第四十七話
大阪城を望む南側。
かつて、江戸幕府を開いた徳川家康が大阪の陣の際に布陣を引いたとされる茶臼山の山中。
鬱蒼と繁る森の中にまるで忘れ去られたような廃墟の洋館で、その男は口端を釣り上げた。
「そうですか...やはり、そこにいましたか」
街を覆う結界の霊脈を辿り、その中心にいる人物の存在に男は何処か楽し気に笑みを浮かべた。
「では、参りましょう。まずはあの日の続きへと至る序曲を」
部隊役者のように両腕を広げた男の眼下で、黒く蠢く革袋の大群が産声を上げた。
男の顔に張り付いた、異国の地の鼻から上だけを覆う仮面の下、黄金に輝く瞳が不敵な笑みを浮かべた。
雪那が感じ取った莉桜の激しい霊力の増幅をきっかけに、準備をしていた結界が展開される。
大阪城の二の丸から、内堀から外堀へ、水の都と呼ばれる川の張り巡らされた逢坂の街が巨大な結界と化していく。
街を緑の光が包み込んだ直後、二の丸を激しい振動が襲った。
「なんだ...」
「敵襲っ大量の怪夷が南側より進軍してきます」
伝令役の兵士の緊迫した声に、結界班の護衛を任されていた水原は、唇を引き結んだ。
「結界は成功したのに...何故」
隣で狼狽える焔を見遣り、水原は小さく頭を振る。
「少し早すぎた。この結界は獲物がかかってこそ、その真価を発揮する。恐らく、辻斬りを完全におびき出す前に発動したのが要因でしょう」
「なら、何故怪夷が...」
「相手が一枚上手だったという事だろうね...焔、覚悟を決めなさい」
真っ直ぐに自分を見つめてくる育ての親たる女性の視線を受け止め、焔は強く頷いた。
「守り抜いて見せる...」
「総員、武器を構えて襲撃に備えろ!敵は直ぐ来るぞ」
水原の号令に護衛班を任された執行人達は各々武器を構えた。
「護り抜かなくては...彼女を斎王の最後の希望の片割れを」
まるで祈るように、水原は背後の陣の中心にいる乙女の事を案じた。
本来、怪夷は水を越えられないと言われていた。
だからこそ、街の重要な機関は川を挟んだ中洲に集中したのだ。
そして、作戦本部を大阪城の二の丸に誂えたのも、蒸気炉である大阪城から動力を得られる利点とその立地からだった。
だが、今眼前に広がる光景は、今までの常識をひっくり返す物だった。
自ら結界となった水の湛えられた堀を越え、ランクDの怪夷が二の丸へと押し寄せる。
「撃て!」
堀に突き出すように組まれたかつての知将が築いた砦から、無数の砲撃が怪夷の群れに向かって飛来する。
爆音と共に爆ぜた怪夷が黒い霧となって霧散する。
だが、砲撃は一部を退けただけで、黒い波のように押し寄せる怪夷の群れを止めるには至らなかった。
「これじゃだめだ。術式弾を放て」
号令に従い、更に砲撃が放たれる。
それは怪夷身体を炎へと包み込んだ。
一瞬にして、押し寄せた怪夷が霧となって消えて行く。
「軍警、執行人各位、迎撃開始!」
砦の門が開き、斎藤の号令の下、軍警と執行人で組織された部隊が迫りくる怪夷目掛けて攻撃を開始した。
それは、まさにかつての討伐戦の様相だった。
黒き影の蠢く中、武器を手にした執行人や軍警の兵士達は揺らめく怪夷を切り捨てて行く。
だが、怪夷も斬られてばかりではいかなかった。
「うわっ」
刀を振るう執行人の背中から、三匹の怪夷が一斉に飛び掛かる。
「や、やめろっ助け」
妖しく紅く光る瞳で執行人を見つめ、鋭い牙を剥きだして、怪夷はその牙を首筋や腕、腹部に、それぞれ突き立てた。
怪夷に噛み付かれた場所から、水分と精気が抜け、襲われた執行人はみるみる内に干からびて行く。
その光景は、怪夷の数が増すごとにあちこちで起こった。
ある者は群れになった怪夷に行く手を阻まれて飲み込まれ、干からびる。
ある者は怪夷に全身を食いちぎられて絶命する。
怪夷が黒き霧となって消えて行く中。干からびた仲間の屍が増えて行く。
倒しても、倒しても、湧いてくる異形の影。
歴戦の軍警の兵士であろうと、日夜怪夷を相手にしている執行人達ですら、その数の多さに疲労の色が見え始めていた。
「くそ。数が多すぎる」
前線で指揮を取りながら戦っていた永倉は思わず舌打ちした。
討伐戦を経験した彼でも、この数は目を見張るものだった。
「負傷した者は直ぐに下がれ。第二陣の出撃用意」
数匹の怪夷を切り伏せながら、永倉は吐き捨てるように指示を出した。
「永倉隊長!あれ」
部下の一人が頬を強張らせながら上空を指差す。
それにつられるように視線を向けると、そこには堀を越えてくる巨大な怪夷の姿があった。
「ランクC...いや、角があるから角付きか!」
のそりと、水をもろともせずに進んで来るのは、額に角を生やした全長三メートルはありそうな巨大な怪夷。
「ランクBと思しき個体が出現っ各部隊は団体で攻撃を」
伝令が短く指令を伝えてくる。
それに作戦に参加した執行人達はランクB目掛けて呪符を飛ばし、その周囲を囲うように結界を展開した。
僅かに、歩みを止めたランクBは忌々し気に地上の執行人達を見下ろす。
咆哮を迸らせ、行く手を阻まれたランクBの怪夷の両脇から、ぐにゅりと腕のような触手が生える。
それは、縦横無尽に振るわれて、地上や石垣に乗っていた執行人や軍警達を弾き飛ばした。
「報告!ランクB、ランクAへの移行を確認っうわー」
伝令役の軍警が、触手に貫かれてその身を干からびた皮に変える。
触手を振り回し、ランクAは執行人や軍警の兵士を捕らえると、その口許へ彼等を誘った。
「い、嫌だー」
「食われるっ」
断末魔を上げ、幾人もの執行人や軍警が怪夷に取り込まれていく。
「もう駄目だ...」
増え続ける怪夷の多さと、ランクAの脅威に恐れをなし、何人もの執行人がその場から逃げ出して行く。
「きゃあ」
薙刀を手にした少女の執行人が、つまずいて地面に膝をつく。
その背後からは怪夷の黒い触手が容赦なく迫る。
目元に涙を浮かべ、悲鳴を上げた少女の眼前に、白銀に耀く刃を手にした人物が躍り出た。
「大丈夫か?」
恐怖に身を強張らせた少女の眼前に現れたのは、白銀に耀く打刀を手にした猛。
「あ...」
猛に続くように、少女に伸ばされた触手が白銀の銃弾に撃ち抜かれ、塵となって消滅した。
「猛さんっ」
触手を打たれ、咆哮を迸らせる怪夷に更に数発弾丸を打ち込んだ雨が、猛と少女の傍に身軽に降り立った。
「雨、助かった」
「これくらいお安い御用ですよ」
ニコリと、笑う雨に逞しさを感じながら猛は地面にへたり込んでいる少女に声を掛けた。
「直ぐに後方へ下がりなさい。ここは、俺達が引き受けるから」
「はい...ありがとうございます」
猛と雨に礼を言って、少女は城門の中へと駆け込んで行く。
「魚住、東雲、戻ったか」
「永倉さん」
作戦から戻って来た二人に駆け寄り、永倉はホッと息をつく。
「作戦は失敗したんですね...」
「いや、結界は上手くいっている。けど、これはどう見てもタイミングが良すぎる...」
渋い顔をする永倉に、猛と雨は顔を見合わせた。
「永倉さん、俺はここに戻ってくる寸前まで、間違いなく辻斬りと対峙していました。けど、結界が発動した直後、まるでこのタイミングを待っていたように、辻斬りは逃げ出したんです」
「なんだって」
「僕の所もだよ。それで、ここに戻ってきたら襲撃されてたの」
猛と雨の報告に永倉は眉を寄せる。
「まさか...辻斬りはこのタイミングをワザと狙ってたってのかよ」
「そこまでは...しかし、この尋常でない怪夷の数、最初から用意していたとしか...」
猛の推測に永倉はハッと、目を見張る。
「直ぐに
切迫し、何かに気づいた永倉は、本部のある大阪城二の丸の方へと駈け出そうと踵を返す。
「俺達はここで怪夷の進行を防ぎます!雪那さん達をお願いします」
「任せとけ」
肩越しに永倉を見送って猛と雨は再び前方を向いた。
そこには、触手を斬られた衝撃から立ち直り、再び攻撃態勢に入っているランクAと多数のランクDの怪夷達がいる。
こちらを品定めするようなその揺らめきに猛と雨は同時に不敵に笑った。
「雨、身体は大丈夫か?」
「弦月のお陰で全然平気。猛さんは?」
「俺も、暁月のお陰で全身に力が漲っているよ」
互いに視線を交わし、猛と雨は目覚めた聖剣を構えた。
「行くぞ、雨」
「了解!」
二人の聖剣使いは、他の執行人や軍警を鼓舞するように、怪夷の群れの中にその身を躍らせた。
雨が打ち出す白銀の銃弾が、迫りくる怪夷の黒い触手を貫き、塵へと還し
ていく。
その勢いに押される形で、猛は怪夷の身体を踏み台に、一気にランクAの頭部付近へ一気に駆け上がった。
上段に神刀暁月を構えて跳びあがった猛は、切っ先を眼下に向け、怪夷目掛けて落下した。
角の上、頂点に当たる場所に、神刀暁月の切っ先が突き刺さる。
断末魔の悲鳴を上げ、ランクAの怪夷は塵となってその身を溶かして行った。
「ランクAが倒されたぞ」
「一気に行けえー」
猛と雨に鼓舞された執行人達が、最後の力を振り絞り、押し寄せた怪夷に向かって行く。
それは、形成が逆転する瞬間だった。
「雨、援護を」
「了解、最後の追い上げ行くよ」
神刀弦月の銃口を向け、雨は猛と共に他の執行人や軍警達に加勢した。
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