第14話 聖女vs聖騎士

 【聖騎士】。それは断罪教の保有する最高戦力の呼び名だ。数多いる断罪官の中で、単純な戦闘力の高さによってのみ選ばれた十二名に与えられる称号だ。男でも女でも、性格が破綻していても関係ない。他者を圧倒する強さ。それだけが求められるのだ。その強さは【聖女】にも匹敵すると言われている。

 そしてレインの相対している男はダレン・スタンダル。その聖騎士の第七席を任せられている男だった。


「くっそ、ついてねぇ」


 ダレンの姿を見てレインは思わず舌打ちする。ただ断罪官に出くわすだけでも最悪なのに、よりにもよってその最高峰である聖騎士と出会ってしまったのだ。自分の不運さを呪わずにはいられなかった。

 聖騎士などレインでは逆立ちしても叶う相手ではない。しかしだからといってこの子供を渡すわけにもいかない。そんなことをすればダレンは一瞬の迷いもなく子供のことを殺すだろう。断罪という名目で。そんなことを認めるわけにはいかなかった。


「ほう。俺のことを知っているのか」

「あんたはもうちょっと有名人だって自覚もった方がいいな」

「俗世には興味がない。それよりもこれが最後通告だ。死にたくなければそいつを置いて消えろ」

「さっき同罪だとか言って攻撃してきたのはどこのどいつだよ。答えはノーだ。お前の言うことなんか聞くわけないだろ」

「わからんな……なぜ拒む。俺と貴様の力の差はわかっているはずだ。たとえどれほど足掻いたとしても結果は変わらんぞ。そいつは死ぬ。俺が殺す。咎人は一人たりとて生かしておかん」

「こいつはまだ咎人じゃない」


 そうレインの言う通り、子供はまだ咎人になってはいなかった。魔物を生み出すほどの罪に呑まれていたわけではなかった。もちろん、このままでは時間の問題だ。そう遠くないうちにこの子供は罪に呑まれ、魔物を生み出す咎人へと堕ちるだろう。しかし今ならまだ間に合う。ユースティアの力があればこの子供の罪を浄化することができるはずなのだ。


「時間の問題だろう。危険の芽は早めに摘んでおくものだ。悪・即・断。それが俺の信条だ」


 しかしダレンの態度もまた頑なだった。己の信条に従って生きるダレンをレインの言葉で説得することはできそうにもなかった。そうなればその先に待つのはレインとダレンによる闘争だ。

 子供を後ろに下げ、レインは腰の剣に手を伸ばそうとする。それを見たダレンが目を細める。


「やめておけ」

「っ!」

「その剣に貴様が手をかけた瞬間、俺は一切の容赦はしないぞ」


 ダレンの放つ威圧感に、離れているのにレインは喉を絞められているような感覚を味わう。ここで逃げても誰もレインのことを責めないだろう。相手は聖騎士で、レインはただの贖罪官だ。特に戦いに秀でているわけでもない。しかし、それでもレインは逃げることを選択しなかった。ここで逃げ出せばユースティアが怒ることがわかっていたから。そっちの方がレインはよっぽど耐え難かった。


「上等だ」


 レインはダレンの忠告を無視して剣に手をかけ抜き放つ。その刹那だった。


「俺は一度忠告したぞ」


 パキン、とあっけなく折れるレインの剣。レインの握っている剣には柄しか残っていなかった。レインは一瞬たりとてダレンから目を離していなかった。その挙動を見逃すまいと意識を集中していた。それでも、起こりすら見ることができなかった。

 気付けばダレンはレインの背後に居て、剣を振り切っていた。わかっていたはずの力の差。しかしこうしてそれを見せつけられると反応すらできない。

 レインではダレンと勝負することすらできなかった。それが突きつけられた現実だ。


「死ね」

「ま、待ってください!」


 ダレンが剣を振り上げたその時、ダレンと一緒にいたもう一人の少女がダレンを制しする。


「なんだ」

「わ、私達の目的は咎人の断罪です! 彼を殺す必要はないはずです!」

「この男は私の断罪執行の邪魔をした。それは許されざる行為だ。殺されても文句は言えない。それに俺はこの男に逃げるチャンスを与えた。それをふいしたのはこいつ自身だ」

「っ、だ、だとしても——」

「くどい。貴様の問答に付き合うつもりは無い。俺の邪魔をしたこの男はここで殺す。それだけだ」


 もはや話すことは無いと、ダレンは少女から視線を外しレインのことを冷酷な瞳で見つめる。何を考えているのか読めない瞳。レインにわかったのはこのままでは殺されるということだけだった。

 それでもレインはダレンから目を逸らすことはしなかった。たとえ勝負にならないほど徹底的に負けていたとしても、心まで屈するわけにはいかなかったからだ。


「貴様の間違いは俺の邪魔をしたことだ。せいぜいあの世で悔いるんだな」

「はっ、あんたにとって間違いだったってことは俺にとって正解だったってことだな」


 ダレンが再び剣を構える。その剣はレインの命を奪う輝きを宿していた。最早逃げることは叶わない。迫りくる死がレインのこれまでの人生を呼び起こす。


(はは。これが走馬灯ってやつなのか)


 様々なことが脳裏を駆け巡るなかで、レインが最後に思い浮かべたのはユースティアの姿だった。


(あいつきっと……怒るんだろうな)


 従者として共にいると約束したにも関わらず、その約束を果たせそうにないことだけがレインの心に僅かな後悔として残る。

 ダレンの剣が振り下ろされるのが見える。避けようのない一撃がレインの命を刈り取る——その直前のことだった。


「っ!!」


 ズガンッズパンッと二発の銃声が鳴り響く。いち早く危険を察知したダレンは剣を止めてその場から飛び退く。その次の瞬間にダレンの立っていた場所に銃弾が二発撃ち込まれる。


「私がいない間に……随分とおかしな状況になっていますね」

「誰だ貴様……」


 銃声のした方に視線を向けるダレンとレイン。そこに立っていたのはユースティアだった。ダレンは突如現れた邪魔者の存在に警戒を示した。


「私の名前はユースティア。贖罪教の聖女です」


 ユースティアは変装のために被っていた帽子を脱ぎ、その素顔を露にする。


「聖女だと」

「そこの彼は私の従者なのですが……あなたは今、何をしようとしていましたか」


 瀑布のような魔力がユースティアの体からあふれ出す。ユースティアは怒っていた。自分の感情を、魔力を制御できないほどに。レインを殺そうとした『敵』を見据えていた。

 しかし対するダレンもそれに怖気づくようなことはなかった。ユースティアから放たれる覇気に一瞬目を見開いたが、それだけだ。すぐに冷静さを取り戻した。


「俺は俺の邪魔をした男を殺そうとしただけだ。それがまさか聖女の従者だったとはな。贖罪教というのはつくづく邪魔者らしいな」

「それはこちらの台詞です。断罪教というのは殺す殺さないでしかものを見れない野蛮人なのですね」

「ほざけ。貴様も俺の邪魔をするというのなら断罪対象だ。贖罪教の聖女だからと言ってあまり調子に乗るなよ」

「言葉が逆では? 私達があなたの邪魔をしたのではなく、あなたが私達の邪魔をしているんです。今ならまだ見逃してあげますから。どうぞお逃げください」

「…………」

「…………」


 睨み合う二人。周囲にいた人々は本能的恐怖を感じ取ってか、その場から蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。そうしてあっという間に閑散とした道路へと変貌する。

 静かに剣を構えるダレン。ユースティアもまた剣と銃を構える。


「起きなさい【罪姫アトメント】」

「それが聖女の……」

「えぇ。名は【失楽聖女ブラックマリア】。剣と銃で一対の私専用の武器です」


 純白の剣と漆黒の銃。二つ合わせて一つの武器。それがユースティアの【罪姫】だった。


「いいだろう。やってやる」


 姿勢を低くし、足に力を込めて一気に駆けるダレン。魔力を使用することでスタートダッシュから最高速を出すことを可能にしている。レインの背後に一瞬で移動した時にも使った方法だった。一瞬で距離を詰め、目にも止まらぬ速さで斬る。それこそがダレンの戦い方の一つだった。

 今回も同じようにユースティアとの距離を一瞬で詰め、斬るつもりだった。しかし、ダレンが剣を振り上げた時そこにユースティアはいなかった。


「なにっ」

「外れです」


 背後から感じた冷たい殺気にダレンは反射的に振り返り剣を振る。だが剣は空を切るだけだった。ユースティアはすでにダレンの剣の間合いから外れた場所に移動していた。


「ずいぶんとゆっくり動きますね。手加減してくれてるんですか?」

「貴様……」

「女性に対するハンデのつもりでしょうか。それとも年長者の余裕ですか? なんであれ手加減はいりませんよ。ちゃんと殺す気で来てください。じゃないと——」

「——っ!」

「殺しますよ」


 その声はダレンの耳元で聞こえた。ダレンの正面にいたはずのユースティアが瞬きほどの間にダレンの横まで移動したのだ。とっさに魔力で身体強化を施すダレン。その直後にユースティアの蹴りがダレンを襲う。魔力で強化し、防御の準備をしたにもかかわらずユースティアの一撃はダレンの体深くにまで突き刺さった。


「がはっ! 貴様……何をした」

「何って……ただ蹴っただけですよ。何も特別なことはしていません」

「蹴っただけ……か。なるほどこれが聖女の力。確かに少し侮りすぎていたようだ。ならば俺ももう少し本気を出そう」


 そう言ってダレンは剣を構える……のではなく、逆に構えを解く。ただ立っているだけのその姿。隙だらけにも見えるその姿勢だが、ユースティアは攻撃を仕掛けることができなかった。


(さっきまでよりも隙が無くなってる……本気出してなかったのは本当なのか)


「行くぞ」

「っ!」


 地を蹴ってユースティアに向けて走るダレン。その動きは先ほどとは比べ物にならないほどに速い。上段から振り下ろされた剣を受け止めるユースティア。しかし膂力ではダレンの方が勝っている。ユースティアは左手に持った銃を構え、引き金を引く。超至近距離での発砲。普通ならば避けられるはずもないが、ダレンはそれに反応してみせた。バックステップで距離を取り、手に持った剣で銃弾を斬り落とす。ユースティアはなおも手をとめず、二度三度と撃つが結果は同じだった。

 銃弾を剣で斬るという神業にさすがのユースティアも驚きを隠せない。


「はぁっ!」


 銃弾のお返しだと言わんばかりにダレンが衝撃波を飛ばしてくる。ユースティアは横に跳ぶことでそれを回避したが、結局は仕切り直す形になってしまう。


(ダレン・スタンダルか……思ったよりできる。でも、だからこそ惜しい)


「……なんのつもりだ」


 ユースティアが構えを解いたのをみてダレンが静かに問いかける。


「そろそろ終わらせようかと思いまして」

「終わらせるだと?」

「えぇ。【失楽聖女】の力の一端を見せてあげます。行きますよ」


 そしてユースティアは地を蹴り——世界を置き去りにした。

 全てがゆっくりになった世界で、ユースティアだけが加速し続ける。


「——『血鴉銃奏ブラッディレイヴン』」


 ダレンに銃口を向けたユースティアが小さく呟き引き金を引く。そして全方位からダレンに襲い掛かる無数に銃弾。これにはさすがのダレンも対応しきれない。右の銃弾を斬れば左が、上の銃弾を斬れば下から。銃弾は血肉を求める鴉のようにダレンに襲い掛かり続けた。

 腕を、足を、肩を、様々な所を撃ち抜かれたダレンはその場に膝をつく。


「ぐっ、うっ……」

「終わりです」


 地に膝をついたダレンの額に銃口を突きつけるユースティア。


「動かないでください。もし僅かでも指を動かせば引き金を引きます」

「そのようだな」

「あらためて言います。ここで引くと言うのであれば、見逃します。ですが、もしまだやると言うのでああれば……」


 ユースティアの引き金にかけた指に僅かに力がこもる。もしダレンが少しでも妙な動きを見せたら躊躇なく引き金を引くであろうことはこの場にいる誰もがわかっていた。


「誇りのために命を捨てますか」

「……いいだろう」


 僅かな沈黙の後、絞り出すような声でダレンが言う。


「今回は引いてやる。だが、後悔するなよ。罪を犯したものは一度救済されようが変わらない。俺は、お前達贖罪教の救済を認めない。咎人も魔人も、この世から一人残らず駆逐する」


 そう言って立ち上がったダレンは血を流しながら、それでもしっかりとした足取りで立ち去っていく。


「行くぞ」

「あ、は、はい!」


 ダレンの後についていく少女。彼女は一瞬だけレインに視線を向けて、何かを言おうとしたがそれが言葉になることはなく。そのまま何も言わずにダレンと共に去っていくのだった。

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