第65話 夜の森の蛍

 夜、陽が落ちてからのアオイさんは普段通りのしゃっきりした姿でリビングに降りてこられました。


 夕方に買い出しに出て、海沿いという事もありお魚を買ってきたので今日は魚料理です。


 スパイスを刷り込んで焼いたり、煮込みにした魚は出汁も聞いていて美味しいです。海の幸ですね。アオイさんも黙って食卓に着き、食べた事のない魚料理を口にします。


 一口食べてからは猛然と食べ始めました。分かります、ばてるのって疲れますよね。


 夕飯を食べ終わった後は、今度はアオイさんとお出かけです。先のスパイスの匂いを覚えてもらい、その原料を探しに森に向かいます。


 大き目の狼の姿になってもらって、私は背中に乗ります。コテージの留守はイグニスさんとシェルさんにお任せです。


「昼間は我らが働いたからの。存分に働いてくるといい」


「私たちは明日の支度をしておきます。日中に行って見つけられるものもあるかもしれませんから」


「お願いします。ではアオイさん、行きましょう」


 がう、と一言吠えたアオイさんが森に向って浜辺を駆けます。ランタンの灯りだけが頼りですが、もともと森に住んでいたアオイさんにとっては夜に駆ける事は何ら支障が無いようでした。


 南国の森は密林というのが相応しい様相です。背の高い肉厚の葉を持つ植物があちこちに生え、ツタが絡んだ木があり、自由に伸びた枝葉がアオイさんの背に伏せていても次々迫っては背後に流れて行きます。


 アオイさんは匂いの元が分かっているかのように森を進みました。目の前にほの明かりに照らされたような場所が見えます。


 辿り着いたところでアオイさんが脚を止めました。明るいと思ったのは、そこだけ背の高い植物が無い開けた場所だったからでしょう。白いはなびらに黄色のおしべとめしべを持った植物が群生していました。


「匂いが近いのはこの植物だ。ただ、この匂いは昼の三つのスパイスのどれとも違う。ただ、ここには虫がいないだろう?」


 確かに、ここに虫はいません。虫というか、蚊はいません。


 前世の記憶と照らし合わせても、虫が嫌う匂いの花はこういった形状だったように思います。菊科の植物です。これをもとに蚊取り線香を作ったというのをテレビで見ました。


 私はアオイさんの背から降りると、2本だけ根から掘り出してバスケットに収納しました。自分の家で栽培してみる所からはじめようと思います。


 これがはたして本当に蚊に効果があるかは……やってみなければわかりませんね。【調薬】の魔法でも、やはり虫よけは薬効として数えられていないので解析できません。


「馬に鑑定してもらえばいいんじゃないか?」


「あっ!」


 そういえば、シェルさんは【鑑定】が使えるのでした。その手がありましたね……。


 とりあえず一ヶ月の予定で来ましたが、かなり早々に色々と収穫がありました。


(もう帰るのも……もったいないような)


 花畑の中でちょっとしょぼくれていると、目の前で黄色い光が点滅しました。


 おや、と思って顔を上げると、あちこちで黄色の優しい光が点滅しています。


「蛍……!」


「水場が近いからな。行ってみるか?」


「はい!」


 アオイさんは今度は走りませんでした。足元の花をつぶさないように、器用に四つ足を操って開けた場所の奥へと進んでいきます。


 だんだんと小川が見えてきました。たくさんの点滅する黄色の光。


 小川には満天の星空が映りこみ、幻想的な雰囲気です。


「わぁ……」


「綺麗だな」


 私がアオイさんから降りると、アオイさんは人型になりました。


 一緒に眼前の美しい景色を並んで暫く眺めていると、膝裏から腕に座らせるように抱き上げられます。


「わ……?!」


「見て観ろ、星が川の上を舞っているようだ」


 アオイさんの首に捕まりながら、恐る恐る足元の小川を眺めると、確かに蛍の光が星空の中を舞っていてより幻想的に見えます。


 視点が高くなったのをいいことに、安心感のある腕に任せて私は片手を空に伸ばしました。掌の上を、いくつもの光がゆったりと点滅しながら流れていきます。


「綺麗ですねぇ……」


 それしか言葉が出てこなくなるほどに。


「この虫はこの花の匂いを嫌わないようだ。虫によって嫌う匂い、嫌わない匂いがあるのだろう。避けたい虫を採集していって実験してみたらどうだ?」


 アオイさんはどこまでも冷静です。


 花は虫に花粉を運んでもらう事で受粉します。この花の匂いが蚊にだけ嫌われるのだとしたら、防虫剤にもってこいです。かといってこの花が原料だと現地の人に知られたらこの虫が蜜を吸えなくなります。難しい所です。


 課題はいっぱいあるのだ、とアオイさんの言葉で思いました。


「なかなか難しい依頼を受けてしまったかもしれません」


「いいじゃないか。長い時間を生きるのは、それだけ難しい事の方がやりがいがある」


 自分よりもずっと長い時間を生きて来た人にそう言われると、納得するしかありません。


 きっちり一ヶ月、この国の植生を調べ、虫も調べ、できるなら実験ができるように準備万端で帰らなければなりませんね。


 今すぐじゃなくとも、人の役に立てるように。それが私が悪役令嬢をやってしまった罪滅ぼしのように思います。


 星空はいつまでも煌いていました。

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