第52話 哲学

 骨折をしてから過ごした初めての夜。

 菘としばらくアレコレした後就寝することになるのだけれど、本心で言えば滅茶苦茶にビビッていた。無意識のうちに寝返りを打って、折れている骨を身体の下敷きにしてしまわないかと。

 で、俺はその旨を菘に伝えた。


「なら私と同じベッドで寝ればいいわ。そうしたら、寝返りをうつ余地すらないでしょ」


 ドヤ顔で胸を張りながら菘は言う。行為のあとだから当然、そのハリのある球体を隠すものはなにもない。

 とりあえず揉んでおいた。


「さも名案のように言ってるけど、ほぼ毎晩同衾してますよね」 

「それは冗談として……。いつもは私が壁側だけど、今日は涼にそっちを譲るわ。せめてベッドから転落するリスクを減らしましょう」


 もはや俺が乳を揉むことにいちいち口を挟まない菘は当たり前ように会話を続ける。


「まあ、それぐらいしか出来ることはないか」

「本当は壁と涼に挟み込まれたいのだけど」

「菘、朝起きたらいっつも縮こまってるよな。多分俺が寝てるうちに菘に寄っちゃってるんだろうけど」


 俺と壁と押し潰れている菘を見て、若干申し訳なく思っている。


「ああ、それは違うわよ。涼を私側に引っ張ってるのは私だから」

「罪悪感を返してくれ……」

「私、昔から狭い所好きじゃない? 我ながらゴキブリみたいだとは思うんだけど」

「そこは猫みたい、とかでいいだろ。ゴキブリを自称する奴初めて見たよ」

「ところで、ゴキの胸の感触はどう?」

「そう言われると触りたくなくなってくるわ」


 と、言いつつ手を離したりはしないんだけど。ダイソンも真っ青な無限の吸引力。


「ということで、場所交代ね」


 話し合いの通り、菘と位置を入れ替わる。そのまま照明を消して、二人並んで横になった。

 左手に壁、右手に菘だ。俺は仰向けになって、折れた腕は腹の上に置いておく。

 そして寝返りをうてないようにと、菘が密着して完成だ。

 菘は姿勢に指定はないので、半身になって俺の右腕に身体を寄せている。二人して裸なものだから、俺の二の腕が谷間に収納されていた。ふにふにと絶え間なく心地よい感触が伝わってくる。


「菘の胸触ってると眠くなるわ」

「私的には興奮して欲しいけど。あれかしら、母性?」

「かもなー……。ふわぁ、ママー」

「私は結婚してからも名前で呼んで欲しい派よ」

「あ、はい」

「ちなみに涼は名前がいい? それとも「あなた」とか?」

「うーん」


 言われて考えてみる。

 たった今、菘の口から初めて「あなた」と呼ばれたけれど、中々にグッとくるものがあった。言われ慣れてないだけかもしれないけど。

 

「まあ、でも俺も名前がいいかな。今までだってずっとそうだったんだし、これからも関係が変わらないことを祈って」

「あら、呼び方程度で壊れるほど柔な関係のつもりはないけど」

「いや、何というかさ。たしかに菘の言う通りではあるんだよ。そんな簡単に菘との縁が切れるわけもないし、切るつもりも毛頭ない」


 菘は黙ったまま俺の方を見つめている。切れ長でともすれば冷たい印象を与えがちな目が、優しさを帯びていた。

 改まってこういう話をするくすぐったさを覚えながら、俺は続けた。


「だけど、俺たちの始まりって友達でも恋人でもないだろ? それこそ友達が何たるかを知る前からの仲だし。俗に言う幼馴染ってやつだけど、それって俺たちの関係が変わっても両立出来ると思うんだ」

「涼、さっき関係が変わらないことを祈ってって言ってなかった? その言い分だと、関係が変わることを容認しているけど」

「ああ、ええと俺が言いたかったのは『幼馴染って関係が変わらない』ってことで。俺たちはつい最近、やっとのことで恋人になった。そのうち夫婦にも、まあ多分なるだろ」

「絶対に訂正を願うわ」

「……じゃあ絶対。それで友達と夫婦って両立するの難しい――というか、事実上不可能だと思うんだよ。友達みたいな関係の夫婦ならまだしも、友達であって夫婦でもあるってのは無理がある。友達と夫婦には絶対的な違いが存在する」

「だけど、幼馴染は違うと涼は言いたいのね」

「うん。だって幼馴染はあくまで昔からの腐れ縁みたいな意味でしかないからな。その代わり、友達以上に希薄になりやすい関係性だとも言える。というか、わざわざ他人のことを、こいつ俺の幼馴染なんだーとはあんまり言わないだろ? 普通は友達なんだとかになる。夫婦だったら尚更だ」


 柄にもなくわーっと喋ったせいで舌が乾く。一呼吸置いてから結論を出す。


「でも俺と菘は幼馴染で――だからこそ今がある。その幼馴染って関係を俺は大事にしたい」


 長々と恥ずかしいことを語った気がする。数年後に菘から掘り返されたら間違いなく穴があったら入りたくなるだろう。

 だけど、俺がこう考えているのは嘘ではない。

 菘とはいつまでも幼馴染でいたいのだ。年月が全てだとは思わないけれど、それでも積み重ねてきた年季がある。


「要約すると、私と運命を感じたということでいい?」

「あながち間違いでもないけど、途端にメルヘンだな」

「でも、涼がそこまでちゃんと考えてるなんてちょっと意外だった。私はただ、涼と居られるならそれでいいと思ってたから」

「ちゃんと考えてるというか……。こうやって言語化したのは今のが初めてだよ」

「それでもよ。私は、あんまりそういうのは得意じゃないから」

「まあ、菘は口下手というか、言葉足らずなところはあるよな」


 知的な風貌にそぐわず、菘は身体が先に動くタイプだ。

 そんな俺の講評を受けて、菘はニヤリと口角を上げた。


「だから私は身体で愛を語っていこうと思うわ」

「……今日はもう寝るからな?」

「無理。涼にあれだけ私に対しての愛を語られて、我慢できるわけない」


 ……就寝する流れだったと思うんだけどなあ。

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