第38話 そんなことを思いながら、ただ少女の細い身体を支えてやるのだった
宙賊の根城、マレア星系を離脱しようとする〝
その〈カシハラ〉と〝
問題の報告事項とは、エリン皇女殿下の父君、スノデル伯クリストフェルの逮捕拘束の件である。問題はその出処が表立った情報筋でないことで、それが事態に一層深刻な色彩を帯びさせていた。
船務科で通信長として通信管制を担っていたのはシュドウ・ナツミ宙尉であったが、
相談されたミシマは──このようなときの男の
──〝
それに、この一報を入手したのは『ミシマ商会』だった……。
結局、艦長のツナミ・タカユキと相談の上、ミシマが伝えることになった。
そういった訳で、ミシマ・ユウはエリンの居る指令公室を訪ねるため、通路に歩を進めている。
6月26日 1400時 【H.M.S.カシハラ/指令公室】
ミシマは指令公室の扉の前に立つと、
ここ最近の指令公室にはメイリー・ジェンキンス〈クリュセ自治惑星〉首相令嬢をはじめ多くの女友達が出入りしており、ちょっとした『
とりあえず内心で胸を撫で下ろしたミシマは、エリンに招かれ入室した。
「ミシマ副長が一人で見えられるのは珍しいですね」
扉まで出迎えたエリンに笑顔でそう言われ、ミシマは何と応えたものかと彼らしくもない逡巡の末に一礼した。
皇女である前に年若い淑女たるエリン自身の体面を考えれば、そのようなこと──若い男である自分が人目を忍ぶように訪問するようなこと──を出来ようはずはない。
それをわかった上で、敢えてそんなことを言うエリンの心の内を推し諮るべきかどうか、ミシマでも迷う。すると、ふと〝あり得ないこと〟を期待している自分に気付いたミシマは、
その
「──?」
そんなミシマの内心の動揺を知ってか知らずか、皇女はやわらかな微笑をたたえて公室の卓へとミシマを誘った。
艦内の居住区画内で最も広い部屋はとても清潔で清浄な空間を保ってはいたが、どこか無味で無機的であった。──ミシマの脳裏を『まるで営倉のようだ……』と、自分の声が
「…………」 そんなミシマの横顔を、エリンは悄然とした
それに何と応じるべきか思案するようなミシマに、今度はエリンがきまり悪く目を伏せる。
「〝
それでミシマは言葉を探す羽目になった。
「……航宙軍艦の中ですからね」 言いながら、〝彼女がそういう範疇でその言葉を使っていないことを理解している自分〟が、心の内で溜息を吐かせている…──。
「…………」
エリンは
「──〝従卒〟を使えばよろしいでしょう」 その背にミシマは声を掛けると、エリンが怪訝に返した。
「〝従卒〟?」
実のところ航宙軍に〝従卒〟──従兵の伝統はない。艦長・将官と言えども身の回りの世話は基本自分で行う。(艦隊の幕僚を集めての会議ともなれば主計科から応援が出るが、日常生活に関してはその範疇にない。)
とはいえエリン・エストリスセンは
「──ベッテ・ウルリーカ嬢に頼めばよいでしょう」
これは拙かった……。途端に空気が固まってしまった。
エリン皇女はわざわざ卓の側まで戻ってくると、真っ直ぐにミシマを向いて口を開いた。
「ベッテ・ウルリーカは〝友人〟としてお預かりしました」
言ってミシマの目を見る。正論を言うときの彼女の目だった。
「はい……」 ミシマは一先ず〝撤退〟することにし、目線を伏せた。
が、この時のエリンはそれで許してはくれないようだった。彼女はミシマから目を逸らさなかった。
「彼女は虜囚でもなければ人質でもありません」
それは決して強い
──失敗した……。 思わずミシマの心の内に、ため息が漏れた。
そんなミシマに言いたいことを言うだけ言ったエリンは、ようやく〝矛を収める〟ように語調を緩めた。
「──それにわたしは〝
言ってエリンは、そんな自分の反応に恥じ入ったように目を伏せた。
いったい自分はどうして、このような惨めな思いをしているのだろう……。
そんな理不尽さをエリンは感じつつも、彼女にしてみれば、このような〝他愛のない〟ことで彼に一々彼に突っかかっていくことを
一方のミシマは、やはり同じように〝空回り気味〟の自分を持て余しているのだったが、
──同時に、結局自分は〝嫌な
気拙さにエリンが
そんなエリンにミシマは訊いた。
「──〝
*
ゴジュウキ・シノブ前艦長が星系同盟航宙軍 士官学校第78期卒の練習艦隊指令の兼務の命を受けた際、ミシマはこれという趣味を持たぬゴジュウキ一佐に、自分の趣味の一つであった〝煎茶道〟の心得から上等の茶具一式と最高級の玉露を贈呈していた。
現艦長のツナミが知ればきっと眉を寄せたことだろうが、この程度のことはミシマでもする。というより、むしろ彼は
それはさておき──
先述したようにゴジュウキ一佐には煎茶の道は
ミシマの立礼での略盆手前の綺麗な所作にエリンは素直に感銘を受けたようで、差し出された一煎目の量の少なさに驚きはしたものの「──どうぞ…… 舌の上で転がして味わいます」と促されて口にすると、その濃く甘いトロリとした茶の液の甘美な味わいに、小さくため息を漏らした。
ミシマは満足気に頷くと、二煎目を注いで再び差し出した。エリンはそれもまた飲み下すとその〝苦さ〟に肯くように呟いた。
「これは〝ティ・エスプレッソ〟ですね……」
その表現にミシマが破顔すると、エリンは表情を改めてミシマを見遣った。
「……おかしかったでしょうか?」
「いえ。上手い例え方だと感心しました……」
にっこりと、かつてはコレが本当の自分の笑顔だと思っていた表情でエリンを向く。自分の二煎目の茶碗を口に運びながら言った。「──本当ならこの後、白湯と共に和菓子を楽しむのですけれどね」
「──〝ワガシ〟……?」 またも聞きなれぬ言葉の響きに眉根を寄せるエリン。
「〈ニッポン〉伝統の菓子です。とても甘い」
ミシマの説明にようやく思い当たる
「──さすがに
「…………」 ミシマを訝るように見るエリンが、やがておかしそうに笑った。「──気にするのですね」
「ええ。気にします── 意外ですか?」
──下手なウソを〝上手〟に吐いてみせる……。そんな自分が嫌になる。
が、それでもエリンとの距離はだいぶ縮めることができたと思う。
そろそろ来訪の目的に戻る頃合いだった。ミシマは気が重くなったが、ここで逃げるわけにはいかなかった。
*
「──そろそろ本題に入りましょうか」
ミシマは表情をあらためて言った。「──〝
それでエリンが慎重な表情になった。
「スノデル伯が逮捕拘束されました」 ミシマは事務的な
「…………」 その言葉に、エリンは手元の茶碗に視線を落とすと動きを止めた。
かなりの時間が経ってから彼女は小さく訊いた。「──いつ、ですか?」
「六月の九日だそうです」 ミシマは静かに答える。既に2週間以上が経っていた。
彼女が身じろぐ微かな気配と悄然と息を飲む息遣いが感じられた。
先ほどまでの、あの和んだ空気は、もうどこにも見当たらない。
やがてエリンは、小さく口を開いた。
「父は…… 学者です……」
ミシマは、エリンの細い小さな声が、彼女の知る事実を淡々と一つ一つ数え上げていくのをただ黙って聞いた。
「──父にとっての政治は……思索と興味の対象でした…… だから……権力からは常に距離を置いていて…… 善良な
彼女が最後の
「わたしは…… 親不孝者ですね……」
エリンは、抑揚なく淡々と言う。「──こうなること……わかっていたのに……」
それは決して大きな声ではなかったが、ミシマの耳には刺さるものだった。
ミシマはそっと席を立つと彼女の席の傍らへと黙って歩みを進めた。
側に立ったミシマの顔を見上げるでもなくエリンは続ける。
「わたしも
次の問い掛けは、稀に彼女がする、微かに自嘲を含んだ意地の悪さを感じさせるものだった。
「〈
ミシマ・ユウは、『ミシマ家の男』であることに徹した。
「〈
エリンの視線が持ち上がる。側に立つミシマを見上げる。
「──それを〝傲慢〟だとは思いませんか?」
それに直接は答えずに、ミシマはいったん突き放すように言った。
「お父上の件では私にも責任があることです…… 貴女のその感情は〝筋違い〟ということはありません──」
──むしろそう思ってくれている方が、ずっと気が楽だ……。
内心のその思いは、決して
ミシマを見上げるエリンの顔が、いま
──無理もない……まだ十八歳だ。
庶流とはいえ
ミシマは子供に胸を貸すようにして、彼女の形の良い小さな頭をそっと引き寄せてやった。
「ずるい……です……」
エリンの瞳から堪えきれなくなった涙が溢れた。「──あなたにはご両親も、ご兄弟も、親しい友人だっています…… わたしには……もう誰もいない…… それなのに(──そんなことを言う……)」
ミシマにとって自分の狡さはもう判っていることだった。
それでも、内の心で自分がこう訴える。
──僕の家族はもう壊れてしまっている。友人も、僕の全てを知れば距離を
そんな自分は〝貴き者〟などではない、そう思う……。
それでも〝貴き者〟は必要だと、ミシマは思っているのだ。それならば〝それ〟は彼女のような人であるべきだと──。
だから、彼女が
──確かに〝傲慢〟だな……。
そんなふうに思っているミシマの胸で、エリンは声を殺して泣いていた。
自分の境遇に涙し、自分に関わった者、関わる者に涙している──。
最後に涙を流したのは、いつのことだったろう……。
ミシマはそんなことを思いながら、ただ少女の細い身体を支えてやるのだった。
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