第28話 光


 リシェルは、両手に書類の束を抱え、ブランの隣を歩いていた。


 シグルトの部屋にあった大量の書類を受け取りに来たブランに、書類を運ぶのを手伝うという名目で無理やり付いて来たのだ。ブランは一人でも運べると言ったが、リシェルは部屋でシグルトと二人きりになるのが嫌で、なんでもいいから理由をつけてあの場から逃げ出したかった。


「ほんっとに信じられない!」


 もしあそこでブランが来なかったら……そう思うとかあっと顔が熱くなり、師への怒りがふつふつと湧いてくる。


「もう先生のことなんか絶対信じないんだから」


 歩いている間、終始ぶつぶつと呟くリシェルに、ブランは苦笑した。


「まあ、あいつがふざけるのはいつものことだろ?」


「ふざけるにも程があります!」


 なだめようとするブランに食ってかかる。


「弟子が真剣に頑張ってるのに、訓練だなんて言って騙して……師匠失格です!」


 魔道の入門書をくれたこと以外、シグルトは師匠らしいことはまだひとつもしていない。他の魔道士のことはよくわからないものの、師匠というものは弟子に、もっと練習を見て助言をしたり、手本を示したり、自分の技を教えたりするものなのではないか。

 

(やっぱり先生は、私に魔道士になって欲しくないの?)


 それとも、自分に対してだけでなく、シグルトは弟子にはそういう態度なのだろうか。


(……前はどうだったんだろう?)


「先生、前の弟子にも、ふざけて……あんなことしてたのかな……」


 想像して、なんだか胸のあたりがもやもやとした。

 リシェルの思わずぽつりと零れた呟きに、ブランが足を止めた。つられてリシェルも立ち止り、ブランを見上げる。ブランは真面目な顔になって、リシェルを見下ろしていた。


「リシェル……やっぱり、シグルトの前の弟子のこと、気になるか?」


 問いかけに、リシェルは素直に頷いた。


「そうか……そうだよな。パリスから聞いたよ。お前の過去に関わりがあるかもしれないんだってな」


 リシェルは素早く辺りに人がいないのを確認してから、小声でブランに尋ねる。


「ブラン様、教えて下さい。先生の前のお弟子さんて、どういう方なんですか?」


 ブランの顔に逡巡の色が浮かんだのを見て、リシェルは必死で頼み込む。ブランくらいしか、教えてくれそうな人間がいないのだ。

 

「お願いします、ブラン様。知りたいんです」


 ブランはしばらく迷うような表情を浮かべていたが、懇願するリシェルの必死さに、やがて、


「……一言でいえば、天才、だな」


 ため息をついて折れた。


「……アーシェは、子供の頃から桁外れに魔力が強くてな。噂を聞き付けて、地方の農村で母親と暮らしていたあの子を、シグルトと俺が魔道士になるよう説得して、都に連れて来たんだ。思った通り、あの子には才能があった。シグルトが持ってた魔術学院の最年少卒業記録を塗り替えて、学院を出た後、シグルトに弟子入りしたんだ。次々に新しい術を編み出して、難しい任務も易々とこなして……シグルトすら超える天才だなんて言われてた」


 天才――――


(そんなすごい人が、先生の前の弟子だったんだ……)


 法院の魔道士たちが自分に向ける、冷たい視線の理由が今わかった気がした。天才と言われる弟子の後が魔法の使えない自分では、周囲の落胆もよほど大きかったに違いない。


「シグルトもそんなあの子にすごく期待しててな。自分の持てる技のすべてを教えようと熱心だった。アーシェもシグルトの厳しい指導に耐えて、期待によく応えてたよ。あの頃はまだ俺もシグルトもまだ導師じゃなかったが、アーシェは早くから次期導師になるだろうって噂されていた」


 ずきん、と微かに心が痛んだ。

 前の弟子には、シグルトはちゃんと指導していたのだ。それも、熱心に。

 なのに、リシェルに対してはまるで正反対だ。自分はまったく期待されていない、ということなのか。


 でも、それも当然かもしれない。前の弟子は天才と言われる程の才能の持ち主だったのだ。自分のような、お情けで弟子になった人間に、期待しろという方が無理だろう。


 先程芽生えた、胸の中のもやもやが強くなる。リシェルの気持ちには気付かず、ブランは話を続けた。


「でも、そのせいで周囲の妬みや反感を買うことも多くてな。気の強い子だったから、衝突も多かった。友達も少なかったし……ああ、でもディナ……ってわかるか? ガーム導師の弟子なんだが、あの子とは仲良かったな。二人して勝手な行動ばっかり取るんで、よく問題になってたなあ」


 ブランは昔のことを思い出したのか、ふっと笑った。


「気は強いけど、根はすごく優しい子でな。正義感が強くて、困っている人間を見ると放っておけない性格で……だから、あの時だって……」


 そこまで言って、ブランは言葉を止めた。


「そんなすごい人が、どうして先生の弟子を辞めちゃったんですか?」


 どこか険しい表情で黙ってしまったブランに、先を促すべく問いかける。一番知りたいことだった。


「先生は、前のお弟子さんは自分から弟子を辞めたから会えないって……その話をした時の先生、なんかすごく……いつもと違ってて……それにパリスも、法院内でアーシェの名前は出すな、って……一体何があったんですか?」


「……」


 ブランはしばらくリシェルの顔を黙って見下ろしていたが、やがてゆっくりと首を振った。


「……それについては、悪いが俺の口からは言えない。シグルトにとって、前の弟子のことは多分、すごく辛い過去で……リシェル、特にお前には知られたくないと思ってるはずだから」


 結局、ブランも核心部分については教えてくれる気はないようだ。落胆の表情を浮かべたリシェルに、ブランは申し訳なさそうに言った。


「ごめんな」


「ブラン様!」


 突然の呼び声に振り向けば、パリスが小走りに駆けてくる。


「遅くなってすみませんでした。実家の用事が長引いしまって……書類お持ちします」


「ああ、俺のはいいからリシェルが持ってる分を頼むよ」


 ブランの言葉に、リシェルはパリスへと抱えていた書類を渡す。


「リシェル」


 そのまま、元来た道を帰ろうとしたリシェルをブランが呼び止めた。


「代わりと言っちゃなんだが、お前の練習、ちょっと見てやるよ」


「本当ですか!?」


 思いがけない、嬉しい提案だった。


「ああ。シグルトはふざけてちゃんと教えないみたいだからな」


「ブラン様!?」


 パリスの上げたとがめるような声を、リシェルの弾んだ声が打ち消した。


「よろしくお願いします!」


 





 書類をブランの部屋に運んだ後、リシェルは、ブラン、パリスとともに、人気のない中庭のひとつにいた。


 パリスは「僕にはあんまり教えてくれないくせに……」などとぶつぶつ不平をこぼしながらも、なぜかついてきた。

 パリスは花壇の淵に腰かけ、リシェルはブランと向かい合って立つ。

 

「よし、リシェル。ちょっとやってみろ」


「はい」


 ブランに促され、リシェルは両手を前へと差し出し、目を閉じた。集中して、頭の中に映像を思い浮かべる。

 闇の中。生まれる金色の光。光はどんどん拡大し、眩いほど輝きだす――――


 そっと目を開ける。

 だが、視界にあるのはただ空に差し出された自分の両手だけ。リシェルはがっかりして、手を降ろした。


「……お前、才能ないかもな」


 その様子を頬杖をついて、つまらなさそうに見ていたパリスがぼそりと呟く。


「パリス」


 ブランが咎めるように言ったが、リシェルは不安になった。


「あの、ブラン様。私、やっぱり才能ないんでしょうか? 毎日練習してるのに、全然何にも起こらなくて……」


 光が生まれる、その気配すらない。パリスが言っていた通り、魔法が使えるかどうかは完全に生まれつきの才能に左右されるというなら、自分にはやはり、初歩の魔法すら使う才能もないのか。

 ブランは困ったように頭を掻いた。


「う~ん、なんか、魔力を使うとかいう以前に、魔力自体がまったく発生してないんだよな……」


「そういえば、先生も、まずは魔力を感じ取れるようにならないと駄目だって言ってました。それがわからないと、引き出して使うも何もないって……」


 その部分については、嘘ではなかったように思う。


「魔力ってどうしたら感じ取れるようになるんでしょうか?」


「よし、リシェル。ちょっと目つぶってみろ」


「え?」


「甘いですよ。ブラン様」


 呆れたように言う弟子に、ブランは苦笑いした。


「まあ、な。でもリシェルは人より修行を始めたのが遅かったんだ。これくらいの手助けはいいだろ?」


 リシェルが目を閉じると、ブランはその額に軽く左手の指先を触れさせる。


「いいか、今から俺の魔力をお前にゆっくり流し込む。こちらから積極的に送り込むから、よっぽど鈍感じゃなきゃ、感じ取れるはずだ」


「はい! お願いします」


 リシェルは額に置かれたブランの指の感触に全神経を傾ける。そこからもたらされるであろう、未知の何かを感じ取ろうと、集中した。


 最初は何も感じなかった。

 だが、次第に触れられている箇所から妙な違和感が生まれた。その場所からぐわん、ぐわんと、まるで血管が収縮し、波打つかのような感覚が広がって行く。心地よいとは言い難かったが、不快でもない。


「どうだ?」


「なんか、わかります……不思議な感覚……」


 初めて味わう、なんとも形容しがたい感覚だった。


「これが魔力ですか?」


「そうだ。よし、じゃあ今度は俺の魔力に同調させて、お前の魔力を少しだけ引き出してやる」


 師匠の言葉に、再度パリスが非難めいた声を上げた。


「それ、さすがにやりすぎなんじゃ……シグルト様に怒られませんか?」


「ちょっとだけだって」


 弟子の注意を軽くいなして、ブラン自身も目を閉じた。


「……あれ?」


 しばらくして、ブランが怪訝そうな声を上げる。


「リシェル、お前、シグルトに何かされたか?」


「え? 何かって?」


 ブランが目を閉じたまま顔をしかめた。


「おかしいな、これは――――」


 と、突然、ばちりと静電気のような軽い痛みが走り、ブランが手を離した。


「ブラン様?」


 リシェルが驚いて目を開けると、ブランは離した手をさっと素早くローブの中に隠した。


「なんでもない」


「ブラン様、その手……」


 パリスがぎょっとした顔で立ち上がり言いかけるが、ブランは早口でそれをさえぎる。


「そうだ、俺はちょっと用事を思い出した。よし、パリス、お前代わりにリシェルの練習見てやれ」


「は?」


「頼んだぞ」


 一方的に言い残し、ブランはその場を足早に去って行った。


「ブラン様、どうしたのかな?」


「……」


 パリスはしばらく何か思案するような表情だったが、やがてリシェルに向き直ると、幾分偉そうに言った。


「とにかく、ブラン様の言いつけだ。続きは特別に僕が見てやるから、またやってみろ」


「う、うん」


 ブランの様子は気になったが、パリスに促され、リシェルは両手を前へ差し出し、目を閉じた。しばらく集中してから目を開けると、そこにはやはり期待した変化はなく、がっかりする。


 縋るように視線をやると、パリスはすっと片手を持ち上げた。

 次の瞬間、その手の上に、淡い光が生まれた。


「すごい……」


 そっと光へと手を伸ばすと、ほんのりと手が暖かくなる。


 パリスは、目を閉じて集中することすらしなかった。なのに、リシェルができないことを容易くやってのける。

 やはり、自分には才能がないのか。その思いが強くなり、ますます自信を失う。


 パリスはすっと光を消し、手を降ろすと、口を開いた。


「お前さ、目つぶってる間何考えてる?」


「えーと、暗闇の中で、光が生まれて、それがだんだん強くなっていって……」


「それだけじゃ駄目だ。頭の中で光を視覚的に想像するだけじゃなく、感覚的な想像もしろ」


「感覚的な想像?」


「ああ。掌に光が当たって、あったかくなっていくのを想像するんだよ」


 初めて得られた実践的な助言に、リシェルの胸に期待が膨らんだ。


「うん、やってみる」


 再び目を閉じ、両手を前へ差し出す。

 集中し、頭の中で光を思い描く。

 闇の中、生まれる光――

 そして、先程パリスが生み出した光に触れた時のあたたかさを想像する。


 同時に、ブランに触れられた時に感じた、ぐわんぐわんと波打つような感覚が掌に生まれた。

 ただ想像しているだけなのに、本当に掌がじんわりとあたたかくなってくる。


 まるで、本当に光が当たっているかのような――――

 リシェルはそっとまぶたを開いた。


「光っ…てる?」


 差し出された両手の上に、ほんわりと柔らかな輝きを放つ、光の球があった。


「光ってる!」


 興奮して叫ぶと、光はすぐにかき消える。

 だが、リシェルの興奮は収まらなかった。

 

「できた! ねえ! 見た!? 今光ったよね!?」


「ああ。一瞬だったけどな。まあ、あれくらいじゃ魔法とは言えな――――」


 冷めた口調のパリスの言葉も、リシェルは聞いてはいなかった。


「やった~! できた! ありがとう! ブラン様とパリスのおかげだよ!」


 感激のあまり、リシェルはパリスの手を取ると、きつく握りしめた。辛い思いしかしてこなかった法院で、こんなにも喜んだのは初めてかもしれない。薄紅色の瞳をきらきらと輝かせて、パリスに迫る。


「私、魔道士になれるかな!? なれるよね!? きっと!」


「わ、わかったから落ち着けって。これくらいで大げさな奴だな」


 パリスは微かに頬を染めて、騒ぐリシェルを宥めようとした。

 二人は全く気付かなかった。自分たちをじっと見下ろす視線に。






「……可愛い子」


 女は窓に寄り掛かり、ぽつりと呟いた。

 窓の下に広がる中庭には、大はしゃぎする黒髪の少女と、それを宥める青い髪の少年の姿があった。


「あんなに無邪気にはしゃいで……シグルトが独り占めしたくなるはずだわ」


 女は言いながら後ろを振り返った。赤紫色の長い髪が、濃紺のローブの上を滑る。


「ねえ、ヴァイス?」


 振り返った先には、微笑みを浮かべる金髪の美青年がいた。


「そうだね、ロゼンダ。でも、彼女はシグルトのものじゃない」


 ロゼンダはそっと窓に手を這わせた。細く、白い指先が、まるで檻のように黒髪の少女を覆う。


「シグルトの作った鳥籠に囚われた哀れな小鳥ちゃん……自分が鳥籠の中にいるという自覚すらないのでしょうね」


 ヴァイスがそっとロゼンダの背後に立ち、後ろからその肩に両手を回し、抱き寄せた。


「だから、僕たちで解放してあげようよ? 哀れな小鳥を。僕と君の未来のために、ね?」

 

 ロゼンダの白い首筋に、金色の髪がふわりとかかった。ロゼンダはくすぐったそうにくすくすと笑う。


「でも、ブランもようやく気づいたみたいね。小鳥を囲う、鳥籠に。彼はどういう行動に出るかしら?」






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