18 鷹川総理の野望
鷹川総理大臣は御年九九歳になる歴代最高齢の総理大臣である。
第二次世界大戦の終戦時には九歳。
東京生まれの東京育ちで、戦争末期には空襲を経験している。
若くして事業を成功させ一代で身を立てるも、早期に第一線を退いて政治の道を志した。
しかし当選回数だけは多いが閣僚経験は長らくなく、失言が目立つばかりで政局に関わることもない、気づけば少数の同志を率いる万年野党の党首として国会でヤジを飛ばすだけの半生を送ってきた。
そんな彼に転機が訪れたのはほんの数年前のこと。
ラバースコンツェルンの協力を得て新たに立ち上げた『新生党』が政権を奪取してからだ。
彼の目的は一つ、幼い頃に見た地獄の光景の払拭。
旧アメリカ合衆国に対する復讐だけである。
「ふふ……」
旧軍時代の超弩級戦艦を模した規格外イージス戦艦『やましろ』
八十口径の四連装砲を六基と城砦のようなシルエットの巨大な艦橋を持つ海上の要塞である。
通常のイージス艦としての機能と武装も持ち合わせているが、ほとんど鷹川総理が個人的な趣味で作らせたモニュメントのような艦である。
あくまで戦場には出ない移動式作戦本部としての使用を前提とした象徴としての旗艦だ。
鷹川がいるのは艦の最上部。
彼の欲求を満たすため作られた模擬艦橋だ。
実際の艦の実務は船体下部にある戦闘指揮所で行われている。
ガラス張りの窓から遙かなる水平線を眺める鷹川は高揚感と喜びを隠せなかった。
まもなく大望が成就する。
開戦を告げさえすれば、あとはもう簡単だ。
すぐに新日本軍の勇士たちが全世界を同時攻撃できる形で各所に配備されている。
我が国は圧倒的な武力を持って全世界の敵対国家を黙らせるだろう。
無論、反転ガスとやらを使うつもりはない。
あれは我が国にも甚大なダメージを与えてしまう諸刃の剣だ。
彼が頼りとする新日本軍と新型兵器の数々があれば、あんなものに頼らなくても十分に勝てる。
仮に使う時が来るとすれば後にも先にも引けなくなった時だけだ。
鷹川という男は狂信的国粋主義者である。
彼にとって外国人は人間ではない。
戦争の結果、敵国の民が何人死のうがどうでもいい。
九十年前に我ら皇国民が受けた苦痛と屈辱に比べればなんというものでもない。
唯一の心痛の種は帝に開戦の勅書を戴くことであった。
内閣の決定を認可して頂くだけとはいえ、本当は平和を望んでおられるはず。
だが、これは誰かが手を汚してでも行わねばならぬ禊の戦なのである。
ならば皇国万年の栄華への礎として不肖の臣、鷹川が正義のために悪を成そう。
未だに軍事的野望を捨てない北の大国ロシア連邦。
数百年に渡って地球の支配者を気取り我が物顔でのさばってきた欧州各国。
世界中に貧困と不平等を振りまく資本主義の亡者、旧アメリカから生まれたクリスタ合酋国。
すべて皇国の名の下に誅滅……もとい、管理しなくてはならない。
これは歴史的偉業である。
あの物の道理もわからぬの小倅の手を借りてでも行わなければならない使命なのだ。
「新生浩満氏、到着いたしました」
秘書官が鷹川に告げた。
その声を聴いて鷹川は苦々しげに顔を歪める。
新法が規定する第四の権力――ラバースコンツェルンという企業連合体の長にして、新日本軍の統帥権を持つ男、新生浩満。
開戦のためには内閣の決定と帝の勅書の他にこの男の同意が要る。
『新国家統合特例法・第九条』
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争及び武力による威嚇または行使は、必要とあらば国際社会の安定のためこれを行使する。
2、我が国の平和と独立並びに国家及び国民の安全を確保するため、また政治判断による軍事力の暴走を防ぐため、国民の理性の代弁者たる第三機関連合体の統合意志を最高指揮官とする新日本軍軍を保持する。
新日本軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認および第三機関連合体の認可を必要とする。
新日本軍は、前二項に規定する任務を遂行するための活動のほか、第三機関連合体の定めた規則により、国際社会の平和と安全を確保するために、国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を脅かす敵を攻撃することができる。
(……後略)
ここで言う第三機関連合体とは、要するにラバースコンツェルンの事である。
一見すると軍事力の暴走を抑える合議機関であるように書かれているが、そうではない。
要はラバースコンツェルンの頂点に立つ総帥の承認がなければ軍は動くことができず、またいざ行動を起こすとなれば総帥がすべてを決定できる立場にあるという意味である。
国会の承認を得て勅許も得た今、あとは総帥の意志一つで軍は直ちに戦争を開始できる。
ある意味で奴はたった一人で内閣と並ぶ権力を有する日本のもう一人の最高権力者なのである。
「やあ、鷹川総理」
まるで友人に対するような年長者への敬意の欠片も見られない気安い挨拶だ。
鷹川は不快さを隠そうともせず、彼の前では定着した気むずかしい老人の顔で苦言を呈した。
「随分遅かったな」
「部下の見送りに行っておりましたので。クリスタはすでに開戦の気配を察知しており、ミサイル迎撃のための海軍を太平洋上に送り込んでいるようですよ。私の懐刀を直々に送り込んで排除させています」
宣戦布告はまだしていないが、小賢しいクリスタ合酋国の成金共のことだ。
こちらがやる気なら先制攻撃で叩いてしまおうと思っているに違いない。
真っ向から相手をしても問題ない。
だが、新生浩満の私兵であるバラガキ共が露払いをするのならそれもいいだろう。
皇国の若き兵士たちの犠牲が少なくなるに越したことはない。
「それよりさっさと承認しろ。後は貴様の署名があればすぐにでも開戦できるのだ」
「残念ながらそれはできませんね」
カチャリ、と軽い音がした。
出所を見ると秘書が震える腕で拳銃の銃口を鷹川に向けていた。
「なんのマネだ」
「せ、戦争は……いけないと思います……どうかお考え直しを」
「構うことないよ。人の命を軽んじる悪の大臣など撃ってしまえ。後の責任は僕が取るからさ」
新生浩満はニヤニヤと笑っている。
鷹川は理解した。
秘書の行動はこの男の差し金なのだろう。
「最初から土壇場で裏切るつもりだったのだな」
「裏切る? 心外ですね、ここまであなたに協力して差し上げたのは何のためだと思ってるんですか。すべては我が社の利益のためです。戦争を起こして世界を滅茶苦茶にして、一体なんの得があるっていうんでしょうか。僕はこう見えても平和を愛する人間なんですよ」
違う。
この男の言ってることは嘘だ。
なぜなら誰よりも反転ガスを撒きたがっているのはこの男なのである。
今さら開戦を先延ばしにするなんてできるわけがない。
すでに世論は形成され、議会は完全に戦争ムード一色になっている。
開戦直前まで世論を煽っておいて、すべてを鷹川個人の暴走と決めつけて断罪。
未曽有の惨禍をもたらした反転ガス使用責任を鷹川一人に押し付けるつもりなのである。
お前はこの鷹川を殺した後、利用した秘書も殺し、開戦と同時に撃つつもりなんだろう。
この世のすべてを終わらせる反転ガスを積んだミサイルを。
そしてすべてが終わった後の世界でラバース総帥はひとり影響力を保つというわけだ。
「クックック……成金のガキにはやはり民族の大義など理解できぬか」
「なんとでも言って下さい。ご老人の妄想の続きはあの世でどうぞ……撃て」
艦橋に響く鷹川の低い笑い声を、乾いた銃声がかき消した。
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