第33話 指名
真っ暗な空間の中、ぽつんと置かれた、大きな鏡台。
その前に座る幼い少女と、少女のすぐ後ろに立つ、黒いローブを来た年若い娘。
娘は手に持った
「本当に綺麗な髪」
感嘆のため息とともに、娘は今度は自らの手で愛おしげに少女の髪に触れる。娘の左手の甲には怪我でもしているのだろうか。包帯が巻かれていた。
少女は、子供ながらに驚くほど端正な顔立ちに何の表情も浮かべず、だが微かに頬を朱に染めた。
「私もあなたみたいな髪だったらよかったのに」
娘は微笑んで、自らの指を櫛代わりに、少女の髪を梳いていく。
少女は静かに目を閉じ、気持ちよさそうにされるがままになっていた。
リシェルは二人の後ろ、少し離れたところに立って、鏡に映った正面からの二人の姿を眺めている。
これは夢だ。
夢の中にいながら、リシェルはそうはっきりと自覚していた。
だが、いつも見る夢よりはるかに鮮明な夢。
二人の姿はぼやけることなく、はっきりとこの目に捉えることができた。
鏡に映る、幼い黒髪の少女。
その瞳の色は髪と同じく黒だが、間違いない。
それは幼い日の、自分。
もう一人の娘の方は、先程から少女の髪を梳くのに夢中で、ずっと俯いているため、顔がはっきり見えない。
見たい、彼女の顔が――――
リシェルは強く念じた。
(あなたは、誰なの? あなたが……アーシェなの――――?)
すると、リシェルの心の呼びかけに答えるように、娘がふと顔を上げた。
適当に切り揃えられた、艶のない灰色の髪が肩口で揺れる。
鏡にはっきりとその顔が映る。
視線が、合った。
意志の強そうなきりっとした眉の下、知性と好奇心で輝く、灰色の瞳。
自尊心の高そうな、つんとした鼻。
何か言おうものならすぐさま反論が飛び出してきそうな、生意気そうな口元。
美人ではなかったが、1度見たら忘れられない、なぜか強烈に引き付けられる、そんな雰囲気があった。
娘が微笑んだ。
それは、彼女の気の強そうな外見とは裏腹に、とても優しくて、すべてを包み込む聖女の微笑みにも見えた――――
そこで、目が覚めた。
(また、夢――――)
だが、今日の夢は明らかにその鮮明さが違っていた。いつも見る夢は、リシェルの花畑で、そこを歩く二人の姿はひどく
これはただの夢なんかじゃない。おそらくは、失ってしまった過去の記憶。リシェルはそう確信していた。
そっと髪を撫でる。こうすれば、幼い日の自分の髪を撫でる娘の手の感触も思い出せそうな気がした。
多分、いや絶対、あの娘はアーシェに違いない。
幼い日の自分と、アーシェは知り合いだった。二人はとても仲の良い、親密な関係のように見えた。まるで姉妹のように。
どうして、急にこんな夢を見たのだろう。
(エリックさんに、髪、触られたから――?)
どう考えても関係のないことを思ってしまい、リシェルは赤くなった。
「先生、起こさなきゃ……」
リシェルは部屋の時計を見て、現実へと意識を戻す。
今日は導師会議の日だ。遅刻するわけにはいかない。
「先生、また夜更かしされたんですか?」
会議の間へと向かう廊下の途中、リシェルはすぐ横をあくびをしながら歩く師に向かって尋ねた。
シグルトはちらり、と意味ありげに弟子を見る。
「夜更かしというか、よく寝れなくてね……君のせいですよ」
「私?」
「君が昨日おかしなことを聞いてくるから……私もまだ若いんでね。夜一人になったら色々想像が膨らんで、やっぱり今夜でも……とか考えて、悶々としてたんですよ」
「??」
自分の言っていることの意味をまるで理解できていない弟子に、シグルトは苦笑した。
まったくこの弟子は人の気も知らないで、と小さく口の中で呟き、再び大きなあくびをする。
「先生、今日の議題内容、ちゃんと読んだんですか?」
リシェルの手には、今日の導師会議の会議資料がある。それは先週からシグルトの執務机の上に、リシェルが今日手にするまで、寸分たりとも変わらぬ位置に置かれていた。先程、資料を用意している担当魔道士が、追加議題の資料を持ってきたが、シグルトはそれにも触れていない。
「もちろん、読んでません」
眠そうな声で返って来たのは、予想通りの答え。
「進行役がそんなんでいいんですか?」
「いつも読んでないけど、なんとかなってますから大丈夫です」
リシェルは首を振る。やる気のない師に何を言っても無駄だ。
会議の間へ向かう途中、リシェルはいつもはただ通り過ぎるその場所で、突然足を止めた。
「どうしました?」
「先生、この像が大魔道士ガルディアですよね」
リシェルが見上げる先には、大きな石像があった。ローブをまとい、何かを招き入れるかのように大きく手を広げた、長い髭を蓄えた老人の像。いつもは気にも留めていなかったが、こうして改めて見ると、史上最強の魔道士にして、エテルネル法院の創設者という地位に相応しい、威厳のある人物のようだ。
「ええ。それがどうかしました?」
「最近、法院の歴史の勉強をして……法院ってもともと、犯罪に走った魔道士を裁くための組織だったんですよね?」
「……ええ」
リシェルは目の前の像を観察するのに熱心で、師の返事に妙な間があったことに気づかなかった。ガルディアの像は、厳格さを表そうとしてるのか、ひどいしかめっ面をしていた。
「ガルディア様ってやっぱり、正義感の強い、厳しい方だったんでしょうか。そういえば、ガルディア様も先生と同じで、白銀の髪に紫の瞳だったんですよね? すごい魔道士って似るものなんですね」
桁外れの魔力もそうだが、その容姿の共通点もあって、シグルトは大魔道士ガルディアの生まれ変わり、再来などと呼ばれている。リシェルとしては、導師会議前に少しシグルトを持ち上げて、やる気を出させるつもりだった。
「……ただの狂った大量殺人者ですよ」
ぼそりと呟かれた言葉に、リシェルは驚いて師を振り返った。法院に所属する魔道士たちに、半ば神のように崇められるガルディアに対する暴言を、初めて聞いた。
シグルトは疎ましげにガルディア像を見ている。偉大なる大魔道士と同じとされる、その紫の瞳には、明らかな軽蔑の色があった。
「まあ、しかし、私に似ていたというなら、もうちょっと格好よかったんじゃないかな」
「またそういうことを……」
「さ、早く行きましょう。遅れますよ」
シグルトはぷいと石像から目を背けると、さっさと歩き出した。その背を慌てて追いかけながら、リシェルはもう一度だけ、ガルディアの像を振り返る。
師の言葉に思い出していた。大魔道士ガルディアには、“狂気の大天才”という異名があったことを。
リシェルは、師の後ろで息をひそめて、じっと円卓に並ぶ面々を見つめていた。
導師会議に出るのはこれが二度目だ。
今回は自己紹介の必要もないから、リシェルが発言する機会もないだろう。そのことにほっとしつつ、周囲を観察することに専念した。
すぐ斜め前の席では、シグルトが淡々と議事を進行させている。今日の議題すら事前に確認していなかったというのに、シグルトはそれをまるで感じさせない程、落ち着いて卒なく役目をこなしていた。内心、師の器用さに感心する。
シグルトの左隣、白い髭を蓄えた老人――ガームは目を閉じたまま動かない。後ろの弟子の席は相変わらず空席だ。弟子のディナは結局任務から戻って来れなかったようだ。アーシェと仲の良かったという、ディナ。今日こそ会えると思っていたのに。
隣の席の妖艶な美女ロゼンダ、そして美貌の青年ヴァイスは二人とも穏やかな笑みを浮かべながら、適度に発言をする。ただ、両者とも議論に熱くなるようなことはなかった。
少年の姿をした導師ルゼルは前回同様、何かとシグルトやブランに突っかかるような態度を見せ、その度にブランと言い争った。弟子のルーバスは態度の大きい師とは反対に、ひたすら小さく縮こまっている。
会議の内容については、やはりよくわからなかったので、リシェルはほとんど聞き流していた。ちらりと隣に座るパリスを盗み見れば、彼は導師たちの発言に頷いたり、難しい顔をしてペンを走らせメモを取ったりしている。会議内容を理解するだけの知識がある上、根が真面目なのだろう。
円卓を一周させた視線を、再び斜め前に座るシグルトの横顔へと戻す。ついさっきまで眠そうな、だらけた顔をしていたというのに、今は――少なくとも表面上は――真剣な顔で場を取り仕切っている。
(……今の先生は、ちょっと格好いいかも)
シグルトは、導師会議を取り仕切る自分を見たら、きっと見直すだろうと言っていたが、確かにその通りだった。
弟子の尊敬のまなざしには気付かず、シグルトの手が資料をめくる。
「次に、つい先程、ラティール騎士団より、魔道士派遣の要請がありました」
リシェルのぼんやりしていた頭が急に覚醒する。師の次の発言に耳を傾けた。
「アンテスタ地方で最近悪行を繰り返している盗賊団の討伐に当たり、敵方に魔道士がいる可能性があるため、こちらも魔道士に援護してもらいたいとのことです。出立は明後日。なお、団長であるクライル王子から――――」
そこで、シグルトは言葉を止めた。不自然な間に、何事かと出席者たちの視線が集まる。
「……今回、派遣する魔道士について、クライル王子から指名がありました」
シグルトがリシェルを振り返る。
「……リシェル、君に来てもらいたいそうです」
「わ、私ですか?」
突然名前を出され、声が裏返った。
「クライル王子からの書簡には、君の了承は得ているとありますが……どういうことですか? いつそんな約束を?」
シグルトに責めるように問い詰められ、必死で考える。
「約束なんて……って、あ!」
そこで思い当たる。
あのデートの約束だ。
(デートってこのことだったの?)
「……約束、したんですか?」
まさかデートがラティール騎士団の任務同行のことだとは思いもしなかったが、クライルに誘われたら行くと約束してしまったのは事実だ。
「……はい」
弟子の小さな肯定の答えに、シグルトの表情が一気に険しくなる。
「なんでそんな約束を……駄目です。許可できません」
「へ~、可愛い弟子を危険な任務には行かせたくないって?」
声を上げたのはルゼルだった。
「この子の実力では、このような任務に行かせるのはまだ早いと」
「それはお前の我儘だろう?」
ルゼルはシグルトの反論を遮る。
「ボクの弟子のルーバスだって、ガーム導師のディナだって、みんなそれぞれ危険な任務を与えられているんだ。それは導師の弟子として当然の責務だろう。確かに誰を弟子にするのかは導師それぞれの自由だが、この会議に列席する以上、それ相応の責務を果たす必要がある。お前の弟子だけ特別扱いすることなんかできないぞ」
「しかし……」
ブランが何か言いかけるが、ルゼルは口を挟むのを許さぬかのように、一気に
「大体、たかだか野良魔道士をぶち倒すだけの、この程度の任務すらこなす力もないのか? お前の弟子は。だとしたらお前の責任問題だな。導師の弟子、法院の力を世に示すべき者が、王族からの要請を実力不足を理由に断るなんて、許されない。まして、お前の弟子は王子と約束したんだろう? それを反故にするなんて、お前は法院の威信を失墜させる気か?」
「……」
ルゼルはここぞとばかりにシグルトを責め立てる。シグルトは黙ってしまった。ブランもなんとかシグルトを擁護しようとしているようだが、反論が思い浮かばないらしく、苛立たしげに眉を寄せている。
その理由はリシェルにもわかった。いつも難癖のような議論をふっかけるルゼルだが、今回言っていることは、正論なのだ。
さらに、追い打ちをかけるようにヴァイスが口を開いた。
「そうですね……ルゼル導師の仰る通り、ただ勝手に指名されただけならともかく、王子と約束したのであれば、やはり断るのはまずいでしょうね。シグルト導師が彼女を心配されるお気持ちもよくわかりますが」
穏やかな口調で発言する美青年に、シグルトは鋭い視線を向けた。だが彼は少しも怯まず、微笑みを返す。
ヴァイスに続いて、ロゼンダも口元に妖艶な笑みを
「過保護は弟子の成長のためにならないんじゃなくて? シグルト導師」
そういえば、この二人は何かと意見を同じくすることが多い、ということにリシェルは気づいた。
会議が始まってまだ一言も発していないガームは眠っているのか、目を閉じてやはり何も言わない。他の導師たちも彼の存在は忘れ去っているかのように、誰も彼に発言を求めなかった。
ルゼルは二人の導師の同意を得、自らの優位にいたく満足げな様子で、さらに年下の導師を責め立てる。
「どうする、シグルト? あくまで弟子を行かせないと言い張るのなら、何かしらの責任は取ってもらわないとな」
その幼い顔には、捕えた獲物をいたぶろうとするかのような酷薄な笑みが浮いていた。
「あ、あの! 私、行きます!」
咄嗟に言葉が出ていた。後先など考えていなかった。ただ、自分を危険な目にあわせまいとして、師が立場を悪くすることを黙って見ていることなどできなかった。
「リシェル!?」
シグルトが何を言うんだとばかり、リシェルに非難のこもった目を向けるが、リシェルは黙って首を振った。そもそも、自分がクライルと深く考えもせずに、軽はずみに約束などしてしまったのが悪いのだ。
「本人が行くって言ってるんだ。決まりだな」
ルゼルがにやりと笑う。
「……」
もはや流れは完全にリシェルを派遣することで決まっていた。
それでもシグルトは、渋い顔をして頷こうとはしない。
険悪な雰囲気の中、声を発したのはブランだった。
「よし、今回は新人二人に経験を積ませるってことで、うちのパリスも行かせよう」
「ええ!?」
ブランの後ろの席で、いきなり名指しされた弟子は、持っていたペンを取り落とした。
「何も魔道士は一人だけ派遣しろってわけじゃないから、問題はないだろう」
ブランの言葉にルゼルの笑みが深くなった。
「異議なし。決定だな。じゃ、さっさと次の議題行こうよ」
「…………………………では、次ですが」
シグルトは苦虫を噛み潰したような顔で、渋々次の議題へと進んだ。そんなシグルトの様子を、ルゼルは会議の間中、一見すると少年らしい無邪気な笑顔を浮かべて、愉快そうに眺めていた。
「なんで勝手に行くだなんて言ったんです!?」
導師会議を終え、執務室に戻るなり、シグルトは我慢していたものを噴き出すように声を上げた。
珍しく大きな声を出す師に、リシェルは身を
「その、王子様と約束してしまったのは本当ですし……」
「一体、いつ、どこでそんな約束をしたんです?」
「き、昨日帰り道で偶然遇って……」
一国の王子と街で偶然遇うなどという状況を理解してもらえるか不安だったが、シグルトはその点については深くは聞いてこなかった。元教師だけに、彼がよく城を抜け出すということもわかっているようだった。
「なんだってそんな馬鹿な約束を?」
「それは、その、流れでそうなっちゃって……」
先生の前の弟子の話が聞きたかったからです、とは言えない。
「約束だろうが何だろうが、駄目です。許しません」
弟子の曖昧な答えに、シグルトの表情に不機嫌さが増す。
「まったく……君は後先っていうものを考えられないのか。ちょっと目を離すとすぐこうやって問題を起こすし。当分の間、許可なく外出したり、勝手に誰かと会ったりしないように」
シグルトの高圧的な物言いに、リシェルは少しかちんと来た。確かに過去二回の誘拐事件では師に迷惑をかけたが、それは別にリシェルのせいではない。
「私だってもう大人なんです。子供扱いしないで下さい!」
「私からすれば君はまだ子供ですよ。君に盗賊退治なんてできるわけないでしょう? まして敵には魔道士もいるというし。危険すぎます」
師の言葉に、一瞬怯む。今まで誰かと争ったことなど一度もない。まして、手に武器を持っての戦い、命の奪い合いなど想像もできなかった。だが、怖いからといって今更行かないと言い出したら、それこそ子供だ。リシェルは自分を奮い立たせるように言った。
「でも、パリスだっているし、ラティール騎士団はラムド地方の山賊団をやっつけるくらい強いんですよ?」
「……確かにパリス君がいれば、おそらく任務は成功するでしょう。君が何もしなくてもね。でも、私が心配してるのは、盗賊退治という任務そのものだけじゃありません」
シグルトは大きくため息をついた。
「リシェル、君はまるでわかってない。ラティール騎士団なんてただの寄せ集めのならず者の集団なんです。そんなところに女の子一人行ってみなさい。もし魔法が使えないって知れたら、何されるかわかったもんじゃない」
「そんな……! 騎士団の皆さんのこと、よく知りもしないのになんでそんなこと言うんですか?」
あんまりな言い方だと思った。ラティール騎士団に所属するエリックはリシェルを助けてくれた恩人で、ならず者などではないし、少し会っただけだが、ザックスやダートンだって悪い人間には見えなかった。むしろ、口は悪いが二人がクライルを見る時の目には、まるで子供を見守るような温かさを感じた。
「君だってよく知らないでしょうに」
「そうですけど……でも、ザックスさんやダートンさんはいい人そうでしたし、エリックさんだって優しい方です!」
リシェルの言葉に、シグルトの眉が不快そうにぴくりと動いた。
「それに、私、ちょっとだけどもう魔法だって使えます!」
「魔法……ね。そうでした。パリス君に習ってるんだったね。で、この前私に見せてくれた術以外に、どんな術を覚えたんです?」
挑発的な問いかけに、リシェルは言葉に詰まった。
「……それは……」
「なんだ、他の術はまだ使えないんですか。やれやれ、あの程度の術が使えるようになっただけで、もう一人前の魔道士気取りとはね」
シグルトは小馬鹿にしたように鼻先で笑った。
師にこんな冷たい物の言い方をされるのは初めてのことで、リシェルは悔しさと悲しさに涙が零れそうになるを必死で堪えた。
なんだか、自分の今までの努力がすべて否定されているようだ。リシェルがまだ大した魔法が使えないのは、シグルトの責任でもあるのに、なぜこんな言い方をされなければならないのか。
リシェルの潤んだ瞳に気づいたのか、シグルトの口調が少し穏やかなものに変わる。
「リシェル、君だって本当は行くの、怖いでしょう? さすがに私もついてはいけないし、何かあっても君を助けてあげられないからね。あの馬鹿王子には私が話をつけます。後は私がなんとかしますから、君は黙って私の言う通りにしなさい。いいね?」
保護者として発せられる命令に、リシェルは強烈な反発を覚えた。
シグルトの言う通り、本当は怖い。でも、それでも行くか行かないかを決めるのは、自分だ。
なのに、どうしてシグルトはいつも、リシェルのことを勝手に決めてしまうのか。
「……怖くなんかありません」
「リシェル?」
「……パリスやエリックさんだっているし、先生がいなくたって平気です!」
リシェルはきっと師を睨みつけた。
「そりゃあ、私は何の役にも立てないかもしれないけど……とにかく私、先生がなんて言ったって行きますから!」
あらぶる感情のまま、叩きつけるように言って、踵を返した。そのまま部屋を出ていくつもりだった。
だが――――
突然、腕を掴まれた。
強い力で引かれると同時に、身体が傾く。
「きゃっ……!?」
衝撃を予想して反射的に目をつぶるが、どさっと柔らかなものの上に背中から倒れこんだ。どうやら、部屋に設えてある、革張りのソファの上に倒れたらしい。
恐る恐る目を開けると、部屋の天井を背景に、自分を覗き込むシグルトの顔があった。
状況を理解するのに数秒かかった。
シグルトが上から
「せ、んせ……?」
シグルトはじっと見下ろしてくる。天井の照明を背に、暗く影のかかったその顔には何の表情もなかった。
感情の見えない、冷たい紫の瞳。いつもの温かな眼差しとは対極にあるそれに、背筋がぞくりとした。
師を怖いと感じたのは、パリスの事件以来、これが二度目だった。
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