第6話

「昨日は楽しかったね」


 今日は近くの学校の子供達が、勤め先のホームに来て、歌を聴かせてくれる事になっていた。

 毎年、合唱コンクールの後、来てくれることになっていて、みんなこの日を楽しみに待っていた。

 子供達が来ると、とたんに賑やかになって、お年寄り達もいきいきしてくる。

 私達もなんとなくわくわくしながら、椅子を運んだり、その準備に追われていた。

 そんな時、奈美が一緒に椅子を運びながら、話しかけてきた。


「この前はどうなることかと思ったね」


「でも深雪が好きになるの、わかる気がしたよ。不思議な魅力があるもんね。彼」


「うん」


「でもさ、もしこのままここに残ることになったら、これからどうするか考えてるの?」


「どうするかって?」


「仕事とかさ。ずっと今のままって訳にはいかないでしょ?仕事してもらわないと。。」


「うん。わかってる。私も一緒に頑張って探すつもり」


「そっか。私に何か出来ることがあったら、遠慮しないで言ってね」


「ありがとう」


「まだちょっと時間あるけど、早目にみんな、呼んでこようか」


「そうだね。みんな揃うのに時間かかるからね」


 そして私達が、それぞれの部屋をまわっていると、澄子おばぁちゃんの部屋の前で、なんだかひそひそ話し声が聞こえてきたので


 ーアレッ、変だな。個室の筈なのに、誰と話してるんだろうー


 と思いながら、そーっとドアを少し開けてみると、澄子おばぁちゃんが写真に向かって何やら話しかけている姿が目に入った。


「澄子おばぁちゃん、入っていい?」

「はいはい」


 慌てて、写真を横の座卓の上に置いて立ち上がった。と、いきなり立ち上がったせいか、おばぁちゃん、足がもつれて、よろよろと倒れかけたので慌てて駆け寄る。


 ー良かった。間に合ったー


 体を支えられてほっとした。


「ごめんなさいね。年を取ると本当に足腰が弱くなっちゃって。。。」


「いいえ。私も急に声をかけたのが悪かったから。。。。あわてさせちゃってごめんなさい」


 そう言いながら、ふと、足元を見ると、さっき澄子おばぁちゃんが見ていた写真が落ちていた。

 拾ってみると。。。


 ーあれっ、これって。。。修。。太。。郎。くん?ー



 よくよく見ると、セピア色の写真の中に、いつもの見慣れた優しい笑顔があった。

 間違いなく、修太郎君だ。


 ーでも、どうしてここに?じゃぁ。。修太郎君の好きな人ってー


「ありがとう」

 そう言って写真に手を伸ばす澄子おばぁちゃん。


「あの。。その写真の人。。。」


「おかしいでしょ。この年になっても、いつまでも、こんな古い写真を持ってたりして。

 でもね。この人は私の若い頃の青春そのもの。

 戦争に行って。。

 死んじゃってね。。

 私の手元に残ったのは、たった1枚のこの写真だけ。。。

 こんなボロボロの写真だけど、私にとっては宝物なのよ」


「何て言う名前の方なの?」


「修太郎さん」


 ーやっぱりそうだー


「ステキな人だね」


「本当にいい人だったのよ。優しくて、人の気持ちがよくわかる人だった。でもあの人は。。きっと私の事を恨んでいるから。。。」


 ー恨む?ー


 意外な言葉に思わずびっくりして聞き返した。


「あの人はね、戦争に行く前の日に、私に会いに来てくれたの。私はね、最所、戦争に行くなんて知らなかったから、そう聞かされた時は本当にびっくりしてしまったんだけど、その時にあの人が私にこう言ったの。

 僕は戦争になんて行きたくない。僕がもし一緒に逃げてくれと言ったら、君は一緒に逃げてくれるかい?って」


「それで。。一緒に行くって言ったの?」


「。。。。」


 澄子おばぁちゃんは、答える替わりにゆっくりと首を横に振った。


「それが言えなかった。私が言った言葉は、そんな男らしくないことを言わないで。私が男だったら、喜んで戦争に行って敵を一人でも倒して来るわって。その時は心の底からそう思っていたの。

 御国の為に尽くすのがあたりまえだって。

 私が男だったら、絶対戦争に行くのにって。。

 あの頃は何もわかってなかった。

 ただ若くて、正義感にあふれていて、それが正しい事だって思ってた。

 そういう時代だったの。

 そりゃあ中には、日本は戦争に負けるなんて言ってる人もいたけど、私はそんな事信じなかった。

 だけど。。。

 日本は負けてしまった。

 そしてたくさんの兵隊さん達が、日本に戻って来たのに、あの人は。。帰って来なかった。

 私は、その時になって初めて、自分の愚かさに気がついたの。

 あの人を戦争に行かせてしまった。

 そして私のせいで、あの人を死なせてしまった」


「でもそれは、澄子おばぁちゃんのせいじゃないよ」

「そうね。私があの時、あの人の言葉に同意しても、あの人は戦争に行ったかもしれない。

 誠実で、真面目な人だから、たぶんそうしたでしょうね。

 でもそれなら尚更。。。

 もっと優しい言葉をかけてあげれば良かった。

 どうしてあの時。。。どうしてあの時って。。。

 後悔が、後から後から押し寄せて来るの。

 何年経っても。。。忘れる事は出来ないのよ」


 澄子おばぁちゃんの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「だから。。。だからずっと結婚しないで、一人で生きてきたの?」


 私の言葉に小さく、黙ってうなずいた。


「私だけ幸せになる事は出来なかったの。それに、あの人以上に愛せる人が、この世にいるなんて思えなかった。だったら一人で、想い出を大切に生きていこうって、そうココロニ決めたの」


 切なかった。

 何十年も、一人の人を想い続けて、後悔し続けて、生きてきた澄子おばぁちゃん。

 もうとっくの昔に、戦争は終わっているのに、澄子おばぁちゃんの中では、ずっと戦争は続いていたのだ。

 それから一日、その事ばかり考えていた。


 ー修太郎君が聞いたら、どう思うだろう。きっと悲しむだろうな。自分の好きだった人が、ずっと後悔の人生を歩んできたなんて知ったら。。。

 だったらこのまま黙っていようか。

 ううん。ダメ。

 やっぱり言わなきゃ。

 だって、澄子おばぁちゃんは今でも修太郎君の事、想ってるんだものー


 そう決心したものの、いざとなると、なかなか言い出せなかった。

 でも、ようやくタイミングを見計らって打ち明けると、修太郎君は何も言わず、ただ黙って聞いていた。


「澄子おばぁちゃんに、会いに行ってみる?」

 最後にそう質問すると、修太郎君は首を横に振って、

「こんな姿で会いに行ったら、驚かせるだけだから。でも、元気で生きている事がわかって本当に良かった」


「澄子おばぁちゃんの事、許してあげてね」


「許すも何も、悪いのは僕の方だから。。

 むしろあの時、強く言ってくれて良かったと思ってる。逃げ出すなんて出来ないって、わっていながらあの人に甘えてしまって。

 確かにきつい言葉だったけど、おかげで迷いが吹っ切れた。あの時の僕には必要な言葉だったんだ。

 そしていざ戦争に行ってみると、自分と同じ思いの奴もいたし、心から御国の為に身を捧げんと

 必死で戦ってる奴もいた。

 でも、僕の親友はある時、こっそり僕に言った。

 国の為になんぞ死ねないよ。

 僕は、愛する人や家族を守る為に死ぬんだ。

 みんな、御国の為、御国の為と言ってるが、国の為に死ぬ奴が何人いると思う?

 おまえは?

 おまえは何の為に戦ってる?

 僕はすぐにはこたえられなかった。

 自分の産まれた故郷を愛さない人はいないと思う。

 僕も心から日本を愛している。でも日本の為に死ぬと言う事がどういう事なのか、正直よくわからなかった。しかしそれでも、愛する人を守る為に死ぬことは出来ると思った。

 そして僕は特攻隊に志願した。

 何のためらいもなかった。

 仲間と共に戦える事に、むしろ、高揚感でいっぱいだった。

 その事を、僕は今でも、少しも後悔はしていないし、そういう強い意思を持てた事を誇りに思っている」

 修太郎君の凛とした姿にただ、圧倒されていた。


 ーこの人は。。なんて強いんだろう。

 繊細で、傷つきやすいなんて、私の思い違いだった。

 この人は、こんなにも情熱的で逞しい人だったんだ。澄子おばぁちゃんにも見せてあげたかったな。今の修太郎君をー


「私も。。。そういう修太郎君を、すごく立派だと思うよ。でもね、生きていくって事も、すごく勇気がいる事で、立派な事だと思うんだ。

 修太郎君の友達の分も、これからちゃんと生きていくべきだって思う。

 せっかく助かった命なんだから、大切にしてほしいんだ。これから、不安な事とか、心配な事もたくさんあると思うけど、一生懸命、私に出来ること探すから、修太郎君の力になるから、ずっとここにいてね。仕事も、住む所も、一緒に探そう。

 修太郎君は真面目だし、誠実だし、絶対良い仕事、見つかると思うんだ」

 なんだか勝手に、言葉がどんどん溢れだして、一気にまくし立ててしまった。


「。。。。」


 でも、修太郎君はと言うと、ただうつむいて、何も答えてくれない。


 ーまだ、言い出すのが早すぎたかなー

 と思ってると、


「ごめん。こんなにいろいろ世話になっておきながら、こんな事を言うのは、君に対して申し訳ないが、僕はやはり、元の世界に帰りたいと思ってる」


「帰る。。。って」

 まさか、こんな答えが返ってくるなんて、思ってもみなかった。


「ここは、僕がいる場所じゃない」


「どうして?どうしてそんな事言うの?帰るって。。。帰ったら死んじゃうんだよ。

 死んじゃったらなんにもならないじゃない。

 せっかく助かったんじゃない。

 生きてさえいれば、これからいっぱい楽しいことあるし、幸せにだってなれる。

 きっとなれるよ。お願いだから、そんなこと言わないで。ここにいてよ」


「確かにここは、今の日本は、平和で、楽しいこともたくさんあるし、美味しいものもたくさんある。明日生きているかどうかもわからなかった昔と違って、幸せに暮らしていけると思う。

 でも、それでも僕は、

 これから先一生この時代で暮らしても、心から笑える時はないような気がする。

 死んでいった仲間達への罪悪感や、どうしようもない孤独感を一生背負って生きていけるほど、僕は強い人間じゃない」


「私がいても?私がいても孤独なの?」


 彼は、静かにゆっくりと、うなずいた。

 今度は私が深い絶望を味わう番。


「それに僕にはあの人がいます。あの人はずっと、僕の事を思いながら、長い年月をたった一人で生きてきた。想い出だけを胸に。

 それがどんなに辛いことか、それを思うと胸が痛みます。せめてあの世から、あの人の人生を見守ってやりたい。

 僕が死んでから今までの人生を、そっと見守ってやりたい。

 そして最期の時には、僕が迎えに行って、今までよくがんばったねって言ってやりたいんです。

 あの人がずっと僕の事を忘れずに想い続けてくれたように、僕も遠いあの世からずっとあの人を想い続けたい」


「でもそんなの。。。あんまり悲しすぎるじゃない。そばにもいられず、触れることも出来ずに、ただ見守るだけなんて。。。悲しすぎるよ」


「それでもいいんです。あの人と心が通い合ってさえいれば僕はそれだけで幸せなんです」


 もう、彼を止める言葉は見つからなかった。

 ただ、もう修太郎君に会えなくなってしまうのかと思うと、今の私にはとても耐えられそうになかった。


 ー私と修太郎君に残された時間はあと二日。

 でもあと二日で何が出来るだろう。

 もし出来るなら、今まで過ぎてしまった時間をもう一度呼び戻したい。

 もう一度最所から想い出を作り直したいー


 あまりにも日常的に過ごしてしまった時間を後悔した。


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