第四十六節 帰還の二人
王弟が亡くなった日の夜、妃立会いの下、葬儀が行われた。臣下たちは、王弟の心が拝火教から離れていることに気付いていたが、妃が頑として聞き入れず、寧ろそのような事を言った臣下を切り捨てさせようとしたので、拝火教の教えに乗っ取り、鳥葬になったという。王弟の愛馬の青駒は、主人の死を悼むかのように、遺体を横たえる『沈黙の塔』の傍から離れなかったらしい。当然の様に、イシュに立会いの許可は無かった。
それから四日後、国王が遠征から帰って来た。妃の配慮というか目論見というか、その日の朝、軟禁は解かれ、自分の部屋に帰された。すれ違った時の、妃の吐き気を催すような笑みが忘れられない。離宮の皹割れ一つ何も直していないのだ。父である国王が確実に殺してくれると確信しているのだろう。妃にとって、自業自得とはいえどもイシャは王弟の仇だ。何としてでも抹殺したいのだろう。
イシュにとっては、イシャが燃え尽きた時点で、もう終わったようなものだ。聖霊との繋がりが潰えたのだから。今更何を恐れる事も無い。ただイシャが守り通そうとしたメシアの教えを答えればいい。
国王の怒りを買おうと何だろうと、もう構わない。イシュは死んだ。イシャが己の信仰を疑い、王弟の死を受け入れられず、聖霊を呪い、その火に焼き尽くされた時に。
「閣下、国王陛下からのご命令です。」
双子の密偵の兄の方が、沈んだ面持ちでやって来た。それだけで分かる。国王がどのような反応をしたのか。イシュは少年に心配させまいと、精一杯の笑顔で答えたが、少年は泣き出してしまった。
「どうかお赦しを、閣下。ぼく達の不注意で…っ。」
「もう泣くのはお止め。大丈夫、私はこの日を恐れたりしていないのだから。」
「仮令閣下の命尽きるとも、臣民たちは閣下のお慈悲を忘れません。永久に語り継がれて行くでしょう。」
少年に連れられて、国王の前に進み出る。二年前と比べると傷も増えたし、心成しか筋肉も付いた気がする。否、怒りで浮き上がっているのだろうか。
「おお、イシュよ、健悟であったか。」
「………。」
イシュは何も答えたくなかった。否、答えられなかった。舌が与えられていない。国王は玉座から立ち上がり、壁の皹をなぞった。近くに居る近衛兵が、硬直しながら冷や汗を流し、真っ青になっている。
「先ほど予算を見てきたが、少々残ったようであったな。」
「はい。」
「ではそろそろ、余を新しい宮殿に連れて行っておくれ。娘も一緒に。」
「はい。」
イシュは二人を、宮殿の最上階に連れてきた。そこからは、パルティアの全てが見渡せる。灼熱の太陽に照らされているにも関わらず、イシュの心は冷めて凍り付いている。
パルティアは二年前の面影も無く、一面に家が立ち並び、その家々から生活の証として煙や子供の出入りが見えた。妃は宮殿を造っていないことは知っていたが、この光景の意味が分からないようだった。
「これが、『この世で最も尊く美しく、高貴な宮殿』にございます、国王陛下。」
すると国王は、さっと腰の剣を抜き、イシュの顎を剣先で持ち上げた。
「良い良い、中々面白い冗談を言うようになったではないか。それで、余は一体どこに寝て、どこで食し、どこで政務を行うのだ?」
「今までとお変わりございません。頂いた予算を使い、この国の乏しい者達に仕事を与え、この国には乞食がいなくなりました。これは国王陛下の徳として、天に国王陛下の為の宮殿が
すると、国王は剣先を動かし、イシュの喉仏の少し上を軽く切り裂いた。
「イシュよ、余は気が短い。もう一度言おう。余の寝食を行う宮殿はどこだ。」
「この宮殿にございます。国王陛下より賜った予算で、国王陛下は誰よりも尊く美しく、高貴な宮殿を天にて手に入れることが出来たのでございます。」
二人は顔を見合わせ、国王は剣でイシュの頬を張り飛ばした。頬が切れたが、そんなことはどうでもいい。
「この虚け者め! 餞民と貴族の区別すらつかぬとは!」
「国王陛下、この者はそれだけでなく、わたくしの夫を
「…何? 我が弟はこの者に殺されただと!?」
見る見るうちに国王の顔が歪んでいく。知らなかった訳ではないだろう。恐らくイシャと同じく、王弟の死を受け入れられずに悲しんでいたに違いない。だが妃に、娘によってその怒りの矛先を与えられ、国王の中に確かな殺意が湧いたのだろう。
「真か! 近衛兵!」
イシュは何も言わなかったし、何も考えなかった。だが妃は、ぎろりと辺りの近衛兵を睨みつけ、興奮した国王の後ろへ姿を隠す。まるで国王の権力と怒りを強調するかのように。
「その通りでございます。」
誰か一人が、そう言った。近衛兵達の中には、イシャの話を聞いていた者も何人かいる。しかし彼等は互いに顔を見合わせる事も無く、大声で叫びだした。
「この大工は、王弟殿下が毒矢を射られた時に傍に居ました!」
「王弟殿下はこの大工に外へ連れ出されたのでございます!」
「王弟殿下の御好意を利用し臣民を惑わしました!」
「死刑を!」
「死刑を求刑致します!」
「同じく!」
「同じく!」
ああ、これが。
これがメシアの受けた苦しみなのか。愛した者に裏切られ、身命賭して真心を尽くした者に裏切られ、友は皆いなくなり頭を振って侮辱し。これがあの時、イシュが逃げた時の、メシアの受難なのだ。
その受難を受けて死ねるのであれば、これ程にまで恵まれた死は無い。イシュは睨みつけてくる妃に微笑んだ。
「私の首は、国王陛下、貴方様の采配に寄って良いと、私の真の主が申されておりますので、どうぞそのお心の通りにしてくださいませ。」
「不埒者! そんな下賤な眼でわたくしを見るなんて! 国王陛下! 餞民共の眼を覚まさせるために、公開処刑するべきです!」
ここまで再現されると、いっそ清々しい。
そこから先は断片的にしか覚えていない。近衛兵達はまるで巨人の様にイシュの周りに集い、強盗でも捕まえるかのように厳重に縛り上げて宮殿から町へ突き出した。老いた馬に跨らせ、無理矢理馬を歩かせれば、馬が鞭を嫌がり
「待てー!」
その時、小さな子供の声が聞こえた。ハッと顔を上げると、目の前で、あの乞食だった少年が両手を伸ばして通せん坊をしていた。
「親方をどこに連れて行く気だー!」
「退きなさいッ!!」
近衛兵が槍を構えるより早く、イシュが怒鳴りつけると、少年はビクリとして泣きそうになった。イシュは微笑みかけ、言った。
「これからは、君が親方だ。頑張るんだよ。だからそこを退きなさい。これは私の最後の仕事だから。」
イシュがそう言うと、少年は泣きながら群衆の中に戻って行った。
その内民衆は、後から優雅に付いてくる国王と妃を賛美し始め、その二人が殺そうとしているイシュを侮辱するようになった。処刑場らしい広場に来た時には、怨嗟が渦巻き、天へ昇って行く。まるで古代の愚かな塔の様に。ただ、古代の塔と違うのは、その言語は一つに
馬から下ろされ、国王の前に
「殺せ!!」
「殺せ!!」
「殺せ!!」
意味も分からず群衆は叫ぶ。国王はそれを手で制した。静かになった辺りに、死を
「裁きを!!」
イシュは眼を見開いて天を仰いだ。
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