第32話 理性の獣

 菘が俺の告白を断った訳、それがついに明かされようとしていた。

 けれど、もう恐れることはなにもない。

 菘は俺のことが好きだと言ってくれた。それ以上に渇望していた言葉などない。

 だから、何を言われても受け入れるつもりだ。

 菘は、やはり言いづらいのか、喉元で言葉をつっかえさせている。

 しかし、一度伝えると言ってしまった以上、菘も逃げるつもりはないようで、そのうちに決心がついたような顔になる。


「ふー……。あのね、ええと、何から話せばいいかしら。まず、私たちは今こうして裸で抱き合ってるわけじゃない? それも、涼を振った理由というか……」

「……ごめん、全然意味が分からない」


 菘は必死に説明してくれてるんだろうけど、支離滅裂な言動にしか聞こえない。

 たしかに、俺たちは風呂場で一糸纏わぬ姿になっている。更に言えば、菘は椅子に座っている俺の太ももに腰を下していて、対面座位のような形になってしまっていた。

 けれど、それが俺を振った理由とはこれいかに。


「さっき、涼の首に思わず嚙みついちゃったのも同じというか……。あ、でも、私自分に嚙み癖があるなんて知らなくて」


 顔を真っ赤にしながら菘は続けるも、やはり要領を得ない。

 そして、恥ずかしさが限界に達したのか、菘は俺の胸に顔を埋めてしまった。

 熱っぽい吐息が、直接吹きかけれる。

 子供をあやすように、菘の頭を優しく撫でた。ギュッと、俺の身体に回されている菘の腕の力が強くなる。

 

「私ね、涼のことが好きなの」

「うん」


 事実を確認するように菘は言う。何度も言われても嬉しいものだ。俺は極力柔らかく相槌をうつ。


「だから、その。もし付き合うことになったら、歯止めが効かなくなると思って」

「歯止めっていうと……」


 菘が何を言わんとしているか。おおよそは把握した。

 けれど、なんというか。それを口にするのは、憚られる。

 だって、つまりそれは、


「……性欲が抑えきれないと?」

「……っ」


 俺の確認の言葉に、菘は文字通り沸騰した。

 また倒れてしまうんじゃないかと言うほどに顔は紅潮している。いや、というかもう全身が朱に染まっていた。頭から湯気が出ている錯覚すら覚える。

 しかし、まあ。


「……そんな理由かよ」


 あまりにもしょぼくて間抜けな菘の事情に思わずこぼしてしまった。

 長年恋をしていた幼馴染に振られ、傷心していた俺は何だったのだろう。

 傍から見たら、俺たちがやってたことは完全にコントのそれだ。

 両想いのくせに、訳の分からない理由ですれ違って。

 しかし、菘からしてみれば、それはどうでもいいの一言では片付けられないようで。


「そんな理由って……。大事なことでしょ」


 俺の呟きに嚙みついてきた。


「だって、同棲するのよ? その上恋人関係になんてなったら、爛れに爛れた生活待ったなしじゃない」

「え、ちょっと待って。菘がうちに住み込むことって、あの告白の時点で決まってたのか?」

「……そうだけど?」

「……俺が、父さんと母さんがハワイに行くって聞いたの、菘に振られてすぐのことなんだけど」

「私は一か月前から話伺ってたわよ。もちろん快諾したのだけど」


 実の息子には当日、それも出発の一時間前ぐらいに告知したのに? 扱いの差がえげつないな。


「涼と一緒に暮らせるんだって、舞い上がってた。だけど、当日になって急に涼が告白してきて……。いえ、とても嬉しかったのよ? だけど、あそこで了承してしまったら、私たち恋人の関係で同棲することになるわけで……」

「そうなると菘さんは性欲を抑えきられず、ろくでもない生活を送る羽目になる。そう思って俺を振ったと?」

「……まあ、そういうことね」


 やっとのことで顔を上げた菘は、開き直ったのか諦観を表情に浮かべていた。

 

「どう? 引いたでしょう。まさか幼馴染が脳内ピンク一色の変態だったなんて」


 自暴自棄に菘は吐き捨てた。ちょっと涙目になっているあたり、本気で俺に嫌われる覚悟をしているようだ。


「まあ、確かにビックリはしたよ。だけど、そんなことで一々菘のこと嫌いになるわけない……っていうか、ちょっと嬉しいまである」

「嬉しい?」

「なんていうか、理性を保てない程に俺のこと好きなんだなあって」


 言ってて恥ずかしくなった。けれど、菘を慰めるためだと思えば、どんな青臭いことでも言える気がする。


「……涼はわかってない」


 なのに、菘は相変わらずふくれっ面。不満をたっぷりと湛えた目を向けてくる。


「私が涼のことがどれだけ好きで、……どれだけ涼とエッチなことをしたいか、全然わかってない」

「そりゃ、今はな。でも、これからわかるだろ」

「多分、わかる前に涼が枯れて死んでしまう」

「それは性的に?」

「ええ。実際、もう我慢の限界」


 菘の呼吸はひどく荒れていたから、それが噓ではないのはすぐに理解した。

 しかし、俺だって一般に猿と形容される程度には性欲を持て余している男子高校生。

 女の子一人を相手に音を上げるわけにもいかない。


「……けど、我慢する。ここではしない」

「……へ?」


 よっしゃやったるで、と意気込んでいたところで腰を折られ、間抜けな声が出る。


「……初めては、ベッドがいい。それも、涼の……」


 さっきまで性欲が凄いと豪語していた人物とは思えないほどに、殊勝で乙女チックなことを言う。


「だから、今はこれだけ」


 と、菘は言ってから俺の顔に近づいてくる。

 そして、頬に唇を掠める程度のキスをしてきた。

 

「じゃ、じゃあ私先に出るから」


 逃げるように菘は浴室をあとにした。

 バタバタと大きな音を立てて脱衣所からもすぐに出たようだ。髪も身体も拭いた様子はなかったので、きっと廊下がびちゃびちゃになっているだろう。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 俺の部屋で待っているであろう菘を思うと、居ても立っても居られなくなり、とりあえずシャワーを浴びた。寒い。まだ水だった。

 今の今まで裸で抱き合って、ましてやついさっき寝ている菘を好き勝手にしたくせに、今頃になって緊張していた。

 ……ていうか、ゴムなくね?

 まさかこんなことになるなら、葵さんから貰ったやつ捨てなきゃよかったな。

 初めて葵さんの先見の明に感心した。 

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