9 神奈川第一暴人窟トップ会談

 ビルの廊下に足音だけが響く。


 シンクがこの神奈川第一暴人窟にやって来てから、すでに半年が経過していた。

 血で血を洗い、力で力を押さえつけて一八〇余日。

 倒した敵を次々と傘下につけ、ひたすらグループを拡大させてきた。

 立ち塞がる敵をがむしゃらになぎ倒してついには町のトップに迫る地位まで上り詰めた。


 頭数だけならすでにシンクのグループはこの町で第三位の規模である。

 若者だけで構成された精鋭の戦力は他のグループと比べても頭一つ抜きん出ている。


 今日のシンクはたった一人で行動している。

 曲がりなりにも一定のバランスを保っていた町を戦国時代に変えた男。

 そんな彼の立場と状況を考えれば、仲間から離れての単独行動など自殺行為も同然である。


 シンクの首を狙う者は無数に存在する。

 ましてやここは敵地、この町を仕切る最大派閥のグループの縄張りにある建物である。


 と、言っても別にケンカをしに来たわけではない。

 最大派閥の長、つまり町のドンから呼び出されたのだ。


 理由は聞いていない。

 停戦協定か、あるいは宣戦布告か。

 仲間たちは止めたがシンクはこの誘いを断るつもりはなかった。


 ようやくここまで辿り着いたのだ。

 今さら我が身かわいさに足を止める気などない。


 事前の通告通り、建物の中に敵対グループの構成員はいなかった。


『建物七階の会議室で待つ。エスコートをするつもりはないので勝手に入って来い』


 伝令が伝えたその言葉だけを頼りに単身敵地に足を踏み入れたが、待ち構えていた敵集団に取り囲まれる可能性も当然ありうると考えていた。


 その時はその時、適当に何人かぶっ潰して宣戦布告に変えさせてもらう。

 ところが本当に誰もいなかったので若干肩すかしを味わった気分ですらある。


 角を曲がると窓から夕暮れの光が差し込む。

 ふと表を見れば向かいのビルに明かりが点っていた。


 敵の主力が控えているのだろうか。

 日本の法から乖離したスラム街といえども、電気関連のインフラはきちんと整備されている。

 EEBCの恩恵もあって、この町の住人が使う電力くらいなら工業用発電機が一台あれば十分に賄えるのだ。


 七階奥。

 シンクは『会議室』と書かれた札が掛かっている部屋の前に着いた。


 ノックもせずにドアを開ける。

 蛍光灯で照らされた室内には大きな正方形の机があった。

 そして入り口側の席を除くそれぞれの辺に町のトップを争う者たちが座している。


 シンクの視線は自然と正面の男に向いた。


 レスラーのような筋骨隆々の体躯。

 この町に住む者には不釣り合いな高級そうなスーツ。

 禿げ上がった頭に、これぞ犯罪組織のボスと言わんばかりの強面。


 その顔には右目から唇にかけて大きな傷跡が走っていた。

 年齢はおそらく五〇を超えているだろうか。


 田中文麿。

 この町の最大派閥をまとめる長である。


 暴人窟では外の少年グループのようにチームの名称などはつけない。

 あえて呼ぶならば『田中派』とでもいうべきだろうか。


「お招きいただきましてアリガトウゴザイマス……とでも言えばいいんスかね」


 わざと軽い口調で言ってみるが、田中は腕を組んだまま視線をシンクに向けるだけ。

 シンクは肩をすくめて空いている席に着席しようとした。

 直前、右側に座る男に視線を向ける。


「よおフクダさん。ついにグループが立ち行かなくなって田中派に降る決心をしたのか?」

「あぁ!?」


 紫スーツに身を包み、指輪やネックレスなどゴテゴテと宝石類で着飾っている二十代後半の男。


 名前は福田国昭。

 一見するとそこらのチンピラのような男だ。

 こう見えて、田中派に次ぐ第二勢力を束ねる人間である。


 だが、田中のような圧倒的カリスマは感じない。

 シンクはこの男と何度も抗争を繰り広げ、その度に煮え湯を飲ませてやっている。

 彼の勢力下からシンクの配下に鞍替えした人間も多く、この街でシンクをもっとも恨んでいる男のひとりであるのは間違いないだろう。


「ええ気になるなよ荏原。俺ァここでケリをつけても構わんのやぞ」

「ふっ……」


 とってつけたようなエセ関西弁が笑いを誘う。

 シンクは嘲笑を浮かべて席に着いた。


「何がぁおかしい!」

「止めろ、福田」


 机を叩いて身を乗り出したフクダを田中が静かに窘める。


「ここは話し合いの場だ。席に着け」

「なんやて? 言うとっけど俺はアンタに降った覚えはないんやで。偉そうに命令すんなや」

「だから対等な立場で集会の席を設けたと言っている。それとも全面戦争が望みか?」

「くっ……」


 さすがにそれは誰もが望むところではない。

 フクダは悔しそうに歯がみし腰を下ろした。


「お前もだ、荏原。安っぽい挑発で場を乱すな」

「へいへい」

「くっくっく……」


 シンクは生返事をし、左側の席で口元を抑えている男に視線を向けた。


「笑うなよ鈴木」

「いや、君はどこでも変わらないなと思ってね」


 鈴木信行。

 田中派、福田派、そしてシンクの荏原派に続く第四の勢力である鈴木派の長だ。

 荏原派とは比較的良好な関係を築いており、末端での小競り合いこそあるものの、グループ間の交流もそれなりにある。


 彼はシンクより三つ年上で、元は鈴木派の前身である岸派の中堅だったのだが、三ヶ月前に先代が死んでグループをそのまま受け継いだ。

 飄々とした性格で奇妙な縁もある相手だが、実はシンクとは過去に二度ほど本気の殺し合いを演じたことがある。

 表面上は穏やかでも決して仲間と呼べるような相手ではない。


 ちなみにシンクと共に暴人窟に放り込まれたツヨシは現在、紆余曲折を経て今は鈴木派に所属している。


「それにしても壮観だね。この町を仕切るトップが一堂に会するなんて、半年前までは考えられなかったことだよ」

「若造が調子こくなや。こちとら荏原やお前ごときと並べられるのは心外なんやで。三郎や岸とにらみ合って毎日が修羅場だった頃が懐かしいわ」

「じゃあ先代やサブローさんを見習ってこの世から引退すれば?」

「あぁ!?」


 信行の感想にフクダがケチをつけると場の空気がさらにぴりぴりするが、依然として田中は憮然とした表情のまま黙っている。


 どうやら左右の二人も今回の会議には呼ばれた側であるらしい。

 このままでは本気で頂上決戦になりそうなのでシンクは田中に説明を促した。


「で、田中サン。話し合いたいことがあるならそろそろ始めませんか?」


 無論、この場で乱闘になればすぐに田中派の人間がなだれ込んでくるのは目に見えている。

 とはいえ誘いを信じて話し合いに向かった長をだまし討ちされたとなれば、残された派閥のメンバーも黙っていないだろう。


 泥沼の全面戦争なんて起きたら誰にとっても良い結果にはならない。

 今、彼らはギリギリの緊張の上にいるのだ。


 田中は鷹揚に頷いて部屋中が震えるような低い声で告げた。


「では単刀直入に言う。荏原新九郎、貴様とその傘下の人間には即刻この神奈川第一暴人窟から出て行ってもらいたい」

「はぁ!?」


 素っ頓狂な声を上げたのはフクダである。

 信行も声こそ上げなかったが、正気を疑う表情で田中を見ている。


 田中の口から飛び出した言葉は彼らが予想もしていなかった事に違いない。

 暴人窟からの脱出とはすなわち多くの場合、死と同意語である。


 ここの住人はみな外の世界では罪人として認識されており、勝手に街から出る素振りを見せたら監視している警察から即座に射殺される。


 大規模な行動を起こせば陸軍の出動もあり得る。

 数少ない例外として、外からの手引きで個人的にめでたく出所する可能性もあるが、それにしても内の人間にどうこうできる話ではない。


 出て行けと言われて出て行けるような場所ではないのだ、この暴人窟という町は。


「一応、理由を聞かせてもらおうか」


 言われた当のシンクは取り乱していなかった。

 実は内心で予感していた事でもある。

 田中は淡々と説明を始めた。


「半年前までこの神奈川第一暴人窟は一定のバランスが保たれていた。我が徒党の一強。福田、岸、片山の中堅三党。そして無数の弱小組織という形の安定した支配がここにはあった」

「で、そのバランスを崩したのが俺だと」

「自覚はあるだろう」


 もちろんだ。

 ここは暴人窟という外界から隔離された暴力の支配する町である。

 半年前に受けた仲間からの手ひどい裏切りと、訳もわからぬまま犯罪者に仕立て上げられた鬱憤を晴らすのに、これほど都合のいいシチュエーションはなかった。

 それを思いっきり楽しんだ結果としてシンクは今ここにいる。


「都合のいい話だな。あんたの言う安定した支配の中でも苦しんでいる奴はたくさんいたぜ。クズ共のくだらない争いに巻き込まれて命を落とすやつもな」


 この町に来てすぐの頃、シンクはそんな光景を至る所で目撃していた。

 そういうクズから選んで片っ端から潰してきたつもりもある。


 街の救世主だなどと大言を吐く気はないが、支配者側から非難される謂われもない。


「犠牲者を完全になくすことは不可能だ。理想を語るよりも大事なのは今日の大きな安定なのだ」

「自分の支配下で弱者が死ぬのは良いけど争いで人が死ぬのは嫌ってか?」


 落ち着いた態度で理屈を並べる田中にシンクは強気で言い返す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る