54 勝利
小石川香織を暗がりに連れ込んで誘われるままに唇を奪った。
上記する頬を片手で撫でながら胸元から衣服を剥いでいく。
次第に自分も気分が高まったので衣服を脱ごうとすると、
首を絞められた。
「おごっ!?」
半脱ぎの状態で視界が遮られてたところを、シャツの上から首筋を圧迫される。
小石川香織の手が万力のような強さでヘルサードを絞め上げている。
「な、な……」
「かかったね、ヘルサード。このまま絞め殺してあげる」
強烈な殺意。
女とは思えない腕力。
なぜだ、≪テンプテーション≫が効いていないのか?
「ぐげっ……」
そんなはずはない。
この≪テンプテーション≫は単純だがとてつもなく強力な能力だ。
異性を、つまり女性を強制的に自分に惚れさせて、なんでも言うことを聞かせる能力である。
これは洗脳というよりは脳の書き換えに近い。
ラバースがこの仕組みを応用してAEGISの精神制御にも使っているほどだ。
相手が女ならどれだけ若くても年老いても関係ない。
脳に直接作用するから本人の信念や資質、性格も無視する。
過去には初対面の高慢な女に笑いながら自殺させたことももあった。
この能力に目覚めた時点でヘルサードは世界の半分を手にしていた。
また、保険として『外側の力』を使ってあらゆるJOYは無効化している。
荏原新九郎の≪
なのに、なぜだ?
なぜ小石川香織は逆らえる?
「死ね……っ! 死ね、ヘルサードっ!」
考えてもわからない。
小石川香織の力は少しも緩まない。
どれだけ強い力を持っていてもヘルサード人間の肉体に縛られる。
このまま首を締め続けられれば待っているのは人としての確実な『死』だ。
「マ……ナ……っ」
力を振り絞って連れて来た天使の名を呼ぶ。
この世界でも『外側の力』を行使できる存在を。
……しかし、返事はない。
「死ね! 死ね! 死ねっ!」
首を絞める小石川香織の腕の力はますます強くなる。
彼女はSHIP能力者ではないはずだが、解こうとしてもビクともしない。
肉体の限界を超えるほどの激しい憎悪と殺意。
痛みはないが次第にヘルサードの意識は遠のいていく。
死ぬ。
殺される。
「ぐげ……」
苦しい、辛い、怖い。
これが死というものか。
……悪くはない。
一度くらい経験してみよう。
これは貴重な糧となるはずだ。
これは認めざるを得ない。
今回は君の勝ちだ、小石川香織。
負けの代償としてペナルティを受けよう。
ヘルサードはまもなく死ぬ。
だが、それはあくまで肉体の死に過ぎない。
すでに『外側の力』に触れた彼の意識は途切れることなく存在し続けるだろう。
ただこれから先、この世界に干渉できることは非常に限られてしまう。
自分と同じようにステージを大きく上げた者が現れるか、あるいは自分が天使たちにそうしたように、誰かがこの世界に呼び戻してくれるまで。
それまでは傍観者に徹することにするよ。
自分や浩満という『未来の舵を取る者』がいなくなった世界。
これからどんな風に変わっていくのか、果たして誰がどう変えていこうとするのか。
想像するだけでも楽しいじゃないか。
「ぐぴっ」
間抜けな声を上げ、ヘルサードという男は死んだ。
※
「はぁ、はぁっ……」
動かなくなってからも五分近く首を絞め続けた。
完全に抵抗を感じなくなってから、ようやく香織は手を放した。
脱ぎかけのシャツを破って仮面をはぎ取る。
ヘルサードの素顔はどこにでもいるたいした特徴もない小太りの中年男性だった。
洗脳のような力を持っているとはいえ、普通に考えてこんな奴に惚れるなんてどうかしている。
「……やったよ、みんな」
ともあれ諸悪の根源を倒すことができた。
和代が新生浩満をやったなら、彼女たちの怨敵はすべて倒した事になる。
L.N.T.時代からの怨念もこれで一段落が付いた。
ふと空を見上げると、通って来た次元の裂け目はどこにも残っていなかった。
※
香織はヘルサードの亡骸を引きずりながらKたちのいた場所へ戻った。
シンクとレン、それから天使を名乗っていた女の姿がない。
とりあえず倒れていたKとショウを叩き起こす。
「ん……あ、か、香織さん? 俺は一体どうなって……」
「痛てて……はっ、あの女はどこだ!?」
「二人ともとりあえず手伝って」
香織はKとショウにヘルサードの遺体処理を手伝わせた。
まずは肉を削いで内臓を野ざらしにする。
骨はKに砕かせ粉になるまですり潰して小袋に分けた。
そうやって分割した遺骸はショウに複数の場所に分けて捨てて来させる。
絶対に復活なんてすることがないように念入りに始末する。
恨みを晴らすには殺すだけじゃ飽き足らなかったという個人的な感情もある。
ショウが「女って怖え……」と呟きながら飛び立った後、Kがねぎらいの言葉をかけてくる。
「やりましたね。今までお疲れさまでした」
「ええ……でも、これで終わりじゃないよ」
諸悪の根源は倒したがラバースは依然として存在しており、反転ガスの脅威も残っている。
姿を消した『天使』とかいう女にはKもショウもレンすら手も足も出なかった。
今後、日本はクリスタとの戦争を避けられないだろう。
浩満とヘルサードを失ったラバース残党が大人しくなるとも思えない。
そして何より、今もラバースに心を囚われている友人を救ってあげなくてはならない。
だが、その前に取り立てて問題となるべきことがある。
「ねえK」
「はい」
「どうやって地球に帰ればいいと思う?」
「ん……」
この世界と香織たちの世界を結んでいた裂け目は閉じてしまった。
Kはわずかに言葉に詰まった後、言いづらそうに答える。
「この世界はもともとルシフェルの作ったプログラム世界です。しかし、我々の世界においてこの世界を構成していたコンピューターは新日本軍が破壊してしまいました」
「うん」
「それでも世界が存続しているのは、この人造世界がすでに一つの独立した次元として確立しているからでしょう。つまり我々の地球とは全く別の異世界と言えます。ですから帰るためには何らかの手段で次元の壁を越えなければなりません」
「その方法は?」
「……皆目見当がつきません」
申し訳なさそうに肩を落とすK。
まあ、薄々わかっていたことだし仕方ない。
ヘルサードを殺すことを優先したのは香織の判断である。
「あなたは以前にこの世界で五〇〇年くらい生きたんだよね?」
「はい。先ほども説明しましたが、異なる世界の出身者の肉体劣化は元々の世界の時間の流れに合わせられるという法則があるようです」
細かい理屈はわからないが、ここは地球とは時間の流れが異なる世界なのだ。
体感時間で何十年生きようが、例えば向こうで一年しか経っていなければ、肉体年齢は一年しか経過しないということである。
「ショウがこの世界で陸夏蓮とほぼ三か月戦い続けていたという証言から、現在この世界の時間の進みの速さは元の世界の五〇から六〇分の一程度と見ることができます。帰るための手段を探すのに多少の時間がかかったとしても、あまり大きな問題はありません」
「うーん……」
時間の問題よりも、こんなファンタジーの魔界みたいな世界でしばらく生きていかなきゃいけないと思うと相当に気が滅入る。
「この世界には知能が高く会話もできる生物や、見た目は人間によく似た種族、社会性を持ち簡単な村落を作っている部族もいます。危険が全くないとは言いませんが俺が全身全霊をかけて貴女を守りますよ」
まあ、嫌でもやるしかないか。
香織が気持ちを切り替えてやる気を出そうとしていると、
「おーい!」
ショウが戻って来た。
何故か上機嫌で大声を出している。
「骨は捨て終わった?」
「おうよ。それよりなんだこの世界! あちこちにモンスターはいるし、ずっとケンカに夢中で気づかなかったけどなんがスゲー面白そうなところじゃねえか!?」
ハイテンションの理由はあちこちを見て回ったからのようだ。
ファンタジーの魔界のようなこの世界はずいぶんと彼の琴線に触れたらしい。
「だったらショウくん、私たちこれから元の世界に変えるための方法を探そうと思ってるんだけど、手を貸してくれるよね?」
これは丁度良かったと香織は彼に協力を申し出た……のだが。
「やだ」
「は?」
断られた。
「修行も兼ねて一人で見てまわる。次はあのマナとかいうクソ女に負けねえよう鍛えねえとな」
「いや、修行って……それなら私たちと一緒でもできるじゃ」
「ってことで、じゃあな!」
言うが早いか、ショウは透明な翼を広げてひとり飛び立ってしまった。
香織がぽかんとしている間にあっという間に地平線の向こうへ消えてしまう。
「奴は誘うだけ無駄です。我々は二人だけで頑張りましょう」
「そうだね……」
あんな負け方をした後だというのに、元気いっぱい過ぎる。
ショウという男だけはいつまで経っても理解できなさそうだと呆れる香織であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。