10 偽りの恋心
「はい、げっとぉ!」
マナは欲しかったおもちゃを手にした少女のように無邪気に笑う。
その時、久良岐市側から車の走行音が近づいてきていた。
痛みを堪えて振り向くと、カーブの先から一台の乗用車が姿を現した。
凄まじい速度で接近した車はシンクたちのすぐ側で急ブレーキをかけ停車する。
「あ、アオイちゃんが来たみたい。ちょっと遅かったけどねー」
手の中でジョイストーンをもてあそびながらマナが言う。
「マナ先輩、なんで……」
シンクが何とか声を絞り出そうとしていると、運転席側のドアが開いてアオイが姿を現した。
彼女は不機嫌さを隠そうともせずに吐き捨てる。
「まんまと出し抜いてくれたわね、マナ」
「ごめんねーアオイちゃん、お先にいただいちゃったよー。とっておきを切っちゃったけど、これで私がポイントリードだね!」
マナは手にしたばかりの紗雪のジョイストーンを見せびらかす。
一瞥したアオイはまた苦々しげに表情を歪めた。
「別に良いわ。それより目的は達成したみたいだし、良ければ送っていくわよ」
「まだだよー? ちゃんと始末しなきゃね」
アオイの提案にマナは首を振り、軽快な足取りでこちらに近づいてくる。
「シンクくんっ」
「マナ先輩……」
「これから君をころすけど、いいかなっ?」
言葉の意味を脳が理解してくれなかった。
彼女が何を言っているのか全くわからない。
君って誰のことだ?
殺すって?
いつもシンクのやり過ぎを涙目で諫めていたマナ。
彼女の口から出るには、あまりに似つかわしくない言葉だ。
「なん、で……」
痛みで頭が朦朧とする。
なんとか疑問を口にするのが精一杯だった。
「えー。だって、もう私の本音はバラしちゃったし、これ以上君は役に立たないでしょ?」
「何を言ってるんだ……」
「もうっ、頭の切れるシンクくんらしくないなあ。君のことは最初から利用するだけしてからポイするつもりだったんだってば。第三班の仲間は全員そうする予定なんだけど!」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ。って、ああゴメンゴメンっ。そりゃ信じられないかあ。ってかショックだよね? だってシンクくんは私のことが大好きだし」
ギクリとした。
指先の痛みすらその一瞬だけ吹き飛んだ。
「今まで騙しててゴメンね? シンクくんが私のこと好きなのって『嘘』なの。君はいろいろ役立ってくれると思ったから、私を好きになってもらってたんだ」
「何を、言って……」
「私のSHIP能力だよ。狙った男の子を強制的に私に恋させちゃうの」
何を言っているんだ。
能力で恋をさせられただと?
そんなはずない、俺はマナ先輩のことが本気で好きだった。
そう、初めて会ったときから……初めて?
シンクは必死に記憶を呼び起こす。
マナと初めて出会ったのは、確か彼女がオペレーターとしてシンクの部屋に現れたとき。
二度目に会ったのはアミティエに参加するためラバース横浜ビルに連れて行かれたとき。
名前は知っていた。
彼女は生徒会役員でそこそこ有名だから。
だが、一体この間のどこでマナを好きになる要素があった?
そもそも彼女はシンクの好みのタイプでもなんでもない。
なのに何故か初めて会話する前から強く印象に残っていた。
「人間の脳って意外と単純なんだよ。すこーし弄られるだけで簡単に狂っちゃうの。まあ私の能力はあんまり強くないから、一度に頭を弄れるのは一人だけだし、完全洗脳とは違ってなんでも命令を聞かせられるほどの強制力はないんだけど」
マナは口元に手を当てて笑う。
本当におかしそうに笑う。
「君は好きな子のためには自主的に危険なこともやってくれる子だったからけっこう役に立ったよ。もうちょっと使い続けてあげてもよかったんだけど、この辺りが潮時だろうね。≪
マナが何か説明しているが、まったく頭に入ってこない。
戸惑いの気持ちはシンクの中で明確な怒りに変わっていく。
驚くべき真実を告げているのに、邪気のない小学生のような幼い笑顔のまま。
そんなマナを見ていると、まるで悪夢の中に引きずり込まれていくような感覚を味わった。
わからない。
なんで、ほんの数秒前まで、こんな奴を好きだなんて思っていたのか。
彼女から受けていた能力による洗脳が解けていく。
「てめぇっ!」
飛びかかろうとしたが、またしても見えない何かに頭を押さえつけられた。
「がっ……!」
「私の≪
「ぐ、あっ……」
「もちろん、人間なんて……ね?」
腕が全く動かせない。
≪龍童の力≫を使っているのにビクもしない。
他の能力で攻撃しようにも、四肢を押さえつけられ発動の体勢すらとれない。
「無駄だってば。ほらっ」
「ぐあああああっ!」
腕が、足が、容易く捻り折られる。
まるで重機に踏みつぶされたように。
骨が砕ける激痛に意識が遠くなりかける。
力を失ったシンクの掌からジョイストーンが零れた。
それは地面に落ちる前に浮かび上がってマナの手に収まった。
「≪
友だちにさよならを言うような軽い声。
首筋に見えない手が触れた。
「何かな?」
しかし、シンクの意識が刈り取られることはなかった。
マナはこちらを向いたまま背後に立つ人物と話している。
「ジョイストーンのない彼はただの高校生よ。殺す必要はないわ」
マナの後ろにはアオイが立っていた。
肩に手を置いて彼女を諫めている。
「えー? でもさ、ここまで盛り上げたんだからやっちゃいたいよ。お願い、ころさせて?」
「認められないわ。ここで彼を殺しても余計な手間が増えるだけよ」
「ちぇっ、仕方ないなあ」
どうやら命が助かったらしいという安堵すら感じない。
うっすらと開いたまぶたの向こうに見えるマナがとても恐ろしかった。
彼女は笑っていた。
たった今、人の命を奪おうとしていたとは到底思えない。
いつもの友だちと談笑している時のように、本当に何でもないふうに微笑んでいる。
この女は何者なんだ。
騙されていたとかそういう次元の問題じゃない。
シンクはマナという人間のことをこれまで何も知らなかったのだと気づく。
「わかった、今はころさないであげる。シンクくんはアオイちゃんのお気に入りだもんね」
「な、別に……」
「そのかわりっ」
ぐぴぇっ、というカエルの潰れたような声が聞こえた。
声のした方角を見ると、そこにはミカがさっきと同じ姿勢で倒れていた。
ただ、頭がどこにも見当たらない。
「あはっ! きもちいいーっ!」
マナの絶叫にも似た嬌声が響いた。
背中を仰け反らせて恍惚の表情を浮かべ、足をもじもじさせながらアオイにもたれ掛かる。
「っ! マナっ……!」
「あー、あーっ。あっ……ごめんごめん。久しぶりにアミティエのメンバーをやったから軽くいっちゃった。やっぱ知り合いをころすのは最高だね。
「ミ……カ……?」
シンクは瞬きを繰り返す。
何度見ても目の前の光景は変わらない。
ミカの頭はグチャグチャに潰れ、どろりとした液体が周囲に広がる。
「別に良いよね? あの娘は第三班とは関係ないし、別に愛着もないでしょ?」
「そういうことを言ってるんじゃないの! 許可のない殺人は……」
「ちぇっ。もうお説教はいいよ、行こっ」
マナは唇を尖らせて振り返る。
その瞬間、シンクを掴んでいた見えない手が消失した。
体が崩れ落ち自由を取り戻すが、両手足を折られてまともに動くことができない。
「マナ……先輩……」
「じゃあねー、シンクくん。また会えたら一緒に遊ぼうねー」
そう言って彼女は車の助手席に乗り込んでいく。
アオイがこちらを振り返り、ちらりと悲しそうな瞳を向けたが、シンクの目には入らなかった。
あまりの痛みとショックに体も喉も言うことを聞いてくれず、意識も薄れていく。
気を失う直前まで、変わり果てたミカの姿がまぶたの裏に焼き付いて離れなかった。
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