第六十一話


「逢坂が怪夷を生み出してた…」

 告げられた事実に、莉桜は眩暈を覚えた。まさか、自分が護って来た街が、あろうことかその討伐対象を生み出していたとは。

「詳しい事は私も知らない。けど、こんな街も政府も国も護る必要なんてないよ…」

 目を細め、愁いを込めた視線を莉桜に向けたホマレは、ゆらりとその場から宙へ浮かび上がる。

「じゃあね、九頭竜さん」

 最後に別れを告げて、ホマレはランと共に大阪城から姿を消した。

「待ってっ」

「莉桜さん、俺達もここから出よう。いつまた爆発が起きて崩れるか分からない」

 ホマレを追いかけようとした莉桜の肩を掴み、悠生は咄嗟に彼女を引き留める。

 悠生に言われ、莉桜は改めて周囲を見渡した。ぼこぼこと火を吹き出す蒸気炉は今にも第二、第三の爆発を起こす危険を孕んでいる。

 今ならまだ、用水路の流れを利用して逃げられるが、ここでもたもたしていたら、あの爆発に巻き込まれるかもしれない。

「行こう」

 悠生の手を取り、三日月を太刀に宿した莉桜は蒸気を冷やす為に引き込まれている用水路へ飛び込んだ。

 ドボンと、水に沈んだ身体が水流に乗って堀へと流される。

 ものの数秒で二人は内堀へと逃れる事が出来た。

「ぷはっ、な、なにこれ」

 水面に浮上するなり、莉桜は紅く燃え上がる逢坂の空に大きく目を見張った。

 至る所からから黒煙と炎が上がり、人々が逃げ惑う姿が見える。

「さっきの爆発で散った火の粉が街に引火したのか…莉桜さん、直ぐに雪那さん達と合流しよう」

 悠生の促しに頷き、莉桜は急いで堀から上がる。

 そこは、丁度本丸の横にある広場だった。

「一体…この騒ぎは…」

 堀から上がり、事態が火災だけでない事に莉桜は当惑した。

 堀を挟んだ先で、黒い影が蠢いている。先日の作戦の時にも怪夷が溢れたと聞いていたが、その状況と酷似した事態が、目の前で起こっている事が、莉桜には信じられなかった。

「まるで…かつての江戸のようだな」

「江戸?大災厄の時の?」

「俺も、親父からしか聞いたことがないが…あの時は灰と煙に塗れて、怪夷が蔓延ったとか…」

 悠生の話に莉桜は茫然と城外を凝視した。

「九頭竜さんではないですか」

 唐突に背後から名前を呼ばれ、莉桜と悠生は同時に後ろを振り返る。

 二人に向かって走ってきたのは、二人の壮年の男と中年の男だった。

「土御門会長」

「どうして貴方達がここに?」

「おい九頭竜、大阪城で何があった?」

 駆け寄ってきた情報屋事務所を統括する『天王会てんのうかい』の執行役員である土御門晴義つちみかどはるよし芦屋道尊あしやどうそんはそれぞれ疑問を投げかけた。

「すみません。ちょっと色々あって、大阪城の蒸気炉に忍び込んでまして…そしたら、辻斬りの一派が現れて、蒸気炉が爆破されました」

 詳しい事は省きながら莉桜は土御門達に状況を説明する。

「これは、事故ではないのですね」

 確認するような問いに、莉桜は強く頷いた。

「分かりました。この怪夷が溢れている状況もそれに伴う状況でしょう。勘解由小路かでのこうじ殿、芦屋殿、直ぐに事務所へ連絡を。このままでは逢坂の人々が怪夷に飲み込まれてしまいます。一刻も早く避難を」

「承知しました」

 土御門の指示に勘解由小路は頷くと、着物の袖から呪符を出して式を飛ばした。

「俺は、怪夷を倒しながら事務所の連中と合流する」

「ええ、軍警とも出来れば合流を。私も避難路を確保します」

「会長、私達も怪夷を討伐に行きます」

 指示を出す土御門に莉桜は志願をする。それにを土御門は快く承諾した。

「聖剣使いが加勢するなら士気も上がりましょう。お願いします」

 土御門に背中を押され莉桜は悠生と共に駆け出した。

 その細い背中を土御門は静かに見送った。



 大阪城の爆発の様子は、離れた玉造からも見る事が出来た。

「な、なに、今の」

 狸の弦月つるつきと雪那の飼い猫である刹那と留守番をしていた雨は、突如として揺れたビルの窓から、黒煙と火柱を上げた大阪城を見上げ、大きく目を見開いた。

『雨はん、こりゃあかん、はよ莉桜はん達と合流せな』

『雨、まずい、直ぐに雪那達を捜さないと』

 この状況を見て何かを察した二匹が雨を促す。

「分かった。行こう」

 二匹を抱え、自身の長銃を背負い、雨は事務所を飛び出した。

『ああ、三日月君、三日月君?聞こえてはりますか?』

 雨の肩の上で弦月が莉桜の傍にいる三日月に通信を繋ぐ。だが、一向に応答がない。

『あかん…混乱のせいなんか、聖剣に宿っとるんか知らんけど、通信が繋がりませんわ』

『兄貴、気配を追うしかない。雨、オレが先導するからついてこい』

「分かった」

 とんと、身軽に駆け抜けていく刹那に雨はついていく。

 玉造を抜け、逢坂の街の中央へ近づくにつれ、逃げ惑う人々の波がその数を増していく。

 木造の家屋に燃え移った炎が赤々と燃え上がり、バチバチと火の粉を散らす。

 黒煙と灰が舞い踊る中、人々が逃げ惑うその先に、黒い影が蠢いているのに、雨は反射的に銃を構えた。

 引き金を引き、今まさに老人を喰おうと牙を剥きだした怪夷の頭部を銃弾が吹き飛ばす。

 聖剣である雨の弦月に撃ち抜かれた怪夷は蒸発するようにして霧散した。

「大丈夫ですか!?」

「た、助かった」

「直ぐに逃げて下さい」

 老人を逃がし、雨は更に周りに蠢く怪夷を撃ち抜いていく。

「弦月、お願い!」

 主の呼びかけに応じ、高く飛び上がった弦月の身体が、淡く光りだす。光の泡となった弦月は雨が構える長銃に宿り、銃身とその先に着いた銃剣を銀色に輝かせた。

 弦月が聖剣に宿った瞬間、雨の身体から霊力が漲り、それを弾丸に込めて雨は続けて引き金を引いた。

 放たれた弾丸は次々に怪夷を屠っていく。

 だが、その数は次々に増えていく。

(数が多すぎる…)

 聖剣の覚醒と主に選ばれた事により、以前より術式を用いての戦闘が出来るようにはなったが、多勢に無勢、銃という性質上、1人で大量の怪夷と対峙するには限界があった。

 標準が徐々に乱れていく。焦燥感に駆られた刹那、雨の周りを氷の壁が覆った。

「東雲君、大丈夫ですか」

「おら、次は俺達が相手してやるよ」

「雨、下げれ、ちょっと休んでろ」

「あ…虎之介君達…」

 雨の前に現れたのは、志狼を筆頭にした赤羽事務所の面々だった。

「聖剣使いになったからって、無茶しちゃだめだよ」

「たく、雨は頑張り過ぎなんだよ」

 脇を抱えるように現れた羊治と貴兎が呆れた顔で覗き込んでくる。

「あはは、ちょっと張り切り過ぎちゃった」

「おい、九頭竜達は一緒じゃねえのか?」

 志狼の問いに雨は「午後に出かけたきり帰ってないよ」と答えた。

「じゃあ、どっかで怪夷と戦っているかもしれないな」

「さっき、軍警と天王会両方から怪夷討伐と市民を人工島へ避難させるよう各事務所に指令が下りました。志狼、このまま怪夷を倒しながら人工島へ向かいましょう」

 拓馬がもたらした情報に頷き、志狼は羊治と虎之介へ前に出るように指示を出した。

「拓馬、貴兎、それから東雲、お前らは援護しながら住民を誘導しろ。俺達が活路を開く!」

 鞭剣を手に志狼は行く手を阻む怪夷へ果敢に立ち向かった。



 外の騒がしさに美幸が通りを覗くと、そこには既に怪夷が溢れたいた。

「お姉ちゃん」

「大丈夫、絶対大丈夫だから」

 しがみつく沙耶を宥め、美幸は護身用に用意している薙刀を構えた。

「私だって、怪夷の一匹や二匹」

 家の中庭に入ってきた怪夷に美幸は薙刀を向ける。

 宙へと飛び上がった怪夷が美幸と沙耶に襲い掛かる。

 薙刀の柄を握ったまま、美幸は思わず目を閉じた。

「はああっ」

 気合と共に、風が頭上から降り注ぐ。

「莉桜ちゃん!」

「美幸ちゃん、沙耶ちゃん。良かった無事で」

 中庭に迷い込んだ怪夷を切り捨て、莉桜は姉妹の無事を確認して安堵した。

「一体、何が起こってるの?」

「大阪城が爆発して怪夷が溢れてる。ごめん、これ以上説明してられない。直ぐに人工島に避難するよ」

 二人の手を引いて莉桜は旅籠屋を駆け出す。

「ユウさん、沙耶ちゃん抱えてくれますか?」

 外で退路を作っていた悠生と合流した莉桜は、彼に沙耶を預けた。病気がちの彼女を走らせていては逃げ遅れてしまう。

「分かった。沙耶さん、俺に掴まってて」

 大きな腕が沙耶の小柄な身体を抱き上げる。必死の思いで沙耶は悠生の肩にしがみついた。

「美幸ちゃんは私から離れないでね」

「わかった」

 前後で美幸を挟み、莉桜と悠生は怪夷を屠りながら人工島への道を急いだ。



 ザシュっと、怪夷の身体が一刀両断に切り裂かれ、塵となって消えて行く。

「流石、聖剣だな」

「暢気すぎますよ先生。魚住さん助かりました」

「気にしないでください。これも執行人の仕事ですから」

 雪那を攫ったメルクリウスを追いかけていた猛は、その道中で患者たちを誘導しながら逃げていた緒方と華岡に出くわした。

 二人は黒結病の専門医とは言え、怪夷討伐は素人だ、必然的に猛は雪那探しを諦めて彼等の護衛を買って出た。

「しかし、大丈夫なのか君?雪那君をほっとして」

「先生達を失ったら、誰が黒結病の患者を診るんですか?今はお二人を逃がすことが優先です」

 きっぱりと、自分に言い聞かせる意味も込めて猛は緒方の質問に答えた。

 一先ず、土方や斎藤、軍警の面々や莉桜達と合流するのが得策だろう。

(あの男が雪那を必要としているなら、少なくとも殺される事はない)

 冷静に状況を判断して、猛は襲い来る怪夷を滅していく。暁月のサポートで霊力が安定しているお陰で、普段よりも力を自分に流すことが出来ている。

 それは、一族の特徴である強化に霊力を使えている証拠だった。

 猛が見据えるのは、人工島へ続く大橋。

 そこには既に、多くの人々が犇めいていた。


 莉桜、悠生、猛、雨を含め誰もが人工島を目指して奔走した。

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