7-14 デュホールユリ戦役 その一

 ベルム歴727年中秋前(月)21日未明、ジェスタ王国南部国境の町エヴォリックをおよそ200名からなる武装集団が襲撃を始めた。

 しかしながら、野盗に扮した傭兵団の思惑通りには進まなかった。


 事前に街に入り込んでいた仲間が東門を内部から開くところまではうまくいったのだが、街を漁るために一気に内部に走り込んでみて様子がおかしいことに気づいた。

 夜間であっても東門の門衛所にいる筈の衛士がまずいなかった。


 そうして東門広場から街の内部に至る小径のいずれもがかなり強固なバリケードで塞がれていた。

 さらには雪崩れ込んだ賊たちの背後に五百人規模の兵士が現れて退路を塞いだのである。


 そうして東門広場から街の中央へ続く大路にも完全武装の兵士が現れたほかに、広場を取り囲む建物の屋根にも数多くの弓兵が姿を現した、

 既に弓矢は引き絞られており、何時でも撃てる状態にある。


 完璧な待ち伏せである。

 その上で指揮官らしきものが声高に言った。

 

「盗賊ども、直ちに降伏せよ。

 さすれば命までは取らぬ。

 五つ数える間に決めろ。

 ひとーつ・・・。」


 予期せぬ出来事で、傭兵団の頭が態度を決めかねている間に、五つが数え終わっていた。


「撃て!」


 指揮官の号令で一斉に弓矢が放たれ、同時に前後の兵士が長槍で突っ込んできた。

 ほとんど抵抗らしきものができないまま傭兵団は数名の重傷者を残して殲滅させられた。


 同じ頃、エシュラックの町ワレザルは180名ほどの傭兵団に襲撃されていた。

 街の守備隊は五十名ほど、他に冒険者なども数十名が滞在していたが、寝込みを襲われたために大した抵抗ができないうちにほぼ壊滅した。


 ワレザルの町は荒らし放題であった。

 女たちはその場で犯され、男たちは殺された。


 家屋敷を荒らされ、価値のある家財は略取された。

 夜が明けてからようやく隣町に野盗襲撃の通報が届き、駐在するエシュラックの軍が急ぎ動いたが盗賊たちは引き上げた後で、むごたらしい惨状が残されているだけであった。


 後日、エヴォリックを襲撃したアレシボ皇国に居を構えるグレイベア傭兵団の生き残りから、ワレザルの町を襲撃したのは、デラコア王国に居を構えるヤマアラシ傭兵団とわかり、また背後にサングリッド公国の謀略があったことが判明した。

 エシュラック王国国民の怒りは凄まじく、エシュラック王の圧力に屈したデラコア王が自ら指示して、ヤマアラシ傭兵団は即座にその存在を潰され、捕縛を免れた団員は全員がお尋ね者になった。


 それらの騒ぎをよそに、北方三か国では21日の夜明けを待って、徐々に作戦が発動、10日後にはそれぞれの軍が国境線に辿り着けるように動き始めたのである。

 同じ頃、ジェスタ国内でも遠方の領地から順に出兵が始まっていた。


 南部辺境伯領からは、二千名が出兵し、三千名が領地に残った。

 居残り三千名は未だ近辺に潜んでいるかもしれない野盗への対応と不穏な状況にあるエシュラックへの対応のためである。


 カラミガランダ及びランドフルトの領軍千名もまた、準備だけは行っていたが、出発はもっと後であった。

 リューマは兵員輸送のために定員30名の高速バス30両と日本の警察機動隊の常駐警備車両10台及び支援用車両4台を改造して準備したことから、領軍千名をカラガンダ又はランドフルトからブリッド沼沢地まで輸送するには、足掛け二日あれば可能となったので、中秋前(月)28日の早朝に出発予定である。


 念のため、改造型96式装輪装甲車二両も同伴して行くが、こいつに設備した武器を使う予定はない。

 北方三か国の計画では、カトラザル王国軍がブリッド沼沢地に達するのは30日夕刻であり、その翌日の中秋後(月)1日夜明けから三か国の四街道侵攻作戦が発動する予定なのである。


 傭兵団の陽動作戦の成否については、その報告が一応なされることになってはいるが、実際問題としてジェスタ王国以外のルートを経て、サングリッド公国へ伝達されることから、戦の開始には間に合わないことになっている。

 元々サングリッド公国としては陽動作戦の成否にかかわらず、作戦を強行しようとしており、むしろ三か国の軍の動きをジェスタ王国に知られないようにすることを最重要課題としていたのである。


 当然のことながら、作戦の全てがジェスタ王国に筒抜けになっていることを北方三か国は全く知らずにいた。

 仮にそうと知っていたならローゼンハイムとカトレザルは動かなかった可能性が高い。


 各国の将軍たちは、4つの街道を同時に侵攻する奇襲作戦だからこそ成功の可能性大とみていたのであり、奇襲が成功すればジェスタ王国各地から参集する小軍団を個別に打ち破る目途はついている。

 奇襲こそがこの作戦の要諦であり、これが無くなれば総力戦となり、自国の軍も大きな損害を受けることになる。


 ジェスタ王国を完全に征服できれば、その損害も十分に補填できようが、万が一にも一部だけ(たとえ半分程度であろうとも)の占拠に終われば作戦そのものが失敗なのだ。

 そのために彼らも大いに秘密保持には腐心したのだった。


 一方でリューマは、高高度定点観測用ドローンを複製して上空に揚げ、北方三カ国軍の侵入口であるグナウゼア街道、アブレ西街道、アブレ東街道、それにサーカス街道の四か所を監視していた。

 そのために北方三か国の侵攻軍の動きは常時確認できていたのである。


 ◇◇◇◇


 運命のベルム歴727年中秋後(月)1日未明、北方三国のそれぞれの軍は1日正午には国境を超えるべく進軍を始めたのだった。

 フローゼンハイム軍一万二千は、グナウゼア街道の国境線である峠を目指していた。


 サングリッド公国軍一万五千は、アブレ西街道七千、アブレ東街道に八千と二手に分かれて同じく峠を目指して進軍していた。

 カトレザル軍一万四千は、ブリッド沼沢地帯を抜けるサーカス街道を西に向かっていた。


 因みにサーカス街道の国境線はブリッド沼沢地の中ほどにある直径百尋ほどの緩やかな略円形状丘陵地帯の中央にある。

 ジェスタ王国とカトレザル王国の互いの関所はブリッド沼沢地の東西端にあり、国境である中央の丘陵地からは徒歩で二時間ほどもかかる距離にある。


 カトレザル軍先鋒は正午前には既に国境線を超えていた。

 一応、各軍とも国境を越えるのは1日正午と決められてはいたが、この程度の誤差は許容範囲だ・


 だが先鋒軍の指揮を執っていたバーレン男爵は奇妙なことに気づいた。

 前方に見えるブリッド沼沢を突っ切る形の街道筋に人影が見当たらないのである。


 旅人は夜明け前に出立し、日没前には投宿するのが普通である。

 しかしながら、この日はここまでジェスタ王国からの往来が全く無いのだ。


 カトレザル王国側からの往来が無いのは、カトレザル軍の動きを知られては困るので昨日夕刻前からカトレザル側の宿場町ミルゴスの関所でその動きを止めさせているからだ。

 しかしながら、ジェスタ国からの旅人が居てもおかしくはないのに正午になっても一人も通行人が居ないというのは何かがおかしいのである。


 不吉な思いがよぎったが、先鋒の役目はできるだけ後に続く本隊の進行を妨げないことと、前方の偵察及び制圧にある。

 遠くに霞んで見える低めの城壁がおそらくはブリッド沼沢地の名前の由来になったブリッドブルクの街を取り囲む城壁だろう。


 ブリッドブルクは、ジェスタ王国ヨーランド子爵の領地で、常時駐留する兵士は五百名足らずの筈だ。

 その先鋒指揮官であるバーレン男爵が、さらなる異変に気付いて真っ青になったのは丘陵地から三百尋も離れていない地点だった。


 目の前にほぼまっすぐ伸びている街道に突如として巨大な魔物が出現したのであった。

 これがもし、沼沢地からのそのそと揚がって来たのならば、左程は驚かなかったかもしれない。


 男爵自身は目を離したりはしていなかった筈なのだが、、まるで目の前に忽然と巨大な魔物が空気中から出現したように見えた。

 街道は馬車が楽にすれ違えるほどの幅を持っているのだが、巨大なワニの魔物はその胴体の幅だけで街道の道幅を占めてしまうほどの大きさであり、体高も高い。


 その体高は人の身長の二倍近くもあって、黒と灰色の斑模様の表皮がゴツゴツとしていて如何にも固そうである。

 しかも頭部をこちらに向けており、人の頭ほどもあるその目がぎょろりと動いて、バーレン男爵をにらんでいた。


 こんな魔物が街道を塞いでいては通るに通れない。

 しかもその巨大な魔物がゆっくりと前に動き始めたのだった。


 動きは遅い。

 が、巨大であるためにその一歩がかなり広いのだ。


 その姿を見た先鋒軍から徐々に後方へと動揺が広がって行く。

 バーレン男爵はやけくそ気味に叫んだ。


「弓隊、魔物を攻撃、槍隊は魔物の進路を塞げ。」


 そんなもので魔物の進路を塞ぐことはできないだろうと思いながらも、せめてもの抵抗を示したのだが、それが悪い方向に動いた。

 たまたま前衛の弓兵の放った矢の一つがワニの瞼の脇に少し刺さったのである。


 その痛みで斑ワニが突如「グオゥ」と咆哮し、一気に動きを速めた。

 これまでのゆっくりとした動きではなくザザッと動いてアギトを開き、その光景で一瞬硬直してしまったバーレン男爵をパクンチョと一飲みにしたのだった。


 巨大な魔物の一噛でバーレン男爵はこの方面での初めての戦死者になった。

 あとはカトレザル軍兵士の阿鼻叫喚と斑ワニの無双である。


 斑ワニの固い表皮は刀や槍では全く通じない。

 魔法でも余程強烈な魔法でなければ傷を負わせることすらも難しいだろう。


  唯一の弱点でありそうな目を狙うも、二重の半透明の瞼にさえぎられて眼球には刃物が届かない。

 魔境においても浅瀬の水域では絶対王者に君臨している化け物なのだから、只の兵士の攻撃が通じるはずもない。


 おまけに被害に遭う兵士たちは後が詰まっていて逃げるに逃げられないでいる。

 そのうちに、国境線代わりの丘陵地の周囲の浅瀬にも数匹の斑ワニが、出現したためにカトレザル軍全体が大混乱に陥った。


 結局、その日夕刻近くになっても、カトレザル軍で国境線である中央の丘陵地より西へ進出できた者は居なかった。

 斑ワニ数匹の出現でカトレザル軍の戦死者は五百名以上、重軽傷者は二千名にも及んだのである。


 夕刻近くには後方にいた魔法師団が前面に出て斑ワニに対して魔法攻撃を仕掛けるも斑ワニに大した損害を与えられずに終始し、最終的にカトレザル軍は沼沢地に入る前のカトレザル側領域まで後退し、二日間陣を張って滞在したが状況が好転せず、最終的には引き上げたのである。

 斑ワニは災害級の魔物であり、こんな魔物がブリッド沼沢地に生息していることなど誰も知らなかった。


 いずれにせよ北方三国の内、一つの国の侵攻は完全に止められたのである。

 カトレザル軍が進路を変えてアブレ東街道方面に向かうことは可能であるが、大軍の移動故に少なくとも一月以上はかかる旅程と見込まれる上に、同盟国とは言いながらもサングリッド公国の領域に大軍が踏み込むには公国との事前調整が必要であった。


 従って、カトレザル軍が今回の侵攻作戦に寄与できる機会はほぼ失われたことになる。


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