第9話:閉店

「本日もお疲れ様でした。」


 午前6時、胡蝶が暖簾を下ろす時間。1日の終わりだ。 


 寝ぼけ眼のお客様を嬢達が叩き起きし、お帰り頂く。あまりにも早朝過ぎると客からは文句を言われたりもするが、それは仕方ない。嬢達は大事な「商品」。無理をさせるわけにはいかない。早めに解放してしっかりと体を休めてもらわなければ。娼婦なんて体が資本の仕事だ。


「少しトラブルがありましたが、今日も無事終わりました。皆さんいつもありがとうございます。」


 俺は嬢達を待合室に集め、労いの言葉をかける。


 胡蝶では朝礼だけでなく、終礼もこうして習慣化している。その日あった事の共有もそうだが、俺が嬢達の健康状態を確認する為だ。先も言ったように、無理をさせるわけにはいかない。少しでも疲れが見える嬢には休みを与え、休ませるようにしている。


 とりあえず今日のところは大丈夫そうだ。全員疲れている様子もなければ、悩んでいる様子もない。


「私からは以上です。皆さんは何かありますか?特に無いなら終わりにしますが・・・うん、無さそうですね。それでは皆さん、お疲れ様でした。気を付けてお帰りください。」


 俺は早々に話を締める。何も報告がないならそれでいい。だらだらやっても仕方ないし、何もない日はこうして数分で終わらせるようにしている。まあ胡蝶は大抵平和なので、いつもこんな感じだが。


 しかしうちの嬢達は本当に何一つ文句を言わない。大変な仕事なのに、俺に八つ当たりとか絶対してこない。俺を困らせない為なのだろうか・・・。しかも最近は相談に乗る事もめっきりなくなってしまった。まあ嬢達が悩んでないのが一番なのでいい事ではあるのだが、少し寂しい。


 胡蝶で働き始めた当初はこんな女性ばかりの職場でやっていけるのかと不安だったが、今となってはこんなにいい職場はないと思えるほどだ。あの気まずい待機時間を除けば、ある意味超絶ホワイトで素晴らしい職場だと言える。


「あら、そう言えば主さん。昨夜胡蝶へ来るときに他館のおなごから誘われていたでありんすね?その報告もちゃんとわっちらにしておくんなんし。」


 ヨギリが楽しそうに余計な茶々をいれてきた。


 うん、最高の職場というのは俺の勘違いだ。言い直そう。ヨギリやコハルのこういう弄りのせいで最低の職場だ。彼女達は隙あらば俺で遊ぼうとしてくる。


 まあ懐かれている証拠だとは思うが、毎度毎度俺を困らせて楽しもうとするのはやめて欲しいものだ。


「あらそうなんですの?ふふ・・・それはいけませんわね。ハルさん、どこの娼館の方でしたの?」


 コハルが話に入ってくる。


「覚えてません。覚えててもそんな人を殺しそうな目をしているコハルさんには教えません。」

「まぁ・・・ハルさんはいけずですわ・・・。」


 オヨヨとドレスの袖で顔を隠し、わざとらしく嘘泣きを始めるコハル。


「主さん、おなごを泣かすのは感心せんでありんす。」


 ああもうめんどくさい。それにこの2人に勝てる気がしない。俺は早々に白旗を上げる事にする。


「すいません、そろそろ許してください。」

「あら、つまらないですわ・・・でもまあ可哀そうなので許してあげましょう。」


 やはり嘘泣きだったか。くすくすと笑うコハルを見てどっと疲れを感じる。


「でも主さんの事を知らずに声をかけるなんて新参者でござりんせん?この街で主さんを知らぬなんて考えられないでありんす。」


 確かにヨギリの言う通り、あの娼婦はこの街に来て間もないのだろう。だがそれは決して俺が有名だからとかではない。この歓楽街で働く者同士、大体面識があるのが普通だからだ。この街に来て最初にすること、それは誰が歓楽街の関係者か、頭に叩き込むとこから始まる。


 そんな事をする理由は色々あるが、一番はこの歓楽街の暗黙の掟を破らない為だ。その一つに、娼婦が他館の関係者を誘惑してはならないというのがある。そしてその逆もしかり。例えば、俺が他の娼館の嬢を買うのはご法度。買うなら自分ところの嬢を買え。勿論国の法律的には何ら問題ない。だが余計な娼館同士のトラブルを避ける為、そう言った歓楽街特有の「決まり事」がいくつもあるのだ。


 余計な争いは避けられるのであれば避けるべき。ややこしくなるような事はしない。そう言う事だ。


 俺も歓楽街に来た当初はそういったルールがあるとは知らず、大変だったのを覚えている。だから昨夜俺に声をかけてきた娼婦を告げ口しようとは思わない。最初は誰だってわからない事だらけ。それに俺はただの従業員。歓楽街の関係者とはいえ、経営者でもなんでもないただの下っ端。


「私なんて所詮胡蝶の従業員です。知らなくても仕方ないでしょう。私を知らないせいであの子のような新人娼婦がお叱りを受けるのはさすがに可哀そうです。だから今回は見逃してあげましょう。」


 今物凄くいい事を言った気がするぞ。これはきっと嬢達も褒めてくれるに違いない。俺はそんな淡い期待を胸に抱き、嬢達を見渡す。


「はぁ・・・ハルさんはこれだからダメなんですわ。」


 一瞬で俺の期待を蹴散らすコハル。褒められるどころか、駄目出しをされた。しかも深い溜息まで吐かれた。


「そ、そこまで言わなくてもいいじゃないですか・・・。」


 だが他の嬢達も心底呆れたような表情を浮かべている。ヨギリとアマネに至っては、なんか世にも恐ろしい物を見たかのような顔をしている。


 酷い。さすがにちょっと泣きそうになってきた。


「主さんは本当に頭がお花畑でござりんす。」

「そうじゃな。ハルは駄目男じゃ。鈍感じゃし、情報には疎いし、頭も弱いのじゃ。」


 そこまで言わなくても・・・というくらいに追い打ちの罵倒を浴びせてくるヨギリとアマネ。


「さすがにそろそろ泣きますよ?泣きますからね?」

「ほれ、早く泣くのじゃ。そしてわらわ達に泣き顔を見せるのじゃ。」


 傷ついてますよアピールしてみたが、どうやら逆効果だったようだ。アマネがさらに煽ってくる。ヨギリやコハル、そして他の嬢達も、早く泣き顔見せてと急かしてくる始末。


「もう帰ります。お疲れ様でした。」


 ここはさっさと退散するとしよう。こんなのもう逃げるが勝ちだ。

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