第10話 逃走

 というわけで、約束通り俺と菘は放課後になったので、昼飯を食う場所を探しに行くことにした。


「そうは言っても、そんな都合のいい場所あるんかね」

「昼休みに無人って、中々ハードル高いわね」


 菘は人差し指を顎にあてて思案するポーズを見せる。

 当然ながら、昼休みの学校はどこもかしこも人だらけだ。

 教室や食堂はもちろんのこと、中庭では複数のカップルがイチャコラしているし、グラウンドは血気盛んな連中が走り回っている。

 あいにく、うちの学校は屋上は開放されていないし……。いや、されてたらされてたで人がいそうなもんだけど。

 とにかく、無策で歩き回っていたところで見つかることはないだろう。

 と言いつつあてもなく歩いていると、音楽室などがある別棟の校舎にたどり着いた。

 その隅には明らかに人気のないトイレがある。


「……私、便所飯はいやよ?」

「俺もやだよ。そもそも、男女兼用じゃないから二人で一緒に入るのは無理だしな」

「でもそう言われてみれば、涼の家では同じトイレ使ってるわね」

「その話はまた帰ってからな?」

「いや、全く気にしてないわよ?」


 なら何故言った。

 流石にトイレはいろんな面から双方却下して、また適当に歩き出した。 

 また本棟に戻るために、渡り廊下を行く。

 そこから一望できるグラウンドでは、運動部が青春の汗を流していた。


「涼は部活入らなくてよかったの?」


 俺と同じく、それを横目で見ていた菘が問うてきた。


「運動は嫌いじゃないけど、かと言ってあそこまで本気でやりたいかと言えばちょっとな」

「文化部というのもあるけど」

「うーん、あんま興味ないしなあ……。そういうお前はどうなんだよ」

「私? 私もこれといってやりたいこともなかったし。それに」

「それに?」

「私だけ部活に入ったら、涼が寂しがるかと思って」

「……ま、否定はしない。けど、俺を理由に部活を断念したなら申し訳ないな」

「大丈夫よ」

「ほんとに?」

「ええ、それ以上に大切なことがあるから」


 それだけ言うと菘は歩く足を早めた。これ以上この話題はしたくないのだろう。

 その後も適当に校舎を練り歩いたものの、目ぼしい場所は見つからない。

 いよいよ、残すところ最上階である四階だけとなった。

 そのフロアもほとんどが普通の教室なので目的は叶わない。

 しかし、廊下の一番奥まで進み、ここまでかと肩を落として引き返そうとした時。


「あら、この教室鍵がかかってない……。というか、取り付けられてないわね」

「なになに……。『生徒会準備室』?」


 廊下にせり出すように設置されたネームプレートにはそう記されていた。

 

「生徒会室って、たしか一階だったよな」

「ええ、職員室の隣のはずよ」

「だとしたら、ここはなんだ?」

「入ってみればいいじゃない」


 と、菘は臆することもなく扉を開いた。俺も慌てて後を追う。

 電灯をつけると、数セットの机と椅子があるだけで他にはなにもない。てっきり、普段は使用しない書類などでも押し込んでいるものかと思ったのだが。

 およそ物置ですらなさそうだ。


「なんというか、おあつらえ向きだな」

「そうね、ちょっと埃っぽいけど掃除すればいい話でしょうし」

「問題は、昼休みにここを訪れる人間がいないかどうかだけど……」

「この様子じゃあ、いないでしょうね。昼休みはおろか、しばらく誰も入ってなさそうだし」

「そうだな」


 いくつかある机には埃がだいぶ積もっている。この教室には机と椅子しかないのに、この有様だ。全く使用されていないのは想像に難くない。


「そしたら、掃除するか」

「掃除道具はどうしましょう」

「うちのクラスのやつ拝借すればいいだろ」

「なら、とりあえず職員室に向かわないとね」


 放課後の教室は、当然ながら使用する人間がいない以上は施錠がなされている。そしてその鍵は職員室にて一括で管理されている。

 それを借りるために職員室に向かったのだが……。


「まだ返却されていないとはね」

「ま、誰かが残って勉強でもしてるんだろ」


 職員室には鍵がなかった。つまり、まだうちの教室は施錠がされておらず留まっている人がいるということだ。

 ということで、職員室を回れ右して教室に向かった。当然ながらやはり鍵はされていない。

 所属しているクラスなので、俺も菘も遠慮なくその教室に足を踏み入れた。中に誰がいるかはわからないが、クラス内に取り立てて仲が悪い奴がいるわけでもないし。

 強いて言えば、もし男子生徒連中なら菘といることをやっかまれるぐらいだろうか。

 とまあ、特段注意することもないと思っていた――


「うぇっ! 菘ちゃんと涼くん!?」


 ――のだが、俺たちの姿を認めたそいつは、驚いたように声をあげた。


「飛鳥……?」「埴輪ちゃん」


 俺と菘は同時にそいつの名前を呼んだ。

 放課後の教室、そこに一人でいたのは俺達共通の友人である弥生飛鳥だった。

 それも着替え中の。上も下も下着だけ。どんな順序で着替えてるんだよ、とツッコミたくなった。

 俺の視界は唐突に何かに覆われて黒に染まる。それが菘の手だと認識するまでに時間はかからなかった。


「涼は見ちゃダメ」

「ダメもなにも一瞬すぎてあんまり見えてないから……」

「嘘よ。……耳が赤いもの」

「……」

 

 図星もいいところだったので思わず黙ってしまう。

 ……だって仕方ないだろ。節操がないと言われるかもしれないが、俺だって男だ。それも思春期真っ盛りの男子高校生だ。同級生のあられもない姿を見て動じるなという方が無理な話である。

 俺の視界が奪われてる間も衣擦れの音は続いた。埴輪ちゃんが急いで服を着ているだろう。

 それからすぐに、菘の目隠しから解放された。目の前にいる埴輪ちゃんはばっちり制服姿だ。


「あはは、ごめんね。放課後だし、誰も来ないと踏んで着替えてたんだけど」

「いや、俺たちも確認すればよかったな。悪かった」

「……なんか、着替えを覗かれて謝罪されるのも腑に落ちないね?」


 と埴輪ちゃんはあっけらかんと笑う。こうやってネタにすることで、気にするなと言ってくれているのだ。相変わらず優しい子なあ。


「それで、飛鳥はなんでこんなところで着替えてたの?」


 俺と埴輪ちゃんのやり取りに割り込むように菘は言った。その口調は心なしか荒々しい。


「この前あった体力テスト休んでたから、その補修でね。反復横跳びやら長座体前屈やらをやらされてたわけですよ。今日、菘ちゃんとお昼食べてないから言い損ねてたや」

「……そう。まあ、でも気を付けた方がいいわよ。飛鳥の着替えを見ちゃったのが私たちだったからよかったものの」

「あたしの貧相な身体を見て喜ぶ奴がいるかねえ。菘ちゃんみたいにバインバインじゃあるまいし」

「香澄とか喜ぶんじゃないのか」

「いやいや、あいつあたしのことちんちくりん呼ばわりだからね?」

「そうなのか。……別に絶壁というわけでもなかったけどな」


 さっきの情景を思い出しながらそう呟いてしまった。

 俺からセクハラの対象にされた埴輪ちゃんはあはは、と少し照れ交じり笑っているだけだが、問題は菘だ。


「……やっぱり見てたんじゃない」


 それだけを言うと菘は一人で教室を出ていってしまった。

 本来の目的である掃除道具も忘れて……。


「あらら、菘ちゃん行っちゃった」

「急にどうしたんだろ」

「いやー、菘ちゃん可愛いねえ」

「概ね同意するけど、何故今その言葉が出てくるのか俺にはわからん」

「心配しなくても、涼君はあたしになんか興味ないのにね」

「? そうだな」

「そこはちょっとぐらい否定してよ」


 軽く肩を小突かれる。そして背中を押された。


「ささ、早く追いかけてあげなよ。どうせ居場所にあてはあるんでしょ?」

「まあ、ないことはないけど。その前に」


 教室の角に設置されている掃除用具入れを開いて箒とちりとり、雑巾を拝借する。


「よし、じゃあ行ってくる」

「いってらっしゃーい。……なんで掃除道具?」


 見送ってくれた埴輪ちゃんは、一人小首を傾げていた。

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