第44話 犬の様子がおかしいようです
イグニスさんとのちょっとした温泉旅行を終えた私は、家に帰るとすぐに祈りの間へ行きました。神様にキマイラの冥福を祈るためです。イグニスさんとは縄張り争いをして負けた訳ですが、悪い幻獣種という訳ではなかったので……これは人間の気休めですね。
その後調薬室に向かい、薬棚の中に今回採取した物をいれます。毒袋は兎の皮で作ってもらった革袋に入れてあります。他にも、【創造】で作った瓶に温泉を汲んできたものなんかもしまいました。
さて、その間ずーっと私の背中に張り付いている方がいらっしゃいました。
「アオイさん?」
「どうした?」
どうしたもこうしたもないですよ。人型のままずーっと、ずーーっと背中から抱きしめられてるんですよこっちは。たまに頭に擦り寄られたり匂いを嗅がれたりと、やってる事はアニマルですけど大変心臓に悪いです。
がっしりとした腕は私を離す気が無いようです。どうしたものでしょうか。
「あの、……下に行って一緒にお茶にしませんか?」
「……する」
こうして私はアオイさんを背負ったまま階下に降りました。私にひっついているアオイさんを見てシェルさんとブルーは訳知り顔でスルーしてお茶の支度をしてくれます。
部屋の中に篭っているよりはいいだろうとウッドデッキのソファに腰かけると、アオイさんも隣に腰掛け、私の腰を抱いて肩に頭を乗せて甘えています。どうした気高きフェンリル。
そこに、ブルーの紅茶とシェルさん特製のプチタルトが沢山運ばれてきました。私は嬉々としてタルトに手を伸ばします。……なぜ私が半分かじったフルーツタルトを見ながらアオイさんは口を開けているんでしょうか?
その意図を察せない私ではないので、半分になったプチタルトをアオイさんの口に持っていきます。もちろんアオイさんは一口でそれを咀嚼しました。
次に手に取ったのはチョコレートタルトです。街でしか手に入らないだろうに、よくチョコレートをゲットしてきたものです。シェルさん、さてはたまに街に行ってますね? と、思いながらも喜んでそれも半分食べました。
すると、アオイさんもまた口を開けて待っています。が、これはチョコレート。犬にあげてはいけないものです。フェンリルならどうか分かりませんが念のため。
「これはアオイさんが食べちゃいけないものですよ」
「そうなのか……」
「また次フルーツのを食べますから」
「わかった」
そうしてチョコレートタルトを食べてお茶で流し込みます。どちらも美味しくて頰が落ちそうです。
幸せそうに飲み食いしている私を、アオイさんはじっと眺めています。腰に回った腕が両腕になり、あれよあれよという間にアオイさんの膝の上に横抱きに座らされました。どうしたんだ犬。
「アオイさん、あの、さすがにくっつきすぎでは……」
「いつもこんなものだろう」
まぁ犬の姿の時はずっと足元にひっつかれて居ましたけど。もふもふで気持ちよかったですけど。
人型でこれは少々アウトの香りがしますね〜〜?
私はアオイさんの顔を見上げると、ばちっと視線が合ってしまいました。その瞳がどこか悲しそうに見えて、私は抗議の声を飲み込み、代わりに片手で頭をよしよしと撫でました。
「どこにも行きませんよ。偶にはお出掛けくらいはしますけど、アオイさんの所に帰ってきます、必ず」
「……」
「だからこんなに引っ付いてなくても大丈夫ですよ」
アオイさんは何が言いたげに口を開きかけ、うまく言葉にならず、代わりに私をしっかりと抱き締めました。私も背中に腕を回して抱きしめます。
「人型でないと、マリーを抱きとめておけない」
「さっきも言いましたけど、ちょっと出掛けてもすぐに帰ってきますよ?」
「……クズハは何も言わずに居なくなった」
「私は大丈夫です。ここしか帰る場所はありません」
「クズハはいい。あれには家族がいた、今も昔も。……俺はマリーの家族でいたい」
クズハさんへ向けていたのは庇護欲だというのは話を聞いていればわかります。しかし、どうやら私には違う感情のようです。
その感情が何というのかは分かりませんが、居なくなられるのが本当に嫌だという事はよく分かりました。
背中に回した腕でよしよしと撫でます。ここにいる、というのをきっと実感したいのでしょう。
「抱き締めていなくても、ちゃんと居ますよ。お出掛けはしますけどね、必ず帰ってきます」
頭を抱き込んで優しく告げます。
まさかこんなに甘えただとは思っていませんでした。でも、そうですね、一度置き去りにされている訳ですから不安にもなりますよね。
私はここにいますよ、というのを分かってもらうまで、丸一日かかりました。
次の日のアオイさんはまた大きめの犬サイズで私の足元に寝転んでいました。ちょっとだけもふもふの当たり具合が近くなった気がしますが……抱き締めていなくても大丈夫だと分かってくれたようで何よりです。
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