第6話 マリリの限界 2

 ルナコの目に、かすかな力がよみがえったように感じられた。マリリはその目に吸い寄せられるように、ルナコの話に耳を傾けた。


 「マリリ……。今あなたは、重大な問題を抱え込んでいるのでしょう……?たとえそれがどんな相手であれ、傷つけることが出来ないという……」


 「え……」


 マリリの心臓は今度こそ、本当に胸から飛び出してしまうのではないかというほどに高鳴った。予想をしないではなかったが、まさかルナコが自分の抱いている悩みに気づいていたとは。ルナコの言は幾分柔らかい表現であったが、それがマリリの人を殺せないという問題を暗に指摘しているのは明らかだった。


 マリリは血の気が引いていくのを感じ、よろめきながら、めまいを押さえるために額をこぶしで軽くたたいた。


 「私たちが主力の今の現状では、そのことは星屑組にとってはさしたる問題でも無かったのです。ですが……今このときになって……」


 せき込んだわけでもないのに、ルナコの口からは新たな血の筋がつっと垂れた。あわてて支えようとするマリリの手を払うと、ルナコはその場に座り直して話を続けた。


 「マリリ、今まさに、私たちの命運は、貴女一人の手に掛かっているのですわ。今ここで、貴女が人を殺せるか殺せないかで、私たちの運命は決してしまうのです」


 「そんな……」


 マリリを見つめるルナコの目は、以前とは比べものにならないくらい厳しかった。それどころか、マリリはいまだかつてこのような厳しい表情のルナコを目にしたことがなかった。だがそれだけに、今の彼女の言葉には真実が多く含まれているのだろうということを、マリリは悟らずにいられなかった。


 「……腕前の心配など……してはいません。マリリ、貴女であれば、百や二百の盗賊に囲まれようと、後れをとることはないでしょう。……問題は、……貴女の心の問題なのです。……マリリ、目覚めてください」


 「……ルナコ」


 「私の……うっ、……背中のあたりを探ってください……。早く!マリリ!」


 マリリはあわててルナコの着物を探った。やがて、マリリはルナコの背中の服と帯の間のかくしの部分に、あるものが仕込んであるのを見つけた。


 「これは……『清剣水の如し』……!」


 ルナコの背中から、彼女の愛剣である、いかなる物質であろうとも流水を薙ぐかのように切れてしまうという名刀〈清剣水の如し〉が魔法のように突如現れた。


 「私が抵抗したので……彼らは身体検査をすることも出来ずに私を縛り上げることしか……ふふ……出来ませんでしたわ……。我が愛刃であれば……くっ……。マリリ、貴女も、さして抵抗を感じずに戦えるはずですわ……」


 言い終えると、ルナコはぐったりして目を閉じた。マリリはルナコが気を失ったのではないかと心配したが、そうではないようだった。


 「でも……あたし……」


 マリリの頬を、いつの間にか、再び二筋の涙がぬらしていた。

 背後からは、この部屋に通じる階段を誰かがゆっくりと下りてくる気配がする。だが、今このときに及んでも、マリリは、自分の問題に、真正面から向かい合うことが出来ないでいるのだった。


 「ルナコ! ルナコ! あたし、出来ない! あたしの代わりに、戦って! お願い! お願いだから……!」


 ぐったりとしているルナコの体を、マリリは両手で揺さぶった。ルナコは力無く、マリリに揺さぶられるがままに体をがくがくと揺らし、鼻から血を流した。


 「出来ない……。出来ないよ……」


 マリリの涙が、ルナコの顔にぽたぽたと落ちて血と混じり合った。厳しい顔をしていたルナコは、ふっと優しい微笑を浮かべたが、それは一瞬のことで、再び表情を硬化させた。


 「マリリ……」


 ルナコが何か言いかけたとき、背後の扉が開き、二人の盗賊が部屋の中に入ってきた。


 「なるほど、そういうことか」


 振り返ったマリリを見ながら、二人の盗賊は目を合わせて得心の表情を浮かべた。


 「そうか、火ぃつけたのはてめえか、くそガキ」


 涙を流しているマリリの目の前で、二人の盗賊は反り返った蛮刀を抜いた。が、再び互いに目を見交わしたりマリリの様子をうかがうばかりで、襲いかかってこようとする素振りを見せない。マリリはそれが、盗賊達が星屑組の一員である自分の腕前をおそれているためであることに気づくのに、しばらくかかった。


 「おい、お前は応援を呼んで来るんだ。俺はここで時間を稼ぐ」


 「何? てめえ一人でだいじょうぶかよ?」


 「仕方ねえだろ。考えても見ろ、これで二年生どころか、飛び級で三年生になれるかも知れねえってせと際だ。無茶もするさ。急げ!」


 はじかれたように盗賊の片割れが階段を駆け上って、応援を呼びに行った。もう一人の盗賊は振り返ると、覚悟を決めて剣を低く構えた。


 「マリリ、聞きなさい」


 しばらく呆然としていたマリリはルナコの鋭い声ではっと我に返った。ルナコはここが正念場と考えたのか、鬼気迫る勢いでマリリに言葉を矢継ぎ早に投げかけた。


 「マリリ、私の生まれた東の国には、このような教えがあります。「才能を無駄にするということは、すなわち創造主への背信行為なのだ」と。私の国では、才能をもっとも重んじるのですわ。己の才能を無駄にすることは、罪なのです。木こりは木を切り倒し、酒屋は酒を造り、鍛冶屋は鋼を鍛える。……マリリ、人を殺す才能を持った人間が人を殺さないということは、その才能を与えてくれた創造主への裏切りなのですわ」


 「ええ~?」


 マリリは思わず声に出して驚きの念を露わにした。マリリの様子をうかがっていた盗賊がびくりと反応した。マリリがどういうつもりで何をしようとしているのか、どうにもつかめないでいる様子だ。


 それにしても、ルナコの話はマリリには突飛すぎ、不可解すぎる内容だった。まともな教育も受けず、傭兵業という特殊な職に就いているマリリでさえ、世間一般の物差しで考えた場合に、「殺人」がこの世でもっとも忌避され、重い罪と考えられていることは知っている。マリリ自身も、人を殺すことが正しいことだとは考えていない。


 「自分に剣技の才能があると知ったとき、私はこう考えました。人を殺すのも罪、戦わないのもまた罪ならば、自分が生き残る方を選ぼうと。少なくとも、自分の愛する人たちを守れる方を選ぼうと。……マリリ、もう強制はしません。自分の好きな方を選びなさい」


 言うだけ言ってしまうと、ルナコは首を後ろにがくんとのけぞらせて気を失った。マリリはルナコが死んでしまったのではないかとあわてたが、そうではないようだった。


 ルナコの体を静かに床に横たえさせると、マリリは立ち上がって盗賊の方を振り向いた。盗賊はマリリを見ると、半歩後ろに下がった。いつの間にか顔中に大汗をかいている。


 マリリは鞘から短めの刀を抜くと、鞘を床に捨てた。鞘が床面に当たってからん、と乾いた音を立てると、盗賊が体を震わせた。必死の形相でマリリの一撃を待ち受けている。


 マリリは片刃の刃を見つめ、ルナコの言った言葉を噛みしめてみた。ルナコの言ったことの多くはおおむね賛成できないものだったが、それはまた一つの真実をも内包しているであろう事もおぼろげに理解できた。

 ルナコが生まれた国にはとても住めないが、マリリはルナコのことは好きだった。つまり……?


 だがマリリは首を振って、考えるのをやめた。自分が深く考えても、ただ混乱するばかりだと思ったのだ。マリリはルナコに借り受けた刀を構えると、物事を最大限に単純化する事にした。つまり、こういうことだ。


 自分は死にたくない。


 仲間も死なせたくない。


 「よぉし!」


 マリリは一声ほえると、悲壮な決意でマリリの一撃を待ち構えている盗賊めがけ、大きく切りかかっていった。

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