第三章 竜の半身

第40話 彼女を呼ぶ声



 ――それは、アンドレアが守護聖獣と正式に契約を交わし、聖女となってから三日目のこと……。


 その日は何故か、朝起きた時から落ち着かなかった。


 胸の辺りがポッと火がともったかのように温かく感じて嬉しかったり、かと思えば何かが欠けているような気がして不安に襲われたりと、常になくざわついていたのだ。


 思い当たる理由もなく、そんな自分に戸惑う。貴族令嬢として育てられたアンドレアは、長年の王子妃教育も相まって感情の抑制には長けていたはずなのに、コントロールが効かなくなっている。



「……この気持ちは一体、何なのかしら。何故、こんなにも胸がドキドキするの?」



 時間が経つにつれ、次第にその相反するような感覚と、自分以外の何かに呼びかけられているような気配を強く感じ、益々混乱してきた。




 それでも何とか書類で溢れかえる神竜の執務室で、忙しく手を動かしていたのだが、胸に溢れる感情の昂りに居ても立っても居られなくなってきた、その時……。



『……』



「え?」



 必死に何かを渇望するような……魂を揺さぶるようなが、響く。


 近くにいたラグナディーンや水の精霊達には聞こえなかったようで、揃って不思議そうに首を傾げられたけれども……それは確かに聞こえたのだ。



『……キテ』



「……っ!? 今の声?」


「どうした?」


「あの、今、何かに『キテ』と、呼ばれたような……?」


「はて? 妾には何も聞こえなんだが……その声は確かにそう言うておったかの?」


「は、はい。か細い声でしたが。ハッキリとそこだけ聞き取れましたわ」


「そなたにだけ聞こえる声、か」


「……あっ!?」


 言われてみればそれは、耳から音として捉えられるようなものではなかった。


 傍に来て欲しいと切望するような呼びかけが、直接頭の中に響いて来るような……そんな伝わり方だったのだろう。


 不思議な現象に先程より強く、胸がドキドキしてくる。思わず胸に手を添えて、落ち着こうとぎゅっと押さえた。



『コッチニ、キテ……』



「……あっ、また同じ声が響きましたわ……『コッチニ、キテ』と」


「ふむ。成る程のう……では、行かねばならぬ」


 その言葉を疑うことなく信じ、納得したように頷く神竜。彼女にはもう、その声が誰のものか見当がついているようだった。


 アンドレアにはさっぱり分かず、戸惑う。二度も聞こえたのだ……勘違いと言う事もないと思うが、やはりこれは自分を呼んでいると思っていいのだろうか。心当たりはないが。


「え……ど、どこにですの?」


「繭のある場所へ」


「……まさかっ!?」


「ホホホッ、そのまさかじゃ。妾も驚いたわ」


 呼んでいたのは、幼竜だったと言うのか!?


「覚醒が近いのであろう」


 そう言って立ち上がると、控えていた水の精霊達に自分とアンドレアを幼竜達の元まで運ぶようにと指示を出す。




「ラグナディーン様。わたくしにだけ御子様のお声が聞こえるということがあり得ますのでしょうか?」


 声の主が、待ち望んでいた幼竜たちの孵化に結びつくとは……目覚めが近いために聞こえてきたのだろうか。


 あまりの展開に追いつけず、唖然としていたアンドレアは、不敬だと思いながらも思わず確認してしまう。


 確かに、今朝からずっと高ぶる感情を持て余し、先程ついに頭の中にハッキリと言葉として紡がれたのだが、親であり同族である神竜や、眷属である水の精霊達にも聞こえない声が、人族の自分にだけ聞こえるとは信じられない。


「ホホホッ。答えを教えるのは容易いが……まあ行ってからのお楽しみじゃ」


 見るからに上機嫌の神竜は、今ここで教えてくれる気はないらしい。


 楽しげに急かされて、幼竜たちのいる部屋へと連れ立って向かうことになったのだった。







 人族には大きすぎる神殿内を水の精霊達に抱きかかえられて超特急で空中移動し、あっという間に休眠中の彼らの部屋へ着いた。


 誕生の瞬間に間に合うようにと急いで飛んでくれたのだろうが、あまりの早さに目が回り、降ろされた時には胃の中がひっくり返りそうになった。




 だが、目の前に繰り広げられている神秘的な光景に、それどころではなくなる。


「まぁっ、光ってますわ!」


 空中に浮かぶ、五つの繭……。


 その中の一つが、部屋の外には漏れない程度の光を纏っていた。よく見ると、内側から薄い白光を放っているようだ。


「ふむ。 これは一の君の繭……目覚めに間に合うたようじゃの」


「はい……」


 聞こえた声は一つだけ……間違いないようだ。


 成竜になる貴重な瞬間をこんなに間近で見れる機会など、もう二度とないだろう。無防備な状態の休眠期には親竜の警戒心はよりいっそう強くなり、本来は近づくことなど出来ないのだから。


 この場に招かれているということは、敬愛する守護聖獣から信頼を得ているということ。


 初代王の血を僅かに引くものとして、この瞬間に立ち会えることは涙が出る程に嬉しい。全身が震えだしそうだった。





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