6 ワケあり少年

「名前はなんていうです?」


 髪を洗ってやっていると、レンが尋ねてきた。


「レン、まだあなたの名前聞いてないです。命たすけてくれた人の名前もしらないは失礼です」

「シンク」


 ぶっきらぼうに答えたのは機嫌が悪かったからではない。

 あまりにも長いレンの髪を洗うのに悪戦苦闘していたからだ。


 それにしても長い。

 しかもこの不思議な色……

 水色の髪なんて現実にあり得るのか。


「シンくん? レンと似てる名前です」

「あー、微妙に違うけどそれでいいよ」

「シンくん」

「なんだ」

「えへへ……」


 何故か人の名前を呼んで嬉しそうに笑うレン。


 なんだこいつ、誘惑してるのか。

 お前、相手が男だからって油断してないか。

 そんな風に微笑まれたら相手が男でもいいやって奴もでてくるぞ。


 いや、俺は断じて違うけど。


「ほら流すぞ。目をつぶれ」

「きゃー」


 きゃーじゃねえよ。

 くそ、声まで可愛いだと。


「ほら、ゆっくり温まれ」


 レンを湯船に入れている間にシンクは自分の体を洗う。


「シンくん、ありがとうね」

「いいよ。洗ってやったくらいでいちいち礼なんて言うな」

「そうじゃなくて、助けてくれたこと。シンくんいなかったらレンきっと死んでたです」

「大げさだよ。この日本でそうそう野たれ死ぬやつなんているもんか。俺が拾わなくても誰かが助けてくれたよ」

「でもレン、ばあちゃん以外にこんな風に優しくしてもらうの初めてだから」


 体の泡を流して顔を上げる。

 レンはまっすぐな目でシンクを見ていた。


「レンの育ったところ、とても貧しい場所だった。こどもが毎日ひとから食べ物とらなきゃ生きていけないような。だからレン強くなった。レンが『いちばん』になってばあちゃんを楽にさせてあげるんだ」

「あー……そうか」


 かけてやるべき言葉が見つからなかった。

 この日本でつい最近までは平穏な日常を送ってきたシンクである。

 中学時代は多少荒んでいたとはいえ、それは平和に胡坐をかいて我儘な刺激を求めていただけだ。


 いつでも死と隣り合わせというような過酷な世界で生きた経験はない。

 そんな自分が彼の境遇を聞いて上っ面だけの励ましの言葉など送れるだろうか。


「なあレン。お前さえよければ、しばらくここにいてもいいんだぞ」


 だから黙って彼のために微力を尽くそうと思う。


「お前の目的は正直よくわからんが、やるべきことが見つかるくらいまでなら居させてやる。子供一人の面倒を見るくらいの金ならあるからさ」

「シンくん……」


 シンクにも自分の生活があるから、一緒になって彼の目的に協力することはできない。

 けれど無責任にレンを拾って来てしまった責任を取るつもりはある。

 幸いVIPカードがあれば生活費の心配はないしな。


「……Tai gan xie la」


 話している間、ずっとシンクの目を見ていたレンが初めて視線を逸らした。

 うつむきがちに絞り出された言葉は慣れない日本語ではない。


 何を言っているかはわからなかったが、その声には彼の強い気持ち込められている気がした。




   ※


 風呂から上がったシンクはレンの髪を乾かして結ってやった。

 小学校時代にミサンガを作った要領でみつあみにしてやる。


 長い鞭みたいになった。

 まあ、正面から見れば普通の短髪に見える。

 サイズは合っていないが、自分の服も着させてやった。

 こうしてみるとしっかり男に……


「見えねえ……」


 ダメだ、どうみても女の子にしか見えない。

 裸を見た今になっても信じられない。


「うわ! わあ! わああ! つよい!」


 テレビが珍しいのだろうか、レンはアニメに夢中になっている。


 その姿を見ていると年齢よりさらに幼く見える。

 何を見ているのかと思ったら有名な少年漫画原作のアニメの再放送だった。

 以前は原作コミックスを持っていたが、あまりにかさばるので売ってしまったやつだ。


「さて、夕飯の準備でもするか」


 昼間のお返しに今度は自分が何か作ってやろうと思って冷蔵庫を開ける。

 が、一週間分はあったはずの食料がなぜかすっからかんになっていた。


「おいレン!」

「なにですかシンくん。急ぎじゃなければ後にしてくれるとレンは嬉しいです」

「お前、勝手に冷蔵庫の中身食っただろ!」

「おかげで生き返ったです。シンくんには本当に感謝してるです」


 つまりあの野菜炒めは最後の残りだったわけだ。


 夕食がないとわかると途端に腹が減ってきた。

 かと言ってこんな時間に外に買いに行くのも面倒だ。

 ここから一番近くのコンビニでも歩いて十五分はかかる。


「……それだけ見たら電気消すぞ」


 こんな日にはさっさと眠ってしまうに限る。

 押入れから布団を取り出して、そこで大変なことに気づく。


 布団が一枚しかない。

 毛布も一枚しかない。


 まさかフローリングの床で寝かせるわけにはいかないだろう。

 ……って、別に気にする必要はないんだって。


「レンは男。なにも問題なし。二人でもちょっと狭いくらいなら大丈夫」

「あー面白かった。電気消すの? 寝る?」


 テレビを見終わったレンが嬉しそうにすり寄ってくる。

 だからそういう仕草をやめろ。

 せっかく声に出して自分に言い訳までしていたのに。


「おう寝るぞ。俺は真っ暗にしないと寝れないんだけど大丈夫か」

「うん、レンも暗いが好き。それじゃ寝る」


 レンは座布団を持って部屋の隅に行こうとする。


「おい何やってんだ」

「あ、ごめんなさい。まくらにしよう思った。ダメならなくても大丈夫です」

「そうじゃなくて、こっちに来いよ。春だからってそれじゃ寒いだろ」

「え……いいです?」

「人の家の食料を全滅させといて今さら遠慮するんじゃねーよ。早く来いって」

「う、うん」


 恐る恐る布団に近き、ゆっくりと中に入ってくる。


「あったかい……」

「おうよ。通販で奮発して買った羽毛布団だからな。値段に釣り合ってるかはわからんけど」


 シンクはリモコンで部屋の明かりを消した。

 雨戸も閉め切っているので室内は完全に真っ暗になる。


 これで目の前のレンの顔も見えない。

 ただの十二歳の男の子だと思えば変な気持ちもわいてこない。


 それにしても不思議な奴だ。

 女の子みたいに可愛いと思えば男だったし。

 貧しい街で育って密入国なんて危ないマネをしてきたかと思えば、実年齢以上に幼いところを見せる。

 その上、日本に来た目的もよくわからない。


「なあレン」


 呼びかけるが返事はない。

 小さな寝息だけが耳に届く。


「寝たのか?」


 よっぽど疲れていたのだろう。

 すぐ眠ってしまったようだ。


 まあいい。

 話は明日でもできるし、無理に起こす必要もない。

 せっかくの休日だしどこかに遊びに連れて行ってやるのもいいかもしれない。


 面倒なことに巻き込まれたと思う反面、少しだけ嬉しくもあった。

 こんな風に誰かと一緒に暮らすのもたまには悪くない。


 お前を拾った責任は果たしてやるよ。

 ちゃんと行くべきところが見つかるまで俺が守ってやる。

 うん、いま決めた。


 そんなことを考えているうちに、シンクも次第に眠りに落ちて行った。

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