9 紅蓮のシンク

「さあ、かかってこいよ。もっとも俺の半径五メートル以内に近づいた瞬間お前は――がっ!?」


 くだらない口上は最後まで言わせなかった。


 シンクは素早く拾い上げた石礫を投擲。

 大口を開けていたツヨシの前歯にぶつかった。


「いでっ、いでえよっ!」


 そのまま一足跳びで敵へと接近。

 不様に口を押さえて蹲るツヨシの髪を掴んだ。

 そのまま引き倒してアスファルト後頭部を叩きつける。


「げびゃっ!?」


 さらにシンクは追い打ちをかける。

 無防備な喉元を思いっきり殴りつけた。


「ごびゅっ」


 流石に手加減はしたが、ツヨシは血まみれの口から泡を噴いて気絶した。


 もちろんこれで終わりではない。

 シンクはツヨシの右腕を持ち上げうつ伏せに倒した。

 足で体を転がしながら、肩口のあたりを固定して思いっきり引っ張る。


 ごきっ。


 鈍い音が響く。

 ツヨシの肩の関節は完全に外れていた。

 その手から真っ赤なジョイストーンがこぼれ落ちる。


 シンクがそれを拾い上げようとすると、


「オマエーっ!」


 小柄な男が背後から迫って来た。

 地面の摩擦をなくす力を持った能力者だ。

 思いもよらぬ仲間のピンチに衝動的に突っ込んできたようだ。


 シンクは冷静に一歩男へと近づいた。

 足もとが氷の上に立ったようにつるりと滑る。


 小柄な男がニヤリと笑う。

 その憎らしい顔をシンクは見た。

 手が届くほどの、極めて間近の距離で。


 そのまま胸倉を掴んで一緒に倒れ込む。


「え、な、やめ……はぐっ!?」


 肘を相手のみぞおちに当てながら一緒に倒れる。

 気絶した男の手から無理やり水色のジョイストーンを奪った。

 倒した体を足場にして、腹と顔を踏みつけながら立ち上がって背後を向く。


「ひえっ!?」


 シンクは鋭く睨みつける。

 まったく同じパターンで接近していた女は動きを止めた。

 怯えた表情でガタガタと震える彼女に、シンクは手を差し出しながら言った。


「早く出せ」

「え? あ……」


 一歩踏み出せば影を踏まれる距離。

 しかし、女はすでに戦意を喪失している。

 差し出した手に彼女は恐る恐る自分の手を重ねた。


「違う。お前は犬か」

「ひっ!」

「お前のなんとかストーンを出せ。早く」

「はっ、はいっ! わかったから殴らないでくださいっ」


 女はボロボロ涙を流しながらシンクに漆黒のジョイストーンを渡した。




   ※


 能力を起こす石は全て奪った。

 男二人は気絶、女は戦意喪失。

 完全に敵の無力化に成功した。


 シンクは深く溜息を吐いて、尻もちをついたままのマナに手を差し伸べた。


「立てますか?」

「えっ、あっ」


 戸惑いながらも手を握り返してくるマナ。

 そんな彼女を思いきりひっぱって起き上がらせる。

 それから、三人にリンチを受けていた金髪男を気に掛けた。


 右腕のやけどはひどいが意識はしっかりしていて、シンクの戦いをしっかりと見ていたようだ


「あんたも大丈夫か」

「は、はい。あの……あんた、もしかして」


 金髪男はヒーローを目の前にした少年のように瞳を輝かせる。


「戸塚の『紅蓮のシンク』さんじゃないっスか!?」


 シンクは内心で舌打ちした。

 久しぶりに聞いた恥ずかしい二つ名だ。

 それと同時に忘れたい中学時代の記憶が蘇ってくる。


「……ああ、一応な」

「やっぱそうっスか! うわあ、オレ憧れてたんスよ! うちらの間でも有名っスよ。近隣の中学に殴りこみをかけては有名どころを力づくで従えて、市内の暴走族を片っ端からぶっ潰した伝説! 暗殺拳の使い手っていう噂は本当だったんスね!」

「暗殺拳じゃねえ、ただのケンカ術だ。ガキの頃に頭のおかしなクソ親父から無理やり叩きこまれた卑怯者の技だよ」


 その力をひけらかし、不良共のトップを取って全国制覇するんだと息巻いていた中学時代の自分を思い出すと、恥ずかしさのあまり死にたくなる。


 戸塚市を制覇して隣の鎌倉市の三分の一程度をシメたところで正気に戻った。

 心変わりを惜しむ不良仲間たちを見捨て、地元から少し離れた県内の別の市の高校を受験。

 今のシンクの周りで彼の過去を知っているのは偶然にも同時期に引っ越してきた青山紗雪くらいだ。


 シンクは心を入れ替えた。

 退屈でも平穏な日常を全力で謳歌するつもりだった。

 少なくとも、二度とこんなケンカはしないと誓ったつもりなのだが……


 倒れる二人の男を改めて見ると、いくらなんでもやり過ぎたと思う。


「ま、いっか……」

「ちっともよくないよぉ!」


 突然の大声にびっくりして振り向く。

 零れそうなほど瞳を潤ませたマナがわなわなと震えていた。


 あー、やっぱそうですよね、怒りますよね。

 見学のつもりで連れて来られたのに先輩をぶっ飛ばしたんですもん。

 マナ先輩の面目丸潰れになっちゃいますよね。

 でもこいつらムカついたし仕方ないですよね。


 とにかく、こんな奴らがいるアミティエとかいう組織は気持ちが悪い。

 先輩には悪いが丁重に謝って入るのは遠慮させてもらおう。


 っていうか、これから自分はどうなるんだ?

 ひょっとしたら組織に狙われる立場になるのだろうか。


「はっはっは、お見事お見事。さすがは紅蓮のシンク君だ」


 どこかで聞いた声が頭上から降ってくる。

 見上げると、なんと翼を広げて空に浮いている人間がいた。


 ルシフェルである。

 翼は別に羽ばたいているわけではない。

 そもそもあの大きさの翼で人が空を飛べるわけがない。


 あれも何らかの能力なのだろうか。

 見た目は非常に厨二臭い。


「やっぱ知ってやがったのか」

「勧誘する人間のことはしっかり調べると言ったろう。それにしても見事だ、能力者三人を秒殺とはね」

「能力者なんて言うけど、要は少し変わった武器を持ってるだけの素人だろ。そんな簡単には負けねーよ。ましてや一方的に相手をいたぶることしか知らないようなガキなんかにはな」

「それでいい。君みたいな人間がこれからのアミティエには必要なんだよ。能力の強弱ではなく、本当に強い人間を僕たちは求めているんだ。一緒に街の平和のために戦ってくれないか?」

「だったら格闘技のチャンピオンでも誘えよ。悪いけど、俺はこれ以上の争いごとは――」

「一緒にこの街のへいわのために戦ってくれないかっ!」


 マナがルシフェルの言葉を復唱しながら腕に抱きついてきた。

 ボロボロ泣いているせいで瞳は真っ赤に充血している。


「暴力を振えなんて言わないからっ! クラブ活動気分でいいの! 私たちと一緒に楽しくやろうよ!」

「いや、でも、ここまでやっておいて今更……」


 血の泡を吹いているツヨシ。

 気絶したまま動かない小柄な男。

 地面にへたり込んでガクガク震える女。

 シンクは自分がやってしまった三人組を指さした。


「心配はいらないよ。最近の三人のやり方は目に余るものがあったし、君がやらなければ第三班のリーダーが罰していただろう」

「というわけで、加入ぷりーず! はい、入会届!」


 マナはカバンから一枚の紙を取り出して力いっぱいシンクに押し付けてくる。

 一番上には太文字で『秘密組織アミティエ入会届』と書かれていた。

 その下にはシンクのフルネームと印マーク。


 どうやら見学の後にすぐ加入できるよう用意してくれていたらしい。

 強引だとは思うが、これではマナに対してあまりに申し訳ない。

 泣きながら必死になっている先輩を困らせたくはない。


「はあ……じゃあ、加入させていただきます」

「ほんとっ!?」」

「でもあんまり期待しないでくださいね。俺、本当にこんなことしかできないですから」


 シンクは幾人もの不良たちに恐怖を刻みつけてきた己の右腕を見る。

 力を誇示して虚栄心を満たそうとしていたかつての自分はあの三人と変わりない。


 そんな自分に嫌気がさしたから、中学卒業と同時に家を引っ越した。

 遠くの高校へ通って戦いのない生活を選んだ。

 平穏に生きることを望んだ。


 それはとても退屈な日常。

 たまには刺激が欲しいと思っても、自らの意思でそれを求めるのは躊躇われる。

 けれど、シンクを非日常の戦いに引き込もうとするマナの手はとても温かく、彼の汚れた手を優しく癒すように握り締めてくれる。


「これからよろしくねっ!」


 涙の跡が残る顔に、満面の笑みを浮かべて。

 ……こんな笑顔が見られるなら、少しくらい付き合ってもいいかもしれない。

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