2 上海の龍童
「上海の龍童とは、あのラバース上海支社をたった一人で壊滅させたと噂の……?」
「たった一人というのは誇張だがね。上海支社が抱えていた能力者組織を潰し、ラバースコンツェルンが
先日起きた
街の一角が戦場と化し、多くの犠牲者が出たその事件を、日本のメディアは国内の反体制組織による破壊活動だったと伝えている。
しかし、その実態は能力者たちによる大規模な抗争だ。
それをきっかけにラバースコンツェルンは清国での事業から完全に撤退した。
「そんな奴が日本に……この神奈川にやってきてるのか?」
「その通り。けど龍童は『SHIP制約』を受けているから、とりあえず危険はないと思っていい」
「はぁ? なんだそりゃ?」
テンマが疑問の声を上げる。
SHIP制約とは組織がSHIP能力者を捕えた際、能力を封じることが決定された者に対して取られる措置である。
措置を受けたものは能力そのものが消えるわけではないが、著しく力が制限されて、実質的に一般人と変わらなくなってしまう。
「海を渡る前に自発的な措置を受けたようだ。理由はおそらく渡航の際の目くらまし。清国では制限されたSHIP能力者を発見できるほど高性能のエネルギーシーカーは存在していないからね」
「それを逆手にとってまんまと待ち伏せしてやったってわけか。日本の技術力の勝利だな」
「密入国者の航路は当局によって割り出されていた。エネルギー反応を察知するのは簡単だったよ。誤算だったのは制限された龍童を指し示すエネルギー反応が、複数のジョイストーンを示す反応に酷似していたことだね」
「だからジョイストーンの密輸入なんて誤報が発生したのね。普段から密航を黙認しているから肝心な時に失敗するのよ」
「そんなに怒らないでくれアオイくん。さすがに政府の方針まで口は出せないよ」
その政府の決定ですらラバースの意思が働いているくせに、よく言う。
「制限された龍童の力は国内に潜んでいる協力者によって解かれる予定になっていたらしい。現在、上海支社との情報のやり取りは抹消済みのデータも含めて調査中だ。発見は時間の問題だろうね」
「で、龍童とやらはなんでそんなまどろっこしい手段を使ってまでわざわざ日本に渡って来たんだ?」
「目的までは聞き出せなかったよ。目を離した隙に捕虜が自害してしまったのでね」
龍童の目的。
それはおそらく復讐だろうとアオイは思った。
東洋の魔都、上海。
かつてあの国を支配していた体制が崩壊した後、あそこは文字通りの無法地帯となった。
ラバース上海支社は能力の実験に貧民街の少年たちを使っていた聞く。
わざとチームごとに対立させ、年端もいかない少年少女に殺し合いをさせたり、賭け試合のようなこともやっていたようだ。
かつてL.N.T.と呼ばれた都市のように……
結果的にそれが身を滅ぼすことになったのだが、モルモットとして扱ってきた若者が自分たちを利用していた組織に対し、どれほどの怒りを持っているかは想像するに難くない。
「なるほどな。敵の誘導にひっかかって、まんまとバケモノを解き放ってしまったわけだ。こいつはとんでもない失態だな? 第三班の班長さんよ」
「ミスについての言い訳はしないわ」
もはや黙っていることは出来なかった。
アオイは椅子から立ち上がってテンマを睨み返す。
「龍童は責任を持って第三班が捕らえるわ。できなければ私の首を差し出しても構わない」
「おいおい、マジになんなよな」
どんな理由があろうとも、そのような危険人物を見逃してしまったことは事実である。
アオイの怒りの理由はテンマの態度ではなく、あらゆる可能性を考慮していなかった自分自身の甘さに対してであった。
「まあまあ二人とも落ち着いてくれ。さっきも言った通り責任の一端はこちらにもあるんだ。この事件がどういう結末を迎えようとも、アオイ君にペナルティを与えるつもりはない。どうか自分を追い詰めないでくれ」
「……そうね」
怒りをぶつけるべき相手は目の前の小憎らしいホストもどきではない。
アオイは熱くなったことを自省して腰を下ろそうとした。
その直後だった。
「うっしゃあ!」
ルシフェルの後ろの窓ガラスが割れた。
何かが掛け声と共に部屋の中に飛び込んできた。
ここは地上五〇〇メートルを超える超高層ビルの屋上である。
割れた窓から吹き込んでくる風は夏場でも冷たい。
ガラス欠が部屋中あちこちに散乱する。
ルシフェルはゆっくりと後ろを振り返り、そこにいた人物に向かって呆れたように声をかけた。
「ショウくんさあ……入室する時はエレベーターを使って正面から入ってくれと前にもお願いしたはずだよね? 修理代もバカにならないんだよ」
「悪い悪ぃ、遅れちまうと思って急いで来たもんだからよ。勘弁してくれ」
「そんな心配をしなくても、もう十分に遅刻だよ」
その青年は悪びれもなく頭を掻いていた。
服装は白いシャツの上にジャケットを羽織った格好。
ツリ目で後ろ髪が長く、左耳にダイヤのピアスを着けている。
第一班の班長にして、アミティエ最強の能力者、ショウである。
窓ガラスと共に会話の空気もぶち壊された。
その上で彼はのんきに質問をする。
「で、何の話をしてたんだ?」
「もういいんだよ。話は終わった」
テンマが立ちあがる。
その顔には好戦的な笑みが浮かんでいた。
「目標は複数のジョイストーンと似た反応を示すんだよな? なら俺たちはいつも通り自分の領地で探索をする。第二班の担当区域内で龍童とやらを見つけたらきっちり捕縛しておいてやるよ。一応、アミティエの仲間がやらかしたミスだしな」
「おいおい、仲間外れかよ」
「詳しく知りたきゃオムにでも聞け。俺は先に失礼させてもらうぜ、近道もできたしな」
ひらひらと背中越しに手を振ると、テンマは割れた窓ガラスから飛び降りた。
この高さか落ちて普通の人間が無事で済むはずはない。
しかしもちろん、テンマの心配をするような者は誰もいなかった。
アミティエ第二位の能力者が高所から飛び降りた程度で死ぬはずがないからだ。
「ショウ、説明してやる」
「おうオム。頼むぜ」
机の傍ではオムが野太い声でショウに会議の様子を説明している。
その声を聞きながら、アオイは眼下に広がる景色を眺めていた。
雲ひとつない青空だ。
今日は遥か丹沢山地や伊豆半島まで見渡せる。
しばらくそうしてぼーっとしていると、ルシフェルに肩を叩かれた。
「上海と神奈川東部では能力者の密度が違う。どのグループの担当範囲に逃げようと、龍童はすぐに捕まるよ。何度も言うが君が責任を感じる必要は何もないんだよ」
「わかっているわよ」
アオイは振り向かずに答えた。
彼女が欲しかったのはそんな慰めではなく、死んでいった仲間たちを弔う言葉だったのだが、ついにルシフェルの口からそれを聞くことはなかった。
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