、不知火くん!?」
「た、高嶺さん!?」
この女の子は本当にいつも心臓に悪い現れ方をする。
「あ、あはは。こんなところで会うなんて偶然だね…。じゃあ私今日はこれで帰るね」
僕を避けるように彼女は横へ抜けていく時、僕はあることに気がつく。
「待ってよ高嶺さん」
「…」
僕の一言で階段を下る彼女の足が止まる。
「なんで…なんで泣いていたんだい?」
彼女の頬にあった二筋の跡。
それがどうしても気になってこんな質問をぶつけないわけにはいかなかった。
「あはは…泣いてた?そんなことないよ不知火くん」
「…頬に跡がついていたよ」
「!」
僕に指摘された彼女は慌てて制服の袖で頬を強く擦る。
「…いやごめん。人は他人に話したくないことの一つや二つはあるよね。別に無理して話さなくていいんだよ」
「ごめんね不知火くん…」
彼女はたった一言そういって踵を返す。
僕じゃ彼女の力になれないのか、悔しさや悲しさが僕の胸を支配する。
気分転換をしに来たのに台無しな気分になってしまった。
屋上に行けば何か救われるような気がしてドアノブに手をかける。
「不知火くん!」
振り返ると高嶺さんは階段の踊り場から僕を見上げていた。
「…やっぱり少しお話しできないかな?」
「僕で良ければ、よろこんで」
「ありがとう不知火くん」
彼女は再び踵を返し、今度は僕の方へ登ってきた。
彼女が近づいたところで僕も今度こそと屋上の扉を開ける。
扉を開けたその先に踏み入れると、夕日と風が僕を貫いた。
「ごめんね不知火くん、付き合わせちゃって」
「別に平気さ。僕も小説の方が行き詰まっててね、気分転換したかったところなんだ」
「そっかぁ」
寂しい笑顔を浮かべながら高嶺さんは屋上のフェンスまで歩いていく。
「…あのね不知火くん。今日…さ、そのまたラブレターをもらったんだけどね。…実はそれは偽物で他クラスの女子達のいたずらだったの」
「…それは、ひどいね」
「手紙に書いてあった通りここに来たらその女子グループがいてね。私を見てなんて言ったと思う?」
今にも泣き出しそうな顔でこちらに問いかける。
そんな顔で聞かれたら何も答えられるわけがないじゃあないか。
「…『本当に来やがった。ちょっとモテるからって調子乗るな』って嘲笑いながら言ってきたの」
「…」
気の利いた言葉をきかせたいのにそいつは一向に僕の口から出てくる様子がない。
「でも別にそれがつらくて泣いてたんじゃないの。…不知火くん。私さ、たまに人から『優しいね』って言われるけどそれは違うの。今日みたいな悪意を向けられたくなくて仕方なく優しい『フリ』をしてるの!私は本当はそういう自分勝手な子なの!今までこういうことのないようにいい顔無理矢理作ってきたのに結局こうなって…」
無理矢理押し込めた感情が爆発し止め処なく僕へと流れ込んでくる。
僕の知らないところで彼女はこんなにも苦しんでいたのか。
「…誰だって自分が一番可愛いと思うのが普通なんじゃあないかな。情けは人の為ならずって言うだろう?だからさ、高嶺さんは間違ってないと思うよ」
「…間違ってない、かぁ。そう言ってもらえるだけでも大分心が楽になるなぁ」
「時々僕らに降りかかる理不尽は黙って飲み込むしかないよ。飲み込みきれなかったらその時は吐き出せばいいさ」
「吐き出す…ね」
彼女はそう呟くとフェンスの方へ向き直し、大きく息を吸った。
「私は!モテたくてモテてるんじゃなーい!!!」
彼女の本心が咆哮される。
「はぁ…すっきりしたっ」
「聞く人が聞くと嫌味を覚えそうな台詞だね」
「不知火くんは嫌味を覚えた?」
「いや僕は別に…」
「ふふ…ならいいやっ。好意を寄せられること自体は私も嬉しいし。でもやっぱり初めてお付き合いする人は自分から告白したいなぁ」
「え?高嶺さんまだ誰とも付き合ったことないのかい?」
「そうだよー。なかなか良い人がいなくてねぇ 」
今まで何人もの男たちがこの高嶺の花に手を伸ばしてきたというのに、この花は未だ一人咲き誇っているというのか。
いやしかし、夏休み前の告白の時には好きな人がいるって発言してたけどそれはどうなんだ?
分からない。
「意外だった?」
「ああそうだね」
クスリと一つ彼女は笑みを浮かべる。
「そうだ、不知火くんも何か叫びたいことないの?」
「ははは、それは無いかな」
嘘だ。秘めている叫びたい想いはあるが臆病者の僕は今この時に吐き出すなんてことは到底できるはずがあるまい。
「えー?嘘だぁ」
すっかりばれている。
「本当にないよ」
余裕のない余裕なフリ。
一体どこまで見抜かれているのか分かったものではない。
「まぁ不知火くんがそう言うならそういうことにしてあげる」
悩みを話す側の方がよっぽど余裕がある、なんとも情けない話だ。
まだまだ残暑が続く日々とはいえ、黄昏時にもなれば涼しさを覚えてくる頃になってきた。
風の強いこの屋上では肌寒さも覚えた。
「少し冷えてきたね。そろそろ校舎の中に戻ろうか」
「あっ…」
「どうしたんだい?」
「し、不知火くん。も、もう戻るの?」
「ん?あぁ、僕も風を浴びたら気分転換できたからね」
「あ、あのさ不知火くん。話があるんだけど…」
「話?他にも何か悩み事でもあるのかい?」
「悩みっていうか、ううん。やっぱりなんでもない!忘れてっ」
歯に肉が詰まったような気になるような感じが僕の感情を支配する。
「…なんでもないのならそれでいいんだけれども」
しかし臆病者の僕は彼女に対して自分から掘り下げていく勇気なんてこれっぽっちもなかった。
「私はもう少しここで落ち着いてから帰るね」
「そっか。風邪ひかないようにね」
「ありがとう不知火くん。またね」
屋上の扉を開け校舎の中へ戻る。
扉の閉まる音が校舎の中に響き渡った時、僕は一度振り返る。
そんなことをしても意味はなく、なぜそんなことをしたのかもわからなかった。
体を向き直し階段を下っていき踊り場に足を踏み入れた時、僕はもう一度振り返る。
一度目と変わらない景色がただそこにあっただけだった。
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
高校2年 10月
窓からは茜色の光が差し込み、校庭からは掛け声を出している運動部や、校内からは各々の練習に励む吹奏楽部の演奏が聞こえてくる放課後。
帰路につく者、部活動に励む者、あるいは委員会に勤しむ者にそれぞれ別れたその教室には自分以外に誰一人いなかった。
様々なところから奏でられる音の中で負けじと微かにノートに鉛筆を滑らせる音を教室内に響かせる。
一息つけ鉛筆を置く。
ふと斜め前方の先の席を見ると鞄が一つ机に乗ってるのが見える。
「今日も…か」
それを見てこの後起きるであろう出来事が容易に想像できて、思わず呟く。
…いや、集中しよう。
そう思い、筆を再びノートの上を走らせる。
そうしてどれほど時間が経ったであろうか。5分、10分あるいは1分も経ってないかもしれない。
不意に肩をトントン、と叩かれた。
来るとわかってても心の臓は悲鳴をあげ、叩かれた肩を跳ね上げてしまった。
振り返るとそこには教室に差し込む夕陽と相まって美しく映る少女が笑顔でヒラヒラと手を振っていた。
「ごめんね不知火くん。驚かせちゃった?」
「そりゃあもう、高嶺さん。わざとかい?」
「半分、ね」
クスリと笑い悪戯な表情を浮かべる。
「今日も小説書いてたの?」
「答えるまでもないよ。ところでそういう高嶺さんこそ今日も告白かな?」
「答えるまでもないよ」
やや変な口調で彼女は先の自分の台詞と同じ言葉を述べた。
「もしかして真似してる?僕のこと」
「うん、似てた?」
「全然。もう少し練習しないとダメだよ」
「そっか。じゃあもっと不知火くんとお喋りして研究する必要があるねっ」
こういったことを平気な顔して言ってくるところが苦手なんだよなぁ。
そんなことをつい思ってしまうが、それをおくびに出すことはしない。
歯が浮くような台詞で気まずくなる前に話題を無理矢理変えることにする。
「ところで今日の告白は受けた?」
「ううん。断ったよ」
「そんなにいないもの?いいなぁって想う人」
「そうだねー。でも前にも話したけど私初めて付き合う人は好きになった人に自分から告白するって決めてるからさ」
「高嶺さんてロマンチストだよね。いまだに誰とも付き合ってないというのが信じられないよ」
「なにそれ。私が尻軽女に見えるとでもいいたいのっ?」
わざとらしく頬を膨らませ怒りの感情をこちらに向けてくる。
そんな表情が映えるのも、学内一の美少女が為せる技なのか。
「いやいや、そこまでは言ってないけどさ。でも高嶺さんほどモテるなら優しい人やかっこいい人なんて選り取り見取りじゃあないか」
お世辞でも何でもない、本心から思うことを口にすると、彼女はスゥと目を細める。
「優しい人やかっこいい人ねぇ…。不知火くん私ね。運命の赤い糸って信じてるの。世の中には優しい人、かっこいい人なんていくらでもいるでしょ?でもその中でたった1人自分の相手を選ぶってことはかっこいいだとか優しいとかの測れるものだけじゃなくてなにか自分にしっくりくる人がいると思うの。それが運命の人。そして私はその人と添い遂げたいの」
「やっぱりロマンチストだ」
「茶化さないでよ。案外恥ずかしいんだよ?」
それに、と彼女は付け足す。
「この貞操観念話したの不知火くんがはじめてなんだからね」
「わかったよ。言いふらさないから安心して」
運命ーーーーー
運命か。
運命というと僕こと不知火 遍(しらぬい あまね)がこうやって高嶺 華(たかみね はな)と今この時会話しているのも運命なんだろうか。
方や見る人を魅了してやまない美少女、方や存在感のない冴えない文学少年。
今まで歩んできた道もこれから歩む道も全く違うであろうこの2人の道が今この瞬間交わってるのは運命なんだろうか。
「そういえばーーーーー」
この関係が始まったのいつだったろうか。
僕は過去の記憶にさかのぼることにした。
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
「ーーーくん、不知火くん!」
「うわっ」
「うわっ、じゃないよ。急に黙り込んだと思ったら物思いにふけてさ。私まだ話の途中だったんだけどー」
可愛らしく頬を膨らませ、僕に対しての怒りを露わにしている。
「あ、ああごめん。高嶺さんが運命だって言うからさ、僕と高嶺さんの縁も運命なのかなって思い返してみていたんだよ」
「やっぱり不知火くん、私の考えを茶化してるでしょう」
「茶化してなんかないってば」
「で…さぁ、お話の続きなんだけど…。いいかな?」
先ほどの表情とはうって変わり非常に真剣な表情になり僕も少し緊張が走る。
「もちろん構わないさ」
えっと、と彼女は口にし一度ため息をしてから深呼吸をした。
「私ね、その…今日本当は…告白なんて受けてないんだぁ…」
「えっ?」
「あっ、いや違うの!告白の呼び出し自体が無かったってことで告白を無視したとかそういうことじゃないからっ」
まさか告白の呼び出しを無碍にしたのかと思案したがそんなことは無かったようで安心する。
「あぁなんだ、そういうことかい。それで話ってなんだい?」
今度は俯く高嶺さん。恐る恐るといった様子で口を開いた。
「あー、その…さ。私今欲しくてたまらないものがあるの。ずっと前から欲しかったらしいんだけど自覚し始めたのは割と最近のことなんだぁ。…自覚してからは欲しいって気持ちがどんどん強くなってもう私我慢できなくなってきて、でも失うのが怖くて…」
肝心な話が少し比喩的な話し方で核が見えてこない。
「えっ…と、もう少しわかりやすく話してくれると助かるんだけども」
「あはは…、告白ってする側はこんなに勇気のいるものなんだね…」
彼女は今一度背筋を直し僕へ改めて向き合う。
「単刀直入に言うと私が欲しいのはね君だよ、不知火くん。だからぁ、…その、私とさぁ…、付き合ってくれない…かなぁ」
普段の姿からは想像もつかない全く余裕のない高嶺さん。
というか、彼女は今なんて言ったんだ?
「今日告白しよう…って決めていたんだけど…なかなか勇気が、その出なくて。ラブレターも10通くらい書いたんだけどどれもなんだか微妙で。あーだこーだしてるうちに放課後だし…」
付き合って欲しい?
「その…付き合って欲しいってのは男女のお付き合いひいては結婚を前提としたお付き合いなんだけど…」
誰と?
「黙ってないでなにか…言って、欲しいんだけど…なぁ」
僕が?
「ねぇなんで…黙っているの?………、!そんな、まさか!?」
まさか
頭が真っ白になり返答に詰まっていると彼女は両手で僕のそれぞれの手首を掴み押し倒してきた。
机や椅子に身体中をぶつけ鈍痛が全身を走る。
「わ、わわ、私こうみえて家庭的なんだ!料理とかすごく得意というか未来の旦那さんを想像しながら練習いっぱいしたんだよ?ほら旦那さんの心を掴むならまず胃袋からって言うでしょ!?付き合ってくれたらいっぱいいーっぱい美味しいもの食べさせてあげるし!そうだ!!今度不知火くんにお弁当作ってきてあげる!好きなものと嫌いなもの教えてくれると助かるな!結構料理の腕には自信があるからただ美味しいものだけじゃなくて栄養バランスを考えた不知火くんの体にも気を遣えた料理作れるよ!それに私不知火くんの好みになれるようにどんな努力も惜しまないつもりだよ?この顔が気に入らないなら気に入るまで整形する!目?鼻?口?それとも全部?遠慮なく言ってねなんでもなおすから。癖や性格も不知火くんの好みに絶対になる!それに献身的でもあるの私!結婚したら毎日掃除洗濯炊事してそばで支えてあげる!私運命の旦那さんのお嫁さんになるのが夢なの!だから安心して!あ、でももし不知火くんが主夫をやりたいってことなら私身を粉にして働くよ!たくさん尽くしてあげるしなぁんでもゆーこときぃてあげる。だから!!!付き合ってくださいお願いしますから!!!」
「い、いたいよ高嶺さん」
僕の手首は狂っているとも言える高嶺さんの異常な握力でへし折れそうになっていた。
「そんなこときぃてない!!!付き合ってくれますか?はい?イエス?どっち!!!!????」
「分かった、分かったから!付き合うよ!だから手を緩めて!」
付き合う、僕のその言葉を聞くと彼女はかっと目を見開き僕にすごい勢いで唇を押し付けてきた。
「んっ!??」
「ンハァ、好き、チュ、好き、ンチュ、愛してる。ハァハァ、ずっとこうしたかった。チュ、ひどいよひらぬいくん、ハァ、ンチュ、わらひに、ハァ、ここまでが、まんはへる、ハァ、なんて」
僕の後頭部を両手でしっかり捉えこれ以上ないくらい固く固定されている。
どのくらいの時間僕の唇を貪っていたであろうか、両の手を緩め僕の唇からようやく離れ、僕に馬乗りの形になるように上体を起こす。
二人の唇の間から銀の糸を引かれ、それが夕陽で艶めかしく光る。
「はぁぁぁ、幸せぇ」
頬に手を添え恍惚な表情を浮かべている高嶺さん。
「分からない…なぜ高嶺さんがいつから僕なんかを…」
僕がそう言うと高嶺さんは上体を倒し今度は覆い被さる形となりそのしなやかな両腕、いや両腕だけでなく両脚も僕の体に蔓のように絡みついた。
そしてそっと耳元に口を近づけ囁いた。
「『なんか』なんて言わないでぇ…。不知火くんはぁ、良いところいっぱいあるんだから。いつからっていうのは私もわかんない。でも初めて話した時から私は不知火くんには他の人とは違う何かを感じていたよ」
直接伝わってくる女性特有の柔らかさに血流が加速するのを感じざるを得ない。
「でもこの気持ちをはっきり自覚し始めたのはあの夏祭りの日だよ。不知火くんに妹の…綾音ちゃんだっけ?あんなカップル同然みたいな腕の組み方を見せられて勘違いしちゃったよ。正直あの時綾音ちゃんを殺したいほど憎くて仕方がなかったわ。もし彼女だったら殺してたかもね…ふふ。あの場面を見て、不知火くんは私のモノだ!って体が、心が、魂がそう叫んでたんだぁ。まぁでもその時は不知火くんは私はモノじゃなかったけどね。でもこれからは私のモノ。やっぱり不知火くんと私には運命の赤い糸が繋がってるんだよ」
徐々に彼女の四肢が僕の体を締め付けて行く。
「ほんとのほんとのほんとの本当に私の彼氏になってくれるんだよね?あぁぁはぁ嬉しいなぁ。あっそうだ、せっかくカップルになったんだから下の名前で呼び合おうよ。ね、遍?私の名前、言ってみてよ」
「えっと…は、華さん…、…!」
僕が彼女の望むままの台詞を口にしたら途端にその両腕で首を絞められた。
「違うでしょ?『華』でしょ?遍は他人の事敬称つけて呼ぶ癖あるよね。私と遍はもうカップルなんだよ?私はあなたの彼女なんだよ?他人じゃないんだよ?運命の伴侶なんだよ?だったら正しい呼び方があるんじゃないの?ねぇ?はやく。はやく!」
苦しい、息ができない、まるで彼女の想いに溺れているようだ。
「は、華」
「はーい、華だよぉ」
首を絞めていた同じ人物とは思えないような甘えた態度で頬で胸を擽る。
いつまで経っても頭と心の整理がつかない。
そんな僕の頬に彼女はそっと口づけふたたび起き上がる。
「そうとなれば早速明日にでもみんなに私の彼氏って遍を紹介しなきゃ」
紹介?誰に?いやまてよ
「た、高嶺さん。ちょっとまって!」
「高嶺さんって誰かなぁ??その呼び方ほんとに嫌だからやめてくれないかな?」
再び僕の喉元へ手を伸ばす。
「ご、ごめん華!それよりみんなに紹介ってのはできればやめて欲しいのだけれども…」
「は?なんで?」
仮に僕と彼女が付き合ってるなんて噂が出回ればどんなことになるかは想像に難くない。
「華はその…ほら可愛いからさ、その彼氏ってなると目立つから僕としては困るというか…」
高嶺の花を射止めたとなればたくさんの男子生徒からやっかみを受けてしまうのは明瞭であろう。
しかし僕のそんな理由も聞きやしないうちに『可愛い』という言葉を聞き入れた途端、彼女は自分の頬に両手を当て顔を赤くする
「え、可愛い?えへへ、ありがとっ。遍もかっこいーよっ。大好き!」
「あ、うん。それでみんなに内緒にしてほしい件なんだけれども…」
「へ?うん、いーよいーよ!内緒にしたげるっ!でも…放課後は我慢できないよ?」
「う、うん。放課後その、いつも通りでいいから」
「いつも通りぃ?違うでしょ?これからはいつも以上だよ。だって…」
この子は一体誰なのだろうか。
「私達は運命の恋人なんだから」
自分が今どんな気持ちを抱いているのかすら全く分からなくなっていたがただ一つ言えるのは、僕が彼女に惚れていたという感情なんてこの時すっかり忘れていたということだった。
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